†魔女の章 ■2■
「問題は道なのよ!」
ホコリ臭い古本屋で、魔女は声高らかに言った。
カウンターには老店主が読みかけの本を開いたまま昼寝に勤しんでいる。その周りをホウキのベルナールさんが、さっさかと掃き掃除をしている。
魔法によって意志を与えられた道具は、自分が何をすればよいのか本能で知っているのだ。
居眠り店主のそばに置かれているマグカップの中に、舞った塵が入ろうか入るまいかは気にするところではない。
「古本屋なんだから、地図くらいあるでしょう! さっさと出すもの出しなさい!」
老店主は相も変わらず舟を漕いでいる。
当然、魔女の声は聞こえていない。
「街の地図はあっても、森の地図まではないなぁ」
答えたのは店主ではなかった。
店の奥から出てきたのはエプロン姿の一人の青年。
赤茶色の髪の毛。琥珀色の瞳に優しそうなほほ笑みを浮かべている、整った顔立ちの甘いマスクの美青年だ。
抜けるような白い肌は男のくせに生意気だ、と魔女は思っている。
嫉妬さえ感じられる今日この頃。
「どうしたの? クリスちゃん、宝探しでも始めるのかい」
にこにこしながら男は紅茶をテーブルに置いた。こんな美青年に笑顔でお茶を勧められたら、女性はイチコロだろう。
「まぁ! お気遣いありがとうございますわぁ、ムッシュ♪」
色香に迷った猫が一匹。
「子猫ちゃんは冷ましたホットミルクだよ〜」
「じゃあ道を紙に描いて教えなさいよ。あんたこの土地の領主でしょ!」
「確かにあの森は、うちの庭みたいなものだけど…もう何十年も行ってないからなぁ〜」
彼の名はジェイル。
灰色の街の北にある、小高い丘陵地に城を構える吸血鬼の領主。
夜は闇夜の世界を束ねる首領にして、昼間は売れない古本屋で店員。噂では朝は新聞配達もしているという。いったいいつ休息をとっているのか気になるところでもある。
「ぼく、絵が下手なんだよね」
てへへ、と八重歯をのぞかせて可愛く笑う。
「…〜ッあ〜もう、このスットコドッコイがぁッ!」
「…スットコドッコイ? それって何かの専門用語?」
残念ながら異文化コミュニケーション、不成立。どうやら魔女の高度な侮辱言葉を吸血鬼は理解出来なかったようだ。
† † † † † †
魔女は自分の発言には責任を持たなければならない。いわゆる有限責任というやつだ。
なぜなら『魔女』は職業だからだ。
「なんとしてでも朽散無の木を見つけ出さなきゃ」
しかも、魔女は仲間を裏切ったりしない。魔女の名誉にかけて仲間の信頼を得るのだ。
そういった様々なバックグラウンドがあって、魔女はここにいる。
緑灰色の森。
「レディ、一つ質問がありますの。よろしくて?」
魔女の足元にたたずむ黒猫が言った。
「ええ、いいわよ。聞いてあげようじゃない」
「なぜ消臭剤に防腐成分が必要なんですの?」
魔女はフッと口角を少しばかり上げて皮肉な笑みを見せた。
「シャルル、この間わたしが煮詰めていた激臭の液体を覚えているかしら」
「え…ええ。もちろんですわ、レディ…」
魔女はあの臭いを思い出したかのような胸くそ悪い顔で、明後日の方向を見つめている。
「あの液体が消臭剤なんだけどね、…ああ。臭いで臭いを消すからあんなに臭い訳じゃないのよ。凝固剤を入れて固めれば…固体になれば、なぜか臭わなくなるのよね」
「不思議ですわね…」
「しかもね。固体にしても腐りやすくてね、またもとの液体に戻って殺人臭を放つって訳」
黒猫の見上げる魔女は、とても複雑そうな表情をしている。
「だから、なんとしてでも朽散無の花実を手に入れるのよ! 解った? だったら黙ってわたしに付いて来なさい! つべこべ文句言ったら、あんたの身体中の毛、全部むしるわよ!」
「Σきゃあ! そんなのヒドイですわ〜」
黒猫はその艶やかな漆黒の純毛を逆立たせて抗議したが、魔女の逆鱗に触れるだけだった。
「ふふふ…来るの? 来ないの?」
目が。
魔女のエメラルド色の瞳が殺気を帯びて黒猫を睨んだ。
† † † † † †
きっとヘンゼルとグレーテルは、こんな気分だったのだろう。
まだ森に足を踏み入れたばかりの地点で魔女は頭上を見上げた。
異様に苔蒸した樹木の枝が空を覆い隠す。垂れ下がるツタはどれも立派で、ターザンの真似をしても千切れそうにない。
『木がおばけに見える』と子供が言うのを聞いたことがある。
まさに化け物だ。
「…おっと。わたしも怪物の端くれだったわ」
踏み出した足は、高く積もった落ち葉の中に埋まり歩きにくい。
「レディ〜。やっぱり止めません? 魔法お使いになれないのでしょ?」
魔女の左手に握られたベルナールさんはぐったりしている。いつもそわそわ動いているのに。まぁ、これが本来のホウキの正しい姿なのだが、魔女と黒猫はどこか落ち着かない。
「せめて、オズワルド様に木のある場所を教えて頂けばよれしかったんじゃありません?」
そうかもしれない。
魔女はいつになく寂しそうな瞳を見せた。
「うっさいわね。どうにかなるわよ!」
しかし台詞はどこまでも強気だった。
『お困りのようですね、魔女のお嬢さん☆』
「「Σ?!」」
どこからともなく湧いてきた聞き覚えのない声に、魔女と黒猫は身構えた。
「きゃー! 何? 誰ですのー!」
黒猫の叫びに、声はクククと楽しそうに忍び笑いをもらす。
魔女はあたりに注意を払うが、気配らしい存在を感じない。まるでそれは生気を感じさせない人形のように息を潜ませている。
「声はすれども、姿は見えずー☆ さーてワタシは誰でしょう☆」
「ふん。誰でもいいわよ」
魔女は声を無視してズンズン進む。
「あぁ〜、ちょ、ちょって待って! ごめんなさい。ワタシが悪かったヨ☆」
魔女の素っ気ない態度に、声は急にうろたえ出した。
とん。
と、魔女と黒猫の背後に、軽やかに何かが着地する音がした。
黒猫は常に尻尾を立てて警戒している。
魔女はおもむろに振り返った。




