『プリンセス・トヨトミ』 万城目 学
万城目学氏は、小説家になられる迄に大変なご苦労をなさったそうである。
一度は経理マンとして一般企業に入社したものの、夢を諦めきれず、仕事を辞めて執筆修行に勤しんだのだとか。沢山の小説大賞に応募するもののなかなか入賞出来ず、再就職も考え始めたある日、ふと脳裏に浮かんだアイディアが、後のヒット作『ホルモー』に纏わるもの。
今でも作者は執筆を修行のように捉えておられる所があり、人気作家となられた今でも、様々な作品に挑戦されている。そのような話を、自身のエッセイや新聞のインタビューで目にした。
以前の仕事が経理関係だったこと等から、私は万城目氏に勝手に親近感を持ってしまっている。
若手人気作家は皆才能があり、さして苦労もなくその座に上り詰めたようなイメージを抱いてきた私にとって、万城目氏の自伝的な話は意外なものであり、私のような者でも頑張れば作家になれるのではないか…などという、淡い想いを励ましてくれるものであった。
苦労なくして、沢山の人から愛される作品は生み出されないのである。
『プリンセス・トヨトミ』は、大阪を舞台としたお話である。
お好み焼きの焼ける音や香ばしい匂いが伝わってくるような、大阪の下町を舞台に繰り広げられる、壮大なファンタジーである。しかし、『ホルモー』や『鹿男』と異なるのは、『あっても不思議ではないファンタジー』である、ということ。『プリンセス・トヨトミ』には魔法や呪文は出てこない。
SFじみた所はあるけど、まあそれ程の『予算』があれば、出来ない話じゃないのかな…と納得してしまわなくもない。一体何の為にこれほどの『予算』が必要なのか、と思っていたら…え?それだけ?という。そこもまた面白いし、『大阪だったら、あっても不思議じゃない』と思ってしまったり。
私は大阪に住んだことがない。だから、ボケとツッコミと義理と人情の商人の街、という大阪に憧れにも似た想いを抱いている。そんな者にとって、このお話は『もしかして、本当の話なんじゃないか』と思わせてしまう、それだけの強い個性と魅力を、『大阪』の街は秘めている。
大阪にはまた、荒っぽいイメージもある。ヤクザの組長の息子が出てきて、なるほど大阪っぽい…と思わせるが、父親の組長はコテコテの人情肌であり、そこもまた大阪のイメージにマッチする。
『プリンセス・トヨトミ』は、また、人の温かさに包まれた物語である。
『秘密』を守る男達。
それは、歴史に名を残すこともない、ごく普通の人々である。それぞれの仕事、それぞれの年齢に合わせて与えられた『役目』を、各自忠実に実行していくことで、大きな流れが出来上がる。
予行演習などない、一発本番でありながら、本当にその場面が訪れるかは分からない。
そんな状態だから、「ホンマやったんや」と、皆驚きながら『役目』を果たしていく。その過程を読み返すと、何だか切ないようなしみじみとした感動に包まれる。
大阪の抱える『秘密』は、決して男達だけのものではなく、見て見ぬ振りをしてあげている女達によって守られてきたものだった。物語の最終章で告げられたその事実に、体の芯が熱くなった。
太閤秀吉の時代一つ取ってみても、表舞台に立つ男達の影で、女達の力によって歴史は大きく動いてきた。「女は口出すな」といばる男と、はいはい、と笑って全てを包み込む女…その構図は、遥か昔からずっと続いてきたものではないだろうか。
『男はとにかくアホな生き物やから、一生懸命になって、自分たちだけで何か大切なものを守ってるつもりになっているけど、どうかそっとしておいてあげなさい』
万城目氏の綴ったこの言葉には、女の本質が見事に描き出されている。
さて、話を『秘密』に纏わる『予算』に戻そう。
国家予算が大阪の『秘密』の為に使われているならば、適正に使用されているものか検査しなくてはならない、と使命感に燃えてやってくるのが会計検査院の面々である。私は会計検査院というものをあまり存じあげないが、新幹線で出張に出向き、帳簿や伝票とにらめっこして、会社の偉いさん達に指摘事項を突きつける、その仕事ぶりには公認会計士に近いイメージを抱いた。しかも、彼らは国家公務員一種の超エリートである。恐れ多くも面倒臭い、検査を受ける側はそのような受け止め方をしているのではないだろうか。
『秘密』に対峙するのは、鬼の松平副長、キレ者で美人の旭・ゲーンズブール、そしてミラクル鳥居。
私は、万城目作品を読む時、感情移入出来るまでに少し時間がかかる。登場人物のキャラクターが、ステレオタイプとほんの僅かズレているからだ。おっちょこちょいだけど、決めるところはビシッと決める、そんなキャラクターは色々とな所で目にすることが出来るが、この『おっちょこちょい』に大分イライラする。ツンとしているが、根は優しい、そんなキャラクターもよくいるが、この『ツン』が本当にムカつく。
多分、こういう奴いるいる!と思ってしまうからではないだろうか。作者の会社員経験が、そんな所に活かされているのかも知れない。
そんな訳なので、『まあ、あいつのああいう所はちょっとアレだけど、しょうがないかな』なんていう、リアルな人間関係の感覚になるまで、なかなか登場人物達に馴染めないという訳だ。
ただ。
だからこそ、一旦感情移入すると、なかなか離してもらえない。たとえ登場人物が失敗しても、『あーあ、やっちゃった。本当しょうがない奴』と笑って済ませられるようになるからだ。
今回の『プリンセス・トヨトミ』なんて、最後は泣かされてしまった。しかも、癪なことに、あの旭にだ!本当に納得がいかなかったが、しょうがない。完全に万城目氏のキャラ作りに敗北である。
しかし、茶子のかっこよさには鳥肌が立った。友達の為にあそこまで出来る中学生女子というのは、人目を気にする年頃だけになかなかいない。
大輔も、大きな悩みを抱えながら、自分を誤魔化すことなく、強くまっすぐに生きている。
『秘密』の表も裏も知った大輔と、何も知らない無邪気な茶子。
二人は一体どんな大人になるのだろう。
万城目学氏について熱く語ってきたが、実は私、『鴨川ホルモー』を未だ読んでいない。
これは近日中に読んでおかねば、と心に誓ったことを最後に補足しておく。