『シンメトリー』 誉田 哲也
姫川玲子は、誠に男らしい主人公である。
実のところ、彼女は女性らしい女性である。メイクが崩れてしまうことを気にして『やっぱりさっきお化粧直しとけばよかった』と後悔したり、『きっと20代のうちしか着られない』と思い切ってブルーレーベルのトレンチを購入したり、男性捜査員達の視線をちらり、と気にしたりする。
また、女性であるが故にある事件に巻き込まれ、心に傷も抱えている。
だが、私が敢えて『男らしい』と考える理由、それは彼女の冷静さ、強さにある。
女性というのは、一般的に感情的な生き物である。こんなことを書いては語弊があるかもしれないが、私の幼少期の記憶には、小学校の女性教師の甲高い怒鳴り声が、かなりのインパクトを持って残っている。母は呑気な人で、母的に怒り心頭に発するような出来事に遭遇しても、あんな声を出すことはなかったので、余計ビビったものと思われる。
話を玲子に戻すと、彼女は、例えればハリウッド映画に出てくる、FBI捜査官のようだ。
昔従軍してイラクに赴いて、凄惨な虐殺行為を目にし、自身も負傷してアメリカに戻ったが、今でも悪夢にうなされることがあり、酒に溺れ、結果愛する妻に捨てられ、大切な息子とも滅多に会えない。しかし、仲間にそれと悟られることなく、凶悪な犯人と戦っている。ポリスアクション映画を観れば、3回に1回はそのような主人公にお目にかかることが出来る。彼女はそんな、ブルース・ウィリスが演じそうなヒーローを彷彿とさせる。
玲子は、思春期に負った深い深い心の傷を、部下や同僚達に隠し続けている。
辛い事件に茫然自失の彼女を救ったのは、一人の若い婦警だった。玲子の凍りついた心が溶けかけた時、婦警は命を落としてしまう。彼女への強い思い、そして、辛い裁判の最中に見た『警察』という組織への強い憧れから、玲子は警察官を志したのだった。
本作で明らかになるのだが、玲子はどうやら、学生時代、まだ公務員試験にも合格していない頃から、警察官の昇進試験の勉強をしていたらしい。将来なりたい自分像を決めかね逡巡している大学生の中で、彼女は異彩を放っていたに違いない。
異例の速さで昇進し、自分よりずっと年上の男達に負けずにずんずん物を言い、どんどん事件を解決していく、玲子は物凄く男前だ。
彼女の捜査は『勘』(女の勘、とは敢えて言わない)に頼る所が大きく、ガンテツや日下から見たら危なっかしくてしょうがないものらしいが、何が何でも事件を解決するという彼女の信念が、解決の糸口をぐいぐい引き寄せてしまうのだろう。
そんな彼女も、繰り返しになるが三十の大台を目の前にして、色々と思い悩む一人の女性である。
中でも、菊田との恋の行方は大変気になるところである。
刑事としては超一流、玲子の一番信頼出来る部下の菊田だが、今まで恋愛経験があるのだろうか、と勘ぐってしまうくらいの奥手ぶりである。働きぶりからは『黙って俺について来い』的な肉食系男子に思えるのだが、恋愛となるとそうは行かないらしい。本作によると、玲子の下で働き続けたいが為に昇進試験も受けないというのだから、お前は乙女か、とツッコミたくなってしまう。
玲子の方も、ツンデレ甚だしいから困ったものだ。プライドが高いというより意地っ張りな上に、恋愛観は人一番に女子であり、男性にぐいぐいリードして欲しいと思っている。だから、うじうじと行動に移せない菊田をもどかしく思いつつも、待ちの一手を貫いているのである。
でも………ついつい、前に出てしまったりもする。
「キスしたら、機嫌直す?」
意中の女性にそんな事を言われて、悶絶しない男はまずいないだろう。
だが。
菊田は、玲子の『過去』を知らない。
まあ、知ったところで気にする男ではあるまい、と思う。
だが、玲子が過去を打ち明けた時…辛い記憶は、二人の関係にどのような作用をもたらすのだろうか。
気になるが…今のままの、周囲が気恥ずかしくなるようなもどかしい関係が、ずっと続いて欲しいような気も、ちょっとだけする。
玲子のキャラクターばかりに言及してしまったが、姫川玲子シリーズは描写方法もまた挑戦的である。
事件関係者と思しき人物の述懐と、玲子達の活動劇が交互に描かれ、やがて別々の二つの世界が交錯する…その瞬間の妙は、実に見事だ。
今回の『シンメトリー』は短篇集であり、これまでの長編とは異なり、犯人の心の闇を始めとする、生々しいドロドロした描写が少ない。犯人や被害者等事件関係者の痛ましい実情を、憤りを感じてしまうほどに共感出来るところもこのシリーズの醍醐味と言えるため、若干の物足りなさを感じ無くもないが、玲子が男らしく次々に事件を解決していく、短篇集ならではのテンポの良さもまた痛快で、これはこれで悪くないな、と思う。