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『いっちばん』 畠中 恵

『しゃばけ』という言葉には、なんとも言えない愛嬌がある。

作品を漂うのは、落語のようにのんびりした空気。

通勤電車に揉まれ、青息吐息で働いて、重い体を引きずるようにして家路に着く…その最中にこんな本を開いて、癒されない現代人はおるまい。

そんな訳で、『しゃばけ』シリーズを私は専ら、帰りの電車で読むことにしている。


作者の畠中さん、以前は漫画を描いておられたという。

そのせいか、個性的な登場人物は皆個性が際立っていて、一挙手一投足が目に浮かぶようである。

特に、このシリーズの中にぎゅうぎゅう詰まっている、愛すべき『妖』達。

物の捉え方がどこか人とは違っていて、若旦那を困らせてばかりいる彼らだが、自分の気持ちに正直で、言いたいことを言い、やりたいことは躊躇なくやる。『人』としては、ちょっと羨ましい。

鳴家が三匹くらい懐にいたら、きっと気持ちが楽になるだろうな、と思ったり。

江戸の街も、文章から飛び出さんばかりの活気に溢れている。

更に言うと、私は『しゃばけ』シリーズを読むと、やたら和菓子が食べたくなってしまう。だって、若旦那は少食だと言いながら、美味そうなお菓子ばっかり食べてるんだもの。

出てくる和菓子が、例え栄吉の作ったお饅頭でも、やっぱり食べたくなるのだから妙だ。


江戸の言葉がまた、柔らかい空気感を更に引き立てる。

『若旦那』という響きからしていかにものんびりしているし、『剣呑だねえ』なんて言っても、全然危ない感じがしないので困る。

江戸っ子はせっかち、というイメージだが、あんな言葉を多用していたら、動作も自ずとスローになってしまいそうな気がする。いくらせっかちと言ったって、現代の東京に暮らす人々に比べれば、幾分かのんびり屋だったに違いない。


私がこのシリーズに絶大な信頼を寄せる理由の一つに、『お約束』が沢山あることが挙げられる。

若旦那はすぐに寝込む、でも、仁吉の苦くて一体何が入ってるんだか分からない不気味な薬を飲むと、いつの間にか良くなってしまっている。

栄吉の作る餡子は、殺人的に不味い。どんなに頑張っても、丁寧に丁寧に拵えても、やっぱり不味い。

日切の親分は、若旦那の助力抜きに、犯人を捕まえることが出来ない。

若い娘さんは、50%以上の確率で仁吉に惚れる。

昔から、日本人は『お約束』を好むという。

はらはらする展開があっても必ずそこに帰ってくる、というのが、何かと安心なのだ。


しかし、だ。

若旦那と、沢山の妖達の日常。平和でのんびりして、いつも同じ所に帰結する。

そんな風に見えて、実は、日々刻々と移り変わっている。

腹違いのお兄さんに会いたいと、過保護な両親と妖達の目を盗んで出かけた場面から、このシリーズは始まる。だが、振り返ってみると、本作時点での兄松之助は奉公人として長崎屋に入り、更に嫁を娶って店を離れている。栄吉の菓子作りの腕は相変わらずだが、このままではいけないと修行に出てしまっている。

仁吉と佐助が、どんな経緯を経て長崎屋にやってきたのか、その謎も明らかになった。

いつも死にかけている若旦那は、なんと本当に三途の川まで行ってしまったし。


一番はっとさせられたのは、お春ちゃんの嫁入りのお話だ。

お春ちゃんは若旦那に恋心を寄せていた。若旦那には妹のようにしか思えなかったけど、特別な存在であったことは確かだろう。

『煙管』と『しゃぼんだま』…結末に、鳥肌が立ったのを覚えている。

若旦那があとほんの僅かでも丈夫で、お春ちゃんの縁談があとほんの僅か後で、若旦那の心があとほんの僅か動いたなら、二人は夫婦になっていたかもしれない。

切ないというより、もどかしい気持ちにさせられるお話だった。現代であれば、もっと違った結末があるのかもしれない。だが、そこは作者が忠実に守る『江戸の世界』、そうはいかないということだ。


変わらない日常の中で、静かに移り変わっていく世界、それは実にリアルだ。

思えばついこの前まで小学生で、放課後の校庭でサッカーボールを追いかけていた筈なのに…と感じるのと同じ。

『しゃばけ』の世界は、肌を伝って時の移ろいを感じられる場所である。


ここで、今回読んだ『いっちばん』の話をしよう。

シリーズで主流の短編集という形式の今回、一番印象に残ったのは、現代風に言えば『ビジネス』のお話だった。長崎屋が近江からやってきた商人達と品比べをする、『江戸でウケる商品、顧客ニーズを捉える商品とは如何なるものか』というお話には、ほお、と感心してしまった。お雛ちゃんが白粉を落とした事件にもびっくりしたが、このお話の肝もやはり『ビジネス』。模倣品が出回るなんていうのは現代にもありそうな話だが、どうすれば客の心を掴めるか、そこに『江戸の街である』という制約がつくと、解決は非常に困難だ。


ここでふと、両方のお話で色々と奮闘する若旦那が、『廻船問屋の跡取り』らしくなってきたことに気づく。年頃から言っても、そろそろ商売の事も覚えなければならない。相変わらず病弱ながら、若旦那も成長しているということだ。


ただ。

若旦那が大人になってしまうこと、読者としてはちょっと淋しい。

他のものが移り変わっていっても、若旦那には年中寝こんで妖達と楽しく過ごしていて欲しい。

そう思ってしまうのは、私の我儘だろうか?

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