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『私を離さないで』 カズオ・イシグロ

カズオ・イシグロという作家を知ったのは、恥ずかしながらごく最近のことだ。


それは、今回のテーマであるところの『私を離さないで』の映画化に伴い作成されたドキュメンタリーで、女優が静かな口調で朗読するフレーズの美しさに、ふっと引き寄せられた。

それに、アイデンティティについて語る彼の丁寧な英語が、大変印象的だった。

『日本国籍を放棄するということについて、当時は大変悩みました。両親の国を捨てるような思いに駆られることもあった、ですが、私は日本語を話すことが出来ません。自分が生まれた国でありながら、私にはその本質を理解することが出来ないのです。ですから、この決断はごく自然なものでした』

彼が穏やかな口調で語ったのは、確か、そんなことだったように記憶している。

「ふーん」と、思わず唸った。

私自身はといえば、日本を離れたことがない。英語を始めとする外国語はからきし駄目だし、肌に馴染まぬ言葉が溢れる場所など居心地が悪そうに思え、海外旅行にすらほとんど行ったことがない。

外国語をいくら勉強しても、いくら流暢に操れるようになっても、ネイティブの本質的な部分を、乾いたスポンジのように吸収し、自分の一部にすることなんて出来るのだろうか…漠然とした思いが常にあった。

それを、テレビで初めてお目にかかる白髪の英国男性に、ずばりと言い当てられてしまったのだ。


そんなこともあって、書店で平積みになっている『私を離さないで』を手にとったのは、ごく自然なことだったように思う。

だが、翻訳書があまり得意でなく、苦労して読み進めるのが常であったのに、一晩で読み終えてしまったことには我ながら驚いた。そんな感動もあって、今斯様なものを書き綴っている次第である。


第一印象は、「ああ、いいな」というものだった。

目を閉じると、色彩や感触までありありと思い起こすことが出来るような、具体的でごく個人的な日々の様々。一行、また一行と、わくわくしながら読み進めた。

有り体な言い方をすれば、自分がその場に立っているような感覚。更に言うなら、同じ記憶を自分も持っていて、「そうそう、こんなこともあったし、あんなものもあったなぁ」と共感するような感覚だった。

これは自分の悪い癖と常々自負しているのだが、作品については既に『wikipedia』等で予習済みである。この先何が起こるのか、どのような結末が登場人物達を待ち構えているのか、ある程度は想像がついてしまっている。淡々と綴られる文章が落とす微かな影に気づき、憂鬱なため息をつきながら、ページを捲っていった。


が、中盤に差し掛かった途端。

その手がぴたり、と止まった。


彼は、カズオ・イシグロは、何故こんなに、あの頃の…振り返ると、恥ずかしくて消え入りたくなるような、当時の自分をぶっ飛ばしたくなるような…色々な思いを、行為を、詳細に描くことが出来るのだろう。

行動の不自然な同級生をスケープゴートにして、みんなでこそこそ笑いあう。誰にも内緒の秘密を、大切に大切にしまいこんでいる。言わなくても良いことを言ってしまい、友人と険悪になる…だが、互いに不器用に気遣いあい、いつの間にか何もなかったように元通りに振る舞うことが出来るようになっている。そんな経験、誰にでも一度や二度はあるのではないだろうか。そして、それらの気恥ずかしい思い出は一種のタブーとなり、大人になって当時の話をしたとしても、絶対に話題に上ることはない。

キャシーとトミーのような関係も、今では記憶の隅に追いやってしまっているけれど、確かにあったな、と思うし、ルースのような女の子もいた。自分がそんな風だった頃だって、いつだったかあったような気もする。

一生ものの友人とは、多かれ少なかれ、互いの嫌な部分を見せ合っている。だが、大人になるとそんな経験はまるで無かったことになり、綺麗な思い出だけがその絆を築きあげているような顔をして、酒など酌み交わすようになるのだ。青かった頃の思い出は、忘れてしまいたい…無意識にそう、心が動いてしまっている。

だから、気持ちが揺れて仕方がなかった。気まずくて、早く通りすぎて欲しくて、体がむず痒くて堪らなかった。これ程文章に心を強く揺さぶられることは、久々の経験だった。


カズオ・イシグロ自身は『日本人ではない』と語っているが、作中に語られる『緊張を感じ取り、なんとなしにある話題を避ける』とか、『同じような話をしていても、ある出来事が起こる前と今とでは全く違う空気が漂っている』とか、『わざと明るく振舞っているのが分かり、それに合わせてぎこちなくも明るく振舞う』とか、そういった作中の描写は、どこまでも日本人的に思えた。もしかしたら、何もかもオープンにするのが外国の文化だ、というイメージ自体、私の思い込みなのかも知れないけれど。

少女という生き物は、自尊心が強くて自愛心も強くて、そして厄介なほどに繊細である。男性作家によって、女性的な感情の様々を誇張も皮肉も感傷も一切無く描写されている作品には、これまでなかなかお目にかかる機会がなかったように思う。


あまり多くは触れないが、結末は良くも悪くも、想像を裏切らないものだった。

年老いた先生の語る真実が、あまりに政治的であったことには驚いたが、大人から見れば『生徒達』は、まあ、そのような存在だったのだろう。科学者の目から見たら『道具』であろうし、教育者から見たら『人間らしく文化的に育てるべき存在』であろう。一つのスキャンダルによって、世の論調が大きく変わるということもまた、生々しく、リアリティのある描写だった。

キャシーもまた、激昂するでもなく、淡々と質問し、返ってくる答えに反応し、先生の元を後にする。どう反応していいか分からなかったのかもしれない、自分がその場に出くわしたら、やはり同じ反応を示すだろうと思った。毅然と立ち上がり、『そんなのはお前達のエゴだ』と怒りに任せて吐き散らすのは、ハリウッド映画だけのお話だ、きっと。

その後に訪れる別れも、大方予想通りだった。

なのに、何故だか、涙が出てきて困った。

最初涙はあまり出ず、その感情は打ちひしがれた感じによく似ていた。

しかし次に、自分の大事な人達の顔を思い浮かべた瞬間、ボロボロと涙が溢れてきたのである。

「これは」と思った。

妙に色彩鮮やかで触感豊かな夢から覚めた時の、「ああ、夢で良かった」という、あの気持ちだ。

肌に触れるような、登場人物達を包みこむ世界の生々しさ。

そして、思い起こすだけで顔が熱くなるような、青臭い感情の様々。

私はいつの間にか、淡々としたキャシーの視点を通して、それを追体験していたのだった。


あれ程に徹底して、流れるような描写が貫かれてきたのに、最後の最後、不意に感傷的になる。

一瞬の妙が、あくまで『読者』であった自分を、あの淋しい海岸線に誘いこんでしまったのだろう。


カズオ・イシグロの世界を覗くには、それなりの覚悟が必要だ。

生半可な気持ちでいては、心をごっそり持って行かれてしまう。


重いテーマであり、辛いストーリーであり、ハッピーエンドには程遠い。

だが、後味は決して悪くない。

世界で愛されるカズオ・イシグロの世界に、私は今日、足を踏み入れた。

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