4話 インカ帝国の乱
居間に戻ると美紅が掃除機をかけています。
吸引力の変わらない例の掃除機がクソでかい音を立てていて、こたつでのんびりできそうもありません。
「美紅、あとどれくらいで終わりますか?」
私のか細い声は掃除機のクソでか駆動音にかき消され、美紅には届いていないようでした。
「美紅のアホー」
美紅は私の存在など認識していないかのように、黙々と掃除を続けています。
「やーい、おまえの父ちゃんイーケメン」
父親を誉めてみたところ、美紅はまんざらでもなさそうに口角を上げています。どうやら本当は聞こえているようです。
「美紅も叔父さんに似てるから顔が整ってますよね。アイドルみたいです」
美紅は聞こえていないフリを続けていますが、露骨に顔がデレデレとしてきました。こいつさてはチョロインですね。
「こんなに可愛い美紅ちゃんなら、きっと可愛い従姉妹の冬休みの課題を代わりにやってくれるんだろうなー」
「やるわけないでしょバカ、カス、すっとこどっこい」
美紅は掃除を終えると、スティック掃除機を片付けながら私を罵ってきました。
「罵倒でしりとりするのやめてくださいね」
「ふん、悔しかったらあんたもしりとりで私に何か言い返してみなさいよ。ほら、“い”よ、“い”」
別に悔しくもないのですが、ここで言い返さないことで知性とユーモアに欠ける女と思われるのも癪です。
“い”から始まる罵倒。
私は思案してみます。
「淫乱」
「は? どういう意味?」
ま、まずい。
私の想定では「おいおーい! “ん”で終わってるやないかーい!」というツッコミを受けてこの一連の流れは完結するはずだったのですが、美紅はめちゃくちゃ真顔です。
しかもこの真顔はキレてるのではなく、言葉の意味が理解できない方の真顔です。余計やばいです。
美紅が叔父や叔母に「ねー、芽依に言われたんだけど淫乱ってどういう意味?」などと質問しようものなら、私は色々な意味でこの家に居られなくなります。
この窮地を脱する術を考えなければ、私はおしまいです。
「インカ帝国で起きた騒動、インカ帝国の乱、それを略してイン乱と言うんです。乱を起こすほどの粗暴者という意味です。まったく美紅はこんなことも知らないんですね」
神谷芽依、やはり天才か……。
咄嗟の言い訳を脳内で自画自賛していると、美紅は感心したように「へぇー、知らなかったわ」と目を丸くしていました。
インカ帝国の皆さん、こんなことに巻き込んで本当にごめんなさい。
「椛は知っているのかしら」
美紅がスマホを開いて椛にメッセージを送ろうとしました。椛は現在、叔母と一緒にいるはずです。激ヤバ。
「あぶなーい!」
私は咄嗟に美紅からスマホを奪い取ろうとしましたが、あっさりと避けられてしまいました。そうでした、美紅も椛も私と違って運動神経も反射神経も良いのです。
「危ないのはあんたの奇行よ! いきなり何!?」
身体能力では敵いません。やはりここは頭脳で勝負です。
「いいですか美紅、イン乱という言葉を椛に、いえ、誰にも教えてはいけません」
「は? なんでよ?」
「実はこの言葉は禁呪で……この言葉を知っている人が三人以上同じ家にいると……世界は滅亡するんです! な、なんだってー!?」
「バカ? あんたさっきはそんなことも知らないんですかとか言ってたじゃない。つまり大人なら知ってるような言葉なんでしょ? じゃあもうこの家にはあんた含めて三人以上知ってる人がいるじゃない」
「な、なんだってー!?」
ぐうの音も出ないほどの完全論破をされてしまいました。三人じゃなくて五人以上とかにすればよかった……!
「美紅ぅ! いえ美紅様ぁ! お願いしますぅ! 私まだ路頭に迷いたくないですぅ!」
なす術なくなった私は、美紅の太ももに縋り付いて泣き付きました。
「わ、わかったわよ。じゃあ本当の意味を教えなさいよ。淫乱ってなに?」
「え? えーと、えへへ……み、美紅はドスケベってことだにゃん?」
色々なアレを紛らわせるため、語尾を可愛くしてみる私です。
「……死ね!」
しかしその努力も虚しく、キレた美紅に頭を踏みつけられて強制土下座をさせられたのでした。
「にゃーん! しりとりはもうこりごりですー!」




