パンツ その4
「――というわけなんだ」
その後、俺が一線を越えたという偏見を持つ姉ちゃんの誤解を解きつつこんな大惨事一歩手前の状況になった経緯を説明するのに三十分を費やした。
だが葵の部屋に侵入したことや姉ちゃん(?)のパンツで汗を拭いたこと等、俺の名誉に関わることについては口が裂けても言えないので、語彙力の限りを尽くしてなんとかはぐらかした。
姉ちゃんは俺の説明を聞くと、右手を胸に当ててホッと安堵の息をついた。
「なんだ、そういうことだったの。よかった、春斗が一線を越えてなくて」
「あ、当たり前じゃん。そんなことするわけないだろ。ははっ……」
その一線上にいたことは確かなので、多少心に来るものがあるが苦笑いを浮かべてごまかす。
「じゃあ、これは誰の下着なの? 少なくとも私のものではないし。まさかおいちゃんのもの? いや、そんなわけないか」
その説は俺の周密なる観察により否定されたはずだが、姉ちゃんのものでないとなるとそういうことになるが……いや待てよ。
これまでの出来事を思い出していた俺はある一つの可能性に行きつく。
「姉ちゃん。これ、多分葵のだぞ」
「ええー? おいちゃんが普段からこんな薄い下着をはいてるなんてありえないでしょ」
「いや違う。これは普段の下着じゃない。別の視点からこの下着を捉えるんだ」
「別の視点?」
姉ちゃんはその意味が分からずに首を傾げる。
俺は一拍おいて、姉ちゃんの目を見据えながら重々しくその可能性を告げた。
「これは……勝負下着なんじゃないか?」
姉ちゃんは驚いたようにはっと目をみはる。
「普通に考えれば、まだ中学に入りたての葵がこんなものを普段使いしているとは考えにくい。でも、勝負下着なら? 多少は大胆なものだったとしても不思議じゃないだろ」
「でも仮にそうだとしても、なんで勝負下着なんか……まさか」
顎に手を当てて思考を巡らせていた姉ちゃんだったが、途端に事件のトリックが分かった探偵のように勢いよく顔をあげる。
どうやら俺と同じ結論に辿り着いたらしい。
まさか妹に先を越されるとは思ってもみなかったが、ここまで証拠が揃っている以上、認めるしかない。
「ああ。葵、彼氏でもいるんじゃないか」
「そんな……」
その残酷な事実を受け入れられず、呆然と黒パンツを凝視する姉ちゃん。
「あいつも中学生。立派な一人のレディなんだ。いざっていう時の勝負下着の一着や二着持っていても不思議じゃない。そして、その勝負下着が洗濯されていたということは――」
「やめて! おいちゃんにはまだ早すぎるよ!」
姉ちゃんは声を荒げて現実を受け入れまいとするが、いくら喚こうがそれは変わらない。
「俺も信じられないが、葵もいつまでも子どもじゃないってことなんだろ」
「うう……おいちゃんが、もうそんなに……」
ショックなのか、ぐすんぐすんと涙ぐむ姉ちゃん。
俺は肩を震わせ始めた姉ちゃんにそっと近づくと、少しでもショックが和らぐようにと背中をさする。
気持ちは痛いほど分かるし、葵のことが大好きな姉ちゃんのことだ。
俺なんかの何倍もの悲しみに明け暮れているのだろう。
弟としてそのまま姉ちゃんが泣き止むまで慰めてあげよう、と思っていると、トタトタと聞き覚えのある足音が近づいてきてガチャとドアが開かれた。
「おねえちゃん、お風呂あがったから入って……って、どしたの?」
パジャマ姿で部屋に入って来た葵は俺たちを眺めて、驚きとも困惑ともつかない表情を浮かべる。
すると、
「おいちゃん!」
「わわっ! どうしたの、おねえちゃん」
姉ちゃんは葵の姿を認めるや否や、勢いよく葵に抱き着いた。
「おいちゃん! 私、おいちゃんが認めた人なら大丈夫だって思ってる。けど、おいちゃんはまだ中学生なんだし健全なお付き合いをして! おねがい!」
「ええ? いきなりなに?」
「葵、俺も姉ちゃんに賛成だ。せめて中学の間だけは健全な男女交際を心がけていくべきだと思う」
「待って待って! 二人とも、さっきから何の話をしてるの?」
俺たちに詰め寄られてあわあわと狼狽える葵。
こんなデリケートな問題だからそうやってごまかそうとしているのかとも思ったが……今の葵の面食らった様子を見る限り、嘘をついているようには見えない。
…………あれ?
瞳を濡らしていた姉ちゃんも葵のその態度を見て俺と同じ疑問を抱いたのか、戸惑ったような表情をしたのちに静かになったので、部屋に一時静寂が降りる。
するとその好機を逃すまいとするように葵はすばやく姉ちゃんを自分から引き剥がすとストンと床に座り、俺たち二人を見回してから言った。
「おねえちゃん、ちょっと落ち着いて。おにいちゃん、ちゃんと説明して」
「――というわけで葵に彼氏がいて、そいつのためにこの勝負下着を持っているということになった」
俺がことの全容を説明し終えると、葵はあきれたように深いため息をこぼした。
「全然違うよ……なんでそんなことになるの」
「ごまかさなくてもいいんだぞ? 俺たちは葵が誰と付き合おうが葵の自由だと思っているんだけど、ただ葵はまだ中学生――」
俺が容認と勧告を同時にしようとするも、葵はそれを遮って話を進めた。
「まず私、彼氏なんていないから」
「「……え?」」
俺と姉ちゃんはそれを聞いて揃って素っとん狂な声をあげる。
「あと、それ。私の下着じゃないし」
葵は床に放置された黒いパンツを指さしてそう答える。
?????
これが姉ちゃんのものでもなくて、葵のものでもないなら……?
「じゃあ、誰のものなんだ?」
葵は疑問符を顔に浮かべている俺たちに言い聞かせるように説明を始める。
「この前、穂香ちゃんが遊びにきたでしょ。多分その時に置いて行ったやつだと思う。あの子、よくこういうことするから」
今、話に出てきた穂香ちゃん、というのは同じ市内に住んでいる葵と同学年の俺たちのいとこだ。
俺たちの両親が転勤になって三人で生活を始めてから、たまにおじさんとおばさん、そして穂香が様子を見に来てくれているのだ。
ということは、葵の言う通りこれが穂香のものだとすると……葵は勝負下着を持っている、という大前提から間違っているということになり、そこから導き出された葵に彼氏がいるという推論も瓦解してしまう。
「じゃあ……おいちゃんにはお付き合いしている男の子はいないってこと?」
「うん。さっきも言ったじゃん」
「…………なんだ~」
姉ちゃんはへなへなと空気がぬけた風船のように脱力して床にへたりこむ。
葵はそんな姉ちゃんの様子を見て、やれやれといった風に腰に手を当てる。
「もう。二人とも早とちりしすぎだよー」
「そうだね……ごめんね、お姉ちゃんちょっとびっくりしちゃって。まさかおいちゃんに彼氏がいるなんて。さすがにまだちょっと早いよね」
自分にその事実を納得させるように頷いていた姉ちゃんを眺めていた葵だったが、一拍おくとおはようと挨拶するようにあっさりと、
「あー、でも彼氏はいないけど好きな人はいるよ?」
「「へ?」」
いきなりの爆弾発言に場がシーンと沈黙するが、葵は戸惑う俺たちの表情を見ると、いたずらっぽい笑みを浮かべてから、
「それはね……おねえちゃんとおにいちゃん!」
俺たち二人に飛びつくかのように抱き着いてきた。
「えへへ。二人とも、大好きー! ぎゅ~」
「おいちゃん……私もだよ……」
「葵……」
こうして、持ち主不明のパンツから始まった一連の出来事は無事に解決したのだった。
めでたし、めでたし。
いやー、俺も姉ちゃんも葵も誰も傷つくことのないハッピーエンドに終わって本当によかった。
最高の形でのフィナーレを迎えたことを喜びつつも、心のうちでやれやれと肩をすくめていると、
「ところでさ、おにいちゃん」
「なんだ?」
葵は俺から離れて満面の笑みを浮かべたまま、どこか冷たい声で訊いてきた。
「なんで、これが私の勝負下着だって思ったの?」
「……え」
「あ、言われてみればたしかに。あの時すぐにおいちゃんのだって決めつけてたもんね。どうして分かったの?」
不気味な笑みを浮かべたまま固まる葵と、二歳児のように純朴な瞳を向けてくる姉ちゃん。
「…………」
訂正しよう。
これは、俺だけが傷つくバッドエンドだ。
次回 ごまたん




