怠惰ちゃん その3
それを見た葵は驚いたように固まったのち、瞳に大粒の涙を溜めはじめた。
「えっ……お、おねえちゃん?」
「私……まだ寝るから……おやすみ……」
我関せずというように再度姉ちゃんが布団の中に潜り込むと、葵は堰を切ったように声を荒げた。
「もういい! こうなったら無理にでもお姉ちゃんを引っ張り出してやる!」
しかしその瞬間、俺の両眼は衝撃の光景を捉えてしまった。
まるで犯人を仕立て上げるのに成功した真犯人のように口を三日月形に変える姉ちゃん、いや怠惰ちゃんの顔がそこに潜んでいたのだ。
「待て、葵!」
すぐさま危機を察知し、葵に呼びかけたもののすんでのところで間に合わず、我慢の限界に来てしまった葵は怠惰ちゃんの布団の中に潜り込んでしまった。
それからしばらく葵VS怠惰ちゃんという構図で布団内でドタバタと攻防が繰り広げられていたようだったが、十秒も経たないうちに勢いが落ち、三十秒ほどで動きが止まってしまった。
姉ちゃんの部屋に流れる不穏な沈黙。
「……おい、葵。どうしたんだよ、なあ?」
耐えかねて心配になり声をかけると、布団からぬっと葵の顔が出てきた。
が、次の瞬間絶句するほかなかった。
「……うみゅ~」
なぜなら葵が怠惰ちゃん特有の謎の鳴き声を発しながら出てきたからだ。
「葵っー!!!」
怠惰ちゃんならぬ「怠惰たん」になってしまった葵を前に俺は絶望のどん底に突き落とされたように崩れ落ちる。
すると見計らったかのように怠惰ちゃんが不敵な笑みを浮かべながら布団から顔を出した。
「ふっふっふ……おいちゃん……洗脳完了……作戦大成功……」
「洗脳って、お前葵に何をした!?」
「別に……なにも? おいちゃんは……私の妹に……なっただけ。……本当の意味でね」
こいつ、今までの怠惰ちゃんと違う!
攻撃をしてきやがった!
過去17回では攻撃してくるなんてことはなく、怠惰ちゃんは無害のはずだったのに……!
クソッ、何から何まで最悪じゃないか!
心の中で毒づくが、今のこの状況が変わるわけでもない。
俺は怠惰ちゃんから一定の距離を取りつつ、声を張り上げた。
「葵を返せ!」
「やだー」
「なんでこんなことをする!」
「なんで、か……。考えたことも……なかったけど……そうだね……。強いてあげるとすれば……この三人で……ダラダラすること……かな。……永遠に……ね」
怠惰ちゃんが言い終わるや否や、後ずさる俺の足元が何者かに掴まれた。
「なんだ!? って、葵!?」
「うみゅ~」
なんとそこには毛布に身を包んだ怠惰たんの姿が。
怠惰たんはそのままこちらの背後に回り込むと、猿のように体をよじ登りながら全体重を預けてきた。
そのせいで俺は無様に床に押し倒されて、怠惰ちゃんを見上げる格好となってしまう。
そこにはニヤリと嫌な笑みを浮かべる怠惰ちゃんの姿があった。
「……お前、一体何をする気だ?」
「そんな……怖がらないで。春斗には……私たちの……仲間に……なってもらうだけ……だから。そのまま……じっと……しててね?」
怠惰ちゃんはもぞもぞとカタツムリのようにベッドの端まで移動すると、より一層笑みを深くする。
「やめろ……」
弱弱しい反抗ごとき怠惰ちゃんには効果がない。
「じゃあ……洗脳開始……そーれ」
「やめろー!!!」
俺の叫び声に構うことなく怠惰ちゃんは布団にくるまったまま宙を舞い、上にのしかかって来た。
刹那、体に怠惰ちゃんの全体重がのっかかって怠惰ちゃんによる悪夢の洗脳が始まり俺は正気を失ってしまう――って怠惰ちゃん重いな!!!
「おっもっ!!! 体潰れる!!!」
あまりの重圧に叫びながらも、なんとか怠惰ちゃんの布団の中から脱出しようともがいていると、突如として怠惰ちゃんのようなたるんだ声とは対照的なさっぱりとした、聞き慣れた声が鼓膜を震わせた。
「……春斗、今なんて?」
「重いって言ってんだよ! さっさとどけ……って、姉ちゃん? 嘘だろ? まさか本当に姉ちゃんなのか?」
聞き返すと覆いかぶさっていた布団がバサリとめくりあがると同時に、奇跡というほかない、なんといつもの姉ちゃんが帰ってきていたのだ。
「うん……あれ、私、ここで何して……?」
姉ちゃんは今まで何をしていたのか思い出せないようで、あたりを見回している。
「春斗、私、なんで部屋に? どうしたの、目隠して」
「何でもない……何でもないから」
あまりの嬉しさに視界が滲んでしまう。
そんな様子に姉ちゃんは疑問符を浮かべていたようだが、そんなことはどうでもいい。
涙を服の袖で強引にぬぐいつつ、ぐでんと寝っ転がっている葵を起こす。
「葵、葵!」
「うーん……」
「起きろ、姉ちゃんが元に戻ったぞ!」
「おねえちゃんが……元に? ……ホントに!?」
「ああ!」
「おねえちゃん? おねえちゃんなんだよね!?」
声を弾ませながら姉ちゃんに駆け寄る葵。
「え、うん。そうだけど……」
姉ちゃんの返事を聞いて葵は満面の笑みでこちらに振り返ったので、俺も答えるように頷くと思いっきりハイタッチを交わした。
「どういうこと? なんで二人とも、そんなにボロボロなの? あと、春斗さっき私のこと『重い』って……」
「そんなことどうでもいいだろ! よっしゃ、今日はパーティーだぜ!!!」
「いえーい!!!」
はしゃぐ俺たちを見つめながら、ただ一人当事者はポカンとしているだけだった。




