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お茶会へのいざない その3

 トキさんをトイレに案内してからまだ三十秒も経っていないのに……トイレに行くというのは噓だったということになるが、なんでそんなことを?


 しかもわざわざ洗面所という密室で俺と二人きりで話があるってどういうことだ?


 真意が分からずひどく混乱してしまうが、ひとまずかがみ越しに真後ろにいる彼女の表情を伺う。


 すると俺の視線に気づいたトキさんはニコリと相変わらずの微笑を浮かべてから無言で、手が石鹸まみれで身動きの取れない俺のすぐそばに迫ってきた。


 えっ、いきなり何!?


 訳が分からず心が驚きと不安と疑問のサラダボウルと化したため固まっていると、そっとなでるようなささやき声が耳に届いた。


「やっと二人っきりになれましたね。この時を待っていました」


 耳元でささやかれたとろけるような甘い声、さらには真後ろから漂ってくる甘美で心酔してしまいそうな芳香に俺のピュアな心臓は鼓動を加速させ始める。


「へっ? そ、それってどういう意味ですか?」


「そのままの意味です。美夏さんに聞かれると少しイケない話ですので、こうして春斗君と二人だけで話しておきたかったんです」


「……へっ?」


 と、中学の時に書いたポエムが収録されている禁断の書物が妹に見つかった時と同等の大パニックを起こしているとふいにトキさんの視線が俺の手元に落ちた。


「あら、まだ手を洗われている最中でしたか。すみません、話をするにはタイミングが悪かったようですね。待っていますのでどうぞ最後まで洗いなさってください」


「えっ? あっ、いえ、大丈夫です。トキさんを待たせるわけにもいきませんし、こんなの大体洗えてれば――」


 言いつつ、一旦気持ちを整理する時間を確保するべく石鹸を洗い流すために蛇口に手をかけるとそれを制止するかのように後ろから手が伸びてきた。


「それはいただけませんね。手には想像以上に病原菌や汚れが付着しているんです。もしそれで体の様々な場所に触れてしまえば自分のみならず相手も病気のリスクにさらされるのですよ?」


「はい? 体の様々な場所に触れるってどういう――」


 若干邪な妄想を頭上に展開して尋ねるが、話し終える前にトキさんはピタリと体を密着させてくると、背後から腕を伸ばしてきて俺の手に自分の掌を重ね合わせてきた。


「!」


 背中に伝わる柔らかな感触とたおやかな手のぬくもりに息が一瞬止まる。


「もう、やっぱりです。春斗君、指の間があまり洗えていないじゃありませんか。ここは洗い残しの多い場所ですからね。丁寧に洗わないと」


 トキさんは細長く今にも折れてしまいそうな繊細な五指を俺の指の隙間にツタのように絡みつけてくる。


 その手さばきに最初は戸惑ってしまったが、少しすると慣れてきてむしろ恍惚とした気分に浸ってしまう。


「あとは指の先端ですね。ここは一番汚れやすい箇所ですが、実は一番洗い残しの多い箇所でもあるんです。念入りに洗っていきましょう」


「えっ、いやそんな。自分でできますから――」


「遠慮しないで」


 そうして俺の右人差し指から順に、中指、薬指、小指、親指、さらには左手も一本一本入念に洗い上げてくれるのだが……手つきが妙に妖艶に思えてくるのは俺の気のせいだろうか。


 美人の女子大生の先輩、しかも姉ちゃんの友達にまるで幼稚園児のように手を洗ってもらっている様子を眺めつつ、手についたハンドソープのヌメヌメを感じていると、なんだか変な気分になってくる……。


 ってダメだダメだ!


 この人にはそんな気は微塵もないんだぞ! 


 と、必死に邪な自分と大乱闘を繰り広げていると、


「では水で流しましょうか」


 ひんやりと冷たい感触が手に伝わってきて石けんを流し終えたのち、トキさんはポケットから純白のハンカチを取り出して手の水気を優しくポンポンとふき取ってくれた。


「はい、終わりました」


「あ、ありがとうございます。ハンカチで手まで拭いてもらって……洗ってお返ししましょうか?」


「フフッ、その必要はありませんよ。手が汚れていては気分も晴れず、腹を割って話しあうこともできないでしょう?」


 再び何を考えているのか分からない笑みを浮かべるトキさん。


 場に沈黙が降りたため、俺はここぞとばかりに気持ちを落ち着けようと一つ深呼吸をしてから意を決して切り出した。


「それでその、トキさんはどうしてここに? 俺に話があるってなんですか?」


 するとトキさんは先ほどまで浮かべていた笑顔を崩し、きまり悪そうに言う。


「……はい。正直、春斗君に話すかどうかは迷っていましたが先ほど決心がつきました。なにせ今までは一人でしてきたものですから誰かと一緒にするというのは初めてで緊張してしまって……。それでも満足ができるのなら背に腹は代えられません。春斗君のことを見込んでお願いしようと思います」


 一人でしてきた? 誰かと一緒は初めてで緊張?


 言葉の真意が分からないまま彼女の表情を眺めると、心なしか恥ずかしそうに顔を伏せている。


 なぜか唐突に脳裏によみがえるハンドソープのヌメヌメの感触。


 ……え? え? まさか本当にヌメヌメ方面の話だった!? 嘘だろ!?


 俺はブンブンと大袈裟に首を振り、それを全力で否定しようとする。


「トキさん、考え直してください! 俺たち、まだそんなことをする仲じゃ……!」


「いいえ、春斗君にしか頼めません。お願いします、どうか――」


 まだ付き合ってもいない女性と、しかも姉ちゃんの友達と、自分の家でそんなことをなんてそれはさすがにダメだ!


 トキさんの言葉をかき消すように俺は声を大にして叫んだ。


「そんなみだらな関係、受け入れられません!」

「私にみなさんの普段の様子を教えていただくことはできないでしょうか?」


 俺の声とトキさんの声が重なり合って洗面所に響き渡る。


 ……うん? 今、この人なんて言った?


「……はへ? なんの話ですか?」


「そちらこそどういう意味ですか?」


 二人して相手を見つめて首を傾げる。


 ……これはもう少し話し合いが必要だな。

次回 お茶会へのいざない その3

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