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キス その2

その言葉に仰天したように三人の視線が一気に俺に集まる。


「おにいさん、本当に!?」


「マジかよ、にいちゃん!」


「おにいさん、それ本当ですか?」


 その視線を受け止めながら俺はひどく後悔した。


 うわっ、つい見栄張っちまった!


 目つきを変えて詰め寄ってくる三人をなだめてなんとかその場から逃げきりを図ろうと画策したが、そんなことは許されるはずもなかった。


「はいはい! いつ、誰に、どこでされたんですか!?」


 アカリが威勢よくいきなり核心をつく質問を飛ばしてくる。


「えっと……それは……」


 俺はひたすらに逡巡した。


 ただひたすらに、いかにしてこの場面を乗り切るか、それだけを考えて。


 そしてふっと湧いて出たようにある一つの出来事を思い出した。


 そうだ、もしかしたらあれの話を持ち出せばこの局面を打開できるかもしれない!


 嘘もついてはいないし、本当にキスされたのだからな。


 しかしバレた時のリスクが半端ではないのも事実だ。


 はてさてどうしようか、と、諸刃の剣に等しいそのエピソードを話すべきかどうかを考えている時間はなかった。


「ねえ、おにいさん。早く話してよ!」


 アカリの好奇心がすぐそこまで迫ってきていた。

 

 ええい、もうどうにでもなりやがれ!

 

 俺はなるべく胸を張りながら、さも全く嘘はついてないと言わんばかりの語り口で話した。


「えっと……昔、年上のお姉さんに、家のベッドの上で、されたんだよ」


 その答えを聞いてアカリはきょとんとし、ユウトと松下は一瞬にして石像のように固まる。


「家のベッドの上で? なんで?」


「なんでってそれは……色々と言うか……」


 俺が言葉を濁していると、ユウトがアカリの肩に手をポンと置く。


「アカリ、それ以上は聞くな」


「え、なんでなんで?」


 今度は松下が目を閉じてゆるゆると首を横に振る。


「アカリちゃん。人っていうのはね、一つ一つ階段を上っていって成長していくものなの。分からないっていうことはつまり、アカリちゃんにはこの話はまだちょっと早いってことなのかもしれないね」


「んん? どういうこと?」


 おそらくこいつらが想像していることと今話した内容は違うだろうが、ここはその勘違いをうまく利用させてもらおう。


 俺は精一杯本心を隠しながらしらばっくれる。


「ま、まあ、そういうことだ。大人の事情っていうやつだな」


「? そういうことってなに? 三人とも何言ってるの? よく分かんないよー」


 アカリが宿題に頭を悩ませている時のように駄々をこね始める。


 なんか知らんが、うまい具合に話が進んでいるぞ!


 よし、このまま話を逸らしてうやむやにして逃げ切ってやる。


「アカリにはまだ早いかもな。そういうのはもうちょっと大きくなってから勉強しような。さて、じゃあ話題を変えて今後の日本経済の先行きについてでも――」


 と、多少強引に話を切り上げ毛色の異なる話題を三人に持ち掛けようとした時、アカリがきょとんとした顔で俺の背後に指さした。


「ところでおにいさん。その後ろにいる女の人、誰?」


「あっ、心霊系の話? そういうのあんまり得意じゃないんだけどな。ハッハッハ」


 おどけてそう言うものの、アカリはふるふると首を横に振る。


「いや、本当に違くて。ほら、おにいさんの後ろに立ってるじゃん。見てみてよ」


「お前、今昼間だぞ? 冗談言うにもほどが――ってうえぇ!?」


 振り返ってその女の姿が目に映るや否や、面食らった俺は後ずさってしまった。


 そこに佇んでいたのは――。


「あ、葵!?」


 口は笑っているのに、目が一切笑っていない葵だった。


 葵は冷たい笑顔を張り付けたまま、殺気をまとって俺に一歩一歩近づいてくる。


「お・に・い・ちゃん? その話、詳しく聞かせてくれるかな?」


「いや、これは違くて……言葉の綾っていうかさ、本気で姉ちゃんとそんなことをしてたわけじゃ……あっ」


 今の失言に葵の眉がピクリと動き、額に青筋を立てたのが分かった。


「へー? おにいちゃん、おねえちゃんとそんなことしてたんだ~。私の家のベッドの上で。その話、私に詳しく事細かに余すところなく説明してくれるかな?」


「ひっ!」


 俺が不良に絡まれた気弱な優等生のように怯えていると、アカリと松下は目を見合わせる。


「松下。これはもしかしてあのドラマでもあった……」


「うん、そうだね。これはいわゆる……」


 そうしてなぜか生き生きとした二人の声がシンクロした。


「「修羅場ってやつだ!」」


 そんな二人を横目に葵は口だけに弧を描いて俺に詰め寄ってくる。


「だから誤解だって! てか、そもそもなんでお前がここに!?」


「私も学校からの帰り道、ここ通るから。それでおにいちゃんを見つけて一緒に帰ろうと思って来てみたら、面白そうなこと話してるから気になって。それで説明はしてくれるんだよね?」


 努力空しく、全く話を逸らさせてくれない葵。


「いや……この場では話せないっていうかなんというか……ちょっと近い! 近いって!」


 葵はドバドバとあふれんばかりの殺意を隠そうともせず、無言で近づいてくる。


 それをなぜかワクワクしながら眺める女子小学生二人と、まるで「ご愁傷様です」とでも言いたげに目を閉じ手を合わせているユウト。


「これが最後だよ。説明……してくれるよね?」


 葵からの最後通告。


 ここで話してしまえば小学生どもに嘘がバレるが、話さなければ葵に何をされるか分かったものじゃない。


 俺はプライドと恐怖を脳内の天秤にかけるが……最終的にプライドを捨てるほかなかった。


「……あーもう! そうだよ、確かに俺は姉ちゃんにベッドの上でキスされた! それは事実だ、認めるよ! けどそれ、赤ちゃんの時なんだけどな!? しかもチークキスなんだけどな!?」


 俺は頬の紅潮をひしひしと感じながら葵と小学生どもに向かって、真実を包み隠さず言ってやった。


 その様子をじっと見ていた葵だったが、


「嘘はついてなさそうだね」


「ああ、そうだよ! アルバムに写真あるから家に帰ったら見てみろよ!」


 息も絶え絶えにそう言いきると、葵は殺意をスッと静めた。


「なんだ~。そうだったんだ。疑ってごめーんね、おにいちゃん」


 そして見事というほかないほど速やかにいつもの朗らかな笑顔に戻る葵。


 しかしその代償とでも言うかのように小学生三人組はどす黒い失望の眼差しを向けてくる。


「……なんだ。おにいさん、嘘ついてたんだ。私、がっかりだよ」


「にいちゃん、嘘はよくないぜ。次からは正直に話そうな」


「おにいさん、残念です」


 俺は深いため息をついて、心の中で毒づいた。


 結局、こうなるのかよ……。

次回 いいんちょーと勘違い

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