プロローグ 月陰の祈り
あの夜から十年の月日が過ぎた。
澪は今、都の外れで小さな祈祷所を開いていた。
かつて”無才の澪”と呼ばれた少女は、いくつもの夜を経て、いまは人々の病や心を癒す”祈り手”となっていた。
それでも、月の満ちる夜には今もなお、竹林に足を運ぶ。
誰も近づかなくなったその場所で、澪はひとり灯を掲げる。
「……朧様」
その声に応えるものはもういない。
けれども、風が吹くたびに竹が鳴る。
その音が、いつか聞いたあの”声”に似ている気がした。
澪はそっと目を閉じ、竹の葉を撫でた。
あの夜に拾った、金文字の刻まれた葉。
時を経てもなお、その言葉は薄く光を宿している。
『欠けとは、満ちる余地のことだ』
澪はその言葉を胸に、今日まで生きてきた。
人は、何かを失うことで何かを得て、そして満ちていく。
神であった彼に教えて貰った、その世界の真理が澪の祈りの根源となっていた。
ふと、月が雲の隙間から顔をだす。
竹林が白く照らされ、風が一際強く吹いた。
その風の中で、澪は確かに聞いた。
「ーー泣くな」
澪は息を呑んだ。
風が頬を撫で、髪が揺れる。
振り向けばそこに人の陰はない。
ただ、月明かりだけが優しく降り注いでいた。
澪はくすぐったくて、微笑んだ。
「もう泣きません。
あなたの言葉が、私の中にあるから」
竹の葉が静かに落ちた。
澪はそれを両手で受け止め、空に掲げる。
「ーーありがとう、朧様」
風が応えるように吹き抜け、竹林の奥でかすかな光が揺れた。
それは、まるで月そのものが微笑んでいるようだった。
澪は灯を消し、深く頭を垂れた。
今宵もまた、ひとつの祈りが月に届く。
ーーそれは、誰にも届かぬ恋の形。
けれでも確かに、この世にあった愛の証だった。
====完====
読んでいただきありがとうございます!
こんなに読んでいただけると思ってなかったので、連載版(長編として文字数5万字程度予定)の方は後回しにしてましたが、頑張ろうかなと思えました。
本当にありがとうございます。




