第三話 面影
「喉が……渇いた」
あれから一体どれだけの時間が過ぎたのだろうか。初めて心の底から愛した人間を吸血鬼に殺された私は、島に残る広大な森の奥深くにある洞窟で眠りについて。
ユーリのいないこの世界になんの未練もない。いっそ命を絶ってしまおうと考えた。しかし死ぬことができなかった。吸血鬼である私の肉体はそうやすやすと滅びはしない。高いところから飛び降りようが、刃物で心臓を刺そうが、傷は負ったそばから治りはじめる。
人間たちが噂する『太陽の光に当たると死ぬ』というのは妄想に過ぎない。夜行性である吸血鬼は、確かに太陽の光が苦手だ。だがそれはあくまでも、眩しいとか暑いというだけで、太陽に照らされたからといって死に至るわけではないのだ。
太陽が出ている間なら自分たちは安全だと、そう思いたい人間たちのでまかせである。確かに、人目につく日中に襲おうとする馬鹿などそうそういない。
では、吸血鬼が命を絶つもっとも簡単な方法はなんなのか。それはとても簡単なことだ。私がそうしたように吸血鬼に殺されれば良いのだ。
だが、愚かにも私はこの島にいるすべての吸血鬼を殺した。殺してしまった。私が命を絶つ最も簡単な方法を、自らの手で消し去ってしまったのだ。
私が最後に食事をとったのは、もう随分と前のことだ。食事をとらず衰えた今の私なら、簡単に死ねるやもしれない。
「外に出てみるか……」
久しぶりの外は相変わらず広大な自然が残っていた。だが森は以前よりも小さくなってはいるようだ。しばらく歩くと人間の手によって作られた道があった。硬く歩きにくい石のようなものでできた道だ。
様子を伺うと、鉄のような物でできた荷馬車のようなものが凄まじいスピードで駆け抜けていく。馬や牛にひかれているわけでもなく、ひとりでに。
あの得体の知れない荷馬車ならば、今の私を簡単に殺してくれるかも知れない。向かってくる一台の荷馬車の前に私は身を投げ出した。
「これで…ようやく終われる」
暖かく心地がいい——まるで誰かに抱きかかえられているようだ——。
「……ユーリ」
目を開けると、そこにはあの懐かしい顔があった。あぁ……私はようやく死ぬことができたのだ。まさか死後の世界で最愛の人間に再会することができるなんて、私は運がいい。
「よかった……急に車の前に飛び出してきたら危ないだろ!いきなり倒れるから轢いちゃったかと思ったよ」
ぼやける目で辺りを見渡すと、そこはあの石のように硬い道の上だった。
「ユーリ、まさか生きていたのか!?」
「さっきからユーリって誰だよ。あんた本当に大丈夫か?やっぱり病院連れていくか……」
どうやら私はまだ生きている——そして、目の前に現れた最愛の人間の面影に鼓動が高鳴っていく——。