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第二話 価値のある命

 命の重さは平等である。


 実に道徳的な考え方だろう。だが確かに吸血鬼(われわれ)にとっては、人間の命の重さと人間が飼っている家畜の命の重さは平等だ。驚くべきことに、食すために育てた家畜でさえ、命を奪うのは可哀想だと考える人間もいるそうだ。そして多くの人間にとっては、血を分けた家族と飼っている愛玩動物の命の重さは同じだという。


 人間とはなんと慈悲深く哀れな生き物なのだろう。食物連鎖の中にいながら他の生き物の命を尊んでいる。


 だが、「命の()()」とした場合はどうだろうか。家畜と愛玩動物、愛玩動物と家族、家族と己自身(おのがじしん)。それら一つ一つの命の価値を比較していったとしたら、一体どれが最も「価値のある命」なのだろうか——。


「どうぞお入りください」


 人間どもが寝静まる夜更け前、私は一軒の戸を叩いた。この家の主人はあの日と変わらず、なんの迷いもなく戸を開ける。尋ねて来たモノが何者であるか確認することもなく。


「私が言うのもなんだが、戸を開ける前に誰が訪ねてきたか確認すべきだと思うぞ」


「こんな時間に訪ねてくるのは貴方しかおりませんから」


 そう言って美しい笑みをこちらに向けている。この島で唯一の集落で生まれ育ったユーリにとって、島に暮らす人間は顔見知った家族のような存在だ。訪ねてきたのが私でなくとも、きっとなんの躊躇(ちゅうちょ)もなく戸を開けるのだろう。


 こんなお人好しばかりで、外界から孤立した集落だからこそ、吸血鬼(われわれ)にとっては都合が良いのだ。島に残された広大な自然には人間を捕食する大型の野生生物もいる。吸血鬼の噂が出たとしても、大抵の人間はその実、野生生物に食い殺されたか、森の奥で野垂れ死んでいると思っているだろう。


「お前はこの島を出たいとは思わないのか?他の島にある集落と比べてもこの集落は大きい方だが、毎日同じ人間どもに囲まれて、変わらない暮らしをおくるのは退屈だろう?」


「確かに私はこの島を出たことがありません。海の向こうにどんな世界が広がっているのか、『興味がない』と言えば嘘になるでしょう。ですが私はこの島で生きていく方法しか知りません」


「ならば私が島の外に連れ出してやろう。海の向こうにはお前の知らない楽しみがあるやも知れぬぞ?」


「それは楽しみです。ですが、外の世界に出たら私の心が変わるかも知れませんよ?『もっと生きたい』と貴方から預かったこの命を惜しむかも知れません」


「それならそれも良い。私の人生は長く退屈だからな。お前が生きたいと願うなら、お前が自らその命を私に差し出すまで付き合ってやろう」


 吸血鬼(われわれ)の人生はひどく退屈だ。老いもせず寿命もない。病になることもなく、餓死することもない。食事を摂らねば飢えて衰えるが、それでも死ぬわけではない。ただ、飢えを癒すために食事を摂っているにすぎないのだ。


 それはもはや『生きている』と言えるのだろうか——。


「では、貴方が私を外の世界に連れ出してくれるのを楽しみにしています」


 私たちはとてもよく似ている。ユーリはこの島で生きながらにして死んでいるのだ。自らの命を奪う吸血鬼(ばけもの)と過ごすのを楽しみにしてしまうほどに、退屈な人生を過ごしている。


「そうか。そんなに楽しみならば、明日にでも旅立つとするか。荷物をまとめて待っているが良い」


 唐突な申し出にユーリは少し驚いたような表情を浮かべたが、すぐに表情は明るくなり「楽しみに待っています」と微笑んだ。


 長い人生の暇つぶしに人間と戯れてみるのも悪くないと、この時の私はそう思っていた——。


「……どなたですか」


 翌晩、いつものように戸を叩くと、いつもとは違う言葉が返ってきた。扉の隙間からはほのかに甘い匂いが漂ってくる。嫌な汗が額からこぼれ落ちるの感じた。この匂いには覚えがある。


「私だ……入るぞ」


「貴方でしたか……やはり貴方の言うとおり戸を開ける前に確認するべきでしたね」


「なにがあった」


 血の匂いが充満するなか、ユーリに駆け寄り抱き抱えると首筋には牙の跡がくっきりと残っていた。


「すみません…どうやら一緒に旅をすることはできないようです。貴方から預かった命なのに…」


 この島に私以外の吸血鬼がいる。そしてそいつは、あろうことかユーリに目を付けたのだ。


「貴方と一緒に旅をする約束を果たせず…申し訳…ありません…」


「もう良い…気にするな…長くて退屈な一生の暇つぶしにと、戯れにお前に声をかけたのだ。気にやまなくて良い」


 いつも通りの笑顔で話しているはずだった。だが私の目頭から熱い何かが頬を伝うのを感じた。ユーリは私の頬に触れ、そっとそれを拭った。


「私のために泣いてくださるのですね」


 あぁ、そうか…これが涙というものなのか。私は人間を…ユーリを食糧としてではなく、特別な何かだと思っているのだ。これが人間の言う恋心というものなのかもしれない。


「人生の最後に…貴方に出会えて…幸せでした…」


 頬に触れたユーリの手が冷たくなり、力無く床に落ちていった。


 『吸血鬼に噛まれると吸血鬼になる』そんなくだらない噂が人間の間で流れていると聞いたことがある。しかし吸血鬼(われわれ)もただの生き物にすぎないのだ。血を吸った相手を別の生き物に作り変える力などあるわけがない。


 吸血鬼に血を吸われた者は、例外なく命を落とすのだ。牙から血管を通して全身に巡らされた毒に侵され、細胞は急激に朽ちて塵と化す。そんな無惨な末路が待っているだけだ。


 吸血鬼に血を吸われた者の亡骸は残らない。だから血を吸われた者の家族たちは、吸血鬼(ばけもの)になってでも生きていいて欲しいと願ったのだろう。吸血鬼になったとしても待っているのは永遠の孤独と愛したものに先立たれる地獄だけだと言うのに。


 私にとってユーリの命は何者にも代え難い「価値のある命」だった…だから私はこの晩、この島に居るすべての吸血鬼の命を奪ったのだ——。

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