第一話 儚げな命
なぜ吸血鬼は人間と同じ姿をして、人間と同じ言葉を話すのか——。
吸血鬼に限らず、人間を捕食する生き物が同じ姿をして同じ言葉を話すのには、とても明確な理由がある。その方が簡単に捕まえられるからだ。自分達と同じ姿をした何かが、自分達と同じ言葉を話している。それだけで、相手も人間だと簡単に信じてしまう。相手が自分よりもひ弱そうで、悲しい身の上話でも聞けば、簡単に家の中に迎え入れてしまう。人間とは取るに足りない愚かな生き物で、吸血鬼の食糧に過ぎないのだ。
彼に出会うまで、私もそう思っていた。
「私は、この街に越してきたばかりで職が見つからず、頼れる人や家族もおりません。どうか今晩だけでも泊めていただくことはできないでしょうか」
人間はこういう言葉に弱い。家族がいないというだけで同情するのだ。吸血鬼は人間とは違い、集団での生活をあまり好まない。同じ街に他の吸血鬼がいることはあるが、人間社会の中で個々に生きているのだ。同じ吸血鬼から生まれたからといって一緒に暮らしたりもしない。
「それはさぞやお困りでしょう。狭い家ですが、暖かい寝床と簡単な食事であればご用意できます。どうぞ中にお入りください」
「見ず知らずの私に、なんとお優しいお言葉。なんとお礼を申せば良いのか」
「どうか顔を上げてください」
実に愚かだ。こんな夜中に戸を叩いた見ず知らずの吸血鬼を簡単に家の中に招き入れてしまう。どんな|間抜け面なのか拝んでやろう。
「……美しい」
そこには女性と見間違えてしまいそうなほど美しく儚げな青年が立っていた。室内から漏れる光が彼の存在を一層引き立て、神々しさすら感じる。この光に当てられたら、私など一瞬で消し飛んでしまうのではないかと思うほどに——。
彼の名はユーリというそうだ。この極東の島国の南端にある島で一人で暮らしているらしい。料理屋を営む両親を手伝っていたが、流行病で両親を亡くし、今は彼が一人で店を切り盛りしているのだという。見た目の儚さに相反して勤勉に強く生きているようで、それもまた食欲を掻き立てた。
人間は血を大量に失うと朦朧とする。その瞬間に浮かべる恍惚としたような表情が私はたまらなく好きなのだ。彼の美しい頸に私の鋭い牙を突き立て、ゆっくりと時間をかけて彼の血を飲み干したい……彼の恍惚とした表情をじっくりと楽しみたい。
私は料理をする彼の背後にそっと近づき、彼の両肩を持って牙を首筋に近づけた。
「どうぞ」
「え……」
「私のような人間でもあなたの生きる糧になるのなら、どうぞ私を召し上がってください」
「私の正体に気付いていたのか」
「最近この街で行方不明者が相次いでいると聞きました。人間の血を吸う化け物がこの辺りにいるのだと。あなたが尋ねてきた時、あなたからほのかに人間の血の匂いを感じたのです」
「分かっていてなぜ招き入れた?」
「あなたの目が本当に寂しそうだったので。私も一人ですから。一人で生きていく寂しさや辛さは痛いほど知っています」
「私が可哀想だから自らの命を差し出すと?」
「いえ、それだけではありません。私はもう一人で生きていくことに疲れたのです。ならば私の命を誰かのために使いたい。あなたが私を糧にして生きてくれるのならば、それは良いことだと思ったのです」
彼の儚げな美しさの理由が分かったきがした。彼は人生に疲れている。今にも消えて無くなってしまいたいほどに。いつ終わるかもわからない、ただただ孤独なだけの人生に——。
その気持ちは私にも覚えがある。吸血鬼は孤独だ。両親は私が生まれてすぐにどこかにいってしまった。それが吸血鬼の当たり前なのだ。子育てをする習慣も、共に生活する習慣もない。親ではあるが家族ではない。同族ではあるが、仲間ではない。生まれてから死ぬまで、ただただ孤独なだけの人生なのだ。
私には彼の孤独感が痛いほどよくわかる。そしてそれと同時に、この「儚げな命」を大事にしたいとも思う。ただの食糧に過ぎない愚かな人間を、私はどうしようもなく愛おしいと思ってしまった。彼の触れれば簡単に壊れてしまいそうな儚さがどうしようもなく愛おしい。
「では、食べ頃になったら遠慮なく頂くことにするよ。それまでの間は、君にその命を預けておこう。その命はもう私のモノだ。粗末にすることは許さない」
「それは…どういうことでしょうか?」
戸惑う彼を横目に、私は扉を開けて外に出た。
「もう夜更けだ、続きは明日話そう。今日と同じ時間に、また君に会いに来るよ」
この日から私と彼の深夜の密会が始まったのだ——。