第二十五話 楽には勝てない
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「スーリフ大陸の丁度中央に位置するシンハラ島は一年中暑い国となるのです。このパンジャビドレスは通気性がよく、汗をかいてもすぐに乾燥するような生地が利用されています」
床に敷物を敷いたカロリーネは裸足のままの姿で座ると、エンゲルベルト侯爵家のお仕着せを着用した侍女たちがシンハラ式のお茶を用意してくれる。今日はカサンドラは用があるということで、息子のフロリアンを連れて出かけているので、残った侍女たちはカロリーネの面倒を見てくれているのだ。
パンジャビドレス姿のペトルと二人の針子はおそるおそる、裸足のままで敷物の上へ移動すると、絨毯の上に載せられたお盆を引き寄せたカロリーネが三人の前にお茶を振る舞った。
ガラスの小さな器に入った暖かいお茶はりんごのみずみずしい香りが漂うもので、ソーサーは薄い金物で出来ている。
「私たちは紅茶というと陶磁器製の茶器を使用しますけど、シンハラでは木の器、お金持ちはガラス製のコップで飲みます。森の中で採れる小さなリンゴの皮を干して茶葉と一緒に煮出しているので、りんごの香りがいたします」
大きなクッションをいくつも用意しているので、お尻の下に敷いたり、背中に当てたりしながら床に座る形でお菓子を摘み、お茶を飲む。
「これが、このドレスを着用している人々のお茶のスタイルとなります。私たちスーリフ西方諸国の人間には床に座るなど、地べたに寝転ぶのと同じようなものと思われ忌避されがちなのですが、椅子に座っているよりも楽でしょう?」
「ええ!本当に楽です!それだけでなく、お菓子が美味しすぎます!」
針子のダリナが興奮の声をあげ、
「一瞬で異国に旅行に来てしまったみたい・・隣が針子の仕事部屋だなんて信じられない気分です」
と、年嵩のベルタが声を上げ、
「この生活スタイル、コルセットをしていたら無理ね〜」
と、コルセットで大儲けをしたペトルが言い出した。
「コルセットを付けた状態でこの生活を続けたら、いずれはコルセットの所為で体がおかしくなるか、コルセットが壊れるかのどちらかよ」
「そうなのです、コルセットはあくまでも椅子に座って生活をする人向けのものであって、床にも座るという文化の人には即していないのだと思います。ドレスもまた無理ですね、クリノリンで大きく膨らましたスカートでこの生活は不可能です」
唸り声を上げるペトルは自分が着ている上衣をまじまじと見下ろすと疑問の声を上げた。
「朱色で彩られた刺繍がとっても鮮やか、伝統的な模様を描いているのかしら?」
「この刺繍は家族や一族に伝わる伝統的な模様なのだそうで、自分が何処の出自なのか分かるようにしているのだそうです。こちらにパンジャビドレスを持ち込んだアクシャは、シンハラの文化をクラルヴァインにも知ってもらいたいという思いで店を開いたのですが、最初はちっとも売れなくて閑古鳥が鳴き続けていました。ですが、この刺繍の素晴らしさを認められてメゾンのオーナーに重用されておりますし、私はそんな彼女からシンハラ島の生活スタイルというものを教えて貰ったのです」
カロリーネは異国の文化に対して非常に柔軟な考えを持っているのは、長年、カサンドラの右腕として働いていたことも関係がある。遥か東の果てにまで出向いてしまうカサンドラは非常にグローバルな視野を持っているため、そのカサンドラに思考が引きずられているのは間違いない。
◇◇◇
「まあ、まあ、随分怖い顔をしているのね〜、コルセットなしのドレスが今は流行をしていても、大して長くは続かないと豪語していたようだけれど、その考えを改めることにでもなったのかしら?」
執事の用意したお茶を飲んでいたカテリーナが部屋に入って来た孫に声をかけると、
「いや〜ん!私ったら考え違いをしていたのかもしれないわ〜ん!」
と、両手を握ってお尻をフリフリしながらペトルは言い出した。
「鉄線入りのコルセットなんて豪語道断!もっと楽なコルセットを求めて私は鯨の髭を利用したコルセットを開発したのだけれど、あれだってやっぱり苦しいわよ!コルセットなしの生活に比べたら、ある意味拷問よ!」
「まあ!まあ!とにかく落ち着きなさいな」
女伯爵であるカテリーナはホホホと笑うと、向かい側の席に座るようにペトルを促した。執事のビアッジョが目の前に紅茶を置いたので、それを一口飲むと、ペトルは大きなため息を吐き出した。
モラヴィアの侯王ヴァーツラフの年の離れた姉であるカテリーナはアークレイリの先王の弟の元へ嫁いでおり、ペトルことペトローニオはカテリーナの孫となる。閉鎖的なアークレイリを飛び出して服飾事業をモラヴィアで立ち上げることになった際には、後ろ盾として陰ながら尽力してくれたのだった。
「それにしてもペトローニオ、その格好なのだけれど・・」
「これ!パンジャビドレスというのだけれど!とっても楽なのよ〜!」
重厚な家具を取り揃えられた部屋に伝統的なモラヴィア貴族のドレスを身に纏うカテリーナの前に座る孫は、カミーズという上衣とサルワールという名のゆったりとしたズボンを履いたままの姿だった。足元はサンダルをつっかけているので完全なるシンハラスタイルだった。
「ペトローニオ、貴方が着ているのは女性用のパンジャビドレスよ」
「知っているわよ〜!」
ペトルはケラケラ笑い出しながら言い出した。
「男性用となるとサラマという布を巻くだけになってしまうので、おばあさまには刺激が強すぎるでしょう〜!」
そうして紫水晶の瞳を細めながら、
「それにしても刺繍が見事ったらないわ。幼い時には姉たちからお人形さん扱いされて女の子のお洋服を沢山着たものだったけれど、まさかこの年になって女性用の衣装を着るだなんて思いもしなかったわ!」
朱色の刺繍を指で撫でる。
「まあ、女性用と言ってもスカートというわけではないし、下がズボンなのだから貴方が着ても変ではないわよ。ちなみに私もそのドレスは夜着として利用しています」
「え?」
「ここに来た時にカロリーネ様がプレゼントしてくれたのよ。パンジャビドレスは今、クラルヴァインの貴族の間では夜着として流行しているの。確かに足が冷えないので私も気に入っています」
「えええ〜!おばあさまったらパンジャビドレスをすでに着ていらっしゃったの〜!」
祖母が伝統を大事にするのは今着ているデイドレスを見るだけでも良くわかる。姿勢良く椅子に座るカテリーナのシンハラスタイルを想像して、ペトルは目から鱗が落ちるような思いを抱くことになったのだ。
「おばあさまのような人でも楽には勝てないのね!」
フンと鼻を鳴らす祖母を見つめたペトルは覚悟を決めた様子で一つ頷いた。
女性の胸は大きく腰は細ければ細いほど良いというのは、古代から続いている男の価値観だ。ここ百年の間で男性は男性らしく、女性は女性らしい衣装を着るという男女差が明確となり、女性が身に纏うドレスは腰をより細く見せるものが選択され、胸の大きさ、腰の細さを強調するためにクリノリンでスカートを前後左右に大きく膨らませるようになった。
ただ、誰もが完璧なウェストの細さを保つことなど出来るわけがない。極端な細さこそが美しいという価値観が多くの女性を苦しめる中、コルセットを必要としないマーメイドドレスに多くの女性が喝采を贈ることになったのだ。
コルセットなしのマーメイドドレスが流行する中で、やはりコルセットが欲しいと思う人々は存在する。女性でも男性でも年齢を重ねれば腹の肉が垂れ下がる、この垂れ下がる肉を何とかしたいと考える層はいつの時代にも存在するのだから。もちろん、執事のビアッジョのように腰痛防止目的で利用を考える者も居るだろう。
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