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マクラダファミリア~妹がたくさんできました~

作者: 上ヶ見さわ

小説家になろう初投稿です!

よろしくお願いします!


 青年は飛行機内に取り付けられた窓を眺めていた。

 といっても、真っ暗な夜空では、たいして見えるものはないが、静まりかえった機内の光景は見飽きてしまったのだ。


「寝つけませんか? 毛布をご用意いたしましょうか?」


 青年に声をかけたのは、キャビンアテンダントだ。

 周囲の乗客が寝静まる中、一睡もしていない青年のことを心配したのだろう。


 窓にうつる青年の目の下には、くっきりとクマが浮き出ていて、見るからに睡眠不足である。

 細やかな気配り。キャビンアテンダントの鏡だ。

 しかし青年は、その申し出を丁重にお断りした。


 キャビンアテンダントは心配そうな表情を浮かべたものの、断られてはどうしようもできないのだろう。

 何かありましたらお申し付けください、と所定の位置へ戻っていく。


 再び一人となった青年は、ため息混じりにつぶやいた。


「寝つけないんじゃなくて、眠れないんだよな……」


 一見すると何が違うのかわからないことを言って、青年は、また窓の外に視線を向ける。


 考えるのは、これから初めて降り立つ地のこと。

 そして――新たな家族のこと。



――――――――――



 バスから石畳の道へ降り立ったのは、目の下にクマを作った青年、ネムルだ。

 彼は両手を頭の上に伸ばして、凝り固まった全身の筋肉をほぐす。


「んんっ……あぁ……ようやく着いた……」


 町の端にあるバス停の近くには、『ようこそオ・キーロへ』という看板が掲げられていた。

 『ようこそ』にペンキでバッテンが落書きされている。

 町が新入りを拒んでいるように見えて気が重い。

 気だけではなく身体も重い。慢性的な寝不足のせいだろう。


「飛行機といい、バスといい……なぜ人間は乗り物に乗ってると眠くなるんだろう……」


 起きているのに必死だった。常に気を張っていないといけない。

 ネムルが住んでいた極東の島国、シンワから遠く離れたオ・キーロまでの道中は、飛行機、電車、バスを乗り継いで丸3日の長旅だった。

 そのあいだ、まともに眠っていないので、疲労はピークに達していた。


「早く家を探そう……」


 とにかく寝たい。早急に。

 こんな町中で眠るわけにはいかないのだ。

 睡魔で倒れてしまう前に、一人になれるところへたどり着かなくては。

 眠るときは一人っきりになれる場所でと決めている。


「さてと……これから僕がお世話になる家はどこかな?」


 居候させてもらう家は、町の中心部だと聞いている。

 結構デカいお屋敷だから、近くに行けばすぐにわかる、と。


 ネムルは両親を事故で亡くしていた。

 それでネムルを引き取ることになったのが父の兄だった。

 ネムルが幼少期の時に一度会っているらしいのだが、その記憶はまったくない。

 どんな顔なのか、いまだに思い出せなかった。


 居候、とはいったが、実際には養子に入る形だ。

 義父となるその人は、裕福な暮らしをしているらしく、ネムルの他にも子どもたちを養子にして引き取っているらしい。


 まさか十七歳にもなって、今さら兄弟ができるとは思っていなかった。

 人生、何があるかわからないものだ。


 義父から送られた手紙に同封されていた地図を広げると、目的地に丸が付けられていた。

 ネムルはバス停から、その箇所までの道のりを指でなぞる。


「んー、っと……この道を通るのが近い……のかな?」


 大通りだと思われる太い道は、かなり大回りになってしまいそうだった。

 しかし細い路地を抜けていく道なら、最短距離でたどり着けそうだ。

 一刻も早く家に行きたいネムルは、わかりやすい大通りのルートを避け、路地を抜けていくことに決めた。


 地図を頼りに道を折れ、車が入れないような細い道へ入っていく。

 奥へ進むにつれて人の姿が減っていき、心細くなっていった。

 見知らぬ土地で一人ぼっちというのは、こんなにも不安になるものなのか。


「ええっと……こう来たから、こう行ってここだとすると……あれ? こっちかな? ん? 逆か?」


 細い路地は蜘蛛の巣みたいに広がっていて複雑だ。しかも道の両側が建物に挟まれていて、視界が悪い。

 目標となる高い建造物も見えなくて、ネムルはすぐに方向感覚を失ってしまった。


 自分がどちらの方角を向いているのかすらわからない。

 現在地すら見失った。

 こうなってしまうと、もはや地図はなんの役にも立たない。


「……これはあれだね。迷子ってやつか……」


 認めたくはないが、道に迷ってしまったようだ。

 大通りから行くべきだったと後悔しても、もう遅い。


「道を聞こうにも人がいないんだよな……あっ」


 角を曲がったところで、三人の男たちが壁によりかかって談笑しているところに出くわした。

 

 ようやく人に会えた安堵感が広がった。

 しかしそれと同時に、一抹の不安も覚えた。


 ちょっと怖そうだな……っと、ネムルは尻込みする。


 男たちは太めで、筋肉質。いい体格をしている若者だった。

 見るからにみすぼらしいボロのつなぎ姿で、所々ペンキの汚れが付着していた。


 見た目は、はぐれ者の不良グループという感じの3人組。

 それぞれ、のっぽと、ピアスと、スキンヘッドだ。

 これが身だしなみが整った老夫婦だったなら話しかけやすいのだが。


 しかし見た目がいかつくても、優しい人ってのはいるものだ。

 ネムルは勇気を持って声をかけ――そして後悔した。


「道を教えたらお礼をくれるんだろうな? 有り金、全部置いてきな!」


 リーダー格と思われるピアス男が言ってきた。

 わかりやすいまでのカツアゲにあってしまった。


 今回は長い旅路になるので、食事代、足代をまかなうため、多めに持ってきていた。

 これを取られてしまうと当面の生活費がなくなってしまう。

 お世話になる身なのにいきなりお金を借りることになるのは、さすがに避けたい。


 と、いうわけで。


「すみませんでしたありがとうございましたではまたお元気で!」


 早口にまくし立てて脱兎のごとく駆け出した。

 迷路のように入り組んだ路地を利用すれば、まくことができるはずだ。


 ......なんて考えは、甘すぎたようだった。


 のっぽが先回りして逃げ道を塞ぎ、スキンヘッドが脇道を押さえ、ピアスが背後から迫る。

 ものの見事に挟まれてしまった。

 素晴らしい連携プレーだ。やめてくれ。


「ここらは俺らの庭なんだ。犬しか通れないような路地だって把握してるぜ。逃げられると思うなよ? さっさと金を出せ!」


 道を教えてもらってないのに金を払うことになっていた。

 状況が悪化している。


 ネムルは背後から、のっぽに羽交い締めされ、身動きが取れなくなった。


「おっ、ラッキー! たっぷり持ってるじゃねぇか」


 ピアスが当面の生活費をカバンから抜き取って笑っている。

 予想以上の金額に満足したようだ。


 のっぽに突き飛ばされて、ネムルが地面を転がっている間に、男たちは金を手に、立ち去ろうとしていた。


 しかしネムルは素早く起き上がると、男たちに追いすがる。

 ちょっとしたお金ならあきらめるところだが、さすがにあきらめることはできない大金だ。


「まったく……金だけで許してやろうと思ってたのによぉ!」


 許すも何も、道を尋ねただけだ。なんて言い訳をする余裕もなく、ネムルは膝から崩れ落ちた。


「かっ……はぁ……ッ!」


 お腹が燃えるように熱い。

 ピアスがみぞおちに拳を叩き込んだのだ。


 数度、咳き込み、よだれと胃液を撒き散らしながら、なんとか息をつく。

 あまりの苦しさに意識が飛びそうになった。


 ――ダメだ……気絶だけは……! この人たちを――殺しかねない。


 ネムルは大きく呼吸を繰り返し、懸命に意識を保つ。


「わかったか、ガキが。ここはスラムだ。こんな大金、持ち歩いてちゃダメだぜ。勉強になったな」


 ピアスが笑いながら、さらなる一撃を見舞おうと拳を振りかぶった。

 その時である。


 声が降ってきた。


 少女の声が、上空から聞こえてきたのだ。

 見上げると、屋根の上に少女が立っていた。


「なんだおめぇは!?」


「われは、さすらいの剣豪……モモモでござる!」


 白を基調とした袴姿。手には木刀。キリッと太めの眉毛が意志の強さを感じさせる。

 黒い長髪をたなびかせる彼女は、手にしていた木刀の先をビシっと男たちへ突きつけた。


「はぁ? 剣豪だと!? ただのガキじゃねぇか!」


 男たちは、せせら笑う。無理もない。

 モモモと名乗った少女の年齢は、ネムルと同じくらいだろう。


 おまけに、身長はあまり高くなく、細身な体躯。

 対する男たちは、見るからに屈強な体つき。


 たとえ木刀という武器を持っていたとしても、恐れるような相手ではない、と思われているのだ。


「お嬢ちゃん。気づいてないだろうから言ってやるが、俺たちは『モビーディック』なんだぜ?」


 ピアスがにらみをきかせてすごんでみせた。

 モビーディックが何をさしているのか、ネムルはわからなかったが、脅しに使える材料のようだ。


 しかし彼女の正義感は燃えたぎっているようだった。

 むしろガソリンを供給されてしまったらしい。


「おぬしらが最近、ここらで幅を利かせておるならず者集団『モビーディック』のものか!? 成敗してくれる!」


 モビーディック、というのは、いわゆるチーム名らしい。

 自信満々に木刀を突きつける彼女を見て、男たちは手をたたいて笑った。


「成敗!? 成敗だってよ! その木刀一本で何ができるってんだ!?」


「なんなら俺たちは、目をつぶって戦ってやろうか? さっさとママのところに帰った方がいいぜ、お嬢ちゃん」


「むむむぅッ! おぬしら……許さんぞ!?」


 三人が口々に挑発し、少女は地団駄を踏んで悔しがっている。

 その様子はどこかコミカルで、この状況を打破してくれる正義の味方のようには見えなかった。


「ぼ……僕は大丈夫だから、キミは逃げた方がいい」


 彼らに狙われていたのはネムルであり、彼女は無関係だ。逃げる彼女を無理して追うことはないだろう。

 しかしネムルの忠告に、彼女は聞く耳を持たない。


「心配は無用だっ! なぜならわれは強いでござる!」


 少女――モモモが屋根を蹴り、跳躍。袴の裾を翻しながら、地面に降り立つ。

 男たちが呆気にとられている間に、彼女はすでに動き始めていた。


 素早くのっぽの懐に飛び込むと、木刀で足を打ち、体勢が崩れたところに突きを入れる。

 無防備な胴体にたたき込まれた一撃の破壊力は凄まじい。


 のっぽが悶絶しながら倒れ込んだ。

 さっきまでのネムルと同じように胃酸を撒き散らしている。

 真剣ならば即死だった。


「残るは二人でござるな」


 苦しみもがく男を背に、モモモがフンッと鼻を鳴らす。


「や、野郎……!」


 男たちの目つきが変わった。

 一人の少女を見る目から、倒すべき敵を見定める目に。


「ムムッ! 野郎とは失礼なっ! われは淑女でござる!」


 彼女は、木刀を自在に振り回しながらポーズを決めた。

 その隙をついて、スキンヘッドが襲いかかる。

 しかしモモモはそれをひらりとかわし、背中に木刀を叩き込む。体制を崩したスキンヘッドに、さらなる追い討ち。足払いをかけて転倒させた。


「ぐぅ……ハァッ……!」


 戦闘不能が二人に増えた。

 これで残るはリーダー格のピアスだけ。

 まさかの展開に、彼は引きつった笑みを浮かべ、冷や汗を流している。

 か弱そうな少女が、こんなにも強いとは思っていなかっただろう。


「まだやるでござるか?」


 勝利を確信したモモモが、木刀の先をピアスに突きつける。

 ヒィッと声漏らし、ピアスが後ずさり。


「クソが……! いったん退くぞ!」


 ピアスが持っていた財布をモモモの上空へ投げつけた。

 頭上を通過して地面に落ちた財布を拾っている間に、男たちは路地へ消えていた。



――――――――――



「どうなることかと思ったけど助かったよ、ありがとう。ほぼ全財産だから、これ取られるわけにはいかなかったんだ」


 ネムルはパンパンに膨らんだ財布を受け取りながら言った。


「当然のことをしたまででござる。おぬしもケガはござらぬか?」


「ああ……まだちょっと痛むけど、骨が折れたりとかはしてないかな」


 ネムルはあばらを押さえながら答えた。

 みぞおちのあたりに鈍い痛みが残っている。あざになっているだろうが、重傷ではない。

 身体の頑丈さだけには自信があった。


「僕はネムル。キミは……」


 改めてお礼を言おうと、手を差し出しながら問う。

 彼女は手を握り返したものの、ふっと目を細めた。


「われは、名乗る程の者ではござらんよ」


 かっこつけたつもりなのだろうか。


「あの……さっきモモモって言ってたけど……あれは名前じゃないの?」


「はわわわわ……!」


 指摘された途端、顔を赤くするモモモ。

 飛べない鶏のように両手をバタバタさせている。かわいい。


 こほん、とモモモが咳払い。

 話をそらすことにしたようだ。


「ここはスラムだ。おぬしのような者が来るには、少々、危険でござる。それも大金を持ってなんて、肉を背負って獣の前に行くようなもの……」


「僕だってそんな無茶はしたくないさ。実は事情があって……」


 ネムルは両親の事故と、それによって親戚の家へ引き取られることになったことをかいつまんで説明した。


「この家に行きたかったんだけど、路地が複雑で迷っちゃって……」


 ネムルは、くしゃくしゃになってシワだらけの地図を広げ、目的地を指で示した。

 どれどれ、とのぞき込んだモモモが、きょとんと目を丸くしている。


 彼女なら、このあたりに詳しいだろうと思ったが、そうではなかったか。


「わからないなら、いいんだ。ありがとう」


 あきらめて地図をたたもうとしたネムルだったが、モモモが呆然としていた理由は別に存在していた。

 それはネムルにとっても、驚愕の事実だった。


「そこは――われの家でござる!」


「は!? それって……」


 理解が追いつかないネムルが質問攻めにしようとした瞬間。


 ――グゥゥゥゥッ!


 と、怪物の呻き声のような音が響き渡る。

 とっさに身構えてしまったが、発生源は……モモモのお腹だった。


「ち、力を使いすぎたでござるぅ……!」


 目を回し、お腹を押えたモモモが、地面に倒れ込んだ。



――――――――――



「まふぁふぁそふぁたふぁあらたふぁかぐぉくたったとふぁ」


「ちゃんと飲み込んでからしゃべってくれると嬉しいな」


 モモモは口いっぱいに携帯食料のビスケットを頬張っていた。

 長旅のネムルが持ち歩いていたものだ。


 味は正直あまりよくないが、とりあえずお腹は膨れるし長持ちする代物だった。


 モモモが、ごっくんとビスケットを飲み込み、ぷはぁと息をついた。


「ごちそうであった! 譲っていただき、かたじけない。代金は家についてから支払うでござる。今は持ち合わせがないゆえ」


「いや、お金はいいよ。助けてもらったのはこっちだし。お礼の代金としては安いくらいだけど……」


「何を言っておる。一飯の大切さは何事にも代えがたい。まこと感謝でござる」


 モモモが両手を合わせて、頭を深々と下げる。

 それをしたいのはネムルの方だ。


「しかしまさか、そなたが新たな家族だったとは。父君から話には聞いておったが……こんな偶然があろうとは!」


 モモモは、ガハハと男らしい笑い声を上げた。

 どうやらモモモも、父の兄に引き取られた子どもの一人らしい。

 年の近い子が多いという話は聞いていたが、まさか彼女がそうだとは。


「見たところ、おぬしの出身もシンワであろう? 何を隠そう、われもシンワ出身でな。他の五人はシンワ出身者ではないから、多少の寂しさみたいなものがあったでござる。同郷のよしみでよろしく頼むでござる!」


 モモモがすらりとした腕を差し出してきたので、握り返した。


 こんなにも細くて女の子らしい腕をしているのに、どこにあんな殺陣を繰り広げる筋肉があるのか、不思議なものだ。

 けれど握った手の平は、ボコボコと硬いものがあって納得した。


 木刀を振り続けてできたマメだろう。それだけで、どれだけ彼女が鍛錬を重ねているのか想像できた。


 ネムルは、モモモに案内されるまま路地を歩いていた。

 もはや地図は必要ない。


 家を知っている人どころか、そこに住んでいる人と出会えるとは。とんでもない幸運だ。


「……今後は、あんな大金を持ってスラムをうろついてはダメでござるよ。最近はモビーディックというギャング団が、あのあたりを巣窟にしているゆえ。ここはシンワと違って平和ではないでござる」


 そう言ってから彼女は、あっ、と続けた。


「最近、シンワでも物騒な噂を聞くようになったのであったな。なんと言ったか……通り魔の殺人鬼がおるようではないか」


「切り裂きジャック、だね」


 切り裂きジャック――夜道も一人で出歩けると言われるほど、平和なシンワに現れた怪人。

 その噂は国内にとどまらず、ここまで届いているのか。


「おお、そうであった。切り裂きジャックでござる。われがおった頃のシンワは、ほのぼのと平和な国であったが……おぬしは襲われたりしておらぬか?」


「大丈夫だよ。切り裂きジャックは悪人しか襲わない」


「そうであったか。それなら大丈夫でござるな。ネムル殿は、とても悪いことをするようなやつには見えぬゆえ」


 モモモはガハハハと笑って、肩を揺らした。


「僕たち、会ったばかりなのに、そんなことわかるの?」


「危険な人物が、武器も持たずにスラムへ迷い込むとは思えんでござる」


「武器……と言っていいかは、わからないけど、十秒と持たずに眠ってしまう睡眠薬の注射器ならあるよ」


 もしもの緊急事態用に、カバンの奥に放り込んである。


「はぁ!? ならばそれを使えばよかったではないか!」


「ああ、いやこれは非常用で……。命の危険があるときに使おうと思ってて……」


 まさに奥の手。使わなくていいなら、使わないに越したことはない。


「充分、非常時だったように思うのでござるが」


「そうなんだけど、これは相手に使うものじゃなくて……」


「どういうことでござるか? 睡眠薬なんて相手に使わないと――」


 その時のことである。

 男の悲鳴が聞こえてきて、二人は口をつぐんだ。


「むむっ!? この声は……あちらから聞こえてきたでござる!」


 細い路地の奥を指さすモモモ。


「モビーディックのやつら、まだ懲りずに狼藉を働いておるのか!?」


 悲鳴が聞こえてきたのは、彼らが逃げていった路地の方角だった。

 その可能性はあるだろう。


「ネムル殿。悪いが、ここで待っててくれぬか?」


「まさか助けに行くつもりなの?」


 モモモは、今にも助けに行かんとばかりに木刀を構えている。


「困っている人がそこにおるとわかっていて、見過ごすことなどできん!」


 キリッと目を細めて宣言した。


 かっこいい。

 僕も一緒に行くよ、と言えればいいのだが、ただのお荷物になるのはわかっていた。

 おとなしく待っている方がいいだろう。


「では、変な人について行かぬようにな。すぐに戻る!」


「気をつけて。無茶しないように」


 モモモが一礼し、路地へ消えていった。

 今どき珍しい、正義感に溢れた礼儀正しい子だ。

 感心しながらその背中を見送ると、


「邪魔者はいなくなったな」


 不意に、背後から声が聞こえてきた。

 その声には覚えがある。

 ピアスの男だ。


 ヤバい、と思って振り返ろうとしたが間に合わず、羽交い締めにされて身動きが取れなくなってしまった。


「今のうちだ。早くかぶせろ!」


 スキンヘッドが、ネムルの頭を麻袋に押し込んだ。

 麻袋はボロボロで、所々、隙間があるため、真っ暗になることはなかった。

 だが、急に視界が奪われると不安になる。


「やめろ……! 何するんだ! やめてくれ!」


 ネムルは両手足をバタつかせて暴れ、揉み合いになった。


「やめろ、小僧! 服から手を放せ!」


 もちろん言うことを聞くつもりなどない。

 持てる限りの力をすべて使って抵抗してみせた。


「クソ……いい加減、おとなしくしてろッ!」


 堪忍袋の緒が切れたとはこのことか。

 側頭部に鋭い痛みが走った。


 麻袋によって遮られた死角からの一撃のため、殴られたのか蹴られたのかは、定かではない。


「このままボコって気絶させるか?」


「ッ!?」


 気絶はまずい。

 意識を手放すのは避けなければならない。

 でないと、死人が出るかもしれなかった。


「そ、それだけは勘弁してください……! おとなしく言うこと聞きますから……!」


 ネムルに残された道は降参だった。

 両手をあげて、無抵抗を示す。


「ようやく素直になったか。おらっ、付いてこい」


 麻袋をかぶったまま、ネムルは連行された。



――――――――――



「おかしいでござる……。誰もいなかったゆえ」


 悲鳴が聞こえた方へ一目散に向かったはずなのに、加害者どころか、被害者の姿すらなかった。


 暴漢が逃げたとしても、被害に遭った者は残っているはず。

 しかし複数の路地を確認し、おまけに建物の屋根に登って周囲を見渡してみたが、何かトラブルが起きた様子はなかった。


 モモモは首をかしげながら、ネムルの待つ道へ戻ってきた。

 のだが……。


「なんということか……! ネムル殿もいなくなってしまったでござる!」


 まさか道を間違えたか。

 と思ったが、そこはやはりネムルと別れた場所で間違いない。


 狐に化かされた気分だった。


 彼はどこかに迷い込んでしまったのだろうか。

 しかし今の今で、危険な路地に踏み込むとは思えないが……。


 いったい何が起きているのか。

 加害者もいないし、被害者もいないし、おまけにネムルまでいない。

 もしかして自分は、とんでもない妄想癖があるのではないかと心配になってしまう。


「……ん? これはなんでござるか……?」


 道ばたに落ちていた、謎の物体を拾い上げる。


 それは布の切れ端。


 衣服の一部だろうか。

 薄汚れていて独特な臭気を放っている。


 先ほどの暴漢たちが着ていたものにも、同じような汚れが付着していた気がする。


 そしてモモモは思い至った。


「まさかやつら戻ってきて……!?」



――――――――――



「このガキ、かわいい顔してるから高く売れるんじゃねぇか?」


 ピアスの男がかかかっ、と高笑いするのを、ネムルは麻袋の小さな穴の隙間からうかがっていた。

 あまりキョロキョロしていると怪しまれてしまうので、頭の動きは最低限にとどめている。


 その限られた情報の中でわかったことがある。


 ネムルが連れてこられたのは、どこかの倉庫であるということ。

 大きな缶が棚に詰まれているのが見える。ペンキ缶だろうか。

 朽ちている様子がなく、今も現役で使われている場所のようだ。


 そういえば、男たちの衣服がペンキで汚れていた。

 ここは彼らの職場なのかもしれない。

 ギャング団と言っても、無職ではないのか。


「どうせ売るんなら、その前に俺たちで楽しんじゃわねぇか?」


 楽しむって……あの楽しむってことなのだろうか。


 ネムルは背筋に冷たいものが流れるのを感じていた。

 男の子に興奮する異常なやつもいるとは聞いたことがあるが、目の前の男たちがまさにそれだとは。


 男たちがにじり寄って来るのが気配でわかった。

 女の子ともまだなのに、初体験がこんな薄汚い倉庫で男三人相手だなんて悲惨すぎる。


 両手足をロープで拘束されているネムルは、逃げ出すこともできない。


 男の手がネムルの肩に触れた。

 ネムルは身体をこわばらせ、ひっと息を飲んだ。


 このまま運命を受け入れるしかないのか……と、あきらめかけたそのときである。


「商品に手を出すのは関心しないなぁ。組のご法度じゃないかな?」


 助け舟を出してくれた謎の人物は、若い女性の声だった。

 麻袋の隙間から様子をうかがう。


 薄暗い倉庫において、より漆黒の長髪が怪しく揺らめく。

 猫を模した仮面を付けているため表情が読み取れず、妖艶な雰囲気を高めていた。


 引き締まるところは引き締まり、出るところは出ているグラマラスな身体は、とてもギャング団の者には思えない。


 しかし男たちは、声に緊張の色を混ぜながら言う。


「ボ、ボス……!」


 ボスってあれか。リーダーっていう意味のボスか?


 驚いたのはネムルの方だ。

 こんな見た目で、モビーディックをまとめるボスらしい。


「商品に手を出してはならない。その掟、忘れたわけじゃないでしょ?」


「は、はい……!」


 男たちはバツが悪そうに目を逸らしながらも、うなずいた。


「ここはあーしがやっとくから、あんたらは外、見張ってな」


 男たちがバタバタと逃げるようにその場を立ち去った。

 残されたのは、ボスと呼ばれた女性とネムルだけ。


「ったくもう……」


 ふぅ、と息をつきながら、ボスが仮面を外し、その素顔を晒した。


 もしかしたら、ネムルが麻袋の隙間から見ていることに気がついていないのかもしれない。


 猫耳仮面を剥ぎ取って現れたのは、幼さの残る顔だった。

 化粧が濃いためパッと見でわからなかったが、よく見ると、まだ成人していないのではないだろうか。

 喋り方も舌っ足らずな感じで、ギャルっぽい雰囲気を纏っている。


 しかも仮面はウィッグ付きだったようで、彼女の黒髪は金髪に変わっていた。

 それがより一層、ギャルっぽさに拍車をかけている。


 どんな経緯でボスになったのかわからないが、こんな若さでギャング団を束ねるとは恐れ入る。


「悪いけどさ……」


 と、ボスが不意につぶやいた。

 唐突だったので、ネムルは話しかけられていることに一瞬、気がつかなかった。

 視線は送れないが、一応、礼儀として身体を彼女の方へ向けた。


「あんたのこと、売らしてもらうよ。ここいらじゃ、シンワの人間は珍しいんだ。高値で売れる。けど、悪い噂のあるところには売らないよ。人を買うやつだって、悪者ばかりじゃない」


「温情をかけてくれてるのかもしれないけど……人買いに良いやつがいるとは思えないよ」


「まあ……そうなんだけどさ」


 と、彼女は苦笑する。


「やっぱりそうなんだ」


「悪いな……どうしてもお金が必要なんだ、あーしには」


 金髪をくしゃくしゃとして、遠い目をするボス。


「協力してあげたいのは、やまやまなんだけどさ。僕を売るのはやめてほしいんだ。人のものを売るのってよくないでしょ。人そのものを売るのは、なおさらだよ」


「必要としてる人に、必要なものを用意してるだけっしょ、こっちは。そいつをどう使うかは、あーしたちの知ったこっちゃない」


「つまり自分に非はない、と?」


「さすがに非がないとは言わないけどさ。じゃなきゃ警察に追われてないって」


「つまりキミは認めるんだね? 自分が悪いことをしている、と」


 ネムルは問い詰める。

 罪の意識はあるのか、と。


「はぁ? あたりまえっしょ。あんた、気づいてないのかもだけど、あーしはギャング団のボスなんだよ? 正義の味方なわけないじゃん。あーしは誰がどう見ても悪人さ」


 彼女は認めた。

 自分が悪人である、と。


 ネムルは嘆息する。

 覚悟するしか、ないのかもしれない。


 ――人を殺す、覚悟を。


 彼女が悪人ならば。

 目覚めた彼を押さえつけることはできないだろう。


「もしも自分が悪党って自覚があるのなら、絶対に僕を気絶させちゃダメだよ」


「はぁ? あんた何言って――」


 その時。


 ガシャンドシャンッ、と甲高い雷のような音が鳴り響いて、薄暗かった倉庫内に光が差し込んだ。

 閉じられていたシャッターが吹き飛んで来て、床に溜まっていたホコリが舞い上がった。


 麻袋がマスクの代わりをはたしてくれて、粉塵を吸い込まずにすんだネムルと違い、ボスの方は目を細めて咳き込んでいる。


「ゲホ……コホっ……いったい何が……!?」


 人影がある。

 薄暗闇に慣れた目は、シャッターがなくなって吹きさらしとなった出入口に、何が立っているのか認識できなかった。

 目の奥の痛みがなくなっていくにつれ、次第にその正体があきらかになっていく。


「モモモ……?」


 逆光になっているため、細かな人相は確認できないが、木刀を構えて雄々しく仁王立ちする姿は彼女以外、知らない。


 モモモの隣には、もう一人。ショートボブカットの人物が寄り添っている。


「ネムル殿! 助けに参ったでござる!」


 助っ人を引き連れたモモモが声を張り上げる。


「どうしてここが……!?」


 驚きの声を上げたのは、いつの間にか仮面とウィッグを付け直していたボスだった。


「おぬしの下っ端の衣服が残されていてな……ペンキで汚れておったのだ」


「この周囲でペンキを取り扱っている店を調べた結果は四店。そのうち、人を隠せるような倉庫を持っている会社は二店でした」


 淡々と、抑揚のない少女の声で、モモモの隣に立つ者が答えた。


「最初に突入したお店にいなかったから、ここしかなかったでござる!」


 木刀を突きつけて決めポーズ。

 かっこつけているつもりらしいが、二分の一を外しているのでイマイチ決まらない。


 それでも追い詰められたことには違いない。

 ボスがギリっと奥歯を鳴らした。


「くっ……!」


「外にいる見張りの者はすべて倒したでござる! お縄につけぇい!」


「まだまだじゃん……!」


 ボスが口笛を鳴らすと、建物の奥からチンピラっぽい男たちが次々に飛び出して来た。


「来るぞ、3号殿! 存分に暴れよ!」


 モモモが木刀を構えながら、隣に立つ少女に指示を送る。

 3号と呼ばれた彼女は、感情のこもらない抑揚のない声で答えた。


「了解。安全装置を解除します。殺戮モードへ移行しました」


 肩のあたりで切りそろえられた髪の毛を揺らしながら、少女――3号が右腕を振り上げた。

 すると、手首がガチャンと折れ曲がった。

 ガシャンガシャンと言う金属音を響かせながら、3号の腕が変形し、細長い筒状のものが現れた。


 銃口だ。


 それとわかったのは、腕の途中から、だらりと薬莢の束が垂れ下がっているから。

 この子は、あきらかに普通の人間ではない。


「あわわ……! ダメでござる、3号殿! ムダな殺生は御法度でござる!」


「暴れよ、と命令されましたので」


「そういう意味ではない! 解除ッ! 解除ォォッ!」


「了解。殺戮モードを解除します。制圧モードへ移行しました」


 銃口と薬莢が腕の中に収納され、代わりに現れたのは二本の突起だ。

 その金属製の棒のあいだに、バチバチと音を立てて青色の閃光がきらめく。

 スタンガンだ。


「行くでござるッ!」


「了解」


 二人の少女がかけ声とともに倉庫内へ侵入する。

 モビーディックの下っ端たちも、それに応戦し、各々が武器を手にして返り討ちを狙う。


 下っ端たちは見た目からして、こういう荒事に慣れているようなやつらだ。

 もしもネムルが対峙することになったなら、闘志だけで気圧されてしまうところだ。

 すかさず、回れ右で逃げ出したくなる貫禄に溢れている。


 けれどオーラならば、モモモだって負けていない。

 格闘に関しては、まったくの素人であるネムルでも、彼女が身に纏う闘気が背後に見えてくるくらいだ。


 それを下っ端も感じているのだろう。

 数の上では圧倒的に勝る彼らだが、安易に突っ込んだりしない。

 お互い牽制しながら間合いを計っている。


 下っ端の数は十人。

 それに対抗する少女は二人。


 普通に戦えば、モモモたちに勝ち目はない。

 だけど彼女たちは、普通じゃない。


 一人は木刀を自在に操る手練れの侍。

 そしてもう一人が、腕自体をスタンガンに変形させている謎の少女。


 下っ端たちが警戒していると、ネムルにもわかった。

 正体不明の少女がいきなりアジトにかちこみをかけてきたら、不穏に思うのも当然だ。


 彼らが二の足を踏んでいるあいだに、モモモたちは倉庫内を疾走する。

 素早く下っ端の懐に入り込むと、モモモの木刀が下っ端のあごをかち上げた。

 強烈な一撃を食らった下っ端が、白目を剥いて倒れ込む。


「やりやがったな……! こうしちゃいらんねぇ! やっちまうぞ!」


 出方をうかがっていた残りの下っ端たちが一斉に動き出し、攻めに転じた。

 しかしそうしているあいだに、モモモの木刀が二人ノックアウト。残りは七人となっていた。


 男たちに動揺が広がっていると、手に取るようにわかった。


「あいつはやばいぞ……! 先にそっちを狙え!」


 ロックオンされたのは、3号と呼ばれた少女。

 身長はモモモよりも小さく、華奢である。

 木刀を振り回す侍ガールよりも、攻めやすいと思われたのだろう。

 しかし、


「危険を検知。反撃体制に入ります」


「ぐあぁぁぁぁぁぁッ!!」


 3号に挑んだ下っ端が耳をつんざくような悲鳴を上げて卒倒した。

 スタンガンを食らった腹部から黒煙が上がり、焦げた匂いが漂っていた。


 本当に制圧用なのか不安になる威力だ……。


 一発で大男が気絶する高威力のスタンガンを見せつけられてどよめく下っ端たちに、3号が容赦なく、その電圧の威力を味合わせていく。

 もちろんモモモも、黙ってはいない。


「さすが3号殿! われも負けてはおれんな! うおりゃぁぁぁッ!」


 まさに阿鼻叫喚。

 倉庫内に男の悲鳴がこだまする。

 次々に下っ端が戦闘不能に陥っていく。


 しかし、下っ端たちの強襲が止むことはなかった。

 倉庫の奥から、どんどんと新たに現れてくるのだ。

 彼女らの足下には、数十人の男たちが倒れ込んでいた。


「キリがないでござるな……! 一気にカタをつけられたらいいでござるが……」


「了解しました。爆撃を開始します」


 モモモにしてみれば、独り言をつぶやいたつもりなのだろう。

 けれど3号がご丁寧に命令だと解釈したようで、彼女の肩口から巨大な筒が出現した。


「キャノン砲の発射準備が整いました。安全を確保してください」


「あわわわ! 解除ッ解除ッ!」


 モモモが慌てた様子で両腕をぶんぶん振り回して制止するが、時すでに遅し。


「すでに発射準備に入っています。キャンセルはできません。退避してください」


「ひぇぇぇ! みんな逃げるでござる!!」


 モモモは両手でメガホンを作り、下っ端たちに避難命令を出した。

 3号のキャノン砲が青色に輝き、バチバチと音を立てている。

 さすがの彼らもヤバいことを察したようで、我先にと出口へ殺到した。


「オラッ! 邪魔だ、どけよっ!」


「ふざけんじゃねぇ! 俺が先だ! 年上を敬え!」


「未来ある若者に道を譲ったらどうなんだ!?」


 下っ端同士で取っ組み合い。

 すっちゃかめっちゃかの大パニックになっている。


 大変だなぁ、なんてことを思いながら人混みを眺めていたネムルだったが、


「……今が逃げるチャンスじゃないか!」


 混乱中の人の流れに乗って逃げ出せばいいことに、今さらながら気がついた。

 混乱に乗じて脱出を試みようとした、ちょうどそのとき。


 タイムリミットがやってきてしまった。


 鼓膜を破壊するような爆音とともに、目の奥に痛みを感じる強烈な閃光。

 ネムルは反射的に目を覆い、地面に伏せた。


 着弾したのは壁か、天井か。

 コンクリートが砕け散り、握りこぶしほどの大きさの石つぶてが雨のように降り注ぐ。


 同時に舞い上がった粉塵によって、その凶悪な雨がまったく見えず、逃げ遅れた者たちは頭を覆って自分のところに落ちてこないように祈ることしかできない。


 とても長い時間に感じた。

 実際は、ほんの数秒の出来事なのだろうが。

 しばらくすると雨は止み、砂埃の霧が晴れていく。


「ふぅ……死ぬかと思った……」


 ネムルは身体中に付着した粉塵を払いながら立ち上がる。

 様子を確認すると、ざっくばらんとしていた倉庫のそこかしこに、瓦礫のピラミッドが築き上げられていた。


 どうやらキャノン砲が直撃した者はなく、生き埋めになっている人もいないようだ。


 しかし下っ端たちを追い払うことには成功したようだ。

 倉庫内に残っているのは、数名だけだった。


「観念するでござる! お縄につけいッ!」


 モモモがボスに向けて木刀を突きつける。

 勝敗は決したかと思われた。


「……ちぃっ!」


 ボスの舌打ちに、地面を蹴る音が混じった。

 彼女は素早くネムルの背後に回り込む。


 何をしようとしているのかわからず戸惑っていたネムルの首元に、ヒヤリとしたものが押しつけられる。

 視界の端に、鈍く光る銀色が見えた。


「おらぁッ! このナイフが見える!? それ以上、近づいたら、こいつの命は保証しないよ……!」


「くぅッ! ひ、卑怯者めッ!」


 モモモとは短い時間の付き合いだが、人質を無視して戦闘に挑むようなタイプではないことを、ネムルは理解していた。

 この状況だと、まず手を出せないだろう。


 3号の方はなんとも言えないが、今までのやりとりからして、モモモの言うことを忠実に守っている。

 モモモが許可しない限り、ボスを襲うことはないだろう。


 この状況はまずい。非常に。


 さっき逃げ遅れてしまったことを後悔しても、もう遅い。

 足を引っ張っているだけの自分に、歯ぎしりしたくなる。


「それでいいの。そのまま動かないで」


 おとなしくなったモモモたちに、下っ端らが警戒しつつ近づいていく。

 包囲網は徐々に狭まり、彼女たちは下っ端に囲まれてしまった。

 絶体絶命。


 非力なネムルは何もできず、それを見ていることしかできない。

 思わず目をそらす。


 そして、偶然それを発見した。


 視界の端で、パラパラと細かな砂粒が落下してきているのが見えた。

 どうやら爆破の衝撃で柱が弱ってしまったらしく、天井の一部が剥がれ落ちてきているのだ。


 運が悪いことに、それはネムルの真上で。


 そのことに気がついているのは、ネムルだけのようだった。

 ボスはモモモたちに気を取られていて、天井の劣化に気がついていない。


 そうこうしているうちに天井のたわみがひどくなり、とうとう限界を迎えた。

 いち早く察知していたネムルは、叫んだ。


「気をつけて! 天井が落下する!」


「なっ!?」


 ボスが天井を見上げ、ネムルの言葉がウソではないことを悟った。

 しかし反応が遅れた彼女は、その場で釘付けになったまま動けない。


「ネムル殿!」


 モモモが助けに入ろうと身構える。

 しかしこの距離では、天井の落下の方が早い。間に合わないだろう。


 とっさのことに身体が硬直してしまったボス。

 だが、それによってネムルの拘束が緩んだ。


「うおりゃぁぁぁぁぁぁッ!」


 ネムルは、ボスを巻き込むようにして後方へ飛び退いた。

 腕を振り払って逃げることもできたが、彼が選択したのはボスの救出だ。


 ネムルの体当たりを食らってボスがよろめき、尻餅をついた。

 それによって天井の落下ポイントからずれ、代わりにそこに入り込んでしまったのはネムルだ。


 モモモの絶叫が聞こえてくる。

 しかしそれに答える余裕はない。


 逃げるのも、無理だ。

 できることと言えば、両手を頭の上に回して、最低限の防御姿勢をとることのみ。


 そして、崩れ落ちた天井の瓦礫がネムルに降り注いだ。



――――――――――



 頭の中で鳴り響くのは、男の声だ。

 それは、自分にそっくりな声。


『おうッ! ようやく俺様の出番だな! 待ちくたびれたぜ!』


 よく似た声が、嬉々とした様子で言った。

 どうやら気を失ってしまったらしい。

 いくら眠らないように努力していても、気を失ってしまったら一発でアウトだ。


 ネムルは嘆息し、肩を落とす。

 こうなってしまっては、みずからの意思でどうすることもできない。


 自分が覚醒するのを待つか、彼が意識を失うのを待つかだ。


 ネムルはあきらめて、意識を彼に託した。



――――――――――



「大丈夫でござるか、ネムル殿!」


 モモモが瓦礫を掻き出して、埋もれたネムルを捜索する。

 硬い石の山に突っ込んだその手は、あっという間に爪がすり減り、指先から血がにじむ。


 けれど彼女は掘り返すのをやめない。

 まだ生きていることを信じて。


 ネムルにかまっていては、せっかく追い詰めたモビーディックのボスに、逃げるチャンスを与えていることになる。


 千載一遇のチャンス。だが、ボスは逃げなかった。

 それどころか、一緒になって瓦礫をどかして、ネムルを探してくれていた。


 性根から悪いやつではないのかもしれない。

 もちろんそれで、今まで行っていた悪事が消えるわけではないが。


 もしも出会い方が違っていたら、友達になれていたかもしれない。


 3号も加わり、三人で大きな瓦礫をどかした。

 すると、その下にネムルの足が見えた。


 足を掴んで引っ張り出す。

 ネムルの身体は砂埃で汚れているものの、大きな外傷はないようだった。


 どうやら、大きな瓦礫が彼の上に張り出す形であったため、それが傘の役割を果たして、他の瓦礫が直撃するのを避けることができたようだ。

 なんとも運が良い男だ。


 ほっとしたのも束の間。

 ネムルは目を閉じたままで、身体は微動だにしない。

 事態は深刻なままだった。


「ネムル殿……! ネムル殿! 目を覚ますでござるッ!」


 モモモが呼びかけても反応はなかった。

 外傷がないとはいえ、無事である保証はない。


「どどど、どうすれば!?」


「心肺蘇生が妥当かと思われます」


 動揺してあたふたしているモモモに、3号が冷静に答えた。


「し、心肺蘇生!? われ、そんなのやったことないでござる! 3号殿は?」


「当機もございません」


「詰んだでござる……!」


 終わったとばかりにモモモが頭を抱え、うずくまる。

 ネムルを助けるためにやってきたというのに、敵ではなく、こちらの攻撃でノックアウトしてしまうとは何事だ。


「どきな。あーしがやっから」


「へっ?」


 モモモをどかして処置の準備を始めたのは、彼女の頭の中になかった人物で。

 だからマヌケな声を出してしまった。


 そんなモモモなんてお構いなしに、ボスは手早くネムルの状態を確認している。


「ぼさっとしてないでさ。服、脱がせるの手伝ってくんない?」


「あ、ああ……しかしなぜ……?」


「気道を確保するため。締めつけになる衣服は邪魔」


「いや、そういうことではなくて……おぬしは言わば敵であろう?」


 モモモがネムルを助けているあいだに、逃げ出すことも可能だ。

 しかし彼女はそれをせず、ネムルを救おうとしている。


「こいつ……あーしを突き飛ばしてかばいやがった。自分が売られる立場だってのに……」


「やはり偶然ではござらぬか」


 見ようによっては、驚いたネムルが足をもつれさせ、ボスを巻き込む形で倒れたようにも見えた。

 しかしその狙いは、ボスを瓦礫から守るためだったのだ。


 初めて会った……そればかりか、己の立場を危うくする者であるというのに。

 ネムルの中に、見捨てるという選択肢は存在しなかったのだ。


 モモモはグッと拳を握る。

 絶対に、この男を死なすわけにはいかない。


「好機です。捕らえますか?」


 3号がスタンガンをボスに向けて構えた。

 しかしモモモは、そのスタンガンを下げさせた。


「……今は、よすでござる。その物騒なものはしまうがよい」


「いいのですか? モモモさんは、モビーディックのボスをずっと追っていました。この機を逸すれば、またチャンスがある保証はありません」


「見逃す、とは言っておらん……ネムル殿を、なんとしてでも助けなければならないということでござる。たとえ敵の手を借りようとも……!」


 どうやらボスは、簡単な医療知識を持っているらしい。

 モモモの貧弱な知識では、彼を救うことはできないだろう。


「了解。武装を解除します」


 3号のスタンガンが収納されて、元の腕に戻った。


「ボス殿……われは何をすればいいでござるか!? われは、すべて言われたとおりに動くゆえ……!」


 正義感に溢れるモモモにとって、敵のボスの言うことを聞くのは屈辱以外の何物でもない。

 しかしネムルを見捨てることなどできなかった。

 救うには、この方法以外思いつかない。


 それに、このボスも根っからの悪人というわけではないようだ。

 今こそ逃げる大チャンスだというのに、ネムルの手当に全力をあげている。


 賭ける価値はある。


 モモモは、ボスの指示どおりに動き、3号にも手伝ってもらいながら救命措置を実行した。


 ボスはテキパキと処置をこなしていく。

 すると彼女がネムルにまたがり、心臓マッサージを施しながら言う。


「人工呼吸をお願い」


「じ、人工呼吸とは……あの!? 口と口をくっつけてスーハーする……あの!?」


 オタオタと慌てふためくモモモに、ボスは冷静にツッコミを入れる。


「スーハーはしないっての。吸ってどうすんだ。吐けばいいだけ」


「吐けばいいだけと言われましても……困るでござる……! せっ、接吻など、結婚した者同士しか許されぬゆえ……!」


「純情ぶってどうすんのよ。命がかかってんのよ!」


「うっ……」


 それはそうなのだが。

 助けるために必要な行為であって、性的なそれとは違うわけで……。


「当機が、いたしましょうか?」


「できるでござるか?」


「肺が破裂するまで空気を送り込んでみせましょう」


 3号がグッと拳を握ってやる気をアピール。

 ダメだ、これは。本気の目だ。


「われがやるでござる……!」


 これは医療これは医療、とみずからに言い聞かせながら、大きく深呼吸。


「そ、それでは行かせていただくでござる……!」


 胸のドキドキを押し殺し、そっと唇を重ねる。

 こんなことで恥ずかしがったり、動揺したりしているようでは、武士の名折れ。

 ただの医療行為で照れている場合ではない。


「はぅぅッ! な、なんか柔らかいでござる……!」


「キスの感想はいいから、もう一回」


「き、キスではない! これは人工呼吸でござる! 皆無でござる! 感情など皆無!」


 わたわたとしながら叫ぶモモモ。

 せっかく意識しないようにしているのに、キスと言わないでほしい。


 ボスの指示のもと、人工呼吸と心臓マッサージを繰り返す。


 するとネムルに反応が現れた。

 指先がピクピクと痙攣するように動いたのだ。


「もう一息だよ……!」


 さすがに何度も唇を重ねていると、気恥ずかしさは消えていった。

 モモモは大きく息を吸い込んで、そのすべてをネムルへ吹き込んだ。

 すると、


「ん……んん……」


 ネムルが呻き声を上げながら、目を覚ました。

 彼はむくりと上半身を起こしてキョロキョロ。

 状況を把握しようとしているのだろう。

 そして、目をカッと見開き、覚醒したと思ったら、


「俺様参上!!」


 飛び起きてシャキーンと決めポーズ。


「ふぅー! 久々のシャバは空気がおいしいねぇ! 新鮮な空気たまらん! すぅぅぅぅ……ゲホゲホッ! めっちゃホコリっぽいじゃねぇか!」


「…………」


 ひとりでツッコミを入れる、やたらとハイテンションのネムル。

 急に変わったネムルの様子に、モモモは戸惑う。


「そ、そなたは本当にネムル殿か……!? 頭を打っておかしくなってしまったでござるか!?」


 せっかく一命を取り留めたというのに。後遺症が残ってしまったか。


「ネムルぅぅぅっ!?」


 自分の名前を呼ばれたというのに、なぜか彼は不満げに唇の端を歪めた。


「ネムル……残念だが、そいつは眠ってるぜ」


「眠って……? 起きておるではないか」


 彼の言っている意味が理解できない。

 こうしてネムルは、目の前に立っている。


「こうしてここに立ってるのは、ジャック様だ! よろしくな!」


「よ、よろしくと言われても、いったい……」


 ネムルがいきなりジャックと名乗り出した。

 この状況がいまいち理解できない。

 やはり頭を打った影響で、おかしくなってしまったのだろうか。


「ネムル殿……急ぎ病院へ向かうぞ!」


「ああん? 必要ねぇっての」


「そんなわけがあるか! 病院へ行くでござる!」


「楽しくおしゃべりなんて余裕だな! 死ねぇ!」


 どこに潜んでいたのか。

 二人で言い合いをしていると、逃げ出さなかった下っ端が飛び出してきた。


 下っ端はネムルに突進し、その命を狙う。


「眠たい動きしてんじゃねぇよ! 俺様が眠ったら、ネムルが起きちまうんだからよぉッ!」


 ネムル――ではなく、ジャックらしい彼は、あくびをしながら下っ端のパンチをかわした。

 的をなくした下っ端は、つんのめって体勢を崩す。

 ジャックは、その無防備なケツに蹴りを入れ、下っ端を倒した。


「ふぁ……さってと。殺すか」


「ひぃ……ッ!?」


 ジャックは下っ端に歩み寄る途中、瓦礫の山で足を止めた。

 その中から、柱の基礎に使われていた鉄の棒を引っ張り出した。

 鉄棒には石の塊が付いていて、簡易的なハンマーになる。


 その武器を手に、倒れ込んだ獲物へ向かっていくジャック。


「おまえは俺様を殺そうとした。つまり悪人だ。悪人は殺してもいい。悪人が殺されて喜ぶ人はいても、迷惑と思うやつはいない。だから悪人のおまえは殺してもいい。そうだろう?」


 ジャックが早口でまくし立てながら、下っ端に詰め寄っていく。


「あれは言葉の綾で……本当に殺そうとしたわけでは……」


 下っ端が座り込んだまま、ジリジリと後ずさる。

 腰が抜けて、立てないのかもしれない。


「言い訳、かっこ悪いよ」


 ジャックはハンマーを振りかぶり、頭上に掲げた。

 

「待て!」


「ああん?」


 待ったをかけたのはボスだ。

 ジャックは怪訝そうに、彼女へ視線を送る。

 身体は下っ端に向けたままで、いつでもハンマーを振り下ろせる格好だ。


「あーしたち、モビーディックは、ムダな殺しをしない。あんたのことだって、殺すつもりは本当になかったんだ。そいつは、勢いで言っちゃっただけだ」


「そこまで言うなら見逃すかなぁ」


 ジャックはハンマーを足元へ下ろした。

 ボスがホッと息をつく。

 しかしジャックは再びハンマーを持ち上げると、ボスに向けて突きつける。


「でも、あんたは殺すよ?」


「は?」


「いやいやいや、なんで驚いているのさ。キミは親玉なんだよ? 悪の組織の。ラスボスじゃん。殺さない理由、ある?」


 ボスに送られたジャックの冷たい視線は、やはりネムルのものとは思えなかった。


「どうしたのだ、ネムル殿! おぬしが彼女を救ったのでござろう? それを殺す……?」


「残念だけど、あいつを救ったのはネムルだ。俺様は……ジャックは、悪人をぶち殺す……! それが――それだけが! 俺様のアイデンティティなんだよ!」


 悪人を殺す。ジャック。

 それらがモモモの頭の中で結びついた。


「まさかおぬしは、ジャックザリッパー……!」


 シンワに出没した、悪人殺しの怪人、ジャックザリッパー。

 その正体が、ネムルだというのか。


「ご名答!」


 愉快、とばかりにジャックが両手を広げた。


「悪人が、震えて怯える殺人鬼。ジャックザリッパーとは、俺様のことよ!」


「まさか……ネムル殿が……!?」


 ちっちっち、とジャックが指を振りながら舌を鳴らす。


「俺様とネムルは、別人だ。身体は一つだけど、人格は完全に別。意識は共有してるけど、干渉できねぇしな。あいつが起きてるあいだ、俺様は何もできねぇ」


「それはつまり二重人格、みたいなものなのか?」


「まあ、そういうこった。あいつが眠ったり気絶したりで、意識がないときにしか、俺様は現れることができねぇ」


 ネムルが持っていた眠り薬の話を思い出した。

 緊急時、自分に使うと言っていたのは、こういう意味だったのか。


「俺様の正体を言い当てたモモモちゃんに、プレゼントを差し上げなくては! モビーディックのボスの首でいいかな!?」


 モモモが制止する間もなく、ジャックはハンマーを振り回してボスを狙う。

 ボスは、かろうじてその攻撃をかわした。

 巧みなステップで避け続けていたが、しかしそれは何度も続かない。


「…………くっ!」


 ボスは足をもつれさせ、体勢を崩してしまう。


「悪即斬! とらえたァァァッ!」


 ボスの側頭部を狙った一撃。

 勝利を確信したジャックの口角が吊り上がる。

 だが、その表情はすぐに真逆へ変化した。 


「悪人といえど……奪ってはならぬものがある!」


 モモモだ。

 彼女がボスの前に立ち塞がり、木刀でハンマーを受け止めていた。

 鍔迫り合いを繰り広げながら、モモモが叫ぶ。


「みな、今のうちに早く立ち去れ!」


「ひ……ひぃぃぃぃッ!」


 残っていた下っ端たちが、何度も転びそうになりながら出口へと向かう。

 しかし、ボスは逃げようとしなかった。


 残っているのはモモモ、3号、ジャック、ボスの四人。


「目を覚ませ、ネムル殿! おぬしはこんなことをするような者ではないはずでござる!」


 ジャックではなく、彼の身体の中にいるはずのネムルに語りかける。

 けれどジャックは、それを嘲笑った。


「ムダだぜ。俺が意識を失わないと、あいつは出てこれないからなッ!」


 鍔迫り合いの最中。

 ジャックが木刀の根元に蹴りを入れてきた。


 その衝撃でせめぎ合っていた力が逸れ、拮抗が崩れる。

 モモモは、とっさに後方へ飛び退いた。


 ジャックの動きは、戦い慣れしたものの挙動だ。

 さっきまでの心優しい青年と思ってはならない。


 ならば、とモモモは木刀を構えなおす。

 そんなモモモへ、ハンマーが迫っていた。


 ジャックがハンマーを振りかざしてきた――わけではない。

 ハンマーだけがモモモに向けて飛んできている。

 彼はハンマーを投げたのだ。


「なんだと……!?」


 己の武器を大事にする武士にとって、それはあまりにも予想外。

 だからモモモの反応は、遅れてしまった。


 モモモが身をよじって投擲されたハンマーを避けた時、すでにジャックが間合いを詰めていた。


 ハンマーはあくまでも目くらまし。

 避けられることが想定済みだった。


「遅い遅い遅いッ! 電車だったら客からクレームが来るぜ! ウラァァァァァッ!」


 ジャックの体当たりによって吹き飛ぶモモモ。

 彼女はギリッと奥歯を鳴らす。


 ――早すぎる……!


 幾年にもわたる修行を重ねてきたモモモでも、反応が遅れてしまうスピードだ。

 それは純粋な速さもあるが、彼の動きが読めないのも大きかった。


 武士であるモモモは、力と力、技と技のぶつかり合いを常としている。

 その中で鍛え上げたのは、相手の攻撃を読み、先手を打つ立ち回り。


 しかしトリッキーなジャックの動きに惑わされ、ペースを掴めない。


 体勢を立て直す前に、ジャックが再びモモモへ突っ込んで来る。

 彼は走りながら、落ちていた石塊を拾い上げていた。


 ジャックはその石を握り込み、メリケンサック代わりにするつもりのようだ。

 走り込んできた勢いに、石の硬度がプラスされたパンチを繰り出す。


「命の危険を感知。モモモさんは当機の家族――保護対象です」


 3号がジャックの前に立ち塞がり、両手をクロスさせた防御態勢を取る。

 ジャックは3号にかまわず拳を打ち抜いた。


 鋼鉄製の腕と石塊がぶつかり合い、ガキンという甲高い音が響き渡る。


「くっはぁッ! かってぇ! なんじゃこの硬さ! 指先が痺れるぅ!」


 ジャックが石を捨て、痛そうに手を振った。

 拳の関節部分の皮がめくれ上がって出血している。


「よくもやってくれやがりましたな、ロボット娘!」


 ジャックは痛みを堪えながら3号に向かって叫ぶ。

 しかし3号は淡々と言い返した。


「ロボット娘ではありません。PT3号です」


「パーティーだかパンティーだか知らんけど、それ以上俺様の邪魔をするならマジで殺すよ? 今ならセーフ! 俺様、悪人しか殺さないから」


 ジャックが血にまみれた指先を3号へ突きつける。

 しかし3号は動じない。

 どこまでも無表情に、淡々と言う。


「当機には、あなたの方が悪人に見えますが」


「それはそれは……敵対ってことでオッケー?」


「かまいません」


 3号がジャックにスタンガンを向ける。

 もちろんモモモだって、黙ってはいない。


「われらが退けば、おぬしはボスを殺すのであろう?」


「もちよ。悪の親玉を逃がす理由なんてないからな」


「ならば退けぬ! われらは、おぬしと戦おう。たとえ悪人といえど、人の心はある。やり直すことだって可能だ。殺してはならぬ」


 モモモは、ボスを殺したいわけではない。

 捕まえたいだけだ。


 その上で反省させ、心を入れ替えてもらう。

 それがモモモの願いであり、目的だ。


 しかしジャックはそれを嘲笑う。

 モモモの生きがいを、笑ってねじ伏せる。


「やり直すねぇ。口で言うほど簡単なことには思えないけど。無理っしょ」


「できる。できないと思ったらできなくなるだけだ」


 モモモは信じている。

 誰にでも人の心はあると。

 誰だって、心を入れ替えることは可能だと。


 モモモとジャックは、いくらか「できる」「できない」と言葉を交わしたが、どちらも折れることはなかった。


 するとジャックがやれやれ、と肩を落として両手を上げた。


「やめようぜ。これ以上は平行線だろ? こうしてくっちゃべってても、どっちに傾くわけでもない。ただの水掛け論だ」


 だったら――と、ジャックが拳を構える。


「――力で証明してみろい!」


 それが開戦の合図だった。


 ジャックは脱兎のごとく地面をかけ、一直線にモモモへ突撃。

 モモモは攻撃に備えて身構える。


 しかしそこに横槍が入った。

 槍、というか針だ。


 細長い手のひらサイズの針が、ジャック目掛けて飛んでいく。

 予期していなかったであろう。

 ジャックは、完全に避けきることができず、肩口に針が突き刺さった。


「っつぅぅッ! なんだこの針! なんかピリピリするしよぉ!」


 ジャックは針を引き抜いて地面に捨て、肩口を押える。


「その痺れ針、普通の人間なら一本で動けなくなるレベルなんだけど、やっぱりあんたおかしいよ?」


「お褒めいただき光栄至極! 俺様は覚醒状態だからか、脳が興奮してんのさ。だから痛みとか痺れとかには、強ぇの。毒は普通に死ぬけどなっ!」


 言いながらボスめがけて突入するジャック。

 それを阻止したのはモモモだ。


「おいおいなんだよ、邪魔しやがって……!」


「こやつの本命はおぬしだ。ここは退いた方がよいぞ」


 ジャックと応酬を繰り返しながら、後方のボスへアドバイスを送るモモモ。

 モモモの目的は、彼女を捕まえることだ。

 けれどそれは、いつでもできる。

 ここで死なれてしまっては、何にもならない。


 まずはボスを逃がし、生かす。

 それが最優先事項だった。


 しかしボスとて、簡単には恥をさらして逃げ出すわけにはいかない。


「もともとは、あーしが蒔いた種。本来、敵のあんたらに助けられて……おいそれと逃げるわけにはいかねぇじゃん!」


 悪人だってプライドはある、とボスは言う。

 何よりも誉に生きる武士に、それを否定する術はない。

 ならば、ともに戦うだけだ。


「用心せよ。あやつ、かなりの手練でござる!」


「あーしも、そこそこ腕には自信あるんですけど」


 ジャックがモモモへ攻撃を仕掛ける隙をつき、ボスが再び針を飛ばす。

 今度のは、裁縫に使うような小さな針だ。

 無数の針がジャックをハリネズミに変える。


「いててっ……それチクチクするからやめろ! 嫌いッ!」


「これならどうでござるか!?」


 針を払うことに気を取られているジャックへ、木刀をたたき込む。


「ぐはぁっ! もっといてぇッ!」


「気絶してはくれぬか……!」


 悶絶している様子のジャックだが、モモモの狙いは彼の意識を奪うことだ。

 痛めつけることではない。


「こう見えて、荒事に慣れてるもんでね。俺様を気絶させられたらたいしたもんですよ」


 余裕綽々といった感じで笑うジャックに、モモモの闘争心は燃え上がる。


「バカにするでない! もっと痛めつけるのみでござる!」


 やる気は充分。しかしモモモの木刀は空を切るばかり。


「気合い入りすぎ。動きが単調になってるわよ。だから避けられちゃうの」


「なんとしてでもあやつを気絶させねば……! さすればネムル殿が目を覚ますはずでござる!」


「なるほど……協力するわ。ひとりで戦おうとしないで」


「当機もお忘れなく。そもそもモモモさんのパートナーは当機です」


「おいおいおい。みんなやる気になっちゃって。俺様の狙いは悪の親玉だけなんだがよぉ。それを邪魔するってことは、全員悪者ってことで問題ねぇよな!?」


 こちらの返事を聞く前に、ジャックが動き出していた。


「今度は痺れ薬、増し増しでプレゼントするわ!」


「さすがにそれをくらうとやべぇな!」


 ジャックが、謎の布を握りしめているのに気がついた。

 麻布だ。

 おそらくネムルが頭に被せられていたものだろう。


 彼はそれを振り回し、ボスの投擲した針を絡め取る。

 まるで投網漁だ。


「大量大量! こんなにもあるなら、おすそ分けしてやんねぇとな!」


 ジャックが麻布を振り回し、針を周囲に吹き飛ばした。

 デタラメに飛んでくる針は、痺れ薬が塗られているはず。

 モモモは木刀を巧みに操り、針を打ち落とす。


 ボスは針を食らってしまったのか、顔をしかめている。


「ちぃ……自分の痺れ薬にやられるとはね……」


 ロボである3号は、確認するまでもない。

 毒や薬の類いは、彼女の前では意味をなさない。


 だからジャックが弱っているボスに狙いを定めることは明白だった。

 先の先。

 モモモはジャックへ突撃をかます。

「カミナリ流奥義! 臥龍(がりゅう)先突(せんとつ)!」


 空気の層を切り裂くような刺突。

 その速さゆえに、木刀に絡みついた空気の層が、龍のように渦を巻いて絡みつく。


 まさに、モモモの奥義。奥の手だ。

 普通の人間には威力が強すぎて命の危険があるため、使用することはなかった。

 だが、ジャックにならば、そんな遠慮はいらない。


 絶対の自信を持って繰り出した奥義だった。

 しかし、ジャックに慌てた様子はない。


 むしろ。

 彼は、ふてぶてしく笑う。


 木刀の先端がジャックに迫り、固いものを貫いた。


「……くっ!?」


 しまった、とモモモは悟る。

 誘い込まれたのだ。

 隙をついたつもりだったが、それはジャックがわざと作った隙間。


 モモモの木刀が突き刺さったのは、ペンキ缶だった。

 ジャックが足下に転がっていたペンキ缶を拾い上げて、盾代わりに使ったのだ。


 木刀でペンキ缶を貫く威力は驚異的だが、その後ろにいるジャックまではダメージが通らなかった。

 彼がペンキ缶をひねり上げると、めり込んでいた木刀も取り去られてしまう。


 必殺の攻撃は諸刃の剣だ。

 与えるダメージは甚大だが、避けられてしまったときの隙が大きい。


「残念だったな。ちょっとくたばっててくれ!」


「ぐはぁっ……!」


 徒手空拳となり不意をつかれたモモモは、ジャックの蹴りによって、無様に地面を転がった。


「モモモさん……!」


「くっ……はぁ……!」


 3号の呼びかけに答えようとしたモモモの口からは、熱い吐息が漏れ出るのみ。

 四つん這いになって荒い呼吸を繰り返す。


「……容赦しません」


 無表情な3号の眉根がキュッと寄せられた。

 彼女なりに表現された、精一杯の怒り。


 本来なら、殺傷モードに移行したいくらいだろう。

 しかしモモモの許可なく、制圧モードを解除するわけにはいかない。


 なので、命令に忠実な彼女はスタンガンをジャックへ向ける。

 二本の鉄棒の間に流れている青白い火花は、大男でも一撃で気絶させる威力だ。


「毒に耐性があるようですが、物理的なショックならどうでしょう。試してみましょうか」


「人の身体を実験に使わないでくれよっ!」


 ジャックが文句を言いながら、足下に転がっていたペンキ缶を蹴り飛ばした。

 3号は顔面めがけて飛んでくるペンキ缶をとっさに避けた。

 しかし彼の狙いは、ペンキ缶を当てることではなかった。


 缶には穴が開いていて、空中を舞いながら中身を撒き散らしていた。

 いくら3号の反射神経が優れていても、雨を避けることが不可能であるように、ペンキをべっとりとかぶってしまった。


「……目くらましですか?」


 そうはいくまい、と3号は目元を袖で拭って、しっかりと視界を確保する。

 手でひさしを作り、目にペンキが入らないよう注意を払う。


「まだまだあるぞ!?」


 ジャックが次々にペンキ缶を投げ込んできた。

 ご丁寧に石塊をぶつけて穴を開けた状態で。


「いくら目潰しを狙ってもムダですよ」


 完全に避けることは不可能だが、視界を奪われないように立ち回ることは、彼女の反射神経を持ってすれば容易なことだった。

 ペンキ缶をかわし続けていると、ジャックの投擲が止んだ。

 3号は、すかさず攻めに転じる。


「反撃させていただきます」


 3号はスタンガンの放電を開始する。

 二本の鉄棒のあいだに青白い火花が走った。


 そのタイミングで、彼は笑った。


「くくくっ! いいのかな。水場で電気を使っちゃヤバいのは、子どもでも知ってるぜ?」


「――――ッ!?」


 3号は自分の置かれた状況を失念していた。

 ジャックに指摘されて、ようやく気がつく。


 水溶性のペンキで身体中が濡れてしまっていることに。


 視界を奪うことが目的だと思い込み、ペンキが液体であるという事実が抜け落ちていた。

 そして、すでに起動させてしまったスタンガンの先も、同じく濡れている。


 すぐさま機能を停止させようとしたが、もう遅かった。

 鉄棒の先にきらめく電気の糸が、体表を覆い尽くしたペンキに飛び移り、3号の身体を駆け巡る。


 どれほど強硬な拳であっても耐えうる強度の鋼鉄ボディも、電気の前では意味をなさない。

 3号の身体を貫通した小さな雷が、内部の基板をショートさせてしまう。


「か……は……」


 3号の身体の至る所から白煙が立ち上り、体勢を崩して片膝を突く。


「ダメだよ。電気を使う時は注意しないと。危ないからね。かはははは!」


「くっ……」


 3号は意地で立ち上がろうとしたが、ふらりと傾き、そのままペンキの池に身体を打ち付けた。


「結局……残ったのはあんただけだなぁ、ボスさんよ」


 ケラケラと笑うジャックは、完全に勝ちを確信した様子だった。

 それもそのはず。


 モビーディックの構成員をバッタバッタとなぎ倒した二人の少女でも歯が立たなかったのだ。

 それをボス一人でどうにかできるはずがない。


 彼女があきらめることなく向かい合ったのは、勝算があったからではない。ただの意地だ。


「それ……ッ!」


 ムダであろうことはわかっていながらも、しびれ薬を仕込んだ針を飛ばす。

 ジャックは拾い上げた鉄くずで針を弾き飛ばした。


 彼女の唯一の武器は、無残に地面へ転がる。

 ジャックがその針を踏みしめながら近づいていく。


「絶体絶命ってところだな。助けに来てくれるヒーローなんていないぜ。だって俺様こそが悪を狩るヒーローなんだからな」


 ジャックがボスの目の前までたどり着いた。

 彼が手にしている鉄くずの塊は、ハンマー代わりに撲殺する武器としての機能は充分果たせそうだった。


「これで終わりだッ……!」


 ボスは観念して目をつぶった。

 しかし、いくら待っても、彼が攻撃してくる様子はない。


「か……はぁっ……お、おまえ……」


 ジャックの苦しそうな声が響く。

 ボスが目を開けると、彼が首のあたりを押さえて熱い息を漏らしている。

 そして、苦しむ彼の背後には一人の少女。


「その薬は十秒と持たずに眠ってしまうほど強力らしいぞ」


 侍ガール――モモモが立っていた。


「これは……まさか……!」


 ジャックが引きつった笑みを浮かべる。


「そう。ネムル殿が持っておった薬だ」


 ジャックがボスに気を取られている間に、こっそりネムルの荷物から抜き出して、背後から忍び寄り首筋に注射したのだ。


 かなり強力な睡眠薬のようで、ジャックの舌がまわらなくなっていく。


「く……くはははははははははははっ!」


 ジャックは高らかに笑う。


「俺様の……負け、か。ったく……悪人に甘すぎるぜ」


 そう言い残して、彼は地面に倒れ込んだ。

 ボロボロになった倉庫内に、豪快なイビキが響き渡った。



――――――――――



「ごめんなさい……! 色々とやらかしちゃったみたいで……」


 ネムルはすでに何度も頭を下げていたが、改めてモモモへ謝罪した。

 ネムルたちは、自宅に向かって、大通りを歩いている。

 もう路地は歩きたくない。


「あやつは……見かけはネムル殿であっても、ネムル殿ではないのだろう? ならば謝ることはないでござる」


「でもお礼だけは言わせてよ。ありがとう」


 ネムルが深い眠りから目覚めた時、頭が収まっていたのはモモモの膝の上。

 介抱してくれていたらしい。

 膝枕なんてしてもらったのは初めてだった。


「困っている者を助ける。それはあたりまえのことでござる」


 なんて、カッコイイことを言いながらも、彼女の頬は赤く染っている。


「本当に逃がしてもよかったの?」


 モモモは、ボスを見逃したらしい。

 ネムルが目覚めた時には、すでにボスの姿はなかった。

 3号も一足先に帰宅したらしい。


 今回の件は警察に連絡せず、建物の倒壊も、モビーディックが内々で処理を済ませて修繕することにしたようだ。


 それが落とし所だったのだろう。


 ボスを見逃す。

 その代わり、建物の破損の責任をモモモたちに求めない。

 そして、ジャックについて口外しない。


 それがボスと交わした約束。


「今回は、やつに助けられもしたでござる。それで捕らえては、義理が立たん。確保は日を改めてでござる」


 しばらく歩いていると、通りの雰囲気が変わってきた。

 庶民的な、こじんまりとした民家から、大きな豪邸が立ち並ぶエリアに。


 その中でも一際大きな家の前で、モモモは足を止めた。

 建物のまわりには、背の高い柵が張り巡らされ、丈夫そうな門が取り付けられている。


「ここが、われらがマクラダ家の屋敷でござる」


「想像してた十倍デカい……」


 何人もの子どもたちを引き取っているという話だから、もちろんお金持ちなのだろうと思っていたが。

 ネムルの想定していたよりも裕福な暮らしをしていそうだ。


 立派な門は施錠されている。

 門柱に設置されていた呼び鈴を、モモモが押した。

 しばらくすると、3号が玄関から現れ、中庭を横切り、門を開けてくれた。


「ネムルさん。お待ちしておりました。どうぞ中へ」


 3号に案内され、手入れの行き届いた中庭を通り、車寄せのある広大な玄関へと向かう。


 古びた深い色合いの木製のドアには、細やかな装飾の施された取っ手が付いている。

 このドアだけでネムルの所持金すべての価値がありそうだ。


 3号が扉を開けようと手を伸ばしたところ、勝手に扉が開いた。

 中から開けられたのだ。


「新しい家族、もう来たの? どれどれ。年の近い男の子って聞いてるけど……」


 興味深そうに首をかしげながら屋敷の中から現れたのは、ちょっとギャルっぽさの漂う少女。

 彼女もマクラダ家の人間なのだろう。


 少女はネムルの顔を見て、表情をこわばらせて硬直した。


「え……あぅ……」


 声にならないかすれた空気を口から吐き出している。

 それはネムルも同様だった。


 二人して口をパクパクさせ、それをモモモが不思議そうに眺めている。


「どうしたのだ、二人とも。初対面なのだから挨拶をするでござる」


「初対面……? いや、さっき――」


「おわぁぁぁッ!」


「んぐぅ!?」


 屋敷から飛び出した少女が、ネムルの口を塞ぐ。


「どうしたでごぜるか、アクラクワ殿!?」


「モモモ、ちょっと待っててね。こいつと挨拶、交わしてくるから……!」


「は? ちょ、意味がわからないでござる……! 連れて行く必要がどこに!?」


 ネムルは中庭の端。目立たない木陰へ強引に引っ張り込まれ、二人っきりにされた。


「あんた……もしかしてあーしの正体に気づいてる?」


「……モビーディックのボス、だよね?」


「はぁ……やっぱり気づかれてたか」


 彼女は額を押えて天を仰いだ。


「実は麻袋に穴が開いてて、素顔を見ちゃって……」


「しまったぁ、あの時か……」


 油断した、とか、なんで取っちゃったかな、とか、ブツブツと独りごちる少女。

 めちゃくちゃ気まずい。

 モモモはアクラクワと呼んでいたか。


「あの……アクラクワさん。なんて言っていいかわかんないけど……ごめんなさい」


「……いいわよ、謝んなくて。人質に取ったのはこっちだし。悪人は間違いなくあーしなんだから」


 と、言いながらも彼女の表情は冴えない。

 被害者はこっちだから、彼女の言葉通り責任を感じる必要はないのかもしれないが。それでもそんな顔をされてしまったら、負い目を感じてしまう。


 自問自答していた彼女は、うしっ、と踏ん切りを付けたようだ。


「いいわね? わかってる? あーしとあんたは初対面。あーしがモビーディックのボスであることは内緒。オッケー?」


「それはまぁ、いいけど……キミがモビーディックのボスであることを、モモモたちは知らないの?」


 モモモの態度からすると、そのことに気がついていない様子だった。

 でなければ、さっきの今であんな、にこやかに接することなんてできないだろう。


「そ。マクラダ家では、頼れるお姉ちゃんで通ってるから、そこんとこヨロシク」


「あのさ……一応聞いておくけど、もしも正体をばらしたら……?」


「今度こそ売りさばく」


「ひぃ……!」


 ぐっと拳を握るアクラクワ。

 笑顔でえげつないことを……。


「ま、秘密を守ってくれる限り、手を出すことはないから安心しな」


「うっかり口をすべらせたら、命の保証がない生活のプレッシャーはえぐいです……」


 もしもしゃべってしまったら、自分の命の危機だけではなく、マグダラ家の崩壊まで待ち構えているってことだ。

 責任が重い。


「それはこっちも同じっしょ? あんたの正体が殺人鬼っての、黙ってないとだし。もしもバレちゃったらしょっぴかれるでしょ」


「それはそうなんだけど……」


 祖国であるシンワでは、思いっきり指名手配をくらっている。

 友好国であるオ・キーロでもそれは有効だ。

 逮捕からの強制送還、確定だ。


「ネムル殿、アクラクワ殿! そろそろ挨拶はいいでござるか?」


 待ちきれなくなったのか、モモモがひょっこり顔を出した。

 二人はビクリと肩をすくめる。


「モモモ! 待ってなって言ったっしょ!」


「ずいぶんと時間がかかっていたので、待ちきれなくなったでござる……。お腹がすいたゆえ」


 どうやら盗み聞きされた様子はなかった。

 モモモはお腹を押さえながら、切なげに見つめてくる。

 3号が食事の準備を進めてくれているらしい。


「わかったって。行こっ、ネムル」


 ネムルは二人について行き、屋敷の中へ。

 少々の不安もあるけれど、それよりも楽しみの方が大きいかもしれない。


「すくなくとも……飽きることはなさそうだ」


 招かれた食卓では、3号が食事の用意を始めている。


「もう少々、お待ちください」


「ネムル殿はそこに腰掛けておるがよい」


 準備を手伝おうとしていたモモモが、ふと動きを止めて振り返る。


「そういえば、まだ言ってなかったでござるな。新たな兄弟姉妹を迎えるときは、こうすると決まっているでござる」


 モモモがアクラクワと3号へ目配せをすると、彼女たちはうなずいた。

 せーのっと声をかけたモモモに合わせ、3人が声を揃える。


「「「ようこそ。マクラダ(ファミリア)へ!」」」


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