第140話:90倍・・・?
『人気のない自然の方が心地良いとのことですが、それでも街に住んでいるのでしょう?』
「そうですね。今はまだ街に住んでいますが、いずれは森の中に拠点を築こうと思っています。まだこの周辺の森がどんなところなのかわからないので、こうしていろいろ歩き回って、住みたいと思える場所を探しているところです」
『そうだったのですね。それで、住みたいと思える場所はありましたか?』
「いえ、それはまだですね。いくつか条件があるのですが、まず人に知られておらず、知ったとしてもおいそれと近寄ってこれない場所であること。この条件を満たす場所まで行くために、現在この辺の森を調査しながら実戦で修業しつつ、何があっても生き延びられる場所かどうかを確認しながら、少しずつ範囲を拡げているところです」
『……そういうことでしたら、探すのを手伝いましょうか?』
「え……?」
『人間が寄り付かない森の奥で良いのでしょう?それ以外の条件も教えてもらえるのなら、それに沿った場所に案内することもできますから』
水の上位精霊ってそんなこともできるの?!いやまぁ、大地や風の精霊ならできそうとは思ったけど……確かに森の中なら、動植物が生きてられるだけの水分がいたるところにあるだろうし、不思議ではないのか……
「教えていただけるのはありがたいのですが、そこで暮らせるように畑とかも作るつもりなので、結構大きな拠点になる予定なんです。なのでせっかく教えていただいた場所を、周辺の景観とか地形も含め、大きく変えてしまうかもしれませんよ?」
『問題ありません。森の奥はそれこそ弱肉強食。強きものは好きな場所に住み、弱きものは住処か命を失うことになるのです。そこに新たにあなたが加わるだけのこと。気にすることはありません』
「なるほど……それでは、お願いしてもいいでしょうか?他の条件としては、作物が育ちそうな土と水が豊富にあること。それと温泉、温かい地下水が湧き出す、もしくは真下にあること。あとは、美味しい肉が狩れることですね」
『土と水、それと人間が食べられる動物も問題ありません。ただ、温かい地下水というのは、なんなのですか?』
あー……やっぱりこの世界には天然温泉はないのかぁ……残念だが、致し方あるまい。今までこの世界になかった異文化なのだから、理解してもらうのに説明は必要になってしまうが、後々のことを考えれば、これくらいの苦労はどうということはない。
「私の元々住んでいた世界でのことなのですが、火山の地下にある溶岩などの熱で温められ、高温になった地下水が噴き出す場所が結構多かったんです。その噴き出した熱湯が地表に出たことで冷まされたりして、体温よりも少し高いくらいの水温で安定した泉になっている場所がありまして、そこをお風呂として利用することが多かったんです。それをこちらでも再現しようと思っています」
『お風呂、ですか?話から察するに、温かい水で水浴びするような感じでしょうか?』
「それで大体合っています。こちらの世界で、同様の現象が起こるかはわかりませんが、もし、そういった場所があるのであれば、そこに住みたいと思っています」
『水の温度が違うだけで何も変わらないと思うのですが、あなたがそれを欲するというのであれば、それに答えましょう』
「ありがとうございます。条件が多くて申し訳ありません」
『こちらから提案したことなのですし、構いません。……………ありました。地上に湧き出してはいませんが、かなり熱くなっている地下水が溜まっている場所があります。その真上の土地には動植物も多く、少し離れたところに湖というほどではありませんが水場もありますし、条件は揃っているでしょう。』
マジか……よもや、これほど早く好条件の立地が見つかるとは!さすが上位精霊、自然に関してはお手の物だなー。ありがたやありがたや……
あとは、その場所がどこにあるかだな。どうか、私でも辿り着ける場所でありますように……
「よかった、この世界でも温泉が作れそうです。探していただき、ありがとうございます。その場所は遠いのでしょうか?」
『そうですね……ここから北へ、すぐ近くの人間の街までの、およそ90倍といったところでしょうか?』
「90、倍……?」
え?いや……ちょっと待って?ここからすぐ近くの街までの90倍って言った?ここから街まで、脇目も振らずに一直線に戻ったとしても、半日掛かるんだが?つまり、毎日朝から晩まで歩いて45日くらい掛かるってこと?しかも、こんな最序盤のエリアではなく、北方向へ行くのよ?あの真っ暗闇な沼地を、ここより明らかに強い敵がいるだろうエリアを突っ切るのに、どれだけ時間が掛かるとお思いで?
あの沼地がある以上、馬などは使えない。つまり歩くしかないのだが……沼地+暗闇+強敵+奇襲警戒に加え、座ることも横になることもできないとか、先に行かせる気なんて全くないだろ……地上がダメなら空から行けばと思うかもしれないが、ここの運営がそれを許すとでも?おそらく地上を進んだ方がマシな仕掛けが施してあるはず……
そんな状態では、その進行速度は正に牛歩となるだろう。あの暗黒地帯がどこまで続いているのか知らないが、それによっては60日以上掛かるのではなかろうか?
うん、そんなところまで人間は来ないな。少なくともプレイヤーには無理だろう。現代日本で暮らしていて、この環境に耐えられるとはとても思えん……そういった意味では、とてもいい立地なのかもしれん。私がそこまで辿り着けるかは別問題だが……敵の強さによっては、レベリングしてからじゃないと無理かもしれない。
『その辺りなら、人間が踏み入ってくることはないでしょう。過去に人間が来たことは一度もありませんから』
まさかとは思ったが、ほんとに前人未踏の秘境だったわ……