火星人のため息
地球人は“火星”や“Mars”と言うが、実際は違う。
“日本”を海外では“JAPAN”と言うように“火星”にもまた正式な名前がある。
私は長く地球に居過ぎたから、名前を言えなくなってしまった。
いや、地球人としての体を手に入れてから、母国語が話せなくなってしまった。
地球人の口の構造は元の体異なるからだ。
だから私もまた“地球人”だから“火星”だと言うしかないのだ。
ただ覚えているのは……
火星にはクォーツのような透明で綺麗な天然石が沢山ある。
その名前も忘れてしまったが、その天然石に由来している。
私が火星人として居た頃は、なに不自由なく過ごしていた。
しかしそれはとして残酷なことだと思った。
何もしない日々は、何の変化もない日々で、何も起こらない日々……
いつからか、それを苦痛に感じるようになった。
何もない惑星で、ただ歩いてみても足に纏わりつく緑の砂がくっついては離れ、くっついては離れ……
空を見上げれば澄みきった紫色が広がっていた。
その空の色も、この砂の色も……火星人によって見える色が違う。
色眼鏡のように、火星人は色味を好きに変えれる。
しかし、本来の色が何色なのかを忘れ、火星人は自分の好きに彩っていた。
いつの間にか色を“共感”する事をしなくなった。
きっかけはそこからだった……
私は誰かと共感したかったのだ。
感情のない火星人は他者との“共感”ではなく、各々の“個性”を尊重していた。
だから……私は…………
“地球”にやって来た。
“地球人”の体を得て。
地球人の体はとても不便だ。
脆くて弱い……重力にすら逆らえないなんて……
でも、地球人の体で見た“火星”の映像は、“赤い惑星”として“共感”されていた。
“共感”……地球人は“共感”を大切にしていた。でも“個性”を認めない国も沢山あった。
私はこの“日本”で体を得た。
だから私は“日本人”として生きて行くことになった。
“自由”と“不自由”が混在する日本は、私にとって生きていくのに必死だった。
頑張って、頑張って、頑張って…………でも、
“私”という“個性”は必要ない……
そう思うようになってくると、
私は青い空を見上げてから、ゆっくりと硬く冷やかに感じるアスファルトを見下げる。
私の望んでいたものは、私では手に入らないのだろうか?
同じ色に見えていても、他のものまで同じにしようとする。
それは果たして“共感”と言えるのだろうか?
私は帰りたくて堪らなかった。
心と体をすり減らしてまでいる必要なんてない。
“共感”しなくても……出来なくても……
私はもう火星に帰れなくなっていた。
火星人の体を捨てて、新たにこの体を得た……
既に私の“本当の体”はもうないのだ。
ただひたすら進む時間に合わせて、指定された常識を教科書として携えて、“偽物の共感”を身に纏う。
いつの間にか、それを寂しいとか苦しいとかはなくなっていった。
でも“虚しさ”だけは消えずに心の片隅で主張していた。
私は、ある“地球人”が気になっていた。
その人は“自由”だった。
その人は私の“個性”を尊重してくれた。
その人は私と“共感”してくれた。
その“共感”は“共同”に変わり、いつしか“パートナー”になった。
今日も私は青い空の下、硬いアスファルトの上で“生きている”