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ツインレイ ー唯一無二の人ー  作者: 桜美あい
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ツイン女性 覚醒編

 桜の蕾が色づき始めるようになった頃、私の中にも冬から春へと移り変わるような変化があった。

 あれだけ何に対しても無気力で仕方なかったのに、少しずつ自分を取り戻し生きる希望を見い出し始めたからだ。

 桜のように一週間で満開になるようなスピードではないけれど、真っ暗な世界から小さな光が見えたことで、自分の行く道を少しずつ歩き出せるようになった気がする。


 あの光を信じて向かっていけばいつかは満開の花を咲かせることができるんだろうか。

 確かなものなんて存在しない中でそこに向かっていくことは、ただの幻想で不確かでしかないかもしれないけれど、それでも今の私には希望の光でしかなく、そこへ進むことが自分の生きていく道に繋がっている気がしてならない。


「このデザイン初めて見たんだけど、前からあった?」

 寧々が最近作ったばかりの見本チップを見ながら指差す。

「最近取り入れた最先端のものだよ」

「へぇ……最新なんだ。可愛いから今月はこんな感じでお願いしようかな」

「じゃあオフするから熱かったら教えて」

「はーい」

 指先を手に取りネイルマシンで表面を削っていく。

「最近全然ランチに行けなくてごめんね」

「いいよー。ネイルの仕事忙しそうだし。こうやって月一は会えるわけだしね」

「そう言ってくれてありがとう。今さ出店に向けて動き出してるとこなの。今度融資の相談してこようかなと思ってて」

「本当に? 凄いじゃん。まだまだかなって言っていたのに着々と動き出してるね」

「とりあえず前に進んでいきたいなと思ってさ」

「そっか。なんかいつもの華凛になったみたいで良かったよ……というより前よりパワーアップしてるかも?」

 寧々が茶化すように言ったから笑い返した。


 寧々は朔弥くんの存在は知っていても、私が抱え込んだ一連の想いのことは打ち明けていない。正直どう説明すれば伝わるのか分からないでいたからだ。言葉にして伝わる程簡単なものではない。私自身全て感覚によるものが大きいせいもある。


 先月ネイルの付け替えで来てくれた時に私の表情があまりにも乏しく正気がなかったようで凄く心配してくれたけれど、私が理由を言葉にできないでいると、深入りもせずただ違う形で寄り添おうとしてくれた。

 私が大好きな『カルトン』のチーズケーキを差し入れしてくれたり、「この香り凄く良いしリラックスできるから使ってみて」とバスボムを持ってきてくれたり、「このYouTube面白いから時間あったら観てみて」と言ってURLを送ってくれたり。

 塞ぎ込んでいた気持ちが徐々に光を帯びていったのは、寧々のそう言った優しさのおかげでもあるだろう。


「廉悟くんは出店のこと何か言ってる?」

「……あまり良い顔はしてないよ」

「そう言うと思った」

「自宅サロン始める時も渋々オッケーしてくれたとこあるから、そんな予感はしてたんだけど」

「もっと応援してくれてもいいのにね」

「そうなんだよね……」

 私はリムーバーで拭き取った爪にベースを塗りながら、フゥと溜息をこぼした。


 廉悟は自分の育った家庭が理想なのだ。働き者のお義父さんにそれを支える専業主婦のお義母さん。  

 家に帰れば常に明かりは灯っていて、温かいご飯が用意される。自分で電子レンジで温めたり、何か料理を作ったりなんて考えは持ち合わせていない。全て妻が用意してくれるもの。それが幼い時から当たり前のように備わっている廉悟の価値観だ。

 だから私が働くことでそんな理想が崩れてしまうことが、許し難かったようだ。


 共働き世代が多く、男性も育休を取ったり料理をすることも多くなった今の世の中において廉悟の家庭像は時代遅れのようにも思えたが、家のことは今までと変わらず手を抜かないことや廉悟には負担はかけないことを約束したことで、何とか承諾してもらえた。

 廉悟からしたら自分だけの給料で家庭を養って支えていきたいという男らしい部分があったのだろう。廉悟の普段の頑張りはちゃんと給料という見える形で反映されていて、來愛と三人が生活していくには贅沢を言わなければそれなりに暮らしていける額だった。


 けれどネイルの仕事をやっていくことは自分の存在意義を見い出し生きる喜びを感じるものだったから、廉悟に合わせてばかりいた私もこの時は折れなかったし、家庭のことも廉悟に迷惑をかけないよう抜かり無くやってきたつもりだ。

 けれどお店を出すことになったら、家庭にも少なからず影響が出るだろう。今までのようにはいかなくなる。


 カラーを入れた指先の中央に丸カンパーツを乗せ、その上に大きめのパールを入れる。そのパールから放射状に伸びるようにしてジェルを乗せていく。

「うちの旦那は私が働きに出たいって言ったら、両手を上げて喜んでくれたけどね。その方が助かるって」

「そうだよね。きっとそういう反応してくれる旦那さんの方が多い気がするな」

「今時は共働き夫婦が多いし、廉悟くんみたいな考え方の旦那さんの方が圧倒的に少なそうだよね。珍しいパターン」

「うん、そう思う。私の友達で結婚する時に仕事は続けてほしいって言われた子もいたし。もちろんその子も辞める気はさらさらなかったみたいだから、共働きで協力し合いながら上手くやってってるよ」

「男性側が仕事に生きがいを持つように、女だって仕事で成果を出すことに喜びを持ったり、家庭じゃないところで自分の居場所が欲しかったりするよね」

「そうそう。妻でも母でもなく自分という人間が求められる場所って、結構重要な気がするな。それは仕事じゃなくても何でも構わないから」

「家庭以外の場所で世間と繋がりがあるって大きくない? 私育児のストレスから産後うつになったって話したじゃん? あの経験で本当それを実感したんだよね」


 寧々は息子の琥太郎くんが産まれた後育児のストレスからノイローゼになり、鬱を発症したことがあると聞かされたことがある。

 当時実家も遠く頼れる人も周りにいなくて、日中は寧々と琥太郎くん二人きりで家にこもる日々が続いていたそうだ。初めての慣れない育児の上、琥太郎くんは泣きわめくことも多く睡眠時間がまともに取れなかったため、寧々も一緒になって涙が止まらなくなってしまうことが何度もあったようだ。

 そのうち笑ったり怒ったりの感情を段々と感じなくなっていき、起き上がることさえままならなくなった頃、旦那さんに連れられて行った病院で診断されたのが鬱だったのだ。しばらく入院したと言う。


「あの頃琥太郎としか関わりない毎日で世界が狭くなっていたのもあるから、他のママさん達と関わっていくことで自分だけが悩んでるんじゃないって安心できたし、話を聞いてもらうだけで楽になれたんだよね。入院なんかして駄目な母親じゃないかとか思ったこともあるけれど、『寧々ちゃんの話聞いたら元気出た』なんて言われこともあって、私のマイナス体験も誰かの役に立つんだなぁって思えたらた泣きそうになったもん」

「結局さ、人って誰かの役に立ってると思えると生きてる喜びも大きくなるよね」

 寧々はうんうんと頷いた。


 最後の仕上げにトップジェルを乗せていく。パールから広がる花びらのようなぷっくりと盛り上がったジェルは爪に一輪の花を咲かせている。春に相応しいフラワーネイルだ。

「わー可愛いくてずっと見ていたくなる。凄く気に入っちゃった」

 寧々は両手を広げ輝かしい表情になっている。

「寧々の雰囲気にぴったりのカラーだね。次回の予約は入れておく?」

「うん、お願い」

「三週間後でいい? 曜日は一緒でいいかな」

「うん、大丈夫」

 寧々はまだ出来上がったばかりのネイルを眺めている。綻んでいる顔に私も伝染するようにして綻んでいく。やっぱり私はこの仕事にやり甲斐を感じる。

 ――廉悟には分かってもらえるまで話し合ってみよう。


 廉悟が帰宅し夕食を終えた頃合を見計らって、向かい側のダイニングテーブルに腰を下ろした。

「あのね、ネイルサロンのことなんだけど……」

「……本気でお店出そうと思ってるのか?」

「うん、店舗構えてやっていきたい。私この仕事が大好きだしもっと広げていきたい」

「今みたいな感じじゃ駄目なのか? お店出す資金もないだろ」

「融資受けてみようと思っている。私の貯金も少しだけど合わせたらなんとかなるって思ってる」

「融資って簡単に言うけど借金することになるんだぞ。ちゃんと返していく目処も立っているのか? 華凛の夢を叶えたい気持ちも分からなくはないけど、家庭はどうなる? 今までのように家事もこなしていけるのか?」

 廉悟は応援するよとか俺も家のこと手伝うよとは決して言わない。分かっていたことだが悲しくなった。どこかで期待していたんだろうか。気持ちをぶつけたら受け入れてくれるかもって。

「税理士さんに相談して月々にかかりそうな経費や人件費、売上に対しての利益なども算出してもらったよ。ある程度の数字や流れは把握してる。家庭のことは協力してもらえたら嬉しい。開店準備やオープン直後は特に忙しいと思うし今までみたいにはできそうにないから……」

 返事の代わりに廉悟は深い溜息を吐いた。険しい顔付きから快く思っていないのは見て取れた。

 少しの間があった後廉悟が「風呂入ってきていいか」と言って立ち上がってしまったことで、結局話は噛み合わないまま終わりの流れになってしまった。

 どれだけ気持ちを訴えても何度話し合いを重ねても、もしかしたら廉悟とはずっと平行線続きかもしれない。

 そもそも価値観が違いすぎるのだ。受け入れられる部分と受け入れられない部分、自分が譲れない部分もあって当然だ。でも廉悟がそうであるように私もそうなのだ。



 お店の定休日。

 私はアールグレイティーラテを飲むため、『LA ISLA』へと向かった。

 自宅に近い場所ではなく、総合病院に隣接する店舗の方へ。そこは朔弥くんとの想い出が詰まった場所だ。

 ドアを開けて声をかけた時の目を丸くした姿。真剣な表情でパソコンに向かい合ってる姿。ゆっくりとコーヒーを飲みながら私を見つめる姿。

 朔弥くんの表情も仕草の一つ一つにも、こんなにも鮮明に記憶している自分がいる。忘れるどころかあの頃から私は朔弥くんという存在に心を奪われていたんだと気付かされる。


 「アーティーって何よ……ばーか」

 私はこれを飲む度、朔弥くんが放った言葉を思い出し、あの時笑い合っていた二人の姿を思い返してしまうんだろうか。朔弥くんはもういないのに。強烈な想い出だけを置いて姿を消してしまうなんて、爪痕残しすぎじゃない?

 ゆっくりとカップを口につけ喉を潤していく。この甘さが大好きで月一は欠かせないのに。飲む度朔弥くんのことが鮮明に蘇ってくるなんて、酷すぎる。もう飲めなくなるじゃん。目頭が熱くなる。

 毎日心の中にいてずっと離れることはない朔弥くんの存在は、私の心を簡単に掻き乱す。


 鞄の中から携帯を取り出しインスタを開く。朔弥くんからのメッセージは相変わらず届いている気配もない。私のメッセージを読んでくれたかどうかも分からない。

 最後に送った【朔弥くんのばーか】は今の心情そのものだ。ばかばかばか。朔弥くんのばかー!!


 本当に朔弥くんと私には見えない繋がりによって引き合わされたんだろうか。そんなもの本当に存在するんだろうか。

 亜沙美さんやリリィさんにああ言われたものの、見えないものを完全に信じ切れる程私の心は強くない。でも朔弥くんに感じた自分の想いは事実であり、だからこそ揺さぶられてしまう。

 朔弥くんは今何を思っているんだろう。私のことをどう思っているんだろう。連絡くれないのは何故なの――!?

 こんなふうに考え出すと止まらなくなって堂々巡りを繰り返す。どれだけ考えてみても真実に辿り着くことは不可能に過ぎず、自分で折り合いをつけて思考をストップさせるしかない。

 結局私が行き着く先は朔弥くんという存在を消すことなんてできないということ。だったら受け入れて未来を信じて進んでいくしかないということ。

 本当に再会できる日なんて来るのか、二人の未来がこの先交わることあるのか、毎日疑問を問いかけては答えを見出せず心のしこりは解けないまま。何か一言でも朔弥くんと言葉を交わせたらきっと信じられるのに、それができない今は自分で心を決めるしかないのだ。

 私はどうしたい? 何を望んでる? どんな未来を過ごしていたい――?



 ――その晩不思議な夢の中にいた。

 私は光沢のある赤い服を身につけ藍色の長いスカートを履いている。韓国の民族衣装、チマチョゴリだ。

 そして目の前にはいかにも身分の高そうな佇まいの男性が私を見下ろしている。私よりも鮮やかな赤い服を身にまとい、肩と胸部分には金色の刺繍で描かれた立派な龍が存在感を放っている。それは王の象徴――この人は王様だ。

 圧倒的な貫禄はあるものの威圧感は全くない。むしろ不思議な程の安心感がある。


「ヨンス」

 目の前の王様は呟くと、そっと私の左手を持ち上げる。そして両手で握り締め、私を愛おしそうな瞳で見つめる。本来なら王様をじっと見つめるなんて許されない。

 でも――私はこの瞳に記憶がある。触れられた手のひらを通じて懐かしい気持ちが蘇ってくる。この感触を確かに知っている。この手をずっと離したくない。離さないでほしい――。

 内側から湧き起こる強い想いを感じた時、私の視界が徐々に開けていった。



 目が覚めた後も意識は半分眠ったままで夢の狭間にいた。一時期韓国の時代劇ドラマを観ることに夢中になっていたけれど、ドラマの中でよく見かけていた光景だった。王様と――私は王妃? いや、王妃なら装飾品も身なりももっと華やかだからそれはない。二人の身分の差は明らかだ。

 意識がクリアになっていくと同時に夢の記憶も段々薄らいでいく。けれど、手を握られた感触だけは不思議と忘れていない。温もりも微かに残っている気がする。そう思いながら手のひらを見つめていると、ふと朔弥くんに初めて手を握られた時の自分の感覚と繋がった。


 ――まさか……。

 あの二人は私と朔弥くんだったのかもしれない。けれど何で昔にタイムスリップしていたんだろう。王様はヨンスと言っていたけれど、多分私の名前を読んでいたはず。

 ――もしかしたらこれって、前世の記憶なんじゃないだろうか。以前リリィさんに言われた「二人は深い縁で繋がっていて何度も出会っている」という言葉が浮かんだ。――いやでも単なる思い込みかもしれない。夢は自分の願望を反映しているって聞いたことがある。きっと昼間に朔弥くんのことを強く想ったせいで夢になって現れたのだろう。前世を信じるより、その方がずっと現実味がある。そう考えたらどうせ夢なら私は王妃としてもっと煌びやかな衣装と飾り物を身につけていたかったな、なんて都合のいいことも思えてきた。

 ベッドから起き上がりいつもの日常が始まると、そんな夢を見たことも段々と薄れつつあった。

 

 けれど私はその晩も不思議な夢を見ていた。この前よりも華やかな衣装に身にまとい襟元には刺繍が縫い付けてある。結った髪には翡翠に透かし小花が付いた可愛いかんざしが刺さっており、身分が昇格していることを示していた。

 私は王様の寵愛を受け側室になっていた。王妃がいて側室も何人かいる中で私の品階は下だったが、誰よりも愛され大事にしてもらえてる気がした。何故なら子供を身籠もっている身体になっていたからだ。

 王様が私のお腹を優しく撫でる。

「元気な男の子を産んでくれ」

「王様のような立派な世子を産みます」

 王様にはまだ子供が産まれていない。後継になる男の子を産むことができれば、王様も喜んでくれて安心してもらえる。

 まだ見ぬ赤ちゃんを想いながら王様と微笑み合うひとときは至福の時間でもあり、守られているような絶対的な安心感に包まれていた。

 なんて幸せなんだろう――。



 少しずつ現実世界に戻っていく意識の中で、王様が嬉しそうに私のお腹をさする表情が印象深く残っている。――あの笑顔に似た人を知っている。私は唐突に朔弥くんの顔が思い浮かんだ。


 夢なんかじゃない。

 きっとあれは私と朔弥くんの前世だ。自分の思い込みでも空想でもなく、魂の奥深くで記憶を感じ取っている。

 王様に感じた安心感は、朔弥くんに感じた絶対的な安心感そのものだ。他の誰にも味わったことのない心地良さは、魂の繋がりがある二人であることの証のような気もする。理屈では説明できないことが二人の関係性を示しているようにも思えてならない。

 だから出会った時から懐かしさを感じたの?あんなに安心できて心地良かったの?朔弥くん……私達って過去世でこんなに濃い繋がりがあったの?


 胸の奥がきゅーっと絞られるような痛みになる。頭で考えるより身体や心の方がずっと正直だ。ちゃんとそれが答えであるかのように、反応しているんだから。

「朔弥くん……」

 届くはずないのに何故だか名前を呼んでみたくなった。ただそれだけで胸の奥が震えている。

 私と朔弥くんが今世で出会えたことは偶然なんかじゃない。何度も生まれ変わって、運命的に繋がっているからなんだね――。


 リアルな夢の感触は、どちらが現実の世界なのか混乱してしまうほどのインパクトを残した。そして二日連続で見た夢にはまだ続きがあった。

 私であるヨンスは布団の上で横たわり、隣りには王様と王様の腕の中に眠る赤ちゃんの姿が見えた。それが男の子だと分かって安心したが、ヨンスは何故か気分が悪そうだ。

「体力つくものを食べて早く元気になっておくれ」

「すみません……王様」

「世子のことは心配しなくていいから」

「はい」

 出産して体調が優れないんだろうか。それでも男児を出産できたことと王様の笑顔に触れて気持ちは穏やかだ。

 王様と赤ちゃんが立ち去った後、女官が一人やってきた。

「王妃様からのお届け物になります。不調な部分に効果のある薬草を調合したものになります」

「王妃様からですか……それは有り難いです。深くお礼を申し上げます」

 ヨンスは起き上がり、盆の上に置かれた白い包みを受け取る。

「それでは失礼いたします」

 女官が立ち去ると、早速その包みを開け中のものを取り出した。

『ダメ、やめて!!』

 私は何故だか大声で阻止していた。

『口に入れちゃダメ!!』

 届くはずのない声をそれでも叫び続ける。

『お願い、やめて!! それを飲んでしまったら、私は、私は――』

 呼吸が荒くなる。

 ヨンスがそのまま口に含んだと同時に、私は断末魔の叫びを上げた。


 目を開けても夢の記憶を引きずっていて、肩で何度も息をした。額から汗が流れ目からは涙が零れ落ちる。

「おい、華凛大丈夫か!?」

 隣りで眠っていたはずの廉悟が驚いたように覗き込む。

「あ……、ごめん。大丈夫……」

「本当に大丈夫か? えらくうなされていたけど、怖い夢でも見たのか?」

「うん……多分そうだと思う……。起こしてごめんね」

 廉悟が布団に入り、私も再び目を閉じた。夢――夢だよね。確かめるように頬をつねる。やけにリアルな夢だった。まだ心臓はドクドク唸っている。重苦しさがこびりついて離れない。

 私は何でやめてなんて叫んだんだろう。この喉にねっとり絡みついた息苦しさは何?

 ――暗殺。

 夢で見ることのなかったヨンスの人生が、コマ送りの映像で脳内を駆け巡っていく。

 幼くして両親を亡くし女官になったこと。最下級だったヨンスが働きぶりと能力を認められ次第に地位を上げていく中で、同じ女官から虐めにあっていたこと。王様とはまだ世継ぎになる前から偶然を重ねて何度もお会いしていること。

 初めて王様と結ばれた時には涙が出てしまうほど嬉しかったこと。王様に寵愛されているヨンスに嫉妬し、王妃には目の敵にされていたこと。王様の子を無事産み、達成感と幸福感で満たされたこと――。

 それはヨンスが死ぬ間際に見た走馬灯のようだった。そして同時に私の奥底で眠っていた魂が知っている記憶の一部にも感じた。

 私は王様に本当に愛されていた。愛されたまま亡くなっていた。身分の差なんて気にしずに私、という存在を丸ごと受け入れてくれた。私は幸せの絶頂の中で命を終えたんだーー。

 王様と子供はどうなったのか。ちゃんと寿命を全うしたのだろうか。それだけが気がかりだったけれど知る術もない。

 

 日常に戻った後もその夢の記憶は居座り続けた。王様と朔弥くんが重なった時、今の状況も受け入れられるようだった。

 突然の音信不通は現実世界において理解しがたいものだけれど、過去世からの色んな想いを引きずっているんだとしたら恐れや不安、色んな感情も出てきて当然かもしれない。リリィさんが以前話していた言葉が腑に落ちていく。

 あんなふうに死んだけれど、私は幸せだったと思う。けれど王様は……どんな想いであの後生き抜いていったんだろうか。王というトップに立つ人はただでさえ孤独だ。幼い子だけを残して愛する人が亡くなってしまうなんて耐えがたい苦しみでしかない。色んな重圧にも耐えながら、生き抜いていくのは容易じゃなかったはずだ。


「そう……、そんな夢を見たの」

「もう自分でも何が起こっているのか分からなくて。突然そんな夢を連続で見るようになっちゃって、現実が追いついていかないんです」

  三週間ぶりに顔を合わせる亜沙美さんは、今日も大胆なイヤリングを身につけ、存在感をアピールさせるように揺れている。

 今日のネイルはターコイズブルーに統一したエキゾチックなデザイン。蒼く綺麗な海を思わせるこの色は私も大好きなカラーだ。

「夢って魂と繋がっているの。だから前世の記憶が夢となって現れたりすることもあるってリリィさんが話していたわ」

「やっぱりそうなんですね……。夢から覚めた後もずっと引きずっていて。とても夢とは思えないほど、身体の感覚がリアルでしたから」

「華凛ちゃんはその夢を見てどう感じたのかしら?」

「どうっていうのは……?」

「お相手さんとの繋がり、確信したんじゃないかしら」

「そうですね……。朔弥くんに感じていた不思議な想いが、夢のおかげで繋がって……なんかもう認めちゃわないとって感じになりました。これだけ自分の身に起きていることを考えたら、受け入れなきゃって。でもこの先朔弥くんとどうなりたいかって聞かれたら、正直分からないところもあるんです……。離れたくない。そばにいたい。けれど私は結婚しているし、離婚するとか考えていない。旦那の廉悟とはたまにぶつかることもあるけれど、大事な人なのは変わらない。だったら亜沙美さんみたいにビジネスパートナーとしてそばにいられたら良いのかなって思うけれど、それもなんか違うような気がして……」

「気持ちは凄くよく分かるわ。私も何年も悩んで葛藤したもの……あ、そうだ。面白いものを見せてあげる」

 亜沙美さんは携帯画面を開くと、私に一枚の写真を見せてくれた。

「えーっと亜沙美さんのお知り合いですか?」

「ふふ……これ、私」

「えー!!」

 もう一度見返す。化粧っ気もなくシミを隠すこともしない素肌に髪型はゆるやかなパーマをあてたロングヘア。どう見たって今の亜沙美さんより老けて見えるし、かけ離れている。

「本当にこの人亜沙美さんですか? 別人と思うくらい面影もないんですけど」

「皆にそう言われるわ。これ今の華凛ちゃんくらいの頃よ。野暮ったくて笑えるでしょ」

「何があってこんなに変化したんですか? よっぽどのことがないとここまでの変化って有り得ないですよね」

 まだ放心状態だ。何が亜沙美さんをここまで変えたのか気になって仕方がない。

「ツインのお相手と出会ったことがきっかけよ。彼に出会ったことで自分でも驚くくらい磨かれていったの」

「恋して綺麗になっていったような感じですか」

「んー……それもあるけれどちょっと違うかしら」

「どう違うんですか」

「彼に出会うまでの私って周りの目を気にしていたところがあって、こんなことを言ったら嫌われるんじゃないか、とか嫌な気持ちにさせちゃうんじゃないか、って顔色気にして相手に合わせてばかりで自分というものを持っていなかったの。それは服装なんかにおいても同じ。今はこんなカラフルな服も着るようになったけれど、自分は派手な色が好きでも他の人から見たらよく思われないんじゃないか、って考えてやめちゃったり。実際私の母がおしとやかな色や服を好んだから、母の顔色を伺って生きてきたとこもあるんだと思う」

「今の亜沙美さん見ていたら考えられないですね」

「ふふ……でしょ。結婚してから夫や子供達に尽くして生活していくことが自分の生きがいとも思っていたけれど、それも母の価値観や世間の価値観だったってことにある時気付いたの。というか気付かされたって感じかしら。……彼が教えてくれたの。亜沙美は話すのが好きだから人前で話したりする仕事とか合いそうだよな、とか本質見抜く才能あるからコンサルとかも良さそうだなとか言ってくれて。どれも自分がやってみたいことだったわ。でも私なんかできるわけない、って思い込んでいたから勇気もなかった。けれど彼はいつも可能性を否定しなかったし亜沙美なら大丈夫って自信をつけてくれた。夫にもそんなふうに言われたことないのにどんな時でも無条件に私を信じてくれたの」

 

 ふいに朔弥くんと重なる。何の根拠もなく『華凛さんだから』って私を信じて言ってくれた言葉は今も私の中に根付いていて、その言葉を支えに前に進んでいける私がいるからだ。

「そんなふうに絶対的に信頼してくれる人がいるだけで、何でも叶えられそうですよね」

 亜沙美さんがニコっと笑う。

「魂の片割れってもう一人の自分でしょ。だから自分が本音で生きていないと気付かせてくれる存在でもあるの。自分の気持ちに嘘をついていたり誤魔化しているところがあると、本当にそれでいいの? って思わせてくれる」

「もう一人の自分でもあるから、相手の前だと嘘をつけなくなるんですか……?」

「そうね……お互い鏡映しの存在だから、相手を通して気付かせてくれることもあるわ。魂の片割れって本当に尊い存在だと思う。だからね、この先華凛ちゃんが道に迷うことがあっても自分の本音で生きていけばそれがお相手との未来に繋がるし、自分の幸せにも繋がると思うの。周りの目を気にするんじゃなく、自分がどう在りたいかで選択していくことがきっと二人の良い未来に繋がるはずよ」


 亜沙美さんの話は完全には理解できない。けれど自分の気持ちに偽りなく生きていくことが幸せに繋がることなんだと思えたら、その選択をしていきたい。

「今日も素敵な仕上がりだわ。綺麗な色」

 亜沙美さんは夏を先取りするターコイズブルーネイルを眺めて、満面の笑みを浮かべた。



 私がリビングでパソコンを開いていると玄関のドアが開く音がした。

「ただいま」

「あ、おかえりなさい」

「パソコンなんか開いて何か見てたのか?」

 廉悟が背後から覗き込む。

「物件情報……店舗探しか」

「うん」

「……そんなに店を出したいのか」

「うん諦めたくない。……ねぇ、夢を叶えようとすることっていけないことかな。私は廉悟がもしサラリーマン辞めて好きなことで独立したいって言うなら応援するけどな……。だって廉悟の人生だもん。そりゃあ大変だろうし経済的にきつくなるだろうけれど、私も働いてるからなんとかなると思っているし」

「今華凛がそういう立場だから簡単に言えるんじゃないのか? 実際今の俺の給料がなければ家族三人で生活していくなんて無理があるじゃないか……まあ俺は今の仕事が天職だと思っているし、独立とかさらさら考えてないけどな」

「貯金があるし生活はできるよ。今まで一人でサロンをやってきた経験もあるし、それなりにやっていける自信もある。廉悟はさ……経済的な問題より自分の理想を崩したくないだけなんでしょ。私が家のこと全てやってくれることが重要で自分が思い描いている家庭像からはみ出るのが許せない……違う?」

「……んなこと! 俺はただ借金抱えて万が一上手くいかなかったらってことを心配してるんだ」

「上手くいかないなんて何で決めつけるの? 何で応援しようとはしてくれないの? 廉悟は私のことを考えて心配してくれてるんだと思うけれど、廉悟のは優しさとは思えない」

「もし仮に華凛がお店を持ったとして。今までの生活スタイルとは変わってくるよな、きっと」

「そうだね」

「それで家庭は上手くやっていけると思う? すれ違いにならないって思えるか? 俺や來愛にも華凛の仕事のせいで負担がのしかかるんじゃないか?」

「だからその辺は協力してほしい……我儘かもしれないけれど」

「俺は帰ったらのんびりしたいし、家庭のことは全て嫁さんにしてもらえるのが理想だった。その分働くから専業主婦してもらって毎日笑顔で迎えてくれることが結婚への憧れでもあった」

「うん……知ってる。付き合っていた頃話していたもんね。自分の両親みたいな家庭が理想的だって」

「華凛とはそんな家庭が作れそうだって確信してた……実際そうだったし」

「ごめんね。でもこの先來愛も巣立って二人きりになった時、家で待ってるだけの生活って考えられないの。お店を持って働くことを考えただけでワクワクするし気持ちが前向きになる。この気持ち閉じ込めたままにしておきたくないの」

「……俺が器ちっせーのかな」

「単に価値観の違いだと思う。だから廉悟が悪いとかそんなふうには思っていないよ……お互い納得するまで話し合って、受け入れられるとこは受け入れて、二人にとってちょうど良い場所に辿り着けたら一番良いかなって思ってる。……それじゃダメかな」

「華凛、随分変わったよな。前よりハッキリ物事言うようになったところとか」

「そうかもしれない……でも我慢していることが正直しんどくなっちゃって。本当のこと言うとね……今でも廉悟が家のことをもう少し手伝ってくれたら楽なのになって感じることもある。もう少し手伝ってもらえたら嬉しいなって。たまにいっぱいいっぱいになる時があるの」

「じゃあ尚更店出したら大変なだけじゃないか」

「うん……そうなると思う」

「……だったら――」


 結局振り出しに戻る。どれだけ意見を交わしたところで出口が見つかりそうにない。折り合いがつけられそうにない。

 いつのまにか部屋にいたはずの來愛がリビングに降りてきていた。

「私はママがお店出すの協力するよー。いずれはママみたいに美容系のお仕事したいし。家のこともできることなら手伝うよ。料理はちょっと苦手だけどね」

「……來愛……ありがとう……」

「パパもオッケーしてあげればいいのに……。自分の奥さんが生き生き働いているのって嬉しくない?  私ならいつも味方でいてくれる人が旦那さんだったら、それだけで幸せだし頑張れそう」


 廉悟は何か言いたげに眉根を寄せている。きっとそうしたくてもできない自分がいるんだろう。廉悟の幼い頃から当然のように育まれた価値観は、そう簡単に覆るものでもない。それは私も同じだ。小さい頃から自然と植え付けられた価値観は、自分の中で当たり前に存在している。自分の中で常識となり、自分の核ともなっている。

 自分と相反する価値観を受け入れることは時にその核を揺るがし、アイデンティティさえ脅やかすことにもなりかねない。だから価値観の違いという理由で離婚する夫婦が大勢いるのだ。


「華凛の気持ちはよく分かった。ちょっと考えさせてくれるか」

「うん、ありがとう。あ、お風呂沸いてるから入ってきてね」

「ああ、サンキュ」

  廉悟は浴室に向かい、私は再びパソコンと向き合う。來愛は「ママがお店出したらそこで働からせてもらおっ」と言って再び二階にある自分の部屋へと戻って行った。先行きはまだ見えていないけれど、心は幾分軽くなった。



 久々に母と来る総合病院は少しだけ緊張していた。検診のために来たが、病院という場所はやっぱり好きになれない。

 検査をし終えた後医師から変わりないことを告げられて、母と共にホッと胸を撫で下ろす。母は入院後血圧が上がらない食生活を心がけ、軽いストレッチなどもするようになったことで、以前より体力もついて仕事も順調にこなしているようだ。

 緊張が緩んだ途端二人してお腹が鳴った。


「華凛が時間あるなら、病院の隣りにあるお店でも寄ってお昼ご飯食べて行かない?」

「うん、行く行くー。お腹空いた」

「じゃあ決まり。美味しいもの食べて帰りましょ」

 病院を出て、すぐ隣りの『LA ISLA』へと移動する。やっぱり思い返してしまう。ここでの朔弥くんとの会話の全てを。

「華凛たら何一人で笑っているの?」

「はは……ちょっとね。思い出しちゃったことがあって……」

「やあねー。ビックリするじゃない」

 母は怪訝な顔付きで私を見ている。


 きっと何度でも思い返しては笑ってしまうんだろう。そして朔弥くんとの思い出はいつまで経っても鮮明なまま心の中に残り続ける。

「そういえばこの前お店出したいようなこと話してたけれど、廉悟くんにはちゃんと相談できた?」

「うん……それが廉悟にはあまり賛成してもらえてないんだよね。私が融資受けることも良い顔していなくて」

「そぉ……お母さんは華凛がやりたいことあるなら頑張ってほしいけれど。資金は融資受けないと無理な金額なの?」

「店舗借りるとそれなりに家賃かかるし、ある程度内装も綺麗にしたいから。それに人件費も必要だから今の私の貯金だけじゃ難しくて……廉悟がもう少し協力的になってくれたらな」

 大きな溜息がこぼれた。

「反対されたまま進めても夫婦に亀裂が入るだけよ。ちゃんと分かってもらえるまで話し合わないと」

「わかってる。私もそのつもりだから。ただ何度話し合ったところで廉悟が納得することはなさそうなんだよね」

「そんなの夫婦なんだから。きっと分かり合えるわよ」

「夫婦と言っても元は他人同士なんだから、分かり合えない部分もあるよ」


 このままだと母とも折り合いがつかなくなりそうだと思った時、ちょうどタイミング良く注文した品が目の前に運ばれてきたので、話は一旦途切れた。

「わぁ、ナッツのハチミツ漬けって美味しそう。フルーツてんこ盛りじゃん」

 ふわふわのパンケーキの上に乗った自家製シロップが甘い香りを漂わせている。

「そう言えば今年も梅シロップ漬けたわよ。華凛達の分も作ってあるから帰りに持って行く?」

「本当? やった! もうそんな季節なんだ」

「今年は青梅安かったから、いつもより沢山作ったの」

「え、そうなの? 嬉しいー」


 母が毎年作る梅シロップは我が家皆の楽しみになっている。氷砂糖が溶け出し梅と絡み合ったシロップは、蒸し暑さが増すこの時期でも喉ごしの良い甘さだ。來愛は炭酸で割って飲むのがお気に入りだ。

「華凛達が喜んでくれるから作り甲斐があるわ」

「お母さんの作るものって何でなんでも美味しいんだろ。格別だよね」

「あら、ありがとう。きっと小さい頃から食べ慣れているからよ」

「それだけじゃない気がするけどなぁ……」

「じゃあきっと愛情込めて作っているからね。梅を漬ける時も華凛達が喜んでる姿想像しながら作っているのよ」

「そっかぁ。それが大きいのかな」

 今食べているパンケーキも米粉で、砂糖不使用なのに自家製シロップのおかげか充分な甘さと旨味が引き立っている。こだわりある物、愛情ある物はそんな作り手の想いも食べ物を通して伝わるから美味しいのかもしれない。


 満足したお腹でお店を出て実家へと母を送った。

「家、寄って行く?」

「ううん、家のことやりたいしもう帰るよ」 

「じゃあ梅シロップ持ってくるから、ちょっと待ってて」

「分かった」

 母は車から降りて数分後、保存瓶に浸ったシロップを手に戻ってきた。

「わ、嬉しい。ありがとう」

 窓越しに受け取ると助手席に置いた。シワシワになった梅に溶けた砂糖が絡み美味しそうだ。

「あとこれ……華凛に渡しておくわ」

「え、何だろう……」

 母が手渡してくれた紙袋を受け取って中身を確認する。入っていたのは束になった現金だ。

「え、お母さんちょっとこれ……何?」

「開業資金に使ってちょうだい。どうせ置いてあるだけのお金だから、華凛が夢のために使ってくれた方がお母さんも嬉しいし」

「でも……お母さんが必死で働いて貯めたお金でしょ。そんなの受け取れないよ」

「ちゃんと貯金もあるから大丈夫よ。お母さんは特に夢があるわけじゃないし、華凛が頑張ろうとしている夢を応援したいの」

 ニッコリ微笑む母とは対称的に、私は頬が引きつき視界が霞んだ。

「お母さんありがとう。きっと返すから……本当ありがとう」

「気をつけて帰るのよ。こちらこそ付き添いありがとうね、助かったわ」

 バックミラー越しに母がいつまでも手を振っている姿が見える。私の視界はさらに大きく揺れていた。


「ママー、これなーちゃんが作ったシロップ? 飲みたーい」

「うん、今日貰ってきたの。來愛のためにちゃんと炭酸も用意してあるよ」

「やった! じゃあお風呂上がりに早速飲もうっと」

 ピッチャーに入れ替え冷蔵庫で冷やしておいたシロップを見つけて、來愛は上機嫌だ。

「これ飲むともうすぐ夏も近いって思わせてくれるんだよねー」


 母がお裾分けしてくれるものは旬を取り入れたものが多く、夏には庭の畑で採れたミニトマトや茄子、秋には松茸ご飯やスイートポテトというように毎回季節を感じさせてくれる。母からもらった食べ物を味わいながら、家族で四季の移ろいに心を馳せるのが自然の流れだ。

 湯上がりの來愛と一緒に梅シロップを飲んでいると、帰宅した廉悟がそれを見て俺も飲みたい、と言ってきた。

「廉悟は水割りでいんだよね」

「ああ、氷いっぱいで。お義母さん検診はどうだって?」

「特に異常はありませんって言われた。食生活や生活習慣も改善して前より元気になってたよ」

「そっか、なら安心だ」

 廉悟にグラスを手渡すと、グイっと喉に流し込んだ。

「……帰りにね、お母さんから紙袋受け取ったの。家まで送っていったついでに梅シロップ貰う時。現金が入ってた」

「え、現金?」

「私がお店出すこと応援してくれて……。使ってくれたら嬉しいって言ってくれたの。だから融資は受けなくてもお店を出すことはできそう」

「お義母さんが……。そうなんだ」

「進めてもいいかな……それともやっぱりやめてほしい?」

 廉悟は視線を落とし考え込んでいる。

「……っもうパパってばそんな考えこまなくていいじゃん。ママがお店出して稼いでくれたら嬉しいでしょー」

「來愛はママに似て楽観的だよな」

「パパは見た目と違って臆病なとこあるけどねー」

「慎重派と言ってくれ」

「心配ばっかりしていると老けるのも早いよ。もっと何でも楽しく考えたらいいのに」

「俺が早く老けたら、間違いなく來愛のせいだな」

「えー私何も心配させるようなことしてないけどなぁ……ねぇママ?」

「親はいつまでも子供のことは心配になるよ」

「あれ……ママどっちの味方ー?」

 勢いづいて話していた來愛が困り顔になったので、廉悟と二人でプッと吹き出した。

「……分かった。できる限り俺も家のこと手伝うようにするよ」

「え……本当? 本当に!?」

 思わず椅子から立ち上がった。

「ああ……華凛が頑張ろうとやる気になっているのに、俺だけ応援しないわけにはいかないよな」

「ありがとう、廉悟!」

「さすがパパ! そうこなくっちゃ」

 三人揃って手にしたグラスで乾杯した。喉を伝わる甘さがとろりと溶け込んで、心が安らいでいく。


 廉悟が賛成してくれた日を皮切りに、そこから物件探しを本格的にスタートさせた。ネットで気になった物件を幾つか見に行くと、三階建てビルの一階が空き店舗になっていて、テナント募集の看板がある物件に心が魅かれた。写真で見るより建物も内装もずっと綺麗で、とても築十五年以上経っているようには思えない。

 この商業ビルは利便性も良くお客さんが出入りしやすくて、自宅からも距離は遠くない。家賃も予算内でおさめられる金額だ。「最近載せたばかりの優良物件で、早くも何件かお問合わせをいただいているんですよ」という不動産屋さんの言葉にも押され、見学した後その場で契約を決めた。

 内装も少し手を加えて照明やデスク、椅子などの家具をお洒落で統一したものにすればかなり雰囲気のある空間に仕上がりそうだ。

 頭の中で一人シュミレーションしていたら、早く形にしたくてたまらなくなった。想像がどんどん広がっていく。元々知り合いのネイル仲間とインスタでネイリスト募集の投稿にメッセージをくれた子がいて、スタッフも集まったおかげで順調にオープンまで辿り着けそうだ。

 それもこれも母が資金を援助してくれたおかげだ。母が一生懸命貯めたお金も私を応援してくれる気持ちも、無駄にはしたくない。頑張ろう。


 不動産屋を出た後、近くの家具店に立ち寄ってみたがあまりパッとするものにも出会えずそのまま帰宅した。朔弥くんに教えてもらった輸入サイトから、お店で使うインテリア雑貨を選ぶのも良いかもしれない。そう思い立ちパソコンを立ち上げたところで携帯が鳴った。母からだ。

「もしもし、どうしたの」

「あ、わたくしひまわり薬局の蜂谷と言います。菜津子さんの娘さんでいらっしゃいますか」

「はい、そうですが」

 ――嫌な予感がする。

「先程就業中にお母様が倒れられたので、救急車を呼んだところなんですがかかりつけの病院はありますか」

「え、倒れた? お母さんが?」

「頭を痛がるように急に倒れ込んでしまって……」

 目の前が真っ暗になる。倒れたという言葉がグルグル頭の中を駆け巡って、目眩がした。なんとか病院名を告げると、家を飛び出し病院へと急いだ。検診では何ともなかったのに、何で急に? お母さんは大丈夫だよね? 倒れたってどういうことなの? 色んな想いが反芻する。


 総合病院に着き名前を告げると、すぐに医師に呼ばれた。

「すぐに手術が必要な危険な状態ですが、脳の損傷が著しく酷い場合は手術の適応にない場合もあります」

「そんなに危険な状態なんですか? 母は助かりますよね!? 大丈夫ですよね!?」

「開いてみないと分かりませんが、恐らく脳動脈瘤が破裂している可能性が高いです」

 吐き気がする程の目眩がして、医師の話している言葉が頭の遠い場所でこだましている。來愛と廉悟が病院に来てくれた後も、目の前の状況が現実なのか分からないくらい意識が遠のいていた。

 ――何でお母さんが……無事だよね……大丈夫だよね……。

 心で安心を願いながらも、父が意識不明のまま病院に運ばれた日のことがフラッシュバックした。怖くて不安で足元から血の気が引いていき、身体中寒気がする。心臓が鷲掴みされたように苦しくてたまらない。ただひたすら目の前で両手を組み、母の無事を祈るしかなかった。


 けれどそんな祈りも神様には受け入れられず、母は意識が戻らないまま帰らぬ人になってしまった。突然のことで何が起こったか分からずただただ呆然とする。これは現実なんだろうか。

 來愛が横たわる母にしがみつきながら泣き叫んでいるのが見えていたけれど、私の意識は宙を回って肉体とは分離しているかのようだ。目の前にいる母は眠ったように綺麗な顔をしていた。

 お葬式後火葬場で母の身体が遺骨になったのを目にした時、初めて母の肉体にもう触れることがないんだという恐怖感に襲われて、現実を突きつけられた。ずっと母の死を認めたくなくて受け入れたくなくて心が拒否していたけれど、もう抗えない程私の心身は弱り切っていてその場に泣き崩れた。この後自分がどうやり過ごしたのか、全く記憶がない。


「華凛大丈夫か。今日もネイルサロンはお休みするのか」

「うん……しばらく休業中にしてあるから……」

「最近食事もまともに取ってないだろ……朝とか昼飯ちゃんと食べてるのか」

「食欲なくて……」

「ちゃんと栄養摂らないと。來愛も心配してるぞ」

「分かってる。分かってるよ……」

「……華凛がお店を出すこと、お義母さん応援してくれていたんだろ。今の華凛をお義母さんが見たら心配するぞ……。俺そろそろ会社行くから」

「うん、ごめんね……いってらっしゃい」

 ベッドに横たわったまま力無く答えた。このままでいいなんて思っていない。だけど母という存在が偉大すぎて、そんな人がいなくなってしまったという現実を受け止めることができなくて、この喪失感はどうやったって埋められそうにない。


 でも――母と交わした約束は何としてでも叶えたい。後押ししてくれた母がいるから、廉悟とも分かり合え希望を見出せた。ここで立ち止まってたらせっかくの母の行為を無駄にしてしまう。前に進まなくては――。鉛のように重たくなった身体をなんとか起き上がらせた。

 重たい足取りで一階まで降りていき、冷蔵庫を開ける。梅シロップのボトルには、もう一杯分の量しか残っていない。これを飲み切ってしまったら、もう母が作った梅シロップを飲むことは二度とできない。来年も再来年もこの先ずっと――。考えただけでとてつもない寂しさに襲われる。もう永遠にその日が来ないなら、いっそこのまま残しておきたい。そうすれば母という存在をこの先も感じられる気がする。


 けれど――。

 私はグラスに梅シロップを注いだ。喉を伝う梅シロップを隅々まで味わい尽くすようにゆっくりゆっくり飲み干していく。甘さが身体に溶けて、弱り切った身体を潤してくれる。心にあった喪失感が少しだけ緩和されたようだ。

 現実をしっかり受け入れて乗り越えなくては。どうか見守っていてお母さん――。


 休み続きだったネイルサロンを再開する傍らで、店舗オープンに向けて着々と進めていった。内装工事や家具の搬入、スタッフの確保と段取り良く進み、少しずつ形になっていく。スタートするからには妥協もしたくないし、自分で納得するお店を作り上げたい。自分の時間は全てお店の開店のために使い、没頭した。


 待ちに待ったオープン初日。

 店には開店祝いの花々が届いていて、亜沙美さんからは凛と伸びた胡蝶蘭が送られてきた。堂々と佇んでいるその姿はまるで亜沙美さんのようにも見える。

 インスタをはじめ他サイトから予約してくれていたお客さんで、予約枠は埋め尽くしていた。おかげで一日の売上は目標を大きく上回ることができ、無事に終えることができた。


「ただいま、遅くなってごめんね!」

 自宅に戻ると廉悟はすでに帰宅し、夕食を摘んでいる最中だった。自分でレンジで温め、味噌汁を沸かし準備してくれたんだと思ったら胸の奥がじわりと暖かみを帯びた。

「おかえり、どうだった? オープン初日は」

「うん、トラブルもなかったし目標売上越えてなんとかやり切れたかな」

「そっか、お疲れ」

「ありがと。ご飯自分でちゃんと準備してくれたんだね」

「ああ。なんとか。華凛は飯は?」

「食べてないけど今日はいいや。疲れちゃったから先にお風呂入ってくるよ」

 湯船に浸かって身体が解されていくと同時に、朝から張り詰めていた気持ちも緩んでいく。ふぅーっと息を吐き仰いだ。言いようのない達成感と解放感が内側から湧き上がってくる。

 

 ――お母さん、無事にお店持てたよ。私頑張ったよ。ちゃんと見ててくれてる――? 

 母の死後、ただこの日のために踏ん張って、余計な感情も持たないようにして、ひたすら突っ走ってきた。ちょっとでも立ち止まってしまったら、簡単に崩れてしまいそうだったから。でも今は気を張らなくてもゆっくり母との時間を思い返しても、激しく揺さぶられることのない自分になっている。

 それは朔弥くんに対しても一緒だ。二人の未来が見えずもがいて揺さぶられて感情の波に踊らされていたのに、自然と穏やかな気持ちを向けられるようになっている。

 ――不思議だね。こんなに会わなくて連絡も取っていなくて、普通なら繋がりも消えていきそうなのに。消えるどころかお互いを繋いでいる運命の糸に引っ張られるように、導かれている気がするのは何故だろう。

 どこでその糸を手繰り寄せられるのかは分からないけれど、亜沙美さんが言っていた『自分の本音で生きていく』ことの意味が少しだけ分かってきた気がする。


 お店がオープンしてからの流れは、トラブルもなく順調だった。スタッフ同士が年齢的に近いこともあってか、会話も噛み合い波長が合っているようだ。

 皆経験者で知識があったから特に指導することは何もなく、私もネイリスト兼経営者として自分の仕事に携われた。


「今日はどんなメニューになさいますか」

 店舗を構えてからはインスタ流動からの新規のお客さんが増え、七海さんという人もその一人だ。インスタを見ていてお店のオープンを知り、新規割引があったため来店してくれたらしい。

「ネイルって初めてするんですよね。どんな感じがいいんだろ……」

「良かったら見本お見せしますね。こちらは定額制になります」

 金額毎に分かれたネイルチップの一覧を机の上に差し出した。安いものだとシンプルなデザインで三千九百円からあり、その後は千円ずつ上がっていく。高くなるにつれ、パーツが増えたりデザインが凝っているものになりその差は明らかだ。


「こんなにあると迷っちゃいますね。どれも可愛いから選べないなあ……あっこれがいいかも!」

 七海さんが指差したのは、雪の結晶にパールとラメを組み合わせた冬の定番ネイルだ。

「可愛いですよね、この時期人気ありますよ」

「じゃあそうしようかな、これでお願いします」

「かしこまりました。では最初に甘皮処理からしていきますね」

 七海さんは初めてとあってか、私の動き一つ一つを食い入るように見ている。

「爪整えるだけで全く違いますね」

「そうですね、ツヤ出しするだけでも見た目変わりますね。男性のお客さんで整えるだけで来店する方もみえますよ」

「そうなんですか。美意識高いっ」

「若い方が多いですね、二十代の方とか」

「そうなんですか……三十代でネイルデビューした私って遅れてる。か、りんさん? は十代くらいにはしてました?」

 私の胸元にある名札を確認しながら、七海さんが問う。

「私も実は遅かったんです。十代の頃友達とかネイルしている子いても全く興味がなくて。モニターしたのがきっかけにネイルが外せなくなったんですけど、初めてしたのは三十代になるかならないかくらいだったかな?」

「そうなんですか!? え……華凛さんてお幾つです?」

「三十後半です」

 苦笑いで答えた。

「えー本当です? 私より歳上には全く見えなかったからビックリ」

「フフ嬉しいです」

 顔を合わせた時から気さくな感じが見てとれたが、七海さんは思ったことを口にするサバサバした性格で私も気を遣わず会話を楽しめる。いつしか七海さんのお仕事の話になると、小さな溜息がもれた。

「ついこの間、入ってきたばかりの子が急に辞めちゃって……。休むって連絡あった次の日には来なくなったんですけど、今ってそれは普通のことなんですか? 私今まで働いてきてそんな子初めてなんですけど」

「急に辞めちゃったんですか? よっぽど何か事情があったんですかね」

 七海さんが浮かない顔をして会話が途切れる。

「……そんなに嫌だったのかなぁ」

「何かあったんですか」

「実は……前日にその子と言い合いしちゃったんです。前から馬が合わない子だったんだけど、その子の返しがいつも反発心あるように感じちゃって。つい私も感情的な言い方しちゃったんですよね……。でも後から考えたら元々その子って誰に対してもそういう話し方だったから、反発心あるって私が勝手に決めていただけなのかもって思えてきて……他の社員はその子に対して悪い印象を持っていなかったみたいだし、私が一方的に思い込んでいたのかもしれない……」

「自分の受け止め方次第で見方も全く変わりますもんね。でもそこに気付けただけでも凄いと思います。普通なかなかそんなふうに自分のこと、客観的に見れなくないですか? だからそんなに自分のこと責めなくてもいいと思いますよ」

「私の方が歳上なんだし、もっと余裕ある接し方してあげたらよかったなってちょっと後悔してます……。辞めちゃってからこんなこと言っても遅いんですけどね」


 サバサバした印象の七海さんだったけれど、今はその子に想いを馳せて悔やんでいる弱々しい姿だ。人の印象なんてその人の一部でしかなく全部でもない。ましてや印象なんてものは自分が勝手に感じているものに過ぎない。状況や立場、関係性も変わればその人を見る角度も変わる。その人の背景を知れば知るほど、自分が歪んだ見方をしていたことに気付いたりもする。現に七海さんの印象も変わりつつあるのだから。


「爪どうですか? 気になるところや引っかかりがあればおっしゃって下さい」

「いつの間に! 可愛いし素敵ー! ずっと見ていたくなる」

 七海さんの表情が明るく一変する。

「喜んでいただけて嬉しいです」

「ありがとうございます! ネイルでこんなに気持ちが上がるなんて思わなかった!」

「またいつでもご来店お待ちしてますね」

 七海さんが去っていく後ろ姿に深々と頭を下げて見送った。

 人の感情は波のように引いたりうねったり、時には激しい荒波のように揺さぶられたり。けれど私の指先で一時でもその波を穏やかにすることができたなら。波にのまれることなく、差し出した浮き輪のような役割になれたなら。私はこの先揺るがない心でこの仕事を全うできそうだ。


 一人また一人と見送り、今日最後のお客さんの背中を見送り届けた。

「皆お疲れさま! 片付け済ませてお店に向かおっか。お腹ぺこぺこ」

「私もお腹空いたー。今日イタリアンでしたよね。早くピザ食べたーい」

 悠里ちゃんが目を輝かせる。ネイリスト歴六年になる悠里ちゃんは、私が昔勤めていたお店で一緒に働いていた子で、辞めてからもたまに連絡を取り合っていた仲だ。彼氏の休みに合わせてなるべく土日に休めるお店に転職しようと考えていたのを知り、私から声をかけた。土日のどちらかを隔週で出てくれれば良いことを伝えると、二つ返事でオッケーしてくれた。

「あ、詩音ちゃんお店の予約ありがとう。サプライズの方は大丈夫そうかな」

「バッチリですよ。ひーの反応楽しみですね」

 詩音ちゃんはインスタでネイリスト募集の投稿を見て応募してくれた。肩までのボブヘアの毛先はピンク色に揺れている。原色好きなのか、服装はいつも色味がハッキリしていて主張が強いスタイルだ。スカルプの爪は私の倍くらい長く、それでも器用に施術するのだから感心してしまう。


 今日はもう一人のスタッフ、ひーちゃんの結婚祝いのため皆でお祝いすることになっていた。ひーちゃんはこの日休みだったので、直接店で合流することになっている。

 予約の店はここから数分離れたイタリアンを中心としたダイニング。お店に着き中で待っていると、ひーちゃんが顔をのぞかせた。

「すみませーん、遅くなってぇ」

 ひーちゃんはハーフアップにまとめた大きめのリボンを揺らしながら、甘い声で語尾を伸ばした。守ってあげたくなるタイプという言葉がぴったり合う、ザ女の子というふんわりした雰囲気の可愛いらしい子だ。

 主役が席に着くと、皆でグラスを鳴らした。

「いいなぁ、結婚。悠里も彼氏いるし、独り身なのって私だけじゃんかー」

「詩音てば、この前男なんてもういいとか言ってなかったっけ」

 悠里ちゃんのツッコミに「そうだけどやっぱり欲しいー! こんな寒い冬は人肌恋しいもん」と詩音ちゃんが口を尖らせる。

「しーちゃんはこだわりが強すぎるんだよぉ。前に紹介したまーくんの友達のこと『私より髪の毛サラサラで肌が綺麗で無理』なんて理由でサヨナラするのってどぉなのー?」

「だってー、一緒に歩くと私引き立て役じゃん」

「ならないよ」

 私を含めた三人の声が重なって笑った。人混みにいてもすぐに目に着きやすい詩音ちゃんの見た目は誰といたって一際目立つ。引き立て役なんて言葉とは無縁だ。

 ピザやパスタを皆で取り分けながら、話題は詩音ちゃんの好みのタイプからひーちゃんのお相手の話、悠里ちゃんの彼氏の話へと広がっていく。

「そういえば、華凛さんの旦那さんはどんな人なんです?」

「え?」

 急に詩音ちゃんにふられて、うわずった声が出る。私の話より皆の恋バナの方がずっと楽しいよ、と思いながらも一応答えることにする。

「大学の時の先輩。結婚してもう十六年になるのかな?」

 えー、凄いっ、と皆して声を上げた。

「それだけ一緒にいると、やっぱり男と女っていうより家族っていう感じですか?」と悠里ちゃん。

「んーそうだね。ときめきみたいなのはないよ。一緒にいて楽な感じ」

「エッチはしてるんですかぁ?」

 ひーちゃんがおっとりとした口調に反して、どストレートな質問をする。大胆な口ぶりに変貌しているのはお酒が入っているからか。

「んーここ最近してないかなぁ。多分向こうもそんな気なさそうだし私もなくていいかなぁって」

「えー、私絶対やだぁ。まーくんとしなくなるとか考えられない」

「うちは私も彼氏も淡白だから、あんまり気にしたことないかなー。くっついていられればお互い満足かも」

「そういう話にも入っていけない私ってさみしすぎる。やっぱ早く彼氏ほしー」

 皆がそれぞれの想いをオープンに口にする。お酒の力って凄い。もう一緒に過ごして数ヶ月が経つけれど、今日のたった数時間で一人一人の印象が驚くほど変わっている。ふいに昼間担当した七海さんとの会話を思い返した。


 皆の酔いが良い感じになって盛り上がっていると、お店の店員さんがロウソクに火が灯ったホールケーキを運んできてくれた。

「ご結婚おめでとうございます」

 ひーちゃんが大きな目をさらに丸くさせている。ケーキの真ん中には『ひーちゃん結婚おめでとう』とチョコペンで書かれた文字。皆でおめでとうと言うとひーちゃんはフゥーと息を吹きかけ「ケーキが出てくるなんてビックリしたぁ」と満面の笑みを浮かべた。皆で切り分けたケーキを頬張り「デザートは別腹だよね」と言い合っているうちに綺麗に完食した。

 サプライズも無事成功し、皆と一段と仲が深まったところで閉店時間が迫ってお開きとなった。ほろ酔い気分で自宅に戻ると、部屋は真っ暗で人のいる気配はない。週末だから廉悟も來愛も出かけるようなこと言ってたっけ、と思い出しソファーに身体を預けた。 

 久々に口にしたアルコールは、私の思考をグルグル掻き回す。『エッチはしてるんですか』ひーちゃんの質問が浮かんできて、酔いが回っている頭で思い返す。

 ――そう言えば最後にしたのっていつだっけ……もうここ一年近くしていないかもしれない。それにああ言ったけれど、迫られて断ったことがあったのを思い出した。自分に都合の悪いことは忘れやすいものだ。


 一年と言えば朔弥くんと会わなくなってもうそれくらいになる。元気にしているのかどうかも分からず、たまにインスタをあげるといいねがつかないかな、なんて思ってしまう時もあるけれど、私にも誰かの投稿にもいいねを付けている様子はない。今頃どうしてるんだろうか。

 音信不通の間もずっと心に居座り続けている朔弥くんは、一年経っても色褪せずにいる。交わした言葉の一つ一つもその時の表情も事細かく言える程、私の脳は忘れてなんかいない。

 あれ以来不思議な夢を見ることもなくなってしまったけれど、夢で感じた感触だけは今でも思い出せるほど鮮明だ。

 それが二人の繋がりであることを示しているようで、私は離れたままでも朔弥くんの存在を常に感じ取っている。これが魂の片割れと言われる所以なんだろうか。たまに無性に会いたくて恋しくなって、どうしようもなくなる。

 朔弥くんは私のこと、考えてくれたりするんだろうか。


 來愛のただいまという声が聞こえて沈んだ身体をゆっくり起こす。

「おかえり。お風呂先入る?」

「ママ先入っていいよー。ブュッフェ食べてきたから、まだお腹いっぱいで苦しくって」

「いいね、そんなに食べたんだ。ママも飲んだ後だからもうちょっと休んでから入るわ」

「あ、本当だ。お酒臭ーい」 

 來愛が眉をひそめたので、私も同じようにしかめっ面で返す。

「パパまだ帰ってきてないんだ?」

「飲みに行ってくるって言ってたから遅くなるんじゃないかな」

 壁にかかった時計を見上げると、十時を少し回ったところを指している。遅くまで空いている居酒屋も少ないし、もうそろそろ帰って来る頃だろう。

 けれど日付けが変わっても廉悟が帰ってくる気配はなく、私は『気をつけて帰ってきてね』とラインし眠りについた。


 帰っているはずと思っていた廉悟がまだ帰宅していないことに気付いたのは、夜中にトイレに行きたくなって目を覚ました時のこと。てっきり隣りに寝ているはずだろうと思っている姿が見当たらず、少し心配になりながら寝室を出ると一階から明かりがもれている。降りていくとソファーに寝転ぶ廉悟の姿があった。帰宅してそのまま寝てしまったらしい。

「こんなところで寝てたら風邪ひくよ」

 肩を揺さぶって起こそうとした時微かに甘い香りが鼻を掠めた。 

 ――女物の香水の匂い。

「……廉悟ってば起きて!」

「んー」

 廉悟が身体を仰け反らせたと同時に携帯が落ちる。拾おうとした拍子に誰かからのラインメッセージが届いているのが目に入った。『おやすみなさい』の後にはハートの絵文字。

 ハァと力無く溜息混じりの声がもれる。起き上がりそうにない廉悟の身体に布団をかけると、再び寝室へと戻った。

 廉悟の様子が変わってきたのは少し前から薄々気付いていた。ところ構わず置いていた携帯をいつのまにかテレビボード台の上へとしっかり固定化して置くようになったり、画面を見ながらにやけている姿がたまに視界の端々から見てとれた。真っ暗な空間じゃないと眠りにつけない私は、廉悟が携帯を触っている明るさで目を覚ましたこともある。そのまま何も言わず目を閉じたけれど、誰かと連絡を取っていることは直感で察した。


「男って分かりやすいよね。何でもっと上手くやらないのかって思うよ。私が気づいていないと思っているのかなぁ」

「本当だよねー。でも女が敏感っていうのもあるかもしれない。そういうのに限って勘が鋭くなるもん」

 ネイルの付け替えに来た寧々が答える。

「別にやり取りしてるくらいいいんだけどね……」

「身体の関係もありそう?」

「うーん……どうだろ。私とは全然していないから。でも廉悟が裏切ることするのは考えられないかな」

「信じられるなら大丈夫でしょ」

「そうだねー」

「何? その抑揚のない声は」

「え、そう? あ、ストーンの大きさはこれでいいかな」

「うん、一番大きいので」

 カラーを入れた爪の中央にストーンを乗せていった時、ふと疑問が口に出た。

「……夫婦って何だろうね」

「何々華凛てば、急にどうしたの?」

「最近先のことをよく考えるようになったんだけど、私廉悟とこの先どうなっていくのかなぁって。來愛が巣立った後の二人の姿が全く見えなくて」


 内面はシビアだったけれど口調は明るめにおどけた感じで答えた。真剣モードで語ってしまうと、本当に出口の見えないトンネルを彷徨い続けてしまいそうだったから。

「あーそれ何となく分かるよ。今って子供中心の生活だから話す内容も子供のことが多いし。たまに夫婦二人だけでいると会話に困ることあったりしてさ」

「子供の存在がいて成り立っている夫婦関係だと、子供が成人になった途端離婚することも多いよね」

「この前おしどり夫婦で有名な芸能人カップルの離婚ニュース流れてたじゃん。ビックリしたよー、あれこそ子供が巣立ったのを待って離婚したパターンじゃない? 側から見てたら夫婦事情なんて分からないよね」

「本当そう。仲良さそうにみえても実情は違っていたりね」

「華凛のところはそう見えてたけど違うの? ラインの件があるとは言え、別れるとかはないでしょ?」

「うーん、そうだね」

「何、その曖昧な感じは」

「ごめんごめん……はい、完成! 最後にオイル塗るね」 

 歯切れ悪くそう言うと、指先に保湿代わりのオイルでケアした。


 廉悟は「家のことは手伝うよ」と言ってくれたけれど、廉悟の手伝うと私の想いは全く噛み合っていなかった。半々まではいかなくても掃除や料理、洗濯など分担しながらもっと進んでやってくれるんだと思っていたのに廉悟の『手伝う』は自分でご飯を温めてテーブルに運び、食べ終わったお皿を流し台まで運ぶこと。洗濯物を取り入れてくれたのは最初の一週間だけ。

 私が遅番の日は取り込んでおいてほしいと伝えていたのに「室内に干す方がいんじゃない?」と言われてしまった。「お日様の下で乾かすのがいいんだよ」と言っても「それは華凛の都合だろ。俺はこだわりないから」なんて反論される始末。相変わらず急に飲みに行くこともあり、時間のない中で作り置きしておいた夕食が無駄に終わることもある。


 元々廉悟は全てやってもらえて当然の環境で育ったから、それを変えることは難しかったかもしれない。人はそう簡単に変わらない。もし私が結婚当初から自分の想いをしっかり主張していて廉悟の価値観に合わせすぎていなかったら、また違った夫婦の形ができていたかもと思う。全部私が招いた結果だ。自分の気持ちに蓋をして相手のことばかり受け入れてきたんだから。

 廉悟と私、おばあちゃんとおじいちゃんになっても仲良く一緒に暮らしていて、來愛の産んだ子とたまに戯れながら孫の成長を楽しみにして、年に数回は二人で旅行に出かけて美味しいもの食べたり観光を楽しんだり、そんな未来を思い描けていた――はずだった。でも今は十年後どころか五年後さえ廉悟と一緒に笑い合っている姿が想像ができないのは何故だろう。

 いつのまにかお互いの向いている方向も求めていることも違うと感じてしまうのは私だけだろうか。夫婦として上手くやってきたつもりだったけれど、私は廉悟の理想に合わせて自分を演じてきたからなのかもしれない。違和感という形で表面化してきたそれを最近ひしひしと感じてしまう自分がいる。

 来月の予約を取り付け寧々はまたね、と言ってお店を出て行った。



「あー落ち着く」

 お店が定休日の昼下がり『LA ISLA』のアールグレイティーラテを口にした途端、身体の怠さが抜けていくような解放感に浸される。

「本当だ……。華凛さんの言う通りこの甘さ、癖になりそうな美味しさですねー」

 向かいに座る悠里ちゃんが目を輝かせる。お気に入りを肯定してもらえたことにでしょでしょっ、と嬉しくなった。

「旦那には甘ったるすぎる、とか言われるけど私の舌に合ってて」

「華凛さんて旦那さんともう十六年一緒に生活してるんですよね。危機とかなかったです?」

「危機かぁ。あまり感じたことないかな」

 危機とは言えないかもしれないけれど、今はちょっとした分岐点かもしれない、という台詞は飲み込んだ。

「実は……彼氏と結婚話が出てるんですけど、迷いがあるんです。彼は結婚したらすぐにでも子供が欲しいみたいなんですけど、私は仕事が楽しいし自分の時間が欲しいから、子供のことは全く考えられなくて。お互い結婚に対しての価値観が違うから一緒に生活していけるのか不安で……」

 悠里ちゃんに相談したことがあると言われてこの日会う約束をしていたけれど、思いがけず価値観の違いというテーマに自分と重なった。

「彼には話してみたの?」

「子供は当分ほしくないし、産むのは一人で充分って言ったら俺は賑やかな方が好きだし、最低二人はほしいって。自分も兄弟いるしその方が絶対楽しいとか言うんです。私は一人っ子で育ったからあまりそうは思えなくて。一人だったから親の愛情一心にもらえたし、さみしいなんて思ったことはないって言ったんですけど分かってもらえなくて」

「自分が育った環境が当たり前の基準になっちゃうもんね。子供のことは産んだ後何十年て育てていくわけだから、よく話し合って決めないと悠里ちゃんに負担が大きくなってくるよ。産むのはもちろんだけれど、育てていくのもやっぱり母親の方が子供との関わりも大きいと思うから」


 うちの場合來愛はほぼ一人で育てたようなものだ。出産して一か月程実家で過ごした後、戻った自宅は惨劇だった。洗濯カゴには溜まりっぱなしの洗濯物が溢れ、作り置きの冷凍していたおかずを食べた形跡はなかった。代わりにコンビニ弁当の容器が二袋分のゴミ袋に埋め尽くされていて、キッチン横に放置されているのを目にした時はあまりの酷さに怒りを通り越して言葉も出なかった。「華凛がいなきゃ俺やっていけないわ」なんて冗談混じりに言われたけれど、そんな台詞を喜んで受け入れられる余裕なんてない。廉悟は仕事が忙しくて今よりも家にいる時間が圧倒的に少なかったから、慣れない育児に戸惑いながらも一人で來愛のお世話をし、家のことも一人でこなした。


 今より育休を取りやすい時代でもなかったし、廉悟はその分仕事を頑張ってくれているし、と思ってひたすら來愛のお世話をすることが今の自分の使命と思って乗り越えてきたけれど、下手したら私も寧々みたいに育児ノイローゼになっていたかもしれない。

 私の場合、母が仕事の合間をぬって時折おかずを差し入れしてくれたり、一緒に沐浴を手伝ってくれたりそんな救いの手があったから乗り越えられたけれど、他の誰からの協力もなく一人きりで抱え込んでいたら間違いなく精神を壊していたんじゃないかと思う。旦那さんが育児に積極的に関わってくれる人じゃないと子供を何人も産んで育てるなんて難しいんじゃないだろうか。

 私は早々二人目を授かることは諦めた。


「今の段階で結婚を決めない方がいいですよね……」

「んー二人の意見が一致していないと、後々揉めることが出てきちゃうかもしれないね。まぁ過ごしていく中で変化していくこともあるけれど」

「難しいなぁ。お母さんに相談したら『子供は授かりものだから流れに身を任せればいいのよ』なんて言われるし。お母さんの場合本当は二人欲しかったみたいなんですけど、二人目不妊で授からなかったみたいなんですよね」

 よく聞く話だ。一人目が順調にできても二人目がなかなか授からない。私もそう見られていて気を遣われたことがある。

「結婚するなら今の彼って思っているんだよね?」

「実はそこも分からなくなっちゃったんです。付き合って三年になるから先を考えるなら自然の流れかなぁって思うんですけど。まだ子供を作る気はないから結婚という選択をする必要があるのかなって感じて。一緒にいられればそれでいいんじゃないかな? とも思えて。私の考えおかしいですかね」

「ううん、全くそう思わないよ。結婚して子どもを産むことが幸せとも限らないし、周りの目を気にしたり世間の価値観に囚われず自分がどうしたいかだと思う。悠里ちゃんの人生なんだから自分が本心で望む生き方していくのが一番だよ」

 自分で口に出してハッとする。そのまんま自分自身に言い聞かせたい言葉だ。『自分の本音で生きていくことが幸せにも繋がる』亜沙美さんに言われた言葉をふいに思い返した。


 本音で生きるって簡単にみえて、実は相当難しいかもしれない。世間のしがらみや世の中の価値観に惑わされ、自分の本音に蓋をかけてしまい見えなくする。特に相手がいれば考えの相違もあって当然で、自分を抑えたり取り繕ったり何かしら自分の本音とはズレてしまうんじゃないだろうか。

 自分のことなのに本当に心が欲していることに気付けている人って少ない気がする。亜沙美さんのように自分の思いのまま生きていっている人は、世の中にどれくらいいるんだろう。


「本心かぁ。彼のこと考えたら余計分からなくなりますね。自分はまだしたくないけれど、断ったら彼が離れていきそうで怖いし」

「その気持ちをそのまま彼に伝えてみたらどうかな。悠里ちゃんのことをちゃんと想ってくれてる人なら受け入れてくれるだろうし、自分の考えばっかり押し通そうとはしないと思うけどな」

「そうですね。もう一回ちゃんと話し合ってみることにします! 自分の気持ちを曖昧にしたまま決めるのは良くないですもんね」

 悠里ちゃんの目には力が宿っている。

 これから結婚という未来に向かっていく悠里ちゃんからしたら希望も不安も混在していてそれは揺らぎやすいものかもしれないけれど、私は眩しく思えたし羨ましいとも思った。今の私にはこれからの廉悟との生活に希望が少しも見出せず、あるのは違和感という名のモヤモヤした気持ちだけ。しっくりこない心の重たさはどうやったら取り払えるんだろうか。


 悠里ちゃんと『LA ISLA』でお茶した数日後、腫れた目をして出勤してきた悠里ちゃんに思わず「何かあったの?」と声をかけた。

「実は、彼氏と距離を置くことになったんです。お互い気持ちはあるけれど、結婚に対しての考え方は合わないから『この先どうするか少し考えたい』って言われちゃって……」

「そうなんだ……ちゃんと悠里ちゃんの気持ちは伝えられた?」

「はい……ちゃんと伝わったかは分からないけれど、言いたいことはちゃんと言えました」

 悠里ちゃんはたどたどしい話しぶりで力なく笑った。

「考えたいってことは悠里ちゃんの気持ちをなんとか受け入れたい、って思っている表れでもあると思うよ。距離を置くことをあんまりマイナスに考えないようにね」

「そうですね、なるようになるだろうし」


 お客さんが入ってきていらっしゃいませと出迎えると、悠里ちゃんはいつものように笑顔を浮かべた。

 あんなに瞼が重そうに腫れてしまって、よっぽど辛い決断だったんだろう。距離を置くというグレーな関係は身動きしづらくて感情も行ったり来たりで不安定になりやすい。待つ側の言われた方なら尚更だ。それでもお互い分かり合えずにいた場所から一歩進んだことになるんじゃないだろうか。その先がどうなるかは分からないけれど、悠里ちゃんが涙を流した分未来は明るいものだと願いたい。


 一歩も前進できずにいる私は何も答えを出せないまま、モヤモヤだけを膨らませている。このモヤモヤの正体は何なのか。

「……ちゃん、聞こえてる?」

「あ、すみません! 聞いてませんでしたっ」

 亜沙美さんがフッと笑みを浮かべて、見本のカラーチップを指差す。

「カラーはこのピンクベージュでお願い」

「はい、これですね。分かりました」

 気付いたらこのモヤモヤと向き合い考え続けてしまう癖がつき、仕事中でさえ現実世界を抜け出していることがよくある。


 約一か月ぶりに会う亜沙美さんは、トレードマークの前下がり黒髪ボブを明るい金髪に染めていた。この誰が見ても分かるような変化をするところが潔くて、亜沙美さんらしい。髪色が明るくなったことでさらに亜沙美さんの存在感に磨きがかかっている。きっと誰の目にも堂々と華々しく映っているんだろう。

「髪色変えたのはイメチェンですか」

「そうなの。ちょっと黒髪飽きたから変えてみようかなと思って」

「凄くお似合いですね。亜沙美さん、日本人には見えない」

「この髪型でサングラスしていたら、英語で話しかけられたわ。日本語で返したらビックリされちゃって。ちょうど彼を待っている時だったから、側まで来ていた彼も一部始終見ていたらしく笑っていたわ」

「二十歳の子ですか? 順調なんですね」

「この前プロポーズされちゃって」

「えぇ!?」

 あまりの驚きに爪を塗っていた筆を滑らせてしまった。慌てて拭き取っていく。

「彼に『亜沙美さんと一緒に生きていきたい』って言われたんだけれど、私結婚ていう形に縛られたくないの。好きなら一緒にいられればいいんじゃないかなって思うし。結婚制度なんて国民を縛り付けるための国の決め事よ、そう思わない?」

 私が返事に困っていたら、亜沙美さんはそのまま話を続けた。

「結婚なんてあるから不倫だの離婚だの面倒なことも起こるのよ。本来人間の気持ちなんて移り変わりやすいものだし、それを制限するなんてどうかと思うわ」

「でもそういう契約があるから、守られたり安心できる面もあるんじゃないですか。子供を産むってなった時に結婚していないと、何かと大変だと思うし……」

「子供を産むことでの保障はもっとあった方が良いと思うわ。子育てを平等に包摂する法制度は必要よ。今は未婚で産んだりシングルマザーも多いから、結婚という契約をしても要は本人達次第なのよ。愛し合っているのならそれだけで十分。契約なんて交わす必要がわざわざある? 紙切れよりも心の繋がりの方が、もっと大切だと私は思うわ」

 亜沙美さんの言うことはもっともだ。結婚は単なる契約上で成り立っている関係にすぎなくて、そんな形よりお互いの気持ちの繋がりの方が一番大事なことなんだと思う。現に仮面夫婦なんてごまんといるし、気持ちはないけれど経済的な理由で仕方なく結婚生活を続けていたり、相手が離婚を受け入れてくれないという理由で、籍を入れたまま別居している人達も少なくない。

「今の世の中に結婚なんて時代遅れよ。フランスではPACSが定着してきているし、日本もいずれ変化しないかしら……まだまだ先は長そうだけれど」

「PACSって何ですか? 初めて聞きました」

「新しいパートナーシップの形よ。元々同性カップルのために設けられた制度だけど、今は異性カップルの間でも結婚と同じくらい選択されているみたい。結婚より緩い制度だけど、社会保障、税金、財産、子どもができたときの手当てが結婚とほぼ同様に保証されるの。解消したい時は一方の申し立てでできるから、離婚みたいに煩雑な条件や手続きがないわ」

「そんな新しい形があるんですね、全然知りませんでした」

「日本はまだまだ古いから価値観の変化も時間がかかるでしょうけれど、もっと自由に生きやすい世の中になるには結婚制度も改革していかないとって思うわ」


 私の常識にはない亜沙美さんの考え方は、私の心臓を突き破ってモヤモヤの塊を押しやってくれるほど強力だった。自分の中の価値観がガラガラと音を立てて崩れていくようだったけれど、それは同時に爽快で新しい自分へと生まれ変わっていくようにも思えた。こうじゃなきゃダメとか勝手に自分が抱いている幻想だ。

 これだけ自分の中に軸がしっかりしているから、亜沙美さんの言葉は響くものがあるんだろう。講演会の依頼も増えていると話していたし、書籍は重版されて次の出版予定の話しも回ってきたと聞いている。

 亜沙美さんの耳についた大振りのパールが揺れている。ひねりを加えたゴールドのモチーフから下に伸びた淡水パールは、亜沙美さんの金髪ヘアにお似合いだ。亜沙美さんは自分が似合うものをちゃんと把握して選び取っている。自分が好きなもの嫌いなもの、合うもの合わないもの。他人に委ねることをしないで自分で選びとっている生き方が、周りの人を惹きつけていくんだろう。


「亜沙美さんみたいに、自分の考えがしっかりあるのって素敵ですね。ブレないし、自分の気持ちに忠実で周りに流されないところ、本当尊敬しますよ」

「だって誰の人生? 自分の人生なのに他人の目を気にして生きたりするのって、勿体ないじゃない」

 亜沙美さんという人に触れ合っているだけで自然とエネルギーが上がっていく気がするのは、そんなふうに自分らしさを全面に出して、常に自分の気持ちに本音で生きているからだろうか。ちゃんと自分を生きている人は、それだけで輝かしく生命力も溢れている。

 亜沙美さんは付け替えた爪を見ながら「今日も綺麗にしてくれてありがとう」と言って笑顔で去っていった。けれど私は毎回それ以上のものを、亜沙美さんから受け取っている気がする。曇り空のようにどんよりしていた心がなんだか晴れやかになっている。、


 週末の土曜日、一九時まで仕事をして帰宅するとリビングから廉悟の話し声が聞こえた。ただいま、と言っても返事がない。どうやら携帯で誰かと話していたようだが、私の顔を見るなりじゃあまた、と言ってそそくさと電話を切った。

「あ、ビックリした。おかえり」

「ただいま……誰かと電話中だった?」

「会社の後輩とちょっとな」

「來愛は送っていってくれた?」

「ああ。昼前くらいには」

「そっか、ありがとう」

 來愛は今日、同じクラスの子の家に泊まりに行くことになっていたから、久々に廉悟と二人だけの夜を過ごすことになっていた。

 私は休む間もなく二階へ上がるとバルコニーに干された洗濯物を取り込んだ。家に入る前、洗濯物がまだそのまま干してあるのが目に入り、愕然とした。今日は來愛がいないけれど廉悟は予定がないと言っていたから、取り込んでおいてもらう約束だったのに。夏場だからこの時間でも湿っていないことだけが救いだ。

 洗濯物を畳んでしまい終わるとキッチンに立ち、煮込んであったカレーを温め直した。作り置きしておいたサラダと麦茶が入ったポットを冷蔵庫から取り出し、ダイニングテーブルに並べていく。廉悟がリビングで携帯を触っている姿が視界に入ってきたけれど、それに焦点を合わせないようにして夕食を食べる準備をした。

「お、カレー美味そう」

 廉悟が椅子に座り、二人で向かい合う。

「お昼ご飯はどうしたの?」

 いつもは作り置きしておくが、今日はいらないと言われていた。

「ああ、外で食ったよ」

「出かけてたんだね」

「來愛を送ったついでにちょっとな」

 廉悟はどことなく罰が悪そうに視線を外した。

「……洗濯物そのままだったよ。出かける予定あったなら仕方ないけど」

「あ、悪い。すっかり忘れてた」

 この前もそうだったよね、と口に出かけた寸前でやめた。せっかくの食事も愚痴ばかり言ってたら美味しくなくなる。沸々湧いた想いを沈めようと冷たい麦茶で喉を潤した。

「あのね……私いずれは二店舗目もオープンしようと思ってるの」

「は? 二店舗目?」

「まだすぐじゃないけど……」

 廉悟は口を真一文字に結んでいる。どんな感情なのかは何となく察した。

「今より忙しくなりそうだな」

「一店舗は人に任せてやるつもりだから、そんなことないよ」

「また店舗探したり打ち合わせしたりするじゃん」

「うーん、お店持つまではバタバタしちゃうかもしれないけど」

 廉悟は黙々と手を動かしあっという間にカレーを平らげると、麦茶を喉に流し込んだ。

「華凛が好きなようにしたらいいよ。どうせ俺が何を言ったってやるんだろうし」

「何、その投げやりな言い方……それってやっぱり廉悟からしたら良く思ってないってこと?」

「結局そうだろ? 俺がこうしてほしいって言ったところで、華凛は夢を叶えていきたいんだろうし。俺の意見なんて聞き入れようとしない」

「そんなことないじゃん。私はいつも廉悟に歩み寄ってきたよ。自分の気持ちより廉悟の気持ちを大事にして、優先してきたつもり」

「じゃあお店を持ったことはどうなんだ? 俺の気持ちを優先したって言うなら、自宅サロンのままでも良かったんじゃないのか?」

「廉悟はなんだかんだ言って、心の底から応援してくれてるわけじゃないんだね……家のこと手伝うって言ってくれたから、寄り添ってくれたんだなって嬉しかったのに……。結局自分が一番で、自分の理想ばかり押し付けている。夫婦だからって無条件に理解したりされたりできるわけないのに、廉悟は一方的に相手に求めすぎて受け入れてくれるのは自分の都合の良いことだけ。そんなふうだと私は自分を抑えて生きていくしかないじゃん」

 食べかけのカレーの上にポタポタ涙が落ちた。一旦言葉にしたら今まで堰き止めていた想いが次々と溢れてくる。

「廉悟のことは好きで結婚したし、自分が我慢して上手くいくならそれでいいって思ってた。だからぶつかることを避けて、合わせるだけだった自分も悪いと思ってる」

「……そんなに我慢してたのか? 俺は全然知らなかったけど」

「最近は少しずつだけど言うようにしてたよ。家のこと手伝ってほしいって、いっぱいいっぱいになる時あるって。廉悟にはちゃんと伝わってなかったみたいだけど」

「……ごめん」

「最近……廉悟が誰かと楽しそうにやり取りしてるのを見てて、思ったことがあるの」

「え? 楽しそうに? 別に俺は何も……」

 廉悟の目が泳いでいる。動揺しているのは明らかだ。

「廉悟とは……この先もお互い歩み寄っていくことは無理かもしれないって。廉悟が他の人に気持ちが向いて私から離れたように、私も廉悟に対して前とは違う感情を持つようになってる」

「どういうことだ? 無理かもしれないって……。別に俺は華凛が思っているようなことは何もないぞ」

「私達、離れた方がいいんじゃないかって思うようになってきた」

「は!? まさか離婚を考えているとか言うんじゃないよな……?」

 私は廉悟の目を見つめたまま何も発さなかった。

 本当は今の時点でこんなことを言うつもりはなかった。けれどもうこのまま自分の気持ちを隠しておくことも、見てみないふりをしてやり過ごすことも限界かもしれない。

 廉悟は目を大きく見開いて私を見つめ返す。

「廉悟のことを嫌いになったとかそういうのじゃないよ。ただこの先も歩み寄れると思えないし、廉悟に合わせてばかりの自分でいることに違和感を持つようになっちゃったの。私、廉悟に合わせてばかりの自分が好きになれない」

「なんだそれ……そんな理由で離婚はないだろ。俺が借金したとか浮気したとかそれなりに非があれば仕方ないって思えるけど、華凛の勝手な意見で離婚とか……俺は受け入れられない」

「勝手かもしれない。怒って当然だと思う。でも私、廉悟と楽しく笑い合って過ごしている未来が想像できなくなっちゃった……それが今の私の正直な気持ちなの……」

 廉悟の拳が震えている。視線を合わせず背けた表情は、怒りや悲しみを堪えているようだ。廉悟は大きく息を吐き無言で席を立つと、そのまま二階へと上がっていった。

 廉悟を傷付けてしまった罪悪感に胸が痛む。けれど自分の気持ちを言えた解放感は、心の鎖を手放せたように重さが消えている。

 離婚なんて少し前の私だったら擦りもしなかった考えだ。けれどこの気持ちを抱えたまま廉悟と共に生きていくことは、本当の自分を生きていないようにも思えてしまった。この先のことを考えたら不安がないわけじゃない。けれど自分の本音に気づいてしまった今、それに蓋をして抗って生きていくことは心が死んでいくように思えた。そんな生き方の方が怖いし、未来が闇でしかない。それなら不安があっても希望が少しでもある方が前に進める。


 來愛が夏休みに入ると友達と遊びに行ったりバイトに入ることが多くなり、夜家を空ける時間帯が増えていた。 

 明かりの灯らない自宅に戻ることは、心なしか淋しさがある。廉悟は今日も食べてくると連絡があったから帰宅が遅くなるようだ。

 あれ以来私との接触を避けているのか、家で夕食を取る回数が減ってきた。おはようやただいま、おやすみといった挨拶は交わすものの、それ以外は必要最低限の会話しかしていない。

 冷蔵庫から茹でてあった素麺を出し、器に盛った。一人きりで食べる夕食は味気なく、暑さも伴ってか食欲も湧かない。手身近に済ませた後はシャワーを浴びてソファーに寝転んだ。携帯画面をひらき、今日施術したネイル写真をインスタに投稿した。


 ――朔弥くんは今頃どうしているんだろうか。ふと考えては心を掴まれたようにきゅーっと痛み、愛おしい気持ちが溢れてくる。会わなくなってからの一年以上の間で、何度そんな想いを味わってきただろう。

 揺れては沈め揺れては沈めを繰り返し、感情の波に溺れそうになる。時折無性に会いたいと思えば忘れられたら楽かもしれないと思う時もあり、けれど朔弥くんの存在はどれだけ消し去ろうともがいてみても、心から離れないでいる。私の中でいつまで経っても過去の思い出の人になんて、なりそうにない。

 私はこんな想いからいつになったら解放されるんだろう――。


「……マ! ママってば! ただいまー」

 おぼろげな視界の中で來愛の顔が見えた。揺り動かされて徐々に意識が戻る。

「あ……おかえり。帰ってたの気付かなかった」

「ママ爆睡してたもんね。何回も呼んだのに気付かなかったし」

「ごめんごめん」

「パパはまだ?」

「うん、ご飯食べてくるみたい」

「このところずっとだよねー。最近パパの顔見てない気がする」

「帰りは遅いし朝は早いから。來愛が夏休み入った途端、起きるのが遅くなったからじゃない?」

「それもあるか」

 來愛は軽く舌を出した。

「ご飯は食べてきた?」

「うん、新しくオープンしたお店で冷麺食べてきたよ。その後ジェラートも食べてお腹いっぱい」

「いいねー。ママなんて素麺だけよー。いっぱい茹でてあるから明日のお昼にでも食べてね」

 來愛のはーいの声に混じって、玄関のドアが開く音がした。

「あ、パパおかえりー」

 私も「おかえり」と來愛の後に続いた。

「ただいま」

「なんかパパの顔久々に見た気がするー」

「來愛はいっつも家にいないもんな」

「ちゃんといるよー。パパとの時間が合わないだけ」

「いいよなー夏休みがあるって」

「でしょう。今のうちにいっぱい遊ばないとねっ」

 來愛はそう言って自室へと駆け上がって行った。二人残されたものの、廉悟は私と視線を合わせようとはしない。気まずいのは当然だ。けれどこのまま当たり障りなくやり過ごしているだけじゃ、何も変わらない。來愛だってこの微妙な空気を感じ取っているはずだ。

「廉悟、明日の休みは何も予定ないんだよね」

「ああ……特には」

「私も明日休みでお墓参りに行こうと思っているから、付き合ってほしいんだけど……いいかな」

「分かった」

「本当? ありがと」

「じゃあ、午前中には出ようか」

「うん、分かった」

 その後おやすみ、とお互いに交わして私は二階へと上がった。


 翌日の空は私と廉悟の心を映すかのように、重くすっきりとしない曇り空が広がっている。廉悟の運転する車で父と母が眠る高台にある墓地へと向かう。お互い口数少なく交わした言葉は「來愛は今日もバイトか」とか「來愛は寝すぎだよね」といった來愛のことを中心に話すだけだった。

 休日とあってかお墓参りに訪れている人はチラホラいて、帰って行く人達とすれ違いながら石畳の階段を上っていく。天気が良ければ遠くに富士山を眺められる見晴らしの良い墓地だが、今日は生憎の天気でその絶景もお目にかかれそうにない。父と母の名前が刻まれた墓石にたどり着くと、手にしていた雑巾とスポンジで掃除し、花筒に仏花を添えた。お線香に火を付けると、廉悟と一緒に手を合わせる。

 ――お父さんお母さん、この先皆が幸せな道へ進めるようどうか見守っていてほしい――。


 駐車場に戻り車に乗ろうとしたところで、香ばしい匂いに思わず足を止めた。『うなぎ屋』と書かれた看板が目に付き、廉悟が「そう言えば腹減ったな」と思い出したように言う。

「せっかくだから食べて行く?」

「そうだな……ちょうど昼時だし」

 朝から何も食べていなかった私と廉悟はお昼ご飯を済ませようと、匂いに誘われるように鰻屋さんの扉を開けた。

「外で鰻食べるのって久々だな」

「來愛が鰻苦手だからね。買ってきて、家でしか食べてなかったから外食はしたことなかったかもね……」

 普段寧々達と食べに行く時はオシャレなカフェやレストランばかりだから、外食で鰻を食べたのは結婚前に廉悟と二人で行って以来かもしれない。それに廉悟とこうやって二人だけで外食することもここ数年程なかった気がする。

「なんか久々だよね、二人で食事するのって」

「そうだな。いつも來愛が一緒だからな」

「誕生日の時にサプライズでお祝いしてくれたり、有給使って結婚記念日にホテルのコース料理を予約していてくれた頃が懐かしいなぁ」

「……そういう時もあったな」

 廉悟は少し罰が悪そうに苦笑いを浮かべる。

 お互いを大事にし、結婚後も二人の時間をちゃんと確保して過ごしていた日々が遠い昔のように思えた。確かにそんな時間はあったはずなのに、いつから変わってしまったんだろう。


 重箱に入った鰻を美味しそうに頬張る廉悟を見ていると、葛藤する想いが湧き出てきた。離れた方がいいと思っている自分と、このまま今までみたいに三人で暮らしていく方が本当はいいんじゃないかという自分。これからの生活、住む場所や家のローン、來愛のこと――気持ち一つで簡単に踏み切れたら楽なのに、いざ離婚となれば色々と手続きしたり考えなければいけないことが山積みにある。そういった面倒臭さやしがらみが『本当にその道でいいの?』って訴えかけてくる。

 頭で考えれば考える程気持ちが揺さぶられる。でも今まで通りの生き方はやっぱり違和感が拭えない。心は思考より正直だ。


 お店を出た後は私の実家へと向かってもらった。

「実家の方手付かずのままだから、もうちょっと整理しようかと思って」

「俺も手伝った方がいい?」

「ううん……ありがとう、大丈夫。今日はそのまま実家に泊まろうと思うけどいいかな。明日は電車でそのまま仕事に向かおうと思ってるから……」

「ああ、別に構わないよ」

「お互い一日一人きりになって、今後のこと考えよう……どうしていきたいか廉悟もゆっくり考えてほしい」

「何でそんなこと言うんだよ……急にそんなこと言い出すようになって本当どうしたんだよ……?なぁ昔の華凛に戻ってくれないか?」

「ごめん、それは無理かもしれない……」

「俺は華凛と離婚するなんて考えてないからな……華凛と來愛と今までみたいにやっていきたいから」

 いつのまにか車は実家の前へと辿り着いている。私は廉悟の言葉には触れず「送ってくれてありがとう」と言って車から降りた。


 中に入ると母が生活していた頃のままで、すぐそこにいるような錯覚を起こしそうだ。四十九日後に九州に住む弟とこの家をどうするか相談したけれど、遺品整理して手放すことに躊躇いがあり手付かずのままでいた。何度か掃除と片付けにきたものの、ほとんどの物は母が生きていた頃と変わらずそこにある。

 目に映るものは何も変わらないのに、母だけがここには存在していない。人の死はなんて儚いんだろう――。明日も生きている保証なんて誰にもないし、未来が続く保証もない。だからこそ『今』を大事に生きていかなきゃいけないし後悔が残る生き方はしたくない。


 さっき廉悟と久しぶりに二人だけの時間を過ごして、もう今までのような気持ちで廉悟を見ることはできないって気付いてしまった。ずっと携帯の着信をオフにしながら、それでも時折携帯を気にして何度かチェックしている廉悟の姿を見て、不安とか腹ただしい気持ちもなく、どこか冷めて見ている自分がいた。浮気が白でも黒でももはや重要ではない。

 廉悟とはこの先お互いを思い遣って、過ごしていくことはできそうにない。それに自分を抑えて廉悟に合わせてやり過ごすだけの自分とは、もう卒業したい。私はちゃんと自分を生きていきたい――。


 自分の決心が固まると、私は廉悟に離婚届を差し出した。

「私の名前は書いてあるから……」

「いつの間にこんなもの取りにいったんだよ」

「廉悟にも書いておいてもらいたい」

「もう華凛の気持ちが変わることはないのか? そんなに俺と離婚したいのか?」

 廉悟の目を真っ直ぐ見て頷くと、廉悟は舌打ちした後視線を落とした。もう気持ちにブレはない。

 廉悟が受け取る素振りがなかったので、そのまま離婚届をテーブルの上に置いた。


 それから一週間後、私の意志が固いことを知った廉悟は名前を記入した離婚届を私に手渡してくれた。

「……今までありがとう」

 廉悟は何も言わなかった。來愛は私が引き取りこの家を出ていくことになった。


 離婚届を提出後、スッキリした気持ちがある一方で言いようのない淋しさや不安が溢れ出てきた。もう頼れる人も支えてくれる人も側にいない。自分が選んだ道なのに、何故か涙が出てきて止まらない。どんな感情で溢れ出したのかもよく分からず、帰りの車の中で声を上げて泣いていたら、ふと朔弥くんの顔が浮かんだ。何か一言でも返信をもらえたら。私を絶対的な安心感で包み込んでくれそうなのに――。

 衝動的にメッセージを送信した。見るはずもなければ返信なんて期待するだけ無駄なのに、それでも【会いたい】の気持ちを自分の中でとどまらせておきたくなかった。

 涙を出し切って気持ちが落ち着いた後、自分の新しい居場所である実家へと帰った。朔弥くんからの返信はないままだったけれど、それでも構わなかった。


 前の自宅から運んだ荷物は衣類がほとんどで、後は全部そのまま置いてきたり処分していた。廉悟との生活を思い出させるようなものは持っていない方が良い気がして、來愛の荷物と合わせても車一台分のスペースで納まった。

 築三十年以上経つこの家はそんな年月を感じさせない程手入れが行き届いていて、母の丁寧な暮らしぶりが垣間見れるようだ。私はなるべくそれらを守れるようにしたかった。母が保ってきたこの暖かみのある空間を、維持できるようにしたい。

 女二人きりの生活は正直不安もあったけれど、來愛を守って育てていこうという決意が私の心を強くしてくれる。子供の存在があるだけでどんなことがあっても乗り越えられそうだ。そんな私の想いを汲み取ってくれたかのように、來愛が「ママ一人で頑張りすぎないで私のこと頼ってね」なんてことを言ってくれた。


「家のことはできる限り手伝うから、ママはお仕事頑張って」

 來愛は苦手だったはずの料理をいつしか覚え始め、私に代わって夕食を作ってくれることが増えた。

「今日はハンバーグ作ってみたけど、どうかな」

 ふっくらとした丸みのあるハンバーグに來愛お手製のソースがかかっている。付け合わせのサラダも彩り良く、栄養バランスも考えられているメニューだ。

「これ來愛が作ったの? 凄いじゃん」

 一口食べてみると肉汁が広がっていく。濃厚なデミグラスソースとお肉が絡み合って、思わず美味しい、と呟いた。

「本当? 良かったー」

「あんなに苦手って言ってたのに、こんな美味しいハンバーグ作れちゃうなんて」

「やればできる子なんだって」

「ふふ、そうだね」 

「リクエストあったら今度作るよ」

「わ、嬉しい。じゃあ次は生姜焼きをお願いしようかな」

「任せてー!」

 家のことは來愛が積極的に手伝ってくれるから、安心して仕事に集中できた。來愛と二人きりの生活が始まった中で、二店舗目のオープンに向け物件探したから始めた。駅前に持ちたいと考えていることを不動産屋に伝えると、条件を満たす空き店舗を探してくれた。今の自宅からも近く、立地条件や家賃も希望通りの場所が見つかると迷わずそこに決めた。

 私は悠里ちゃんを店長にして、今あるお店を任せるようにした。自分は新規のお客さんは取らず今までの顧客のみ対応していき、空いた時間で新店舗に向けて準備を進めていった。

 彼氏との結婚で悩んでいた悠里ちゃんは、離れた期間でお互い大事な人だということを再確認したようだ。「俺は結婚するなら悠里しかいないと思っているから。悠里と別れることはしたくない」と言われ、破局の危機は逃れられた。一方の悠里ちゃんも彼と一旦距離を置いたことで自分がこだわりすぎていたことに気付き、彼以外の人と一緒になることは考えられないと思えたそうだ。子供のことは協力し合えて育てられるならどちらでもいいとお互い譲り合う部分ができるようになったことで、二人はまた同じ道を歩き始めた。納得いくまで話し合ったことでお互いのことがより分かり、さらに信頼関係が深められるようになったと悠里ちゃんは喜んでいた。結婚時期は未定だけど、きっと二人の未来は明るい気がする。


 一店舗目の経験があるから、オープンまでの段取りはスムーズにこなせた。

 慌しく流れていく日々は何も考えなくていいのが有り難かった。立ち止まってしまうことで余計な不安に駆られずにすみそうで、ひたすら仕事に集中した。私は二店舗にシフトを入れる傍らで、集客アップに力を入れるため広告を考えたり、売上を伸ばすために新メニューを取り入れたり経営の方も頭をフル活動させた。

 お店の定休日に仕事の打ち合わせがてら悠里ちゃんを『LA ISLA』に誘った。悠里ちゃんもあのラテをすっかり気に入って、また飲みたいと言っていたからだ。

「そういえば華凛さん聞きました? 詩音に彼氏ができたみたいですよー」

「そうなんだ、良かったじゃん。どんな人?」

「詩音に似て紫頭の派手系な人。プリクラ見せてもらったけどお似合いカップルでしたよ」

「じゃあ、長続きしそうだね」

「来月のクリスマスに籍入れたいねって、話してるらしいですよ」

「えっ、籍? 展開早すぎるんだけど」

「お互い好きな気持ちが大きくて、早く一緒になりたいって思ってるらしいんです」

 詩音ちゃんは、盛り上がったら一直線なタイプなのかもしれない。また新たに意外な一面を発見した。

「そういえば華凛さんこれ知ってます? 詩音から教えてもらったんですけど……」

 悠里ちゃんが携帯画面を見せてくれた。インフィニティの形をしたペアリングの写真とその下には『Twin Ray』の文字がある。脳内でツインレイに変換された瞬間思わず目を見開いた。

「え……何この指輪、『Twin Ray』ってブランド初めて知った。発売されてるの?」

「来月発売されるみたいですよ。ブランド名の由来がいいねーって詩音と話してたんです」

 画面をスクロールしていくと、『唯一無二の恋人』とある。『前世、現世、来世でも繋がりのある運命の人へ送りたい永遠の愛』とのキャッチコピーに目を奪われた。こんな指輪が発売されるなんて、ツインレイが幻想でもなくちゃんと存在している証じゃないだろうか。心強くなる。

 それにしてもなんて素敵な指輪なんだろう。細身のリングにバランス良く埋められたダイヤが存在感を放っていて、本当に綺麗だ。

「こんな素敵な指輪、もらえたら嬉しいね」

「そうなんですよ。クリスマスプレゼントにお互いプレゼントするのも良いかなぁって思ってて。華凛さんも旦那さんにおねだりしちゃえばどうですか」

 思わず言葉に詰まった。なかなか打ち明けるタイミングもなく、皆に離婚したことは伏せたままでいたからだ。

「実は……離婚したんだよね」

「え、離婚? いつ? 華凛さんが?」

「ニヶ月くらい前かな。ごめんね……言うタイミングがなくて。隠してるつもりはなかったんだけど」

「ビックリなんですけど! 華凛さんこそ展開早すぎますよっ」

 悠里ちゃんはまだ驚きを隠せず、目を丸くさせている。私は苦笑いで返すしかない。

「前にひーちゃんのお祝いした時は、何も言ってませんでしたよね……」

「うん、あの時は離婚なんて思いも寄らなかった。でも自分の中でちょっとした心境の変化はあったんだけどね」

「そこからの急展開ですか……」

「そうだね……一緒にいることに違和感覚えてからしんどくなっちゃって」

「華凛さんみたいに何十年と一緒にいても、別れることってあるんですね」

「私、結構無理してたってことに気付いたんだよね。相手に合わせすぎてたの。でも悠里ちゃん達みたいに、お互い胸の内曝け出して思い合っていたら大丈夫だよ。私達はそんな二人になれてなかったとこあるから……。何十年経ってから気付くなんて馬鹿かもしれないけれど、そういう癖がついてるとなかなか気付けないものなんだよね」

 悠里ちゃんが何とも言えない顔で、私を見つめている。

「華凛さんてパワフルだなぁ」

「え、そうかな」

「離婚しても凄く明るいし、生き生きしてるように見える。今日教えてもらうまで、離婚していることにも気づかなかったくらいだし」

「本当? ありがとう」

「なんか華凛さんて自分をちゃんと持ってるし、やりたいことを実現していってるし、本音で生きてる感じがしてて憧れるんですけど」

 ラテを口に付けようとしたところで手が止まってしまった。その台詞は私が亜沙美さんに抱いている気持ちそのままだ。そんなふうに私もなりたい、ブレない自分で生きていきたいっていつしか願うようになってた。他の人から見たら私もそんな憧れの人のように映ってるんだと思ったら、嬉しいな。



 師走に入ると慌しさに勢いを増すように時間が流れていく。忘年会やクリスマスといったイベント毎も増えるため、ネイルに訪れるお客さんが後を絶たない。早い時期から予約が入り出し、今月の予約枠はほぼ埋まっていた。

 クリスマスを数日後に控えたある日、仕事を終えてスタッフルームに入った後、詩音ちゃんと悠里ちゃんがほぼ同時に悲鳴のような声を上げた。

「何々、二人共どうしたの?」

「華凛さーん、指輪買えなかったって」

 悠里ちゃんが携帯を見ながら半泣きになっている。

「私もー。アクセスできた時にはもう完売しちゃってたってラインがきてた」

「もしかして、この前教えてくれた『Twin Ray』リングのこと?」

 二人は示し合わせたかのように頷いた。


 どうやらそれぞれ彼氏が購入してくれようとしていたけれど、完売して買えなかったと連絡が入っていたようだ。

「そんなに人気だったんだね」

「せっかくお揃いで付ける約束したのに……凄いショック」

 詩音ちゃんは口を尖らせる。紫頭の彼とは順調そうだ。

 二人共意気消沈しながら、重たい足取りで店を出た。力無く手を振る悠里ちゃんと詩音ちゃんに「また明日ね、元気出してよー」と言って別れを告げた。

 指輪を一緒にはめてくれる人がいるだけで羨ましい私は、クリスマスも特に予定がなく普段と変わらない一日を過ごすだろう。來愛も少し前に同級生の彼氏ができて、その日はご飯はいらないと言っていたから、淋しく一人で過ごす羽目になりそうだ。少しずつ來愛が離れていくのを感じて、本当にそのうち一人きりになるんだなと思ったら、この寒さが余計肌に染みていく。

 「今日彼氏とデートしてくるから」と言っていた來愛は、私が自宅に戻ってご飯を食べていてもお風呂に入った後も一向に帰ってくる気配はない。

 私は今日施術したネイルの写真を投稿しようと、ソファーにもたれながらインスタを開いた。DMが届いているのが目に入る。ネイルのお問い合わせだろうと思いクリックしたところで、私は息をすることを忘れた。 


 ――朔弥くん!!


 不意打ちすぎて身体が固まる。現実だよね?夢なんかじゃないよね?何が起きているか状況が飲み込めずにいたけれど、それでも心臓の音は急激に早くなった。震える指先でクリックする。

 久々に目にする朔弥くんからのメッセージは久しぶり、という変に気持ちを揺らされずに済む内容で、言いようのない安心感が湧いてきた。ずっと待ち焦がれていた連絡は突然すぎて、どう対応すればよいかもわからない。けれどはやる気持ちを抑えながら、以前と変わらない態度でメッセージを送った。


 朔弥くんはあれから事業を拡大し、社員十人以上抱える社長になっていて、売上も当時の十倍くらいだと教えてくれた。たった二年の間でそこまで急成長したなんて、どれだけの努力があったんだろう。

 私もお店を持つことができたと報告すると、【さすが華凛さん】と褒めてくれた。

【今の私があるのは朔弥くんのおかげだよ。華凛さんだから大丈夫って言ってくれたこと、本当嬉しかったもん】

 あの時は言えなかった言葉を伝えた。無条件に信じてくれたことは、ずっと私の支えになっていたから。

【華凛さんの力だよ! でもそう言ってもらえて嬉しい】

 相変わらず謙虚なところは以前の朔弥くんのままで、こんなふうにやり取りをしていたら二年という月日が流れていたことも全く感じない。音信不通だった空白が嘘みたいだ。

 お互いの近況報告をした後、朔弥くんにクリスマスの日程を聞かれた。十九時までサロンに入っていることを伝えると、その後思いがけずに会う流れになった。二年ぶりの再会。どんな顔して会えばいいのか。


「ねぇママー、この髪型変じゃないかな」

「大丈夫。可愛いよ」

 クリスマス当日。朝からデートの來愛はヘアやメイク、コーディネートに慌しく準備をしている。一方の私もいつもより念入りに下地を塗って、丁寧なメイクを施していく。

 來愛に「デート楽しんできてね」と伝えると、いつもより足取り軽くサロンに向かった。

 十二月はクリスマスを意識したネイルも多く、今日もリクエストされたツリーを爪に施していく。結婚していた頃はクリスマスだからと言って気持ちが昂ることはなかったけれど、それなりに夕食は手間をかけて凝った料理を作りケーキは欠かせなかった。けれど子供の頃のように特別な日であることに心躍らせて、枕元に置いてあるプレゼントを期待して楽しみにするような、そんな気持ちを持つことは二度とないと思っていた。でも今の私は間違いなくそんな心境だ。


 忙しさも手伝って一時間二時間があっという間に過ぎていき、最後のお客さんの施術が終わってお見送りをする。もう目の前まで再会の時が来ているんだと思ったら、楽しみと緊張で胸の高鳴りが増していった。もうすぐ会える、朔弥くんに――。どうしよう。最初になんて話そう。私、会ったらどうなっちゃうかな……ドキドキがおさまらない。


 スタッフの子達とお店を出ると、朔弥くんの車がないか見渡した。路駐する車が列をなし、どこだろうと思っていると「華凛さん!」と呼ぶ声が聞こえた。朔弥くんが運転席から顔を出し、軽く手を振っている。私ははやる気持ちを抑えながら車に近づいて行く。


 二年ぶりに顔を合わせた朔弥くんは以前よりも凛々しく目にも力強さが増していて、男らしい色気がある。こんなにも頼もしい感じだったっけ……もう男の子、なんて呼ぶには失礼な程素敵な大人の男性だ。けれどはにかむ顔にはあどけなさを残していて、変わらない笑顔は私を安心させてくれる。

 やっぱり朔弥くんといると気持ちが和らぐ。こんなに守られているような絶対的な安心感は、朔弥くんでしか味わえない。


「二年ぶりに会ったけど、そんな気しないな……。さっきまで緊張してたのが嘘みたい」

「華凛さん、緊張してたの?」

「うん、朝からしてたよ」

「意外だ、華凛さんて緊張とかしなさそうにみえた」

「それって鉄の女みたいじゃん。久しぶりの再会だし緊張もするよー」


 朔弥くんが笑う度に胸の奥が反応する。ずっと見たかった笑顔。ずっと心の中にいた人。遠い前世の頃から繋がっている人――。熱いものが胸の内から込み上げてくる。


 朔弥くんが小さな箱を手渡してくれた。中にあったのはあの『Twin Ray』リング。私は言葉を失って何度も瞬きを繰り返す。そしてさらに驚きに追い討ちをかけるように朔弥くんが私を想って作った、と照れ臭そうに言う。

 このデザインもブランドも朔弥くんから生まれたものだと知って、今まで点と点でしかなかった幻のような出来事や自分の不思議な感覚が、一気に線になって繋がっていく。全部意味があって、起きていたんだとしか思えない。私が朔弥くんに感じた特別な想いも、夢で見た前世であろう記憶も、目に見える確かなものではないから疑ってしまう時もあったけれど、全てがここに繋がっていたんだ。

 指輪に刻まれた二人のイニシャルがそれを物語っているように映る。信じて良かった。自分を。朔弥くんを。そして二人の繋がりを。


 朔弥くんの想いがたくさん詰まっているのを感じて、指輪を持つ手が震える。会えない間もずっと私のことを想っていてくれたことが、言葉を交わさなくても伝わってくる。 

 そしてそれは前世からずっと繋がれている想い。幸せの絶頂の中、突如引き裂かれることになってしまった二人の運命が、今世再び巡り合って絆を結んでる。大きくて深い前世から受け継がれた朔弥くんからの愛。私の魂がヨンスの分まで喜んでいるみたいだ。


 やっとまた……一緒になれたんだね。


 朔弥くんは力いっぱい私の身体を抱き締めてくれた。あったかくて身体が溶け合うような気持ち良さは、全てを委ねられる安心感がある。ああ……なんて心地良いんだろう。朔弥くんの腕の中はまるでパズルのピースがはまったかのようにピッタリ落ち着く。私の居場所はここなんだ。ここしかない。


 朔弥くんと何度も何度も唇を重ねた。まるで離れていた空白期間を埋めるかのように重ね合わせるキスは、とろけそうになるくらい気持ち良い。この時間が永遠に続いてくれたらいい——。


 幸せすぎて現実を忘れそうになった時、ふとあの時の感覚が蘇ってきた。王様と微笑み合う中で感じた至福のひととき。あの夢で味わった気持ちと一致するように思えて、私はやっと巡り巡って出会えた朔弥くんとの運命の糸を、魂の繋がりを、感じずにはいられなかった。


 今世こそ二人で幸せになろうーー。

 








 

 





 

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