ツイン男性 覚醒編
俺は華凛さんとの連絡を遮断した後、しばらくは何に対しても無気力で生きているのに死んでいるような抜け殻の日々を送った。空腹感さえ分からず、喉に流し込めるのはアルコールのみ。昼間から何本も飲み干し、フローリングには空の缶が転がっているような自堕落のお手本とも言える生活は一ヶ月程続いた。
自分自身何でこんな腑抜けになっているのかわからず、ただただ一日一日を終えていくことがやっとだった。
そんな俺を見兼ねた親が実家に戻って来るよう説得してきた。母親が一度用事があって俺の住むマンション近くまで来た時に、部屋に寄って行ったことでこの有様が発覚してしまった。
「そんな生活が今後も続くようならここには住ませない」そう言い切られたことがきっかけで、俺の中でこのままだといけないという意識が芽生え始め、少しずつ奮い立たせられる何かがあった。
親の脛をかじっていた生活をやめ、思い切って住んでいたマンションを引き払うと、ワンルームマンションがある都内に移り住んだ。
今の俺の稼ぎだけだとまあまあ厳しい家賃だったが、敢えてプレッシャーをかけるためにそこを選んだ。気分一新で歩みだしたかった。だから前の部屋から運んだ荷物はスーツケース一つ分だけ。
以前より殺風景な部屋だったが、真新しく感じるこの空間は俺のやる気を漲らせてくれる。
そしてそれまでとは打って変わって現実逃避をするかのように仕事にのめり込んだ。今まで野心のようなものを持ち合わせていなかったけれど、結果を出して自信が持てる男になりたい。そう強く願うようになった。
俺は輸入業を拡大していくことを決意した。今までは中国オンリーだったけれど、韓国やヨーロッパと仕入れ先を増やすことにした。
人手が必要だと考えて求人サイトで募集をかけてみた。何人かzoomで面接したのち、採用したのは三人。
その中でも特に希望を持てたのが中国籍のチェンだ。滞在歴五年で俺のニ歳上にあたる。中国、韓国、日本語が流暢に話せて語学力堪能。仕入れ代行の経験もあって頼もしい存在になっていきそうだ。
外注しかお願いしていなかった俺は今まで事務所も構えていなかったが、スタッフ採用を機に会社の事務所としてアパートの一室を借りることにした。
販路先も拡大し、事業として規模をデカくしていこうと考えた。とにかくどこまで自分ができるのか試してみたかった。誰かを支えて守れるくらいの経済力と器も持ち合わせたいと思った。
とにかく必死だった。
まるで何かに取り憑かれたかのように仕事に没頭した。趣味で行っていたフットサルにも自然と足が向かなくなっていた。以前なら休みたい時に休んで、たまに気分転換を兼ねてカフェで仕事するといった自由な暮らしぶりから一変し、今は休みらしい休みもなく自宅と事務所を往復するだけの日々。たまに事務所でそのまま朝を迎えることもあって、仕事漬けの毎日だった。
忘れようと思っても忘れられない存在、華凛さんが常に俺の心にいることで急きたてるような想いが俺のエネルギーになっていた。
もうすぐ華凛さんと連絡を取らなくなってから一年が経とうとしている。
一方的に関係を断ち切った俺を恨んでるかもしれない。裏切るような形で突然去ってしまって泣かせてしまったかもしれない。
それを想うと胸を鷲掴みされるような苦しい気持ちが溢れ出したけれど、そう思えば思うほど仕事に集中できる自分もいた。
「朔弥さん、商談上手くいきました! 予定よりコストカットできそうです」
俺はよしっ! と握り締めた拳を掲げる。
俺が期待していたチェンは、メーカーとの商談を重ねるごとにどんどん交渉術が上手くなっていき、最近では俺が一緒に商談に入らなくても余裕で取引成立まで持っていってくれた。
代行を使わなくても済むようになったおかげで、利益がだいぶ上乗せされる。
売上がアップし、少しずつ会社が軌道に乗り出したことで、アパートの一室から始まった事務所も五十坪程の店舗を借りるまでに拡大した。気がつけばスタッフの人数も三倍以上に増えている。
この調子でいけば今期の売り上げ二億超えは間違いない。俺はチャンをはじめ、今ある仕事をどんどん社員達に任せるようにし、自分は新規開拓に力を入れていくことにした。
仕事が順調に進み余裕が出てくるようになった頃、久しぶりにフットサルに参加するため足を運んだ。
「朔弥やっと来たか!」
久々に顔を合わせたマナトは相変わらず逞しい膨らみのある筋肉をしている。少し前に同棲していた彼女と別れたと連絡があって気にかかっていたが、思ったより落ち込んではなさそうだ。
「マナト元気そうじゃん」
「まあな」
「結婚まで考えてたんだろ? 何が原因だったんだよ」
「その結婚のことでお互い意見が分かれてさ。俺はあと二、三年はいいかなーって考えてたけど、彼女は子供を早く産みたかったみたいで。そんなに待たなきゃいけないなら俺との関係考え直したい、って言われて出てった後そのまま戻って来なかったって流れ」
「結婚か……タイミング大事だよなー。責任あるしいくら求められてもこっちの覚悟ができてないと、難しいもんがあるよな」
「会社の同僚でハタチで出来婚した奴がいるんだけど『小遣い少ないし遊びに行くのも気遣うし、もっと自分の時間ほしー』とか嘆いてるの聞くと早くしたいとか全く思わなくって。なのに彼女は結婚情報誌とか買ってくるし、温度差ありまくりでさ……」
それはちょっとプレッシャーかかるな、とストレッチをしながら言いかけたところでホイッスルの鳴る音が聞こえた。
俺とマナトはベンチに集合した後二手に分かれ、それぞれポジションについた。久々に蹴るボールの感触は忘れていなかったものの、身体が思うように追いついていかない。相手チームにいるマナトと競り合ったボールにスピードの速さで負けた。息切れしている俺を見て「バテるの早いぞ」とマナトに言われる始末。日頃の運動不足を思いしらされる。前半のニ十分走っただけで、早くも両脚が重たくなっていた。
「朔弥、身体なまりすぎじゃね?」
「だよなぁ、俺もやべえと思った」
「走りも蹴りも勢いなかったし」
「身体動かしてないと、やっぱ差が出るなー」
フットサルの後マナトと近くにある居酒屋に寄ると、試合中の俺の姿に散々ダメ出しをされた。体力のなさを痛感し、今度からはもっと定期的に足を運ばなくてはと思った。
「最近輸入の仕事はどーよ」
「やっと上手く周り始めたかなーてとこ。良い人ばっか集まってくれてるから助かってる」
「この一年で急成長だよな。前の朔弥は『仕事はそこそこ稼げればいい』なんて言ってたのに。いきなり仕事に燃える熱い男になってるし」
「あー、そんなこと言ってた時期もあったっけ」
「そこまでの変化があったってことは……さては女でもできた?」
「んーないなー、そういうのは」
「お前は浮いた話全然ないよな」
俺は苦笑いで返すとハイボールを喉に流し込んだ。
「お待たせしました」と店員が言って、注文した料理をテーブルに並べる。キツネ色に揚がった軟骨唐揚げを見て、ふと華凛さんも好きって言ってたなぁと思い出した時「マナトくんじゃない!?」という女性の声が聞こえた。
「蓮香と亜子じゃん! めっちゃ久しぶり」
「こんなとこで会うなんて偶然じゃん」
どうやらマナトの高校時代の同級生らしい。卒業以来の再会に話が弾み、そのまま二人は俺らの座るテーブルに腰掛けた。二人が俺に軽く頭を下げる。
「あ、こいつ朔弥。小中と同じでさっきまで一緒にフットサルやってたとこ」
「そうなんだぁ。すみません相席になっちゃって」
亜子と呼ばれてた子が申し訳なさそうに言ったら、何故だかマナトが「全然平気」と答えた。まぁ別にいいんだけど。
四人で乾杯しようとグラスを傾けた時、亜子さんのグラスを持つ手に目がいった。
「爪、凄く凝ってるね」
思わず口に出た。
「本当? 最近してもらったんだけど気に入ってるの」
「このリボンとか凄い」
ツイード調の上に乗せてある大振りのリボンを指差す。昔華凛さんのインスタにも同じようなネイルが載っていたことを思い出した。
「さすが朔弥は見てるとこが違うわ」
「マナトくんは胸とかお尻とかしか見てないもんねー」
女性二人に突っ込まれて、高校時代のマナトがどんなふうだったか想像できる。小学生の頃からクラスの中心にいていつのまにか盛り上げ役になっているマナトは、高校時代もきっとそんなキャラクターで周りを楽しませていたんだろう。
会話の中心はそんなマナトの高校時代のエピソードを聞いたり、同棲の彼女に振られた話へと広がっていったが、傷心を誘うどころか笑い話に持っていくところがマナトらしい。
「ところで蓮香と亜子は彼氏いるの?」
「蓮香はもうすぐ付き合って一年の彼氏がいるけど、私は募集中。マナトくん誰か紹介してよー」
「あ、それならココにいるじゃん」
マナトが俺に視線を向ける。
「朔弥くん彼女いないんだ?」
「確か大学出てからはずっといなかったかなー」
何故か俺が言う前にマナトが答えている。
「へーそうなんだ。てっきりいるのかと思った」
「仕事人間だから最近までフットサルにも来なくて、俺のこともほったらかしなんだぜー。こっちは彼女と別れて落ち込んでたのに」
マナトが泣きまねを始めたから「ハイハイ、ごめんごめん」と棒読みで慰めた。
「ドライな男だなー」
「マナトはもうちょいドライになれ」
「二人共仲良いねー」
蓮香さんにクスクス笑われて「どこが」と発した声がマナトと重なり、さらに笑われる羽目となった。
「朔弥はマメ男じゃないから、分かってくれる子じゃないと長続きしないよなー。俺がラインしても返信くるのが次の日とかだし」
「そんなタイムラグあるのはマナトだけだって。他の人には普通に返してる」
「どーゆーこと?」
「マナトのラインは即レスいらんやつばっかだろ。筋肉の写メ送られても反応に困る」
「そんな特別扱いしんくていーのに」
マナトが大袈裟に口を尖らせて拗ねた素振りをする。
「マナトくんて本当高校の時から変わってないよね」
亜子さんがそう言うと蓮香さんが大きく頷いている。
「いや、小学生の頃からこんな感じだよ」
「朔弥、それはなくない? 俺成長してなさすぎじゃん」
マナトが眉を顰めガックリと肩を落としていたので、三人で笑った。
店が閉まるギリギリまで四人で盛り上がった後「お互いライン交換でもしとけば?」と言ってきたマナトの軽い提案を拒否する理由も見当たらず、俺は亜子さんとラインを交換した。
久々に飲んで騒いだ解放感に浸りながら自宅マンションにたどり着くと、脱力感に身を任せるようにベッドに横になった。その時ラインの通知音が聞こえた。亜子さんからだ。
【もう家かな?】
【ちょうど着いたとこ】
【今日は楽しかったー。朔弥くんさえ良ければまた四人で飲みに行こう】
【またマナトに声かけておくよ】
ラインした後は久々のアルコールと走り回った疲労感のせいか急激に睡魔が襲ってきて、俺はそのまま目を閉じた。
翌朝はこめかみに鈍い痛みが走って目が覚めた。昨日の服装のままいるのを目にして、あのまま寝てしまったんだと自覚する。ベッドに転がっていた携帯には亜子さんからライン通知が届いていた。俺は【ごめん、寝てた】とだけ送った後、怠い身体を起こしてシャワーを浴びることにした。
亜子さんとのラインのやり取りは毎日ではないけれど、何度か交わすようになっていた。
俺が亜子さんと呼んでいたら【亜子でいいよー】と言われたものの呼び捨てに慣れてない俺は【亜子ちゃんで】と返信した。
他愛のないやり取りは華凛さんとDMを送り合っていた頃を思い出させる。いつも即レスしていた俺は返信が来るのが待ち遠しくDMを開くことが楽しみで仕方なかったはずなのに、今は華凛さんとのことを思い出す度苦しい想いに晒される。その変化は耐え難く余計辛さを増しているよう。
きっと何も言わず逃げるようにして音信不通にしてしまった罪悪感や、自分の弱さを感じているからかもしれない。
俺は身体を鍛えるためにもフットサルには毎週顔を出そうと決めていたため、また次の週末にあの居酒屋で四人で会うことはとんとん拍子に決まった。
「ごめーん、遅くなっちゃって」
俺とマナトが先にテーブルに座っていたら、亜子ちゃんが一人で入ってきた。
「蓮香は?」
「熱が出たみたいで、今朝行けないって連絡あったの」
「それは残念……ま、ここ座れよ」
マナトは向かい側に座る俺の横を指差したため、亜子ちゃんが俺の隣りに座った。緩やかなロングの巻き髪が揺れてふわっと良い香りがした。
三人で乾杯するや否やマナトの携帯が鳴った。着信画面を見たマナトは「ちょっと悪い」と言って立ち上がった後、携帯を耳に当てながら店の外へと出て行った。
「誰からだったんだろう」
「元カノだったりして」
冗談で言った言葉が本当だったと気付いたのはマナトがいつもにはなく真剣な顔して戻ってきた時だった。
「ごめん、俺抜けてもいいかな……元カノに呼ばれてさ」
「ああ、大丈夫」
「朔弥も亜子も悪い! またな」
「マナトくんまたね」
血相を変えて飛び出していくマナトの後ろ姿を見送ると、横並びで座っていることに居心地悪く感じた俺は亜子ちゃんの向かいに座り直した。
「あれはよりを戻すパターンかもね」
「だね……マナトのあの慌てっぷりは未練ある証拠だな」
「この前会った時は早く次探すとか言ってたのに」
「マナトは強がりなとこあるから。俺らにもそういうとこあるし」
「朔弥くんはそうじゃないってこと?」
「え、俺?」
「マナトくんみたいに強がりじゃなくって好きなら素直に言うタイプ?」
一呼吸置いて「違うかも」と答えた。
「なにそれー、じゃあマナトくんと変わらないじゃん」
亜子ちゃんはクスクス笑っている。
なんとなく華凛さんと重なる。緩く巻いた栗色の髪も控えめに笑う感じもどことなく似ている気がする。
「朔弥くんどしたの? じっと見て」
「あ、いや別に……」
つい華凛さんの顔を想い浮かべた自分に嫌気がさす。俺の心に住み着いて離れない華凛さんの存在は時々俺を脅かしてくる。なのに片時も忘れてなんていない自分が歯痒くて惨めで、時折どうしようもなく逃げ出したくなる。
「朔弥くんの前の彼女はどんな人だったの?」
そう言われて想い浮かべてしまった人はやはり華凛さんだ。付き合ってるなんて言える関係でもなかったけれど、俺には華凛さんしかいなかった。その前にいた彼女の顔はもうハッキリと思い出せないくらい忘れてしまっている。
けれど華凛さんのことを口にするのは抵抗があって「もう何年か前だしあんま覚えてないかな」と答えた。
「じゃあ未練とかはないんだ?」
思わず押し黙る、俺から去ったのに、いつまでも心の中にずっといる人を未練と呼ばずになんと言うんだろう。
「亜子ちゃんは? 前の彼氏には未練ないの?」
「んーどうなんだろ」
「その返事はあるってことだよね」
「私から別れ話して去ったんだけど、未だに他の人と比べちゃうのはそういうことなのかな……」
「なんで別れたの?」
「私の方が好き過ぎて苦しくなって自爆しちゃったの。常に不安で一緒にいない時は何してるのか気になって仕方なくて、頻繁に連絡しちゃってた。付き合ってるのに楽しい気持ちよりも疑ったり不安ばっかになっちゃって……今思えば自分に自信がなかったからかなーって思うけど」
「その気持ちはなんとなく分かる。好き過ぎて苦しくなって離れたくなるってやつ?」
「本当に? 男の人でわかってもらえたのって朔弥くんが初めてだよー」
「そうなんだ、そこは喜んでいいところか分からないけど」
「朔弥くんもそんな恋をしてたってことだね」
俺は押し黙ったまま何も反応を返さず、質問した。
「……元彼とはいつ別れたの?」
「半年前かな……それからずっと会ってない」
「連絡はしてないの?」
「別れて一か月後にやっぱりやり直したいってライン送ったけど、既読スルーになっちゃって……そこから怖くて一度も送ってないの」
「そっか。でもマナトみたいなパターンもあるわけだし、復縁もタイミングがあるからなー」
「そうだよね……私自身も感情に波があってもう忘れたいと思ったり、やっぱり彼がいいって思ったり。最近は恋愛って面倒臭いって思うこともあったり……疲れちゃう時あるなー」
亜子ちゃんは深い溜め息をもらした傍らで、俺はまたもや華凛さんの顔を思い浮かべた。
一人占めしたいほどの独占欲に駆られて苦しくなったり、強烈に惹かれて愛おしいのにその反面近付くことに怖くなったり。自分の感情をコントロールできない焦りや不安から、もうこんな想いから解放されたいって何度思ったか分からない。
けれども俺の心の中には常に華凛さんの存在があって、それはきっと永遠になくならないんだと心の何処かで気付いている。
華凛さんのおかげで俺の中にあった空虚感がなくなっていたのに、今は半身を引き裂かれたような喪失感があるのは華凛さんの存在がそれだけ俺にとって大きい証のような気もする。だからもう抗うことなく受け入れてしまった方がいっそ楽なんだと思う。俺にとって華凛さんは特別で唯一無二の存在なんだと。それができたらどんなにいいだろう——。
「なんか朔弥くんと話してたら、ちょっとスッキリしたー! 聞いてくれてありがと」
「全然いいよ。俺で良かったら話しくらい聞くよ」
「お互い復縁できるといいね」
「や、俺は……」
そう言いかけて下手に反論するのはやめておいた。亜子ちゃんは意味ありげに笑った後、手を振り改札を抜けていく。俺はその背中を見送り自宅マンションへと帰った。
週明けの業務は朝から忙しく動き回っていた。取引先との商談を終えて会社に戻ると、何やら騒がしい雰囲気だった。何かあったんだろうか。
皆の間を割って入る。騒ぎの真ん中には女性社員の七海さんと小野木さんがいた。二人共顔つきが険しい。
「何々どうした?」
「……小野木さんが何度も同じミスを繰り返すので注意したら逆切れしてきて」
「七海さんの言い方がキツイからそう言っただけです。別に切れてないですけど」
「それのどこがキレてないわけ?」
「ほら、その言い方。直した方がいいと思いますよ」
売り言葉に買い言葉はまさにこの状況を指す言葉だろう。どちらも引き下がる様子はなく、このままだとヒートアップしてしまいそうな勢いだ。
七海さんはもう一年以上働いてもらっている社員さんで、小野木さんは今月バイトとして入ってきたばかりの新人さんだ。まだ二十歳だったが、物怖じしないハッキリした人というのが面接時の印象だ。
率先して行動してくれそうだと思い採用したが、入社早々七海さんと衝突することがあったと他の社員の子から一連の流れを聞いていたため、少し気になっていた。
しばらくは何事も起きていなかったようだったのですっかりそのことも忘れかけていたけれど、双方の間で上手くコミュニケーションができていなかったんだろうか。
俺はとりあえず別室で七海さんと小野木さんの一人ずつから話を聞くことにした。他にも会社の不満や改善点などあれば聞かせてほしいことも伝え、何とかお互いが働きやすい環境を整えたかった。
七海さんは「小野木さんとは価値観が合わない」と憤慨していたが色々話していくうちに落ち着いたのか「私もきつく言いすぎたとこあるので今後は気をつけます」と言ってくれた。
そしてこんなツールがあったら便利だ、とかこんなセット売りがあると注目されそうだ、とか新しい視点で意見を言ってくれて、俺自身にはない気付きを与えてくれた。
一方小野木さんは七海さんのことも含めて「特に言いたいことはありません」の一言で終わってしまった。
何でも言ってほしかったが小野木さんは目を合わせることもなく、頑な表情を崩さなかった。
そして翌日欠席の連絡が入り、そのまま会社に来ることはなかった。
小野木さんの急な退社は社内の空気を重たくしていた。あれだけ衝突していた七海さんが一番浮かない顔をしている。責任を感じているのかもしれない。
「七海さんのせいじゃないから」
「でも……」
「いや、あの時小野木さんの気持ちを汲んでやれなかった俺の責任。だから気にする必要はないから」
七海さんは納得していないような顔つきだ。
「今度からバイトの面接には七海さんにも同席してもらおうと考えている。一緒に働いていくわけだから、七海さんが直接話してみて決めた方が仕事のしやすさも違うかなと思って……どうだろ?」
「私が面接に同席ですか? ちょっと不安ですけど……でも嬉しいです」
「じゃあそういうことに決まりということで次回から頼んだよ」
「はい、分かりました」
七海さんの表情が少し柔らかくなる。
俺はそれを見届けると、ホッとため息をもらした。
安堵したのは束の間だった。
「纐纈社長!」
チャンが青ざめた顔をしながら駆け寄ってくる。
「どうした?」
「中国からの荷物が税関で止まっているようで……これ……」
茶封筒から取り出した用紙を広げた。
税関からのお知らせ、と書かれた手紙には「知的財産を侵害する物品が見つかりました」と記されている。
「以前メーカーからサンプル商品を送ってもらった時は大丈夫だったので、普通に発注かけてしまったんですけど……本当申し訳ありません!」
チャンが深々と頭を下げる。
商品は有名ブランドと少し似たような柄のものだった。もちろんロゴなんて入ってないし、偽造品ではない。
不服がある場合は申し立てもできるが、それに費やす時間も労力ももったいない。原価は安いがロット買いの大量発注、横展開して何種類かを仕入れていたため損失額は一千万近くに及ぶ。
――迂闊だった。輸入仲間が最近は税関が厳しくなっていると言っていたし、俺が仕入れ商品を確認できていたらこの事態は免れていたはず。
俺はやり場のない気持ちをグッと飲み込むと、俯き申し訳無さそうな表情のチャンの肩をポンポンと叩いた。
「俺がちゃんと伝えてなかったからだ。挽回していこう!」
「本当すみませんでした!」
チャンは再び頭を深々と下げた。
俺は会社の業績を上げて大きくしていきたいと奮闘していたけれど、立て続けに起こったトラブルのおかげで自分の気持ちばかりが先走っていたことに気付かされた。
最近皆とのコミュニケーションも疎かになっていた気がする。俺一人で成り立っているわけじゃないんだから――。
突っ走るように行動してきた俺は一度立ち止まり、もっと社員やバイト達との距離感を大事にしていこうと考え始めた。
特別なことはしていないけれど、前より一人一人の働いている表情をよく観察するようになった。声をかける回数も増えた。少しずつだがどんな想いで仕事をしているのかとか、どんな夢を持って毎日を送っているのかが分かるようになってきて、その想いに触れる度もっと皆の夢を後押しできるような会社にしていきたい、そう思えた。
「いつも頑張ってくれてありがとう」
今までなら振り込みにしていたボーナスだけど、今回から手渡しで渡すことにした。封筒と一緒に日頃の感謝を込めた手紙も添えた。
一人一人にお礼を言いながら手渡していく。
「えー社長、そんなとこまで見ててくれたんですか」
七海さんが早速手紙を開けて読んでいるようだった。
「手紙は自宅で読んで!」
小っ恥ずかしさを感じて語尾を強めたら、周りから笑いがこぼれた。
「社長が顔赤くしているとこ、初めて見ました」
「本当だー」
「今笑った人はボーナス没収ということで」
俺が冗談混じりに言うとさらに笑いが増した。
会社の雰囲気が明らかに変わってきたのが分かる。社員同士が信頼関係を築けているのがわかるし、プライベートでも付き合いがあることを知って良い環境になっているのを感じた。それもこれもあのマイナスと思えた出来事があったおかげだ。
その週末フットサルに顔を出すと「なんか朔弥、いつもにも増して絶好調じゃん」とマナトが言ってきた。立て続けにシュートを決めることができたのは、俺の精神性の部分が大きく関わっているだろう。
毎週フットサルに通うようになったことで身体の動きがスピーディーになったおかげもあるが、俺の内面が穏やかでいられているせいもある。
「マナトの方こそ絶好調だろ」
ドリブルで攻めてきた相手からボールを奪った後、綺麗な縦パスで繋いでシュートまで決めていた。マナトの絶好調の理由は聞かないでも分かる。
フットサル後のお決まりの流れになった居酒屋で、マナトとジョッキグラスで乾杯した。
「あー、運動した後のビールは最高だな」
マナトは一気にグラスの半分まで飲み干した。
「より戻したって言ってたけど、また同棲始めたのか?」
あの後マナトからラインが来て元カノとやり直すことになったと入っていたけれど、詳しいことは何も聞いていない。
「ああ……一緒に住んでるよ」
「やっぱり好きだから別れたくない、とか言われたんだ?」
「いや……『マナトみたいな調子いい奴、私にしか合う人いないでしょ』っていう強気発言された」
俺は飲みかけたハイボールを思わず吹きこぼしかけた。マナトにはお似合いの相手かもしれない。
「肝心の結婚については話した?」
「とりあえず一年後ってことで折り合いつけた」
「へー、いいじゃん。マナトも覚悟決めたんだな」
「正直結婚て重荷に思えてたけど『私マナトに養ってもらいたいとか支えてもらいたいとかそういうんじゃなく、ただ一緒に生きていきたいしマナトとの赤ちゃんだから欲しいって思うだけ』って言われてさ。すげー嬉しくって結婚に対しての見方も変わったとこあるんだよな……」
「そんなふうに言ってもらえると嬉しいよな。逆に駆り立てられるものがありそうじゃん」
「そうそうそれ。あんなに結婚に対して後ろ向きだったのに今は逆だもんなー」
「まあ良かったじゃん」
「そういやあ亜子とはどうなってんの?」
「亜子ちゃんと?特に何も変わりないよ」
「俺はてっきり付き合うんじゃないかと思ってたんだけど」
「亜子ちゃん好きな人いるし」
「そうなんだ?」
「最近相談役になってる」
「マジか。それは余計なことしたかも……なんかすまん」
「なんで? 別に俺はいいけど」
亜子ちゃんはたまにラインで近況を教えてくれるけど、この前元彼に連絡して久々に話せたと教えてくれた。【復縁まではいってないけど、今度は逃げないよう頑張ってみる】と前向きだった。俺は【上手くいくことを祈ってるよ】と返信した。
週末はフットサルで身体を動かし、平日は仕事に没頭する。俺の中でバランス良い生活が定着しだしたことで気持ちも安定していた。そして会社の居心地の良さが増した頃、俺は新たに目指したいものが見つかった。自分で何か商品を生み出したい。形になるものを残していきたい。そんな想いを強く抱くようになった。
けれど残すといっても何が良いのか分からない。自分が残していきたいもの。丹精込めて作りたいもの――。
その時ふとあるものが脳裏に浮かんできた。もうとっくに記憶からなくなっていたけれど、何故か今夢の中で見たあの時の指輪が、鮮明に目の前に映し出された。お金がなくて自分では買うことさえ出来ずにいて。けれど愛する人をなんとか喜ばせようと必死になって掴み取った指輪。
会社のデスクに座り込んで考えていた俺は真っ白なコピー用紙を一枚取り出すと、思いつくままにデザインを書き記す。正直デザインの知識なんて全くない。でも俺は自分の想いをこのリングにこめて、何とか形にしたかった。
「社長何書いてるんですか」
「んーちょっとデザイン……」
「指輪ですか……おぉ、これとかお洒落ですね」
チェンはコピー用紙に描かれた何枚もの図案を見ている。
どれも素敵ですね、と言ってくれたが俺が納得できるものは何も出来上がっていない。
「こんなありきたりじゃ駄目だな」
「それにしても突然指輪のデザインなんてどうしたんですか?」
「なんか急に作ってみたくなってさ」
日々業務をこなしながらも、俺の頭の中は指輪のデザインのことでいっぱいになった。凝り固まっているのかなかなかコレ、と思えるアイデアが思い浮かばない。
週末の昼過ぎ。俺は久しぶりに車に乗り高速を飛ばした。その場所に向かうのは一年半ぶりだろうか。思い出の場所でもあり、封印していた場所。
高速を降りて下道に入る。目的地に近づくにつれ、段々と建物の数が減っていく。運転席の窓を開けると、微かに塩の香りがした。視界には徐々に水面が見え始めている。
俺は目的地に辿り着くとエンジンを切り、あの日降り立った浜辺へと進む。
「気持ちいいなぁ……」
俺は大きく両腕を伸ばす。
あの時は波音だけが静かに響いていて人の気配は全くなかったけれど、今は海水浴シーズンとあって子連れのファミリーを中心に大勢の人で賑わっている。けれどすでに日が傾きかける時間帯だったから、帰宅間際の客が圧倒的に多かった。
水平線を眺めていたら、あの日の光景が蘇ってくるようだ。懐かしいなぁとまで思えるようになった俺は、あの頃より少しは成長できたかもしれない。
あの時の俺は気持ちだけが溢れて先走っていて、なんとか関係を深めたくて、余裕なんてものはこれっぽっちもなかった。自分の生き方や考え方が一八十度変わって今の俺があるのは、間違いなく華凛さんのおかげだろう。
そして華凛さんと会わなくなってから一切見なくなったあの奇妙な夢も、俺に大切なメッセージを与えてくれた気がする。
もうほとんど記憶に残っていない中で、最後女性の中で感じた愛する人への想いともうニ度と失いたくないという切望感だけは、俺の心の奥底にしっかり切り刻まれているから。
俺はあの夢の中の女性も、俺の一部のような気がしていてならない。
夢の感触を思い返していた瞬間、俺の中にピンとインスピレーションが湧いてきた。俺は瞬く間に車へ戻ると、助手席に置いてあったスケッチブックを取り出す。直感的にひらめいたそれは、本当に突然降りてきた。かき消されないうちに急いでペンを走らせる。
思い浮かんだアイデアを一通り紙にしたためられたとき、出来上がりの満足度は最高のものになった。
インフィニティ♾の形をした細身のリング。中央には小さめのダイヤ。永遠の愛という想いを込めて出来上がったデザインは、自分の想いを全て形にできた。
俺は週明けの社内ミーティングでジュエリーブランドの企画を提案した。「おぉ」と歓声のような声が漏れる。そのため良いブランド名がないか各自アイデアを出しておいてほしいと伝えた。デザイナーさんには俺が書いた図案を基に、製図作成を依頼した。
作る以上は最高のものに仕上げたい。このインフィニティ型のリングは他でも見かける型だ。だからマーケティングが必要だし、何かインパクトがあるものが欲しい。
けれど本当に満足のいくものを完成させようと思ったら、全く妥協ができなくて何度も試作品を作ることになった。俺が望むようなクオリティーの高い職人さんにもなかなか出会えず、アポを取って何軒か回った。
早く決まるだろうと思っていたブランド名もなかなか閃くものが見つからない。社内ミーティング時に毎回アイデアを出してもらうけれど、俺の中でオッケーサインが出るものには未だ出会えずにいる。
「社長凄く魂入ってますよね」
チャンがマグカップに入れたコーヒーを差し出してくれた。俺はサンキューと言って口をつける。いつのまにかホットが美味しく感じる季節になろうとしていた。
「チャン、何か良いアイデアない? もっと早く決まると思っていたのに、なかなかブランド名が思い浮かばないんだよなぁ」
「名前でイメージも変わるから重要ですよね。そうですね……女性に響くものがいいかなぁと……」
「女性に響くものかぁ……男の俺には難解だな。女性社員にアドバイスもらうのが良さそうだな」
「でもやっぱり一番は、社長の想いが詰まっていることが重要かもしれませんね。名前に込めた想いが詰まった分、伝わるものも違うんじゃないですか」
俺の想いが詰まったネーミングかぁ。そう呟きながら、思いっきり身体をのけぞらせて天井を見つめた。ありきたりな言葉や耳にした言葉だとインパクトがない。耳に残るような気になってしょうがないような、それでいて俺の想いが詰まる言葉があれば――。
一旦外の空気にでも触れに行こうと椅子から立ち上がると、出入り口のドアへと向かう。
ちょうど俺が女性社員の背後を通ろうとすると、小声でキャーキャー何やら騒いでいた。
「何そんなに楽しそうにしてるの?」
背後からひょいと顔を覗かせる。
「あ、社長!」声を合わせて慌てるニ人。
「ん? YouTube観てたの?」
「や、これも仕事ですよー、ブランド名を考えてて……」
「何かインパクトある名前ありそう?」
「最近聞いたんですけど、社長はツインレイって知ってます? これなんですけど……」
七海さんがパソコン画面上を差しながら、得意げに教えてくれる。YouTube見ながら考えるとは俺にはなかった考えだなぁと思いながら、初めて聞く言葉に首を横に振る。
「魂の片割れのことらしいですよ」
「片割れ?」
「前世で一つの魂だったものがニつに分かれたらしく、運命の恋人のことを言うみたいですよ。出会うと強烈に惹かれ合うとか……」
その言葉を聞いた途端、心臓が止まるかのような衝撃が走る。前世? 運命の恋人? それに強烈に惹かれ合うってまさに俺が体験していることそのものじゃないか――?
一瞬時が止まったかのような衝撃だ。言葉が出てこない。
けれどその言葉の意味を知った途端、俺の中で何の迷いも持たずに決めた。
『ツインレイ』それをブランド名にしようと。
「YouTubeにいっぱい情報ありますよー。社長も良かったら観ます?」
「いや、大丈夫。七海さんありがと! 本当助かったよ」
それ以外の情報は特に必要性を感じない。だってもう充分だろう。何より俺自身が確信しているのだから。
華凛さんは俺にとって唯一無二の存在だって。
名前が決まった後からの流れは面白いほどのスピードで進んで行った。チャンが必死で探し出してくれたおかげで、信頼できる職人さんとも出会うことができた。有難いことに細かい所までこだわってついに完成した思入れの深いリングは、俺が予想していた以上のクオリティーに出来上がった。
デザインは全て同じだがシルバー、プラチナ、ピンクゴールドの三種類の素材を用意した。
「この指輪、本当素敵ですよねー。彼氏におねだりしようかな」
「石の配置もいい感じですよね。絶対人気出ますよー!」
女性社員達の反応も良く、期待に胸が膨らんで気持ちが昂ってきた。
タイミング良く来月のクリスマス前に販売できれば、なかなかの売上が見込めるんじゃないだろうか。社員に任せていたサイトの出来映えも上出来で、女性達の目を引くことができそうだ。
俺は販売のニ週間前からSNSを使って大々的に広告を打ち、商品をアピールしていくことにした。そしてクライアントの繋がりで編集者さんを紹介してもらうと、なんと運良く雑誌に掲載してもらえることになった。担当してもらった女性編集者さんが「面白いですね」と俺が名付けたブランド名に興味深く反応してくれたからだ。
俺の想いやこの名前の意味を伝えると、ますます目を輝かせてくれて「私も初めて聞いた言葉ですしまだまだ認知されていない言葉だと思うので、特集で組んだら良い反応もらえるかもしれませんね!」とさらに意欲的な言葉をかけてもらえたのだ。
オリジナルジュエリー『Twin Rayリング』の発売日。
初めてデザインから考えたオリジナル商品。俺の想いが詰まったリングがついに発売された。
「社長アクセス繋がりにくくなってます!」
「わ……どんどん注文数上がってきてます!」
ペアリングの数は生産数限定での販売だ。広告掲載からの流動も多かったし、何より雑誌での反響が大きかったのがアクセスアップに繋がっただろう。
発売前から商品への問い合わせが殺到していたからだ。
「社長! 予定の販売数完売しました!」
チャンの威勢のいい声が響くと社内から瞬く間に拍手が沸き起こる。俺は高く挙げた両手の拳にギュッと力を籠める。
ここまでやり切れたのは周りの社員や取引先、編集者、俺と関わってくれた人全てのおかげだった。皆に助けられて達成できたと思ったら熱いものが込み上げてきた。
その日の業務は早めに終わらせると、デリバリーしたピザやオードブルなどをデスクに並べて打ち上げをすることにした。
近くのコンビニで買い出ししてもらったお酒が皆に行き渡ったのを見計らって、徐に席を立つ。
「皆、この日のために日々奮闘してくれてありがとう。おかげで早い段階で売上目標達成することができました。えーじゃあ堅苦しい話は抜きにして……お疲れ様! 乾杯!」
「かんぱーい!」
皆の声が一斉に響く。
「社長おめでとうございます」
七海さんが隣りに来てくれ缶を近づけたので、手にした缶を寄せた。それに続いて列をなすように皆が俺の前に来てくれたので、結局一人一人と乾杯した。
社員の皆が和気藹々としながら飲んだり食べたりしているのを眺めていたら、ふと自分一人でアパートの一室から始めた日のことが浮かんできた。
あれが俺の出発点。焦りや苛立ち色んな感情が渦巻いて、もがいてもがいて毎日を過ごしていたあの頃を思い返すと、自分がここまでやれる男になったことを褒めてやりたくなった。
自信なんてこれっぽっちもなかったけれど、色々挑戦し、葛藤し、乗り越えていく中で自然と身に付いてきた気がする。
「纐纈社長! 本当良かったですね」
「チャンのおかげだよ。本当感謝してる」
「いえとんでもないです。あのデザイン本当素敵ですし、名前の印象も大きかったですよね」
「そうだな……。諦めずに納得がいくまで追求できて良かったよ。チャンのおかげで腕の良い職人さんとも出会えることができたし。何度も頼み込んでくれたらしいじゃん」
「何でそれを……」
「作業場で顔を合わせた時に教えてもらった。社長想いの社員さんに熱く語られて承諾したって言ってた」
「そんなことを……僕そんなに熱く語ってたかな……」
チャンは頬を赤らめ首を傾げる。
「ああ……熱気に押されたって話してたから。チャンの情熱があの堅物な社長さんの気持ちを動かしてくれたんだよ。本当ありがとう」
会社の立ち上げ当初からずっとついてきてくれたチャン。今じゃ俺の右腕となって率先して動いてくれている。
「いや、僕の方が社長に助けられてますから。以前損失出した時責めないでくれたこと、今でも感謝してます」
照れ臭そうに話すチャンを見ながら、俺はそんなこともあったか……と懐かしさが込み上げた。
「纐纈社長はあのペアリング、渡したいと思う人はいないんですか」
「……実はあの指輪はさ……ある人を想って創り上げたものなんだ」
「そうなんですね……! でも何となくそんな予感はしてました。指輪にかける情熱がひしひしと伝わってきましたから」
「今の俺があるのはその人のおかげなんだ。出会えていなかったら、きっと今頃目的もなく何かに挑戦することもなく、楽な人生を選んでいたと思う」
「たった一人の人との出会いで人生変わるって凄いですよね……俺もそんな相手がいればなぁ……あ、でも社長との出会いは俺の人生で転機でした!」
チャンは照れ笑いをしながら頭をかく。
「多分この先も、彼女以上に想える相手には出会えない気がする」
「……社長がそんなに惚気ること言うなんて意外です」
チャンが呆気に取られてる。無理もない。酔いが回っているのか目標達成し終えて気分が良いのか、饒舌になっているのは自分でも分かる。けれど今まで誰にも打ち明けたことのない華凛さんへの秘めた想いが、内側から溢れ出してきて止まらない。
「……指輪……渡したいと思ってる」
「え、本当ですか。まさかプロポーズしちゃうとか……!?」
俺は缶チューハイをグイっと一口飲んだ後「とりあえず気持ちは伝えたい。作っている時は全くそんなこと考えなかったんだけどさ」と答えた。
もうニ年近く会ってもなければ近況さえ分からない。けれどずっと俺の心の中に常にいた華凛さん。離れた当初はどんなに気持ちがあってももう俺から会いにいくことはないかもしれないなんて思っていた。
けれど自分自身の中身も変わって一つの達成感を味わって、成長できたせいだろうか。今は華凛さんに連絡したい気持ちが強まってきている。
「会ってもらえるかもまだ分からないし、ましてや連絡つくかどうかも分からないけどな」
「そうなんですか……」
「本当賭けに近いけれど」
「クリスマスが近いし、一緒に過ごせるといいですね」
そうだった。ちょうど週末はクリスマか――。ひと段落ついて会社も休みだし、ちょうど時間もある。
夜の九時を回る頃に打ち上げは終了した。
「社長お先に失礼しまーす!」
そう言って次々に人の気配がなくなり、さっきまでの賑やかさとは対照的に社内はしんと静まり返っている。
椅子に腰掛けながらポケットにしまい込んであった携帯を取り出す。
――今頃華凛さんは何をしているだろう。俺のことを思い出してくれたりするんだろうか。
怖いと言えば嘘になる。けれどそれ以上に会いたい気持ち、そして俺の気持ちを華凛さんに伝えたい気持ちが大きい。思い返せば俺は一度だって華凛さんに素直な自分の想いを打ち明けていない。
そして心の片隅で僅かな希望があった。
本当に俺と華凛さんが過去世で出会っていた二人なら。あの夢の中の女性が華凛さんだったなら。きっといつか気持ちが分かり合える瞬間があるはずだろうと。
何の根拠もなく、見に目えて確信できるものなんて何もない。けれどそれでも俺の心の深いところでは、その想いを拭えないでいた。
携帯を開くと何年かぶりにインスタアプリをダウンロードした。あの頃なかった機能が色々追加されている。ビックリすると共に、月日の流れを感じる。
久々に見るインスタ画面はあの頃の俺とリンクするようで、切なさや華凛さんへ感じていた想いが蘇る。
俺は恐る恐るDMを開く。
アイコンが変化していて一瞬困惑したけれど、KARINという文字が目に入ってすぐに分かった。未読したままのメッセージは全部で八通届いていた。
【おはよー】
【今日忙しいのかなぁ】
【そろそろ寝るよ、おやすみ】
【何かあったのかな……】
【おーい!】
【心配なんだけど……】
【朔弥くんのばーか】
そして最後のメッセージには
【会いたい】
このメッセージだけ日付は最近のものだ。もしかしたら華凛さんは今でも俺のことを待っていてくれるんだろうか――。
「ごめん、華凛さん……」
俺は携帯越しに華凛さんの顔を思い浮かべた。
――どんな気持ちでこれを送ったんだろう。俺からの連絡が途絶えて何を思っていたんだろう――。
アイコンをクリックする。プロフィール画面が更新されている。自宅の一室で始まったはずのサロンも今は駅前に店舗を構えているようだった。姉妹店のリンク先も載っているから、きっと人を雇って店を回してるんだろう。前に店舗を持つのが夢だって語っていたけれど、ちゃんと行動に移して夢を叶えている。
「凄い……華凛さん、めちゃくちゃ頑張ってる」
誇らしい気持ちと尊敬する気持ちが入り混じる。
家庭がある中で看病したり家事したりと仕事だけに没頭できる俺とは違うから、経営していくことは大変だったんじゃないかと想像する。
俺は再びDM画面に戻る。
動かす指先が僅かに震えているのが分かる。心臓の鼓動が早くなるのを抑えながら【華凛さん、久しぶり。連絡できなくてごめん】とメッセージを送った。
数分待ってみたけれど、返信はない。
このまま携帯を見ながら待つのは気が休まらないように思えて、一旦マンションに帰ろうと立ち上がった時。
【え、朔弥くん? 生きてる! 久しぶり】
華凛さんから待ち焦がれたメッセージが届いた。
意外にも前と同じようなテンポの返しが来て、内心ほっとする。でもそれが華凛さんの優しさのような気もして、温かい気持ちに包まれた。おかげでさっきまでの緊張感が和らいできた。
【お店ニ店舗も持ったんだ?】
【そぉ、一応経営者だよ】
【凄いね、華凛さん】
【ありがとー】
昔と変わらないやり取りは月日の流れを一切感じさせない。
リアルタイムのやり取りの中でお互いの近況報告をしていると、華凛さんのお母さんが亡くなったことと半年ほど前に離婚したことを教えてくれた。「旦那に合わせてばかりいる自分が苦しくなってきちゃって」と言っていたが夫婦間でしか分からない事情がありそうだから、深く理由を聞くのはやめておいた。けれどお母さんも亡くなって、俺には想像もできない辛さがあったに違いない。
【おかげで仕事に没頭して頑張れたよ】
本当に華凛さんて……強くて憧れる。その強さはきっと色んな悲しみや苦しみを乗り越えてきたからだろう。早く華凛さんに会いたい。その想いが強くなる。
【華凛さん、今度の土曜日ちょっとでいいから空いてる時間ある?】
【サロンが一七時までだから、それ以降なら時間あるよ】
【じゃあ時間空けておいてほしい】
【うん、分かった】
やり取りを終えて携帯を閉じた後は色んな思いが湧き上がってきた。
俺も色々とあったけれど華凛さんにもたくさんの変化があって、それが想像以上だったから驚きを隠せなかった。あの笑顔の裏で色んな壁を乗り越えてきたんだと思ったら、ますます恋しくてたまらない。
待ち詫びた土曜日はいつもよりも肌寒さが増している。都心でも雪がちらつくようなことを言っていたから、ひょっとしたら初雪になるかもしれない。
俺はクローゼットにあるケースの中から小さな箱を取り出す。箱を開けるとリングが煌めいていた。そのリングをそっと持ち上げて目の前に翳す。内側に記されたされたS to K。
職人さんに作ってもらう時、この指輪だけ刻印してもらったのだ。これを受け取ってもらえるかは分からない。けれど俺の精一杯の想いを伝えたい。再びリングをゆっくり箱の中へとおさめると、着替えを済ませて早目にマンションを出ることにした。
昼下がりのこの日は行き交う人も多く、交通量も増えていた。土曜日であることとクリスマスというイベントも重なってることが理由だろう。軽く昼飯でも済ませようと思ったけれど、どのお店も入り口前に行列ができていて、結局昼飯にありつけたのは一五時を回った頃だった。
朝から何も口にしていなかったお腹には、サンドイッチだけでも充分な量だ。緊張のせいもあるかもしれない。
華凛さんは今頃仕事を頑張ってるんだろう。久しぶりに会う華凛さんはどんな姿なんだろう――。髪型は変わったりしてるんだろうか。どんな服装をしてるんだろうか。
頭の中で華凛さんの姿を思い描いてみたけれど、浮かんでくるのは俺が出会っていた頃の華凛さんだけ。
一つ言えることは今がどんな華凛さんでも、俺の心を持っていかれてしまうんだろうということ。会えない間もずっと心の中にいて、愛おしいと思えた存在だから。
このニ年間の間に全く女性と出会わなかったわけじゃない。
取引先と接待でキャバクラに行ったり、女性社員に懇願されてコンパに参加したこともある。一時期華凛さんをいつまでも思い続けていることにどうしようもなく苦しくなって「付き合ってほしい」と言われて何度か会った女性もいた。けれど他の女性と接する度に華凛さんと比較している自分がいて、余計に苦しむ羽目になった。自分が心に秘めている想いと真逆の行動を取ることは、心と身体が乖離して余計辛くなるだけだと悟った。
華凛さんだったらこんなふうに笑ったなとかこんなこと言われたなとか、一元一句忘れていないその場面を思い出しては、俺の記憶の中にさらに色濃く残っていったから。
会わない時間は華凛さんとの思い出や記憶を色褪せてくれるどころか、より華凛さんという存在を強烈に浮き彫りにさせていくだけだった。
綺麗な女性も素敵だと思う女性にもいっぱい出会ったけれど、俺の心の中には常に華凛さんがいたんだ――。
そんな思いを巡らせていたら、いつの間にか陽が落ちて街灯が灯る時間帯になっていた。
今から向かえばお店が終わる三十分前には着くだろう。俺はお店を出るとエンジンを回し、華凛さんが経営するネイルサロンへと車を走らせた。途中渋滞に巻き込まれたため、到着した時間は閉店時間の十分程前だった。
駅前とあってか人だかりも多く、何やらツリーらしきライトアップされたものに人が集まっているようだった。そのほとんどが恋人だろうカップルで、今日がクリスマスイヴだったと改めて気付かされる。
「へぇ……イルミネーションてこんなに綺麗なんだ」
少し離れた場所でハザードを点滅させていたら、華凛さんのお店のビルから三人の女性が出てきたのが目に入った。そのうちの一人が立ち止まりニ人の女性に手を振った後、キョロキョロと辺りを見回し始めた。
「華凛さん!」
俺は窓を開け声高く呼んだ。俺に気付いた華凛さんは小走りにこっちへ駆け寄ってくる。
「ごめんね、待たせちゃって」
「お疲れ様。どうぞ、乗って」
約ニ年ぶりに顔を合わせた華凛さんは、あの頃と変わらない笑顔で「久しぶりだね」と言った。俺は色んな感情が押し寄せてきて、頷くので精一杯になる。
「朔弥くん、何だか顔つきが変わったんじゃない?」
「そおかな……自分じゃ分からないな」
「前よりずっと逞しくて、男らしい顔になってる」
「え、本当? すげー嬉しいんだけど」
思わず口の端が緩む。
「でも笑った顔は変わらないね。昔の朔弥くんのままだ」
「華凛さんの笑顔も変わってないよ」
「良かったー、老けたって言われなくて」
二年という月日を感じさせないほど、俺と華凛さんの呼吸や空気感は解け合うように心地良い。まるで空白期間があったなんて思えない程心地良いと思えるのは、やはり華凛さんが俺にとって特別な人だからだろう。
俺は目の前にいる華凛さんの顔をマジマジと見た。
前よりほっそりしたように感じる顔つき。吸い込まれるような大きな瞳を見てると、言葉を交わさなくても通じ合うような気がした。
ああ、やっぱり俺にはこの人しかいない――。そんな想いが奥底から湧き上がってくる。
「華凛さん」
「ん?」
「俺、華凛さんがいなきゃ今の俺はなかったよ」
そう言って後部座席に手を伸ばすと、小さな紙袋を手に取った。
「これ、開けてみて」
華凛さんは何だろうって言いながら、中から箱を取り出した。
「え……この名前知ってる! 少し前に発売された指輪だよね」
「華凛さん何で知ってるの!?」
「サイトで見ていいなぁって思ってたの。でもすぐ完売しちゃったんだよね? お店の子が欲しがってたけれど買えなかったって残念そうにしてたから……」
華凛さんが知っててくれたことは意外だったけれど、素直に嬉しい。ということはサイトにも掲載していたから、名前の由来も知っているはずだろう。
「これさ、俺がデザインしたんだ」
「え! 朔弥くんが!? 本当に!? 凄い!!」
「最初全然アイデアが浮かばなかったんだけどさ。ある時直感で降りてきたのがこのデザインなんだ」
「インスピレーションてやつだね。朔弥くんセンス抜群じゃん」
「そんなふうに褒めてもらえると嬉しいよ」
「こんな素敵な指輪作れちゃうなんて、本当凄いなぁ……」
華凛さんは声を弾ませながら箱の中の指輪をじっと見つめている。
「華凛さんを想って作った」
一瞬目を丸くさせて俺を見た華凛さんは「え、私を!?」と上擦った声を出した。
「指輪の中見て」
「え、中?」
華凛さんは驚いたように声を上げた後、そっと指輪を取り出し中を除きこむ。
「これは……」
S to Kの刻印を華凛さんはただひたすら見つめている。
「出会った時から華凛さんは特別な人で愛おしい存在だった。今もその気持ちは変わらない」
華凛さんは潤むような瞳で俺を見つめる。その後じっとその指輪を見つめたまま何も声を発さない。
もしかして受け取ってもらえないんだろうか――と一瞬不安が過ぎる。
「朔弥くんは私にとっても特別だったよ」
華凛さんは大きく息を吸って吐いた後、再び口を開いた。
「出会ってから不思議な感覚がいっぱいあって……ツインレイって朔弥くんのことだって確信してた。だから会えない期間もきっといつか再会できるだろうなって信じてたよ」
「華凛さん……」
「ずっと……朔弥くんからの連絡待ってたよ」
「ごめん……待たせて本当ごめん……」
「朔弥くんに会いたくてたまらなかった」
「俺も……華凛さんに会いたかった……忘れたことなんてなかった」
「朔弥くん……」
「ん?」
「大好きだよ」
華凛さんは涙が溜まった瞳で俺を見つめながらニコっと微笑む。俺はたまらず華凛さんを引き寄せる。そして力いっぱい抱き締めた。
「俺も……華凛さんが大好きだよ」
久しぶりに触れる感触や華凛さんから漂う良い香りが、俺の心を温かくしてくれて何とも言えない幸福感で満たされる。なんて幸せなんだろう。
――ずっとこうしたかった。
抱き締めたかった。
離れたくなかった。
そばにいたかった。
この日を待ち望んでいた。
俺の魂からの声のようなものがたくさん溢れ出てくる。ずっと封印して抑えられてたそれは、歯止めがきかない。
――もう絶対離さない――離したくなんかない。
俺の背中に回った華凛さんの手に力がこもったのが分かって、俺も抱きしめる両腕に力をこめる。言葉にしなくても同じ気持ちでいてくれることが、身体を通して伝わってくる。
「華凛さん……」
「ん?」
「キスしてい?」
「え、何急に」
「前は不意打ちでして驚かせちゃったから」
「ふふ、そうだったね」
「いい?」
「ダメなわけーー」
華凛さんの返事も待たず口を塞ぐ。
「ちょ、まだ言いかけだったのにぃ」
「だってダメって言われてもしようと思ってたから」
「何それ、聞く意味なーー」
再び唇を押し当てる。
「朔弥くん、ずるい」
「くくっ、可愛い華凛さん」
「もう、ダメ」
キスを阻もうとしている華凛さんの手をそっと下ろす。
「嫌だ」
ゆっくり口付けをし、離した後また唇を押し当てる。何度かそうしたのち、二人の舌が絡み合った。
――どれだけの間、抱き合って唇を重ねたのか分からない。とろけそうになるくらいの心地良さの中、フロントガラスにしんしんと雪が舞い降りてくるのが見えた。
その瞬間、何故だかふいにあの奇妙な夢で見たニ人が浮かんできて、俺は直感的にあのニ人からも祝福されているような気がしてならなかった。