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三、死地

 それから月日は流れ大同三年。あれから五年後のことである。

 異国の大男は、あの島にいた。

 黄金色だった髪は汚れ鈍く光りを放ち、髭も伸び放題でその口元を覆い隠していた。

 初めてこの国に来た時よりも頬は削げ落ち、いくらか痩せているように見えた。

 しかし、それは大男が生活に困っているからではなかった。

 生活習慣の変化が、大男の身体に表れただけである。

 まず、肉類を口にする機会が減った。

 手に入る肉と言えば、島周辺にいる鳥か野鼠の肉が関の山である。

 その代わりに、島の森で採れる木の実や物々交換で手に入る漬物類(ピクルス)、そして唐でも食べられていたコメが食の中心となっていた。

 食生活が変化したということは、その食を手に入れるための行動も変化したということだ。

 かつては飯にありつくため、主人の為に様々な労働をした。

 特に体の大きかった大男は、荷運び等の重労働をすることが多かった。

 その為に付いていた筋肉が、狩りに最適な筋肉に変化したのだ。

 重いモノを持つ必要はない。手ごろな石を正確に遠くまで投げ、鳥や野鼠に当てるだけでいい。

 また、酒を呑む機会も増えた。

 かつて助けてくれた村人たちが、大男が譲った酒を気に入り、材料になる果実を頻繁に持ってくるようになったのだ。

 それを、かつて自分の乗っていた船に積んであった機械で酒にする。

 村人に還元するのはもちろんだが、それでも余りがあった。

 その余りが、奴隷時代に呑んでいた酒よりも多かっただけの話だ。

 奴隷だった頃と比べ、生き方がガラリと変わったのだ。

 寝床や食事が約束されるが、あくせくと働き時には理不尽に耐えねばならぬかつてと。

 今日の生活すら保障はされないが、生きるも死ぬも自身にかかっている今と。

 どちらが幸せかなどは分からないが、それでも大男は今の生活に満足していた。

 故郷に帰れず、かつての生活にも戻れないが故に手に入れた自由だった。

 しかし、満足に生活しているとはいえ、平坦な五年間だった訳ではない。

 二年前の冬だ。

 かつて大男をこの島に送ってくれた男が死んだ。

 カモキチ、という男だ。

 冬の海に漁に出て、海に落ちたのだ。

 大男は悲しんだ。

 この国の言葉こそ分からないままだったが、カモキチとは砂浜に絵を描いて意思疎通ができる程度には親交があった。

 確かに海に落ちた年の夏あたりから、どこかやつれたような顔をしていたのは覚えている。

 しかし、あの荒波を味方につけ海を渡るカモキチが、まさか海で死ぬなんて思いもしなかった。

 それが余計にショックだった。

 もう二年も前の話だ。

 大男が最後に泣いたのはその時だ。

 それが、一番大きな事件だったと思う。

 毎年ある時期になると嵐が多くなるが、それももう慣れた。

 船の廃材と洞窟を利用して作ったボロ小屋にいれば、特に問題はない。

 食料の備蓄に気を使わねばならないが、その代わりに飲み水を溜めこむことができる。

 今年も、その嵐の時期が来ていた。

 この時期は慣れたとはいえ、哀しくなる時期だった。

 五年前、かつての主人や仲間たちが嵐で死んだ時期だ。

 彼らの正確な命日は分からない。

 だから、最初の嵐が過ぎた日に、大男は彼らを悼むことにしていた。

 数人の遺体を埋め、その上に岩を置いただけの簡易な墓に酒をかけ、自分もその前で酒を呑む。

あの日のように澄んだ夜空の下で、彼らと共に酒を呑む。

 それが大男の弔いだった。

 杯が空になった。

「……また来年来るよ」

 この国では誰も知らない言葉でそう呟いて、大男は立ち上がった。

 墓とは少し離れた住処へ戻り、杯を片付ける。

「おや──?」

 なにやら外が何やら騒しい。

 大男は眉を顰めた。

 この島には自分しかいない。

 あの村の人たちも、こんな夜に来るとは思えない。

 大男は住処の奥から棍棒を引っ張りだした。

 大きな鳥等を取る時に使うものだ。

 ドンドンドン!

 住処の扉が勢いよく叩かれる。

 そしてその後に聞こえたのは女性の声だった。

「────! ────!」

 何かを懸命に訴えているようだが、何を訴えているのかが分からない。

 ほんの少し逡巡して、男は扉を開けた。

 転がるように入ってきたのは、ぼろぼろの服を着た女が三人と、子どもが一人。

 二人の女と子どもには見覚えが無かったが、一人の女には見覚えがあった。

 何度か物々交換をしに来たことがある。

「何があった?」

 大男は疑問を口にするが、しかし言葉は通じない。

 彼女たちを何とか宥めて、絵でのやり取りを試みた。

 四苦八苦しながらも、なんとか状況を把握する。

 事の仔細は分からないが、どうやら村が襲われたらしい。

 襲ったのは独りの男の様である。

 散りぢりに逃げたが、その賊はあまりにも暴虐であり、村人の多くがその男に殺されたらしい。そして、多くの村人がその男に降伏した。

 そして、この島に大男がいる事を白状したようだ。

 村が襲われたこと、そして村を襲った賊がこの島をも襲うかもしれないことを命の危険を冒して伝えに来てくれたらしい。

 もし賊に降伏したとしても、命の保証があるとは限らないのだ。

 大男は険しい顔をした。

 この島には、かつての大男の船に乗っていた荷物が残っている。

 もともと商売の為に航海をした船だ。

 金目の物も少なくはない。

 それらを海の藻屑にしないために、村人たちに荷物の運び出しを手伝ってもらったことがある。

 その時にお礼としていくらか譲渡した。

 それを賊が見たとすれば、確かにこの島を襲う可能性も高そうだ。

 あるいは、ここへ逃げた女子どもを追いかけてくるかもしれない。

 自衛の為にも、村への恩返しの為にも、ここで戦わないわけにはいかなかった。

 彼女たちに、自分の住みかに隠れているように身振り手振りで伝える。

 彼女たちはそれに従った。

 大男は外に残り、右手で棍棒を強く握りしめた。

 大男は別段、武術の心得がある訳ではなかった。

 ただ、商人の荷物を狙う賊とやりあっ経験は、ある。

 体の大きさと筋力は、何かと助けになる。

 左手で足下の石を拾った。

 手のひら大の石だ。

 それを握り、目の前に生い茂る腰ほどまで育った藪を睨みつけた。

 もしこちらが先に気が付けば、投擲で先制攻撃ができる。

 もし向こうに襲われれば、石を盾の代わりに使える。

 この石程度の大きさでは指等を斬り落としかねないが、それでも心臓を、胴体を、頭を怪我するよりはましだ。

 ざーん

 ざざーん

 ざーん

 夜闇の中に響くのは、潮騒か、それとも森の音か。

 月明かりと星明かりは、大男に確かな視界を与えてくれる。

 つ──

 緊張と纏わりつく湿気に、大男の頬を滴が流れる。

 大男は極度に集中していた。

 遠くの音はともかく、近づいてくる音を聞き逃す訳にはいかない。

 熱気が、大男を包む。

 それは大男が発した熱気だった。

 大男の手は、いつにも増して棍棒に馴染んでいた。

 びょう、と一陣の風が吹く。

 ざざざ、と木の葉が擦れる。

 その風は、例外なく島の全てに行き渡り、大男の纏う熱気を攫って行った。

 ざ──

 その瞬間だった。

 右手前の茂みが揺れた。

 ざ、ざ、ざ。

 その揺れは、確実に大男へ近づいていた。

 それが大男を狙っているのは確実だった。

 大男は許容できる限界までそれの接近を見守り、そして石を投擲した。

 タッ、という軽やかに地面を蹴る音。

 ザッ、という一際大きく茂みが揺れる音。

 躱された。

 それくらい、想定内だ。

 武術の心得はなくとも、戦闘の心得くらいは持ち合わせている。

 屈んでいるくせに、身軽な賊だ。

 それくらいは、頭の隅で思ったかもしれない。

 しかし大男は、自分の思考が追いつくより早く、それが着地した茂みに跳びかかった。

 唸りを上げて、大男の棍棒が、青い藪の頭を薙ぎ払った。

 たとえ賊が屈んでいたとしても、そしてたとえ賊がどれだけ小男でも、四つん這いでなければ頭があるであろう高さだった。

 しかし、その渾身の一撃は、藪の頭を千切り飛ばすだけにとどまった。

 ほんの一瞬きの間、大男は混乱した。

 あれはここに着地したはず──。

 確かに大男の目に狂いはなかった。

 ただ、この時期、植物の一番成長するこの時期が悪かった。

 青臭い空気の底から、それは飛び上がってきた。

 はっ

 その呼気を大男の耳が捉えた時には、もう、手遅れだった。

 左腕に激痛が趨った。

 青い匂いが、途端に鉄の香りになる。

 鮮血が飛び散った。

 大男の膝程しかないそれは、唸り声を上げて大男の前腕にかじりついていた。

 ぞぶり、

 ぞぶり。

 その牙が肉を裂く感触と、そして生温く滑りのあるモノが流れ出る感触に、大男は全身総毛立った。

 咬みつかれた。

 山犬(オオカミ)だ。

「ぬわっ」

 普段は腹の底に沈む低い怒気が、大男の身体を駆け巡り、口から迸った。

 大男が右足を振り上げた。

 きゃん──

 山犬が高い声を上げて吹き飛ぶ。

 さらに激しく鮮血が飛んだ。

 ぐ、と男は呻き声を上げた。

 無理に引き剥がしたせいで、左腕がずたずたになっていた。

 見るまでもない。

 腱が千切れていたり、牙が残っていたり、血管が切れていたり。

 少なくとも今は、左腕は使い物にはなりそうもなかった。

 あまりの激痛に噛み締めた歯が軋み、耐え切れずに欠けた。

 しかし、息をついてる場合ではない。

 月明かりに白銀が閃いた。

 大男は慌てて飛び退る。

 男がいた。

 小柄な男だ。

 いや、この国ではそれほど小柄ではないのかもしれない。

 それでも、大男にとっては小柄だった。

 歳若い男だ。

 最初にあった頃の鴨吉がこれくらいの年齢ではなかったか。

 精悍な顔つきをしていた。

 額に鉢巻きを巻いている。

 男はすぐに大男に追撃をかけなかった。

 すぐさま得物を構え、こちらを睨めつける。

 得物は片刃の剣だ。

 唐で見た青竜刀やら段平やらに似ているが、それよりも細身であり、しかしそれよりも妖しい凶器だった。

 男の唇が動いた。

 なにやら異国の言葉でこちらに語りかけている様子である。

 もちろん、大男には内容が分からない。

 大男はそれより別のことを考えていた。

 おそらく、先程の山犬はこいつがけしかけたのだろう。

 その時点で、この男が自分に敵意を持っているということは確実だ。疑いようもない。

 しかし、この男の顔つきは何だ。

 この男の目はまるで──。

 波打った刃紋が、月明かりに踊った。

 男は咄嗟に応戦する。

 しかし、

「く──」

 技量は明らかに小男の方が上だった。

 棍棒で、小男の得物か腕を叩き折ろうとするが、そのことごとくが、あまりにも簡単に外される。

 それでも大男の力と攻撃範囲は脅威なようで、小男は踏み込めずにいた。

 大男は、退がる訳にはいかなかった。

 逃げる訳にも、いかなかった。

 この島から出る手段がないのだ。

 たとえ逃げたとしても、あの村人たちを喪ってしまっては、遠くない将来餓死することは想像に難くない。

 決死の覚悟で相手の得物を弾く。

 大男は吼えた。

 これまでにない好機だった。

 そして、おそらくこれが最後の好機だった。

 大男が小男に跳びかかる──。

「がっ」

 失敗した。

 大男は呻いた。

 踏み切ったはずの左足は地面から離れず、右足だけが無残に宙を泳いだ。

 山犬だ。

 あの山犬が、今度は大男のふくらはぎに咬みついたのだ。

 それは好機だった。

 これまでにない、これ以上ない好機だった。

 小男にとって、最上の好機であった。

 大男は咄嗟に棍棒を振り上げた。

 裂帛の気合いと共に振り下ろされた剣が、棍棒もろとも斬り裂いた。

 大男はがつん、とも、ぶつん、とも聞こえるような、そんな音を聞いた。

 おそらく、多くの人間は一度も聞く機会に恵まれない音だ。

 そして一度聞いた人間は、その音がどんな音であるのかを他人には伝えられない音だ。

 頭蓋が割れた。

 棍棒で勢いを殺されたからだろう。大男は二つになるのは免れた。

 しかし、大男に減り込んだ刃は、それが致命傷であることを雄弁に物語っていた。

 小男が、刀を引き抜く。

 大男は、色と輪郭を失ってゆく視界の中で、小男の顔を見た。

 ──この男の顔つきは何だ。

 この哀しそうな顔つきは、何だ。

 この落ち着きぶりは何だ。

 その目は何だ。

 まるで賊のようには見えないではないか。

 その顔はどう見ても善のモノだった。

 その目はどう見ても悪のモノではなかった。

 かつて、大男のいた商団を襲った賊どもは、こんなに真っ直ぐな敵意を向けてきただろうか。

 だとしたら何故、私は襲われたのだ?

 だとしたら何故、村人は──。

 戦いは終わり、ぬるくなる地面に伏し、大男は思う。

 自分は今、一体何と戦っていたのだろう──?

 答えは出ず、もちろん応えもなく、大男の視界は潰える。

 大男は最期の意識の末端で、村の女たちが無事逃げ切れることを祈った。


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