一、渡来の大男
初投稿になります。あらすじにも書きましたが、童話のリメイク(短編:完結済)の作品です。
過去に賞に応募し、落選した作品ですが、時効と思い晒させていただきます。
少しでもお楽しみいただければ幸いです。
時は延歴二三年。
中国は未だ唐代であり、かの空海、最澄が仏教を学びに唐へ行ったこの頃。
現在から千年以上も昔の話である。
昔むかしあるところに、男が流れ着いた。
浜辺だ。
ざざーん――
ざざーん――
波の音に、この国では見ない服が、見ない髪が、見ない身体が揺れる。
ざざーん――
ざざーん――
子どもを寝かしつけるように、男を揺する。
ざざーん――
ざざーん――
男を起こそうとするかのように、その体を揺する。
しかし、男が目を覚ます気配はない。
生きてはいるのだろう。
波の動きではない確かな動きは、男が呼吸をしている確かな証拠であった。
空に太陽は上がっていない。
空に月も昇ってはいない。
夜明け前、仄明るい空の下に、男は揺れる。
幸いなことに引き潮の様であった。
海が男をそっと砂浜に横たえた。
朝の風が吹き始める。
男を眠りに引き込むように、風が男を撫でる。
ふわり、ふわり。
本来は心地の良いはずのその風は、しかし水にぬれた男の体力を、体温を奪って行く。
どれほど時間が経ったろうか。
空に太陽が昇り始め、黒かった水面は白く輝き、風はなおも吹きすさぶ。
男の唇が紫になった頃。
男の肌が蝋よりも白くなった頃。
くしゅん!
男はくしゃみと共にようやく目を覚ました。
は、と目を開いた男は、軋む体に鞭打って体を起こした。
「――ここは」
知らない土地だった。
記憶が混濁している。
海――だと思う。
少なくとも大陸の中の湖ではないはずだ。
風に乗って鼻をくすぐる潮の香りが、それを雄弁に物語っている。
もう一度くしゃみをして、海を見遣る。
目の前に、小さな島があった。
泳いでは行けそうもないが、小舟があれば行き来できそうな距離。
その島の端に、禿た木が立っているのが見える――。
いや、あれはマストだ。船のマストだ。
角度が悪いが、目を凝らせば、横木が途中に縛りつけられているのが見える。
同時に思い出す。
私はあれに乗っていたのだ。
もともとは、唐から南方の島国へ貿易の為に出た船に乗っていたのだ。
奴隷である。
主人の言うがままに働き、砂漠を越えてきた。
唐で商談をまとめた後、一年を唐で過ごし、そして今に至る。
故郷の土はもう、十何年と踏んでいない。
船も完成し、ようやく海へと繰り出して四日、私たちの乗った船は嵐に見舞われた。
財にものを言わせて雇った熟練の水夫たちも、自然の猛威には手も足も出ない。
激しい波に揺られ、体勢を崩し頭に衝撃を受けた。
きっと、どこかに頭をぶつけたのだろう。
それ以降のことは思い出せない。
そろそろと体を動かし、立ち上がってみる。
痛い。
左脚に痛みが走った。
足首だ。
立ち上がれないほどではない。
捻挫だろうか。引き摺れば歩けなくはないだろう。
まずは人を探さなくては。
ここが唐周辺の属国なのか、それとも無人島なのか、それ以外なのか。
それが分からないうちに動くのは良い判断とは言えない。
船を造るにしろ、食料を調達するにせよ、住んでいる人との意思疎通は大切だ。
言葉が通じるかも分からずに勝手をすれば、見つかった時に釈明のしようもない。
知りませんでした、が文字通り通用しないのだ。
幸いなことに簡単な異国の言葉なら、片言ではあるが何か国語か話すことができる。
陸に向かって歩こうとした矢先、向こうの岩影で何かが動くのが見えた。
おそらく人だ。
「おぅい」
手を挙げて声をかけてみる。
ちらりと見えていた頭が、更に隠れた。
仕方なく、男は足を引き摺って、そちらまで歩く。
岩影を覗き込むと、そこに貧相な体をした男の子がいた。
「やあ、君。ちょっと助けてほしいのだが……」
ためしに故郷の言葉で話しかけてみるが、男の子はきょとんとするばかりで返事がない。
知っている言語で何とかその旨を伝えようとするが、どれも伝わらない様子だ。
男が四苦八苦していると、向こうの方から小柄な男がやって来た。
こちらに気付いたのか、なにやら異国の言葉でまくしたててくる。
男は慌てて手の平を異国の男に向け、敵意が無いことを表す。
一向にまくしたてられるのが止む気配はないものの、なんとか隙を見つけて助けてほしい旨を伝える。
「すみません、船が難破してしまって。あの小島に行きたいのですが、助けてはもらえませんか?」
やはり何か国語かで(といってもほとんど片言だが)言ってみると、唐の言葉の所で異国の男は何か分かったらしい。
身振り手振りと異国の言葉でついて来いと男に言い、異国の男は歩き出した。
男は足を引き摺りながら、それに着いて行く。
どうなるかは分からないが、今の男には、そうする以外の選択肢がなかった。