第7話 居場所
お父様が苦しげに続けた内容は――とても耐えられるものではなかった。
「――ヘレン。お前が生まれる前から、私はこの国の大総統だった。この超常の力で国を守り、常に国民の安全を、と考えてきた。だからこそ、どんなことがあっても、守るべきもののために、この力を振るい続けてきた……だが……それ故に、多くの憎悪も同時に受けてきた。それでも全てを守ることができると己の力を過信した私は、自分がどんなに愚かであったのか思い知らされた……私はね、ヘレン……他国との戦争中に、肉親を暗殺されたのだ……生きていれば、お前の祖父母になっていただろう」
「そんな……」
「私は……この国のために、国民の平和のためにこの力を天から授かったのだと思っていた。だが実際は……恨みを買っていることにも気づいていながら放置し、自分の力でどうにかできると、傲慢にもそう思っていた、そのしっぺ返しを食らうことになった……立ち直れなかったよ」
知らなかった。
お父様のそんな辛い過去があったことなんて、知る由もなかった。
でも、今こうして辛い過去を振り返る時でも、遠い目をして思い出を振り返るように言葉を紡ぐお父様は、私の頭を優しくなでてくれて、その続きを語ってくれた。
「そんな時だ、お前の母に出会ったのは……私は彼女に助けられ、支えられて……そして、お前という宝物を授かった」
お母様の方に一度向いたあと、お父様は私の方をじっと見つめて言葉を続けた。
優しい目をして。
――同時に、深く後悔をしている様子で。
「もう二度と失うわけにはいかなかった。私自身ならまだいい。だが、私の力が及ばぬところで、お前たちを失いたくなかった……しかし、敵の多い私には、普通の方法では家族を守ることができないことも分かっていた……私は、お前の母と幼いお前に、護衛として私の直轄部隊を付ける形にし……そして愚かにも、ヘレン、お前の性別を偽って育てさせる決意をしたのだ。本来は、男児として育っているべき子に、女としての名を与え、徹底的に自分の性別の秘密を隠させ続けたのだ。そうすることで人の目を欺き、命を守れると……本気でそう信じていた。だが……盲目だった私は、命さえあればよいと、殺されるようなことさえ防ぐことができれば、と思いすぎていた……」
「……」
何も言えなかった。
言葉が出なかった。
項を垂れる父に、かける言葉が出なかった。
ヘレンは、本名ではない。本当はエレン。
私は、男。
男。
――男。
やっぱり、そっか。
「……じゃあ……いつも打っている、あの注射の中身は、何なのですかお父様、お母様」
少しの逡巡の後、お父様が答えた。
「……女性ホルモン剤。大総統の子として生を受けたお前に降りかかる火の粉を振り払うには、ただ格好だけ真似をするのでは、いつか露見し危険にさらすと思っていた。だから……乳幼児のころから、微量だったが打たせ続けた。できるだけ、男子としての性徴を小さくし、女子としての二次性徴を発現させるために……」
お父様の過去の苦悩も、私たちに対する愛情も、全部理解できる。痛いほどに。
でも――なんだそれ。
私は……私は無理やり今の私を作られたのか。
そのせいで私はどちらでもなく――そしてもはや、どこにも行けないという事実が、とても苦しかった。
だって、私の居場所は、もう……
たとえ望んだとしても、男が女になれるわけではないことなんて、まだ子どもの私にもわかるのだから。
「……じゃあ、この歳になってなお、自分以外の……お父様やお母様とでさえ、一緒に入浴した経験がないことは……?」
「……あなたが、自分が女ではない、と気づくのを防ぐためでした」
「やっぱり……そういうことだったんですね……」
ずっと不安だった中で思い浮かんでいた、一つの可能性。
お母様には、そうではないと言ってほしかった。お母様を信じたかった。屋敷の人たちを、みんな信じたかった。でも、みんなで私に悟らせないように、私の裏で、秘密のように動いていたんだ。
「……どんなに……どんなに私が不安で……どんなに寂しかったか、お分かりですか」
「ヘレン……」
「……すまない、ヘレン……」
両親からの謝罪の言葉に、ブチっと頭のどこかが切れた音が鳴った気がした。
「そんな……そんな言葉は、今欲しくなかった!!どんなに、どんなに的中しないでほしいと、そうではないと言ってほしかったか、お分かりですか!?そうではないという確証が、どんなに欲しかったか!なのに、それでも徹底して拒否されるという事実自体が、私は他の人とは違うということを裏付けているだけのような気がした!それが……私が私であるということを否定されることが、どんなに不安で惨めだったか、お父様やお母様に分かりっこない!!!私は女だと当然思っていました。なのに……喉の不調や、周りの不自然な動き、それが分からないほどの子供でもない私は、私だけのけものにされていると、最近ずっと不安でした!!なのに……なのに、当たってほしくないと思っていたことが……事実だったなんて……」
駄目だ。
お父様とお母様の前でも、自制が効かない。
今までのことが津波のように押し寄せ、私をその奔流の中に飲み込んでいってしまう。
「今……今、私が本当は男だったと知らされても……絶対に私は信じません!!私はエレンじゃなくヘレン!!女です!!なのに……なのに、どうしてなのか、自分が男だったと分かって、納得している私もいるのです……『あぁ、感じていた違和感は、これだったんだ』、って……」
「ヘレン……」
「……」
「でも……だからこそ余計に、もうどうしようもないと分かってしまった!!生まれた時から治療を受け続けた私は今更男の子になんかなれないしなりたくない!!でも……でも、本物の女の子でもないなんて……私は……私は誰なのですか……?どこへ行けばいいのですか!?……ねぇ!!私は誰なのよ!!……答えてよ誰か!!!」
結局、混乱して興奮しすぎた私は、医者に鎮静剤を打たれ、再びベッドで意識を失うことになったらしい。
らしい、というのは、今こうして目が覚めると、爺やだけが残って私の看病をしてくれていたことに気づいたからだった。
もう窓の外が暗くなり始めていて、夕方なのだと知らせていた。
「お目覚めですか、ヘレン様」
「……本名はエレン、なんでしょう?しかも男の子。エレン坊ちゃん、ってところかしら?……笑えない」
「……ヘレン様。大総統閣下からの命により、今まですべてのことを秘匿していたこと、誠に申し訳ございません」
深く頭を下げる爺や。
でも、こんなことをしてほしいわけじゃない。
「……やめて爺や。全てが仕組まれていて、ただ私はその中で何も知らずに生きていた。そのことが滑稽で、自分がバカみたいで……無理やり女の子として育てられた私は、一体誰なの?本当の私なの?作られた私なの?ねぇ、答えてよ!爺や!強いんでしょう!?お父様の部隊なんでしょう!?……いつもみたいに、優しく『大丈夫ですよ』って、言ってよ……」
怒りで枕を爺やに思いっきりぶつけてしまった。
でも微動だにすることなく、謝罪の姿勢を崩すことはない。
「申し訳ございませんヘレン様。今の私には、かけるべき慰めの言葉が見つかりません。ただ……」
「……え?」
爺やがスッと姿勢を解き、部屋の扉に手をかけた。
「今のヘレン様のお力になれるのは、もうこの方しかいない。そう思い、ご足労いただきました」
ぎぃ、と開けられた扉の向こうに立っていたのは……
「――ま、マリア!」
「ヘレン!」
ただ一人、私は私でいいと言ってくれた人。
マリアだった。