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第5話 事件

「ヘレン!ヘレン!いい加減、部屋から出てきなさい」

「……この声が治るまで出ません。食事も部屋で摂ります」

「――っ!」


こう言うと、お母様もこれ以上は追求してこなかった。

本当は、部屋を出て、今まで通りに接したかった。

風邪をこじらせてるだけで、声も直ぐに元に戻るんだって思いたかった。


でも、どうしても私の脳裏には、私の知らないところで、色んなことがこの屋敷の中で起きていて、私だけが知らないんだ、と思わざるをえなかった。


でも――

お母様が、私を心配してくれている気持ちは、本当だと分かっていた。


そう思うと、考えるより前に、扉の外にまだいるであろう、お母様に呼びかけていた。


「……お母様……?」

「ヘレン!?なんです?どこかまた具合が……」

「……いいえ、そうではありません。でも……一つだけお願いがあるんです。だから……やはりお部屋に入ってきてもらえませんか……?」


お母様は、優しいけれど厳格な人だ。

幼い頃から私に自主自律を教え続けてくれた。


そんなお母様に甘えることは、もうこの歳になるとかなり勇気が必要だったし、そもそも今回のことでは、私のほうがみんなを拒絶して部屋に閉じこもっているのだから、今更この扉を開けることは、なんだか私の意志を自分で崩すようで嫌だったのだけれど……。



それでも、お母様を部屋に招き入れたかった。


私を、本当は私は誰なのか、何なのか。

それを知っているのは、お母様以外にはいないのだから。


……少しの間があり、決心した様子のお母様の声が聞こえた。


「ふぅ……やっと開けてくれるのですね……」

「……ありがとう、ございます。では、開けますね」


内側から開けた扉の向こうに、久しぶりに見るお母様の顔があった。

疲れているのか、少しやつれているようにも見えた。



胸の痛みを感じつつも、私はお母様を部屋に招き、テーブルについてもらった。


「どうです、具合は……熱など出てはいないのですか?めっきり顔を出さなくなってしばらく経っているので、心配していたのですよ……?」


それは本心からだったのだろう、とそう思えた。

本当に私のことを心配してくれていた。


だからこそ、私も尋ねなければならないことがあったのだ。


「ごめんなさい、お母様、心配をかけてしまって……でもこの声も、あまり良くなる様子も見えなくて……」

「――っ、お医者様をお呼びしましょう。酷くなっているのかもしれないですから」

「あ、あの、待ってください。お医者様の前に……さっき言った、私のお願いを、お母様に聞いていただきたいのです」


どう反応するだろう。


――怖かった。


でも、確かめないままでは、私はずっとここから抜け出せなかった。

顔を上げる勇気が出ず、俯いたまま――こう言った。


「一度……一度でいいので、一緒にお風呂に入ってもらえませんか」

「――っ、それは……」

「一度で良いのです。それ以上は言いません……お願いです」


顔を下げたままだったけれど、お母様の困惑した顔が目に浮かんだ。


そして……この沈黙が、何よりも耐え難かった。


「……ごめんなさいヘレン。やはりいけません。もうヘレンも大きくなりました。小さな子供ではないのですから、入浴は今まで通り……」


半ば予想はしていた。


でも本当にこう答えられるとも思っていなくて、私はもう、どうすればいいか分からなくなった。


自分の感情が、ほとばしるようだった。


「――っ!またそう言って誤魔化して!そんな……そんなこと言ったって、お母様は……お母様は、たったの一度だって、私と入浴してくれたことなんてなかったじゃないですか!!幼い頃からずっと!!そんなに……そんなに、私と入るのが嫌ですか?病気の娘と入浴すると伝染るとお思いなのですか!?私は……私は……!!」

「ヘレン!!待ちさない!!待って!!」


聞きたくなかった。

ここまで頼んでも、私の疑問を、ひょっとしたら紐解くためのきっかけになるかもしれないと思った、たった一つの希望を、否定された。


もう、いや。


そう思うと、全力で屋敷から飛び出し、抜け道を通って、ただひたすら、ひたすら走り続けた。


――なぜこそこそと隠すのだろう。病気のことも、この声の不調のことも。

屋敷の誰に聞いても、私には本当のことを話してはくれなかった。ずっと、ずっと昔からそうだった。


だから、お父様のことが大好きなのかもしれない。

だって、滅多に屋敷に帰ってこられないけど、思いっきり甘えさせてくれるから。

私には、嘘を隠しているようには思えなかったから。

そう信じたかったのかも、しれない。

大好きなお父様にまで隠し事をされていると思ってしまったら、周りの誰の信じられなくなりそうだったからかもしれない。


嗚咽を堪えることができず、ただひたすら駆けて行った。




「はぁ……はぁ……はぁ……ここは……マリアと会った、場所……?」


無我夢中で走ってくると、いつの間にか広場に出ていた。

マリアと初めて会った場所だ。


彼女のことを思うと、そして――屋敷から飛び出してきたことを思うと、もう我慢できなかった。


「うぅ……わぁー!あぁー!!」


ただ、感情のままに、泣き叫ぶしかなかった。


……悲しみも、怒りも、不安も、何もかも。

夕暮れの空に向かって、ただぶつけ続けた。



日が落ち始め、辺りが暗くなり始めていた。

泣き止んだ私には……ただ、空虚な気持ちだけが残っていた。

泣いて腫れた目のまま、私はそこから見える海に向かって言っていた。


「……ねぇマリア……あなたは、私が誰であってもいいって言ってくれたわよね……でも私は……私は自分が何なのか……」




「――その問いには我らが答えてやろうか?」

「!?」


急に、何の気配もなく背後から低い男の声が響いた。

ハンカチで口を塞がれ、後手に拘束された。


「んん!んーー!!」

「その服装……やはりアーノルド家の者で間違いないな?はい、なら頷け」


恐怖で、さっきまでのことが吹き飛び、ただただ男の言うとおりにしなければ、と何度も頷いた。

力を弱めることなく、拘束したまま男は続けた。


「……おかしい。その顔形、大総統の実子で間違いないはず。忌々しいほどにあやつの面影がある……なのになぜ『娘』なのだ?情報が誤っていたとも思えぬ。市井に紛れて暮らしていることを突き止め、ようやくここにたどり着いたのだ……間違いであるはずがない。なのに何故情報と違う!?どうして『息子』ではないのだ?」

「――!!?」

「まぁいい。我々は大いなる計画のために準備をしてきた。そのためには……あの超常の男……忌々しい大総統の人質をとるしかないのだ……まぁいい。ゆっくりとお前に訊けばよいことだ。あの男……アーノルド大総統をおびき寄せるためにな……」


待って

お父様の子供が、男の子だってどういうことなの?

私の知らない兄か弟がいるっていうことなの?

それとも――それともひょっとして――


その先を考える前に、ハンカチの薬剤を吸い込んだ私は、意識を失った。


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