幸せの対価 SideL
誰もいない女性用トイレの中で、私は洗面台にしがみついていた。
「……はぁ、ぐっ……」
胸が焦げるように熱い。
身体の奥からこみ上げるものを感じて、口から吐き出した。
それは血だった。
「やっぱ、ヒロイン補正使っても……きつかったですね……」
吟遊詩人、オルフェウスと共に行った死者の国。
行きは簡単だったけれど、帰るのには苦行を強いられた。
帰りの通行料は私の残りの命。
私は絶対に青い薔薇を持って帰らないといけなかった。
だから、迷いなんかしなかった。
現実でだってそうだった。
緊急時はいつも命を助けることを優先していた。
本当はずっとローゼリア様のお側にいたかったな。
あのアッシュとかいう番犬から、ローゼリア様を守りたかったよ。
レオナルドとも、もうちょっと話をして交流してみたかった。
せっかくだから恋も、してみたかった。
私はお願いをした。
この物語が終わる時――卒業式まではヒロインとして居たいと。
それをオルフェウスは尊重してくれて、彼はあと3年分生きる代わりにと、自分の命を死者の国に捧げてくれた。
私は誰かと付き合わない。恋はしない。
だって、恋をしても、結局その人を置いていってしまうから。
置いていかれた人の悲しみは、アッシュを見ていたらよくわかる。
「……ルーナ、大丈夫?」
女性トイレの入り口から、ひょこっと顔を出したのはローゼリア様だった。
私はハンカチで血を拭い取り、彼女に見られないように、血で染まった洗面台を水で流した。
「あら。ローゼリア様。大丈夫ですよ! ちょっと月のものが重かっただけで」
「それは大変ね。何も出来ないけど、お腹を温めてね。《熱よ》」
ローゼリア様はそう言って、私のお腹に熱魔法をかけてくれた。
ぼんやりと温かくなって、痛みが和らいだような気がした。
――本当にお優しいローゼリア様。
こんなにお優しいから、今後も変な虫が色々付くだろうなぁ。
でも、隣にいるのがアレなら、まぁ大丈夫かな。
この世界で、私の人生が終わったら、次はどこにいくのかな。
――死者の国かな?
……あそこは色々と面倒だったなぁ。試練いっぱい受けさせられたし。
――地獄かな?
たくさんの人を救えなかったことがあるし。
――それとも煉獄だろうか。
罪を清めさせてもらえる機会があるなら、どうか欲しい。
――天国だったら、いいなぁ。
この世界の管理者である『神様』ことオルフェウスに与えてもらった、この二度目の人生。
私もアッシュたちみたいに、また繰り返すことができるだろうか。
セーブして、ロードして、その場に戻ることが出来たらどれだけ楽か。
でもそれができないから、この世界は物語ではなく、たった一つの人生なんだろうなぁ。
「ローゼリア様、アッシュ様とは仲良くされてますか?」
「えっ! あっ……う、うん……」
ローゼリア様の顔が真っ赤に染まる。
恋する乙女って感じ。
うん。それでいい。
私の大好きな貴方が幸せになってくれたら、私も幸せだ。
「ローゼリア様、式の段取りは進んでいますか?」
「えぇー。まだあと3年後よ。全然進んでないわ。あとアッシュに丸投げしてるわ」
「アレに丸投げしたら、恐ろしい式になりそうですよ。貴族なんて外聞気にせずに、二人っきりの結婚式にしそうです」
「……ありえるわね。ちょっと私も真剣に考えるわ」
ローゼリア様は楽しそうに背中で手を組んで、私の一歩前を歩く。
「……ねぇ、ローゼリア様」
「なぁに?」
「いま、幸せですか?」
「えぇ。とっても」
彼女は宝石のような瞳をもっと輝かせて、微笑んでくれた。
「――なら、ほんとうによかったです」
貴方のために命を捧げられて――
ラブコメに持っていって、シリアスに入るのやめてほしいと自分に言い聞かせています。
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