五話
三週間後。国王の誕生式典が無事終わり、ようやく休暇が与えられたウォルターはセオドリクから条件を聞き出す為に伯爵家へとやって来た。
この三週間、生きた心地がしなかったが、ほんの少し痩せたカロリーナがとびきりの笑顔で彼を出迎えて、『会いたかった』と、言って、頬にキスをしてくれた時にはもう死んでもいいとさえ思ったのだが・・・。
「「同居?」」
カロリーナとウォルターの声が重なった。
「そう。この屋敷で私と同居をするのが条件だ」
「何だー。とんでもない条件だったらどうしようかと思ってたわー」
カロリーナはほっとしたのだが、一方のウォルターはこの世の終わりのような表情を浮かべて、絶句していた。そして、ハッと我に返ると何度も首を振ってから、
「お、俺は嫌だ・・・同居なんて、絶対に嫌だ!!」
「えっ、嫌?」
カロリーナは目を丸くさせて、「このおうち、そんなに住みにくいかしら?」
「この屋敷が悪いんじゃないよ!君のお兄さんと同居するのが嫌なんだよ!」
「・・・」
カロリーナは顔をウォルターから、セオドリクに向けると、脂肪がやや少なくなった首をこてんと傾げて、「でも、お兄様とはお友達でしょう?」
「カロリーナ・・・俺とセオドリクがそんな対等な関係だと思ってたの?」
「違ったか?」
と、セオドリクもこてんと首を傾げる。
「君がそれを言うな!似合わない仕草をするな!セオドリクと同居するだなんて、絶対に無理だ!俺の精神がどうにかなっちゃうよ!」
すると、ころころ丸いカロリーナがころころ笑って、
「ウォルターったら、大袈裟よー。私は生まれてから、17年間、ずっとお兄様と暮らして来たのよ?でも、もうずっと元気いっぱいよ?」
「そりゃあ、カロリーナにだけは優しいお兄様だからね!」
「ん?私に優しくして欲しいのか?」
「それも嫌だ!!」
セオドリクはやれやれと首を振って、
「まったく、我が儘な男だな。だいたい、同居が嫌だなんて、良く考えた上で言っているのか?」
「良く考えなくても嫌だよ!君だって、俺なんかと一緒に暮らしたくはないだろう!」
「当たり前だ」
「だったらっ」
「しかし、私には大事な日課がある。それはキャリーが居てくれなければ、出来ないことなんだ」
「・・・何だか知らない方がいいような気もするけど、日課って、何?」
セオドリクはよくぞ聞いてくれたと言うような笑顔を見せると、
「私はキャリーが一人部屋を与えられた頃から、毎晩、一日も欠かすことなく、キャリーの寝顔を眺めているんだ。その日課を終えてようやく、私も一日の終わりを迎えられるんだ。だから、私はキャリーと離れて暮らすだなんて考えられない」
カロリーナはつんざくような悲鳴を上げると、
「私、いびきとか歯ぎしりとかしてなかったかしら!?」
「カロリーナ・・・気にしなきゃいけないところはそこじゃないと思うよ・・・」
「なあに。お前のいびきなんて・・・・・・可愛いものさ。ははははは」
「セオドリク・・・君が言葉に詰まるなんて、珍しいよね・・・」
セオドリクはわざとらしく咳をすると、
「同居は決定事項だ。お前の父親も了承していることだ。お前の意思なんか関係ない」
「・・・俺の父親のことも脅してるんじゃないだろうな?」
セオドリクは口笛を吹くと、
「さあて。どうだろうなあ」
「・・・」
ウォルターの父は恐妻家として有名である。・・・何をネタに脅しているのかなんてことまでは知りたくないが、母が怒り狂うことをやらかしてしまっているのだろう。
「ウォルター。同居は嫌だと言うが、お前の稼ぎだけでキャリーを養えるのか?」
「・・・・・・うっ」
痛い所を突かれてしまった。もちろん、ウォルターだって、それを気にしてこなかったわけではない。
彼の実家は本当に由緒があるだけの家で、裕福でないどころか、祖父の事業失敗の影響がいまだに尾を引いていて、侯爵家としての体面を守るだけで精一杯な状態だ。カロリーナの持参金が入れば、二人の娘に十分な額の持参金が用意できると算段している母から絶対にカロリーナを逃がすなと厳命されている。
実はその母が巡り巡って運良く受け継ぐことになった屋敷を結婚祝いとして、ウォルターに譲ってもらえることが決まっている。
伯爵家からかなりの額の持参金を受け取れるのに、そのカロリーナに一般的な陸軍兵士と家族が暮らすような家に住んでもらうのはさすがに申し訳ないと思ってのことだろう。
しかし、この決定にはウォルターの次兄の妻が非常に不満を持っているらしく、祝い事などで家族が集まった際、ウォルターは彼女から無視されてしまうと言う憂き目に遭ってしまっている。次兄は申し訳ないと謝ってくれるし、母の決定は当然のことだと言ってはくれているが、何も継げない者同士助け合ってきたはずの、仲が良かったはずの兄との間に溝が出来てしまっているのもまた事実である。
それでも、ウォルターは伯爵家の豪勢な屋敷で何不自由なく暮らしてきたカロリーナに、その屋敷より、一回り、二回り、三回り、いや、それ以上に狭い家で我慢してもらうわけにはいかないと思っている。ウォルターにとってはカロリーナが一番大事なのだ。だから、次兄の妻に無視されようが、兄との間に溝が出来ようが構わない、何があっても、屋敷を譲ってもらうんだ!と、心に決めていたのだが、この屋敷でセオドリクと同居すれば、一気に問題が片付くことになる。次兄が弟と妻の板挟みになることもなくなるのだ。
つまり、ウォルターが我慢すればいいだけの話である。
それが分かっていても、ウォルターの口はどうしても『同居するよ』と動いてはくれない。
それをセオドリクは知ってか知らずか・・・。
「あえて言わずとも分かっていると思っていたが、キャリーは金が掛かるぞ。食べる量が減ったとは言え、口が肥えているから、そこいらで買えるような食材で作った料理では絶対に満足しない。いや、量が減るからこそ、これまで以上に味にこだわるようになるはずだ。おまけに普段は食べ物にしか興味のない肥満体のくせに、身に付ける物にも非常にこだわりがある。キャリーのドレスを仕立てているのは、この国一番の職人だし、肥満体であるだけでなく、長身でもあるから、ごく普通の令嬢より、布も余分にいる。靴のサイズは26cmだから、特注扱いだ。女なら誰でもそうかもしれんが、宝石好きだから、何にでも宝石を使った細工をしたがる。更に友人を招いての茶会をしょっちゅう開いているし、逆に招待されることも多い。まあ、宝石の多用を我慢させることくらいは出来るだろうが、お前はキャリーに友人たちとの付き合いを我慢させるのか?いつも同じドレスを着せるのか?・・・まあ、これから痩せたり太ったりを繰り返すだろうから、どのみち同じドレスは着れないだろうがな」
「・・・」
ウォルターはゆっくりとセオドリクからカロリーナに視線を移した。
カロリーナはほろりと涙をこぼして、
「ウォルター・・・お金の掛かる女でごめんなさい。なるだけウォルターの好みの女性になりたいけれど、ウォルターの為ならトンスラにも出来るけれど、貧乏だけは耐えられないの。お友達とお喋りしたいし、お友達のおうちのお菓子も食べたいの。肥満体でも綺麗な物が好きだし、お洒落もしたいの」
「いや・・・トンスラになったら、お洒落どころじゃないと思うよ・・・」
いや。トンスラになっても、カロリーナと言う女性には関係ないかもしれない。
つまり、ウォルターの力だけではカロリーナは養えないのである。
ウォルターはもう分かっている。分かっているのだが、やっぱり、『同居するよ』と、言おうにも声が出ない。声を出そうとすると、息苦しくなる。何かが終わってしまうと体が拒否してしまっているのだろう。
すると、業を煮やしたのか、
「同居を拒否するのなら・・・」
と、セオドリクが異様に低い声で切り出した。
ウォルターは恐怖心を覚えたが、自棄半分、強気半分で(カロリーナが自分を好きだと分かっているから)、
「カロリーナとは結婚させないと言うのか?カロリーナは俺を好いてくれているし、俺との結婚を望んでるんだぞ。お互いの気持ちも確認したし、これで結婚を反対するだなんて、あんまりじゃないか」
と、言ってやったのだが、セオドリクはにっこりと笑った。しかし、目は全く笑っておらず・・・。
「陸軍を消滅させてやる」
「同居します。お願いですから、同居させて下さい」
後になって、思い返しても不思議なくらい間髪入れずにそう答えてしまっていた。
普通、一人の青年が陸軍を消滅させるなんて、有り得ない話である。
そんなはったりを本気にする奴があるかと言う人は大勢いるだろう。
しかし、この男は目的を果たす為ならば、カロリーナに関わることならば、何でもやってのける男だ。
たとえ、消滅させることが出来なかったとしても、陸軍が甚大な被害を被るのは間違いない。
「良かったわ。この広いおうちでお兄様が一人になるのは可哀想だと思っていたの」
カロリーナはウォルターの多大なる犠牲を知っているのか、いないのか、一人安堵している。
「そうだね。一人は寂しいもんね」
ウォルターは顔を引きつらせながらも穏やかな口調で同意した。
「ローラさんに来てもらうのはさすがに外聞が悪いし・・・私ったら、肥満体なのに外聞は気にしちゃうのね。だから、痩せないのね」
それ、どういう理屈なの?と、ウォルターは思いつつ、
「ローラさんって、誰?」
「お兄様の愛人さんよ。知らなかった?オペラ歌手でとっても綺麗な人なのよ」
「えっ!?」
びっくりしたウォルターはソファーからずり落ちてしまう。
「何をそんなに驚くことがある?」
と、セオドリクが首を傾げて、カロリーナも首を傾げる。「ああ。愛する妹に愛人の存在を教えていることか?お前はやっぱりたわけ者だな!私とキャリーの間に隠し事など存在せんわ!」
「そうじゃないよ!カロリーナ以外の女性に興味があるとは思ってなかったから、びっくりしただけだよ!」
「妹への愛を拗らせて、童貞でいるとでも思ったか!どんな変態、異常者だ!お前とは違うわ!」
ウォルターは真っ赤になりつつも、急いでカロリーナの耳を塞ぐと、
「俺は童貞だけど!そりゃ、童貞だけど!童貞だからって、変態でも異常者でもないよ!いや、今は俺のことなんて、どうでもいいよ!他の女性に興味があるんなら、君も結婚すればいいだろう!」
セオドリクはふんと鼻を鳴らして、
「興味などない。私は純粋に自らの欲求を満たしているだけだし、あの女も純粋に私を金払いのいい客としか思っていない。・・・結婚だって?私の全身はカロリーナへの愛で出来ている。髪の毛一本分の愛さえも他の女に与えるつもりはない」
「うわー・・・ここまで来ると清々しいねー・・・」
すると、耳を塞ぐのはもうやめてと言うようにカロリーナがウォルターの腕をぽんぽんと叩いた。「あ、ごめん」
ウォルターがカロリーナの耳から手を離すと、
「お兄様に愛人がいると知った時はびっくりしたけれど、何となく安心したけれど・・・」
「あ、カロリーナでもそこは安心するんだね・・・」
「でも、ウォルターに愛人がいると知ったら、私、とても耐えられそうにないわ。ウォルターには私だけを愛して欲しいけれど、肥満体でお金の掛かる私がそれを言うのは、我が儘よね。だから、せめて、私がお墓に入るまで分からないようにしてね」
「カロリーナ!」
感極まったウォルターは健気なカロリーナを抱き締め・・・ようとしたものの、背中にも立派な脂肪がついているので、しがみついているようにしかならないが、そこは気にしないことにして、「俺はこれまでもこれからもカロリーナだけだよ!カロリーナのためなら、何でも出来るよ!悪魔との同居もどうってことはないよ!」
「まあ。良かった。これからは三人で仲良く暮らしましょうね」
カロリーナはウォルターの胸に顔を埋めたのだった。
セオドリクは妹が婚約者と抱き合う様子を怒るでもなく、呆れるでもなく、眺めていたが、ふと首を傾げる。カロリーナのこれは無意識か意図的なのか、どちらなのだろうかと考えてしまったのだ。
うーむ。読めんな。この私でさえ、妹の全てを分かっているとは言えないらしい。
だからこそ、この妹は愛すべき存在なのだろう。うむ。
何がだからこそなのかは分からないが、本人がそう思っているのなら、それでいいのである。
この二ヶ月後、一介の陸軍兵士が新郎とは思えない程、盛大な結婚式と披露宴が執り行われた。
どういうわけか新婦には新婦の兄が結婚式の間も披露宴の間も移動の馬車の中でもぴったりと寄り添っていたのだが、誰も何も言わなかった。幸せそうな新婦とその兄とは違い、新郎だけ終始顔が引きつっていたが、やっぱり誰も何も言わなかった。
カロリーナはその後、劇的に痩せることも、劇的に美しくなることもなく、肥満体のままだったが、二人の男の子と三人の女の子の母親になった。出産の度にいくらか痩せたが、やっぱり肥満体のままだった。
セオドリクは宣言通り、生涯独身を通した。国政には興味がないと言いながらも、ごく稀に思い出したように口を出せば、その時々の国王やら女王やらの信頼を得る結果となり、何だかんだでその地位を確固たるものにし、最終的には侯爵位まで賜った。
もちろん、彼は伯爵だろうが侯爵だろうがどうでも良かった。妹を一目見た瞬間から抱いた夢を叶えることが彼の全てだったのだから。人から見ればささやかな夢かもしれないが、愛する妹、妹の子供、孫、ひ孫たちに囲まれ、明るく楽しく賑やかで、これ以上なく、幸せな人生を手に入れたのだから。
カロリーナは17歳まで砂糖にまみれた生活を送っていたにもかかわらず、その当時の平均寿命より長く生きたのだが、セオドリクの夢は叶うことなく、カロリーナの方が先にあの世へと旅立ってしまった。
自身が妹を看取る結果となり、セオドリクは涙に暮れたが、妹の子供たちの励ましのお陰か、自分より妹が先に死んでしまった不条理に対する怒りを糧にしたのか、何だかんだで更に10年、生き長らえた。
『もういい加減、キャリーの元へ行かせてくれ』
これが、妹をこよなく愛した男の最期の言葉だった。
残念ながら、不憫な義理の弟についての記録は一切残されていない。
おしまい
重度のシスコンが恋するようなお話も良いかと思いますが、このセオドリクには無理だと思います。
ありがとうございました。