四話
「と言うわけで、再来月、結婚式を行うことに決まったから、そのつもりで準備をするように」
急な呼び出しを受け、何事かとウォルターが兵舎内の応接室に慌てて来てみれば、セオドリクが居て、ウォルターの顔を見るなりそう言った。ちなみに夕刻はとっくに過ぎている。本来ならば、有り得ない話だが、セオドリクに軍の規則なんてものは通用しないのである。
「な、何がと言うわけなんだ?」
「ん?不満か?変態の遺言なんか無視していいと言ってあげてるんだぞ?」
「亡くなった母君を変態呼ばわりするのは止めてやってくれ!それに遺言を違えるなんて、紳士のすることじゃない。何より、俺は軍人だ。故人の遺志は尊重しなくてはならないとの教えがある」
「なあに。あの世の変態に恨まれるとしたら、お前だけだ。気にすることはない」
「気にするに決まっているだろう!!恨まれるなんて、絶対に嫌だ!!」
「しかし、キャリーもウェディングドレスの為に痩せると張り切っているぞ」
「えっ、そうなの?」
「昨日、夜中まで話し合って、朝食時のクリーム付きパンケーキ10枚をロールパン10個にすること、お茶の時間のホールケーキ1個を果物の盛り合わせにすること、温かい飲み物には必ず砂糖を10杯入れていたが、それを5杯にすること、そして、夜10時以降は何も食べないことをキャリーに約束させた」
「うわ!」
ウォルターは思わず感嘆の声を上げてしまうと、「本当に!?それはすごいな!それなら、カロリーナも今よりずっと健康的な体になるよ!」
「・・・」
セオドリクはふと遠くを見るような目になった。パンケーキ10枚とホールケーキ1個を食べることはカロリーナが10年以上続けてきた日課とも言える。止めると約束させるまでには本当に大変な思いをしたことだろう。
「俺に感謝なんかされたくないだろうけど、セオドリク。ありがとう」
と、ウォルターが頭を下げると、セオドリクは鼻を鳴らして、
「まったくだ!お前に感謝される謂れなどないわ!調子に乗るな!」
・・・他の人間ならば、照れ隠しか?と、思われるかもしれないが、セオドリクにはそんな性質はこれっぽっちも存在しない。
「ですよねー・・・」
「しかし、肥満は早死の元だとお前が言わなければ、キャリーは母親の年より早くに死んでいたかもしれん。そこは感謝してやってもいい。お前もたまには役に立つな」
「はあ、それはどうも・・・」
・・・何だか嬉しくない。
「我が家の料理人が遣り甲斐を失くしたなどと言っているから、キャリーが食べていたケーキは皇太子に献上することにした。これからは他国の珍しい菓子を手に入れただとか言って、砂糖をこれでもかと入れた菓子をどんどん食わしてやろうと思っている。もちろん、酒もな」
「それって、殿下を早死させようとしているの?暗殺計画なの?そういうことを陸軍の人間の前で言っちゃうの?」
「この間、男児が生まれた。もう十分、役目は果たしただろう」
「・・・」
皇太子はセオドリクを友人だと思っているが、セオドリクは皇太子を自分の世界を構築しているパーツの中のたまたま目に入った一つくらいにしか思っていない。普通は逆なのだろうが、セオドリクと言う人間はこれでこそ、セオドリクなのだと思ってしまうから、不思議だ。・・・とにもかくにも、皇太子が不憫でならない。
『聞かなかったことにしよう』と、ウォルターはうんと頷いて、
「話は最初に戻るけど、どうして、そんなに慌てて結婚をさせようとしているの?君はカロリーナを溺愛してるんだろう?他の男の手に委ねるのは少しでも遅らせたいと思うのが普通なんじゃないの?」
セオドリクはかっと目を見開くと、
「私のキャリーに対する愛は普通などとは次元の違う所にある!平凡な人間共と一緒にするな!このたわけ者が!」
「だってさ!君は母君の遺言に対する俺の思い違いも知ってたのに教えてくれなかったじゃないか」
「教えなかったのは母の遺言に縛られて、身動きが取れなくなっているお前が面白かったからだ」
「はああああっ!?」
「そもそも、お前とキャリーの婚約はこの私が最初に言い出したことだ。なのに、何故、解消させなくてはならない」
「えっ」
「父はセレスティアが公爵夫人の座を射止めたのだから、キャリーも痩せさえすれば、由緒があるだけの侯爵家の3番目で、継ぐ爵位も財産もない、陸軍兵士を目指している男よりももっとましな縁談があるはずだと反対していたがな」
「た、確かに父君が反対するのは当然の話だよ。本当だったら、俺はカロリーナとは婚約なんて出来なかったよ。なのに・・・どうして?」
セオドリクは口の端を歪めて笑うと、
「脅してやったんだよ。父は、自分の妻以外の女を知っていた。母と出会ってすぐに清算したが、愛人も囲っていた。まあ、貴族の男としては、何も珍しいことではない。しかし、妻を喜ばせたいがためにお互い初めての相手なのだと実にくだらない嘘をついてやがった。その嘘を母にばらすと言ったら、あっさり、キャリーとお前の婚約を認めたよ。まったく、しょうもない男だったよ」
「・・・」
ここは『どうやって、自分が生まれる前の話を知ったの?』と、疑問をぶつけるか、『実の父親を脅したり、しょうもない男だなんて言っちゃいけないと思うよ』と、苦言を呈するべきところだが、ウォルターは感激してしまうと、
「セオドリク。父君を脅してまでして、俺をカロリーナの婚約者にしてくれたんだな。そこまで俺を買ってくれてたなんて・・・」
「いや。周りにいる男どもの中でお前だけがキャリーに夢中だったし、何より一番の理由は都合が良かったからだ。お前は本当に扱いやすいからな」
「ですよねー・・・」
ウォルターは悲しいくらい物凄く理解できたのだった。
「でも、ライフル銃が暴発しなければカロリーナは俺を好きだってことに気付かなかったし、あのまま、水だけしか飲まない生活が続いていたら、いくら、肥満体のカロリーナとは言え、危なかったんじゃないかなあ?まあ、結果良ければ、全て良しってことにしとけばいいのかもしれないけどさ、何とも場当たり的でセオドリクらしくないよね」
すると、セオドリクがまた目をかっと見開いて、
「貴様はどうしようもない間抜けだな!この私が偶然なんて不確かな物に頼るわけがないだろう!」
「え、いや、だって」
「そもそも、ライフル銃は暴発したのではない。この私がライフル銃を狙撃しただけだ」
大した訓練もしていないのに、セオドリクの射撃の腕は超一流なのである。
「はああああっ!?」
「まったく。怪我をしないよう細心の注意を払ってやったのに、尻から転んで捻挫をするとは・・・情けのない。どうせ怪我をするなら、警備中のお前を襲って、半殺しにしておけば良かったよ」
やっぱり大した訓練はしていないが、セオドリクは兵士一人くらいなら、ものの数秒で簡単に殺れるのである。
「・・・」
ウォルターは身震いしてしまうと、「いや、あの、やっぱり暴発の方が良かったなあと、今、すごーく思っているんだけど、セレスティア様を使うんだったら、そもそも、狙撃なんて面倒なことをしなくても良かったんじゃない?セレスティア様から俺が大怪我をしたってカロリーナに伝えてもらえれば、その方が簡単だったじゃないか」
セオドリクは鼻で笑うと、
「セレスティアに演技をさせろってことか?あれは私の双子の姉とは思えないくらい不器用だ。嘘の一つもつけない。隠し事にも向かない。泣けと言われたら、大笑いするだろうし、怒れと言われたら、やっぱり笑うだろうよ。何より、どんな理由があったとしても、キャリーを騙すような真似は絶対にしない。キャリーもそれが分かっているから、何の疑いもなく、兵舎に走ったんだろうよ」
「え、じゃあ・・・あ、公爵か!」
セレスティアの夫の公爵は陸軍の幹部でもある。
公爵は定期的に兵士の訓練を見学していて、あの日、セオドリクがウォルターのライフル銃を狙撃した時も訓練場に居たのである。
そして、帰宅した公爵が執事相手に『今日、訓練を見学したんだが、ウォルター君の銃が暴発してしまってね。大変な騒ぎになってしまったんだよ。・・・え?彼の容体?それが残念なことに・・・・・・びっくりした拍子に転んで、右手首を捻挫してしまったんだ。いやあ。あの頼りない青年に可愛いキャリーを任せていいものかなあ。セオは何を考えているんだか』と、話していたのだが、セレスティアは『それが残念なことに』まで聞いたところで、これは大変なことになったと妹の元へと大急ぎで向かったのである。
「セレスティアはおっちょこちょいに服を着せたような人間だからな。もっと先まで話を聞いていたとしても、やっぱり、同じようにキャリーの元へ行って、捻挫を骨折、軽症を危篤状態に勝手に変えて話していただろうよ。やっぱり偶然に頼ったんじゃないかとお前は言うかもしれないが、公爵が訓練の見学後に一旦屋敷に帰って、妻や子供たちと一緒に昼食を取ることも、公爵が執事にその日の出来事を話すのもいつものことだし、夫が帰ったくらいでいちいち慌てたりしないセレスティアが出迎えに来るまで執事が間を持たせるのもいつものことだ。セレスティアがここまで私の思い描いた通りに動いてくれることを予想していた。・・・と言えば、嘘になるがな。ははははは」
・・・しかし、これはセオドリクの予想だが、公爵はライフル銃が暴発したわけではないことも、誰の仕業によるものかと言うことも分かっていたのではないだろうか。
そうでなけれは、妻の手綱をしっかり握っている公爵が帰宅したばかりの自分に声も掛けずに出て行くのを黙って見逃すわけがない。
セオドリクは姉の夫に借りが出来たことを面倒に思うべきか、予想通り食えない男であったことを喜ぶべきかと考えていると、ウォルターがふと呟いた。
「カロリーナを騙すような真似はどんな理由があってもしないか・・・美しい姉妹愛だよね・・・どうして、セレスティア様の双子の弟はこんなになっちゃったんだろう・・・」
「ん?何だって?」
「あ、い、いや、あ、その、君のことだから、ここまで俺とカロリーナを結婚させたいのには何か裏があるんじゃないの?」
「裏?私は一刻も早く可愛いキャリーの分身に会いたいだけだ。裏などない」
「え?それだけのこと?」
「それだけのこと!?そう言うのなら、さっさと結婚して、さっさと子作りに励め!」
ウォルターは真っ赤になりつつ、
「こ、子作りだなんて、俺、キスもしてないのに・・・」
「じゃあ、お前は結婚初夜にお手々を繋ぎながら、寝るだけにするのか!?それはキャリーに対する侮辱だぞ!それでも男か!お前は今回のことで文句ばかり言っているが、お前があまりにしょうもないから、この私がお膳立てしなければならなくなったんだろうが!」
「うっ」
確かにその通りである。ウォルターはがっくりと肩を落として、「・・・セオドリク、ごめん。確かに君が行動に移さなければ、情けのない俺はカロリーナには何も言えなかったと思う。カロリーナはこれまで俺との間に恋愛感情はないときっぱり言い切っていたから、愛の告白をしようだなんて、とても思えなかったんだ。だから、礼なんて言われたくないと思うけど、でも、やっぱり、俺は、ちゃんと礼を言いたいよ」
セオドリクは今度は目をかっと見開くことも、調子に乗るなと怒ることもなかったが、『礼なんか本当にいらない』とでも言うように鬱陶しげに手を振ってから、
「ただ、これ以上、お前に楽をさせるつもりはない」
「え?」
「キャリーと結婚する上で、お前に呑んでもらわなければならない条件が一つある」
その静かな声にウォルターの背に寒気が走った。
「じ、条件?」
「お前の父親は非常に渋っていたな。息子の精神が持たないと」
「俺の精神が?持たない?な、何なの?条件って」
セオドリクはにやりと人の悪い笑みを浮かべると、
「それは次のお楽しみだ」
「はああああっ!?」
「条件はキャリーと一緒の時に話してやるから。じゃ」
「セオドリク!待ってよ!今ここで話してよ!気になって、眠れなくなるじゃないか!」
「じゃあ、寝なきゃいい」
そして、セオドリクは低く乾いた笑い声と共に兵舎を後にした。
「あいつは人の姿を借りた悪魔だ!あんなのが義理の兄になるだなんて、神様はあんまりだ!!」
・・・と、頭を掻きむしりながらウォルターは叫んだのだった。