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三話


 セオドリクは書斎の窓際でブランデーが入ったグラスを揺らしながら、月を眺めていたが、

「・・・ふむ。ウォルターは逝ってしまったか。短い生涯だったが、最期の時をカロリーナの腕の中で迎えられたのだから、何の悔いもないだろう。なあに。ウォルターの分も幸せになればいいんだ。あいつも天国でキャリーの幸せを祈ってくれるだろう。・・・しかし、惜しい奴を失くしたな」

「お兄様!」

 カロリーナはばーんと書き物机に両手を付くと、「縁起でもないことを言うのは止めて下さい!お兄様が言うと全く冗談に聞こえないから、本当に恐いんです!」

 セオドリクは振り返ると、心外だとでも言うようにこれでもかと眉をしかめてから、

「可愛い妹よ。何を言う。冗談ではない。本気だ」

「本気も何も俺は生きているだろう!」

 ウォルターも両手を上げたが、右手首を痛めていることを思い出して、左の拳で机を叩くと、「だいたい、惜しい奴を失くしただなんて、お前のような人間が言うはずがない!」

 セオドリクはパンパンと拍手すると、

「正解だ」

「まあ、正解ですって。ウォルターはお兄様のことを良く分かってるのね」

「間違い探しをさせるんじゃない!カロリーナもそこで嬉しそうにしないでくれ!・・・それより、セオドリク。俺とカロリーナに何か言うことがあるんじゃないか?」

 セオドリクは二人を交互に見てから、

「ふむ。キャリーはいつも以上に可愛いな。・・・ウォルター。お前はいつも以上にぶん殴りたくなるような顔をしているな。・・・こういうことか?」

「違う!殴りたくなるような顔ってなんだよ!」

「さっきから私に文句があるようなことを言っているくせに、緩みっぱなしじゃないか。その顔のことだよ」

「・・・」

 ウォルターはぽっと頬を染めると、「いや、その、今日、初めて、カロリーナが俺のことを好きみたいなことを言ってくれたから・・・」

 実はウォルターは子供の頃からずっとカロリーナに思いを寄せているのである。恥ずかしくて『キャリー』と呼べないくらい。


 しかし、カロリーナはどうにも信じられないようで、

「ウォルター!無理に私を喜ばせようとしてくれなくてもいいのよ!私が平均体重を下回っていたのは赤ちゃんの頃までだったんだから!あなたと出会った頃にはもう既に肥満体だったのよ!?そんな私を好きになる要素がどこにあったのよ!」

「そんなことないよ!カロリーナだけだったんだ!俺がチビでも痩せっぽっちでも、笑ったり、からかったりしなかったのは!」

 カロリーナは首を傾げて、

「それの何が可笑しいの?人の身体的特徴を笑うのは恥ずかしいことだわ」

「そういうところだよ!俺が好きなのは!」

「私も笑いもしなかったし、からかってもいないぞ」

 セオドリクが口を挟む。

「お前は興味がなかっただけだろう!」

「ははは。正解だ」

「頼むから、今だけは黙ってくれ!」

「・・・」

 セオドリクは肩を竦めたものの、何も言わなかった。


「カロリーナは人を見下したりなんか絶対にしないし、おなかいっぱいになった時だけに見せる笑顔は本当に可愛いし、肥満体なのに、ぺたんこの靴は履きたくないって、変なところで誇り高いところも好きだし、ぶよぶよしてて柔らかそうなところも好きだし、食べ物を前にすると俺のことなんて眼中にも入らないところも腹をすかせた野良犬みたいで見ていて微笑ましくなるから好きだし、こんな悪魔みたいな兄を洗脳されてるのかと疑うくらい心から慕ってしまっている残念なところも好きだし、国一番の美女だと謳われているセレスティア様を妬んだりしないし、と言うより、そもそも比べたりしない能天気さも好きだし、ともかく、俺はカロリーナのことが、全部、全部、好きなんだよ!」

「ウォルター・・・そこまで私のことを・・・」

 所々おかしなところがあっても、小さな事は気にしないカロリーナは感激していたが、「ちょっと、待って。そんなことを言うけれど、あなた、この間の舞踏会で私の悪口を散々言ってたじゃないの」

「えっ!?悪口!?」

「あんなに分かりやすい悪口を言ってないとは言わせませんからね!」

 すると、セオドリクが一歩前に出て、

「それは私が説明してやろう」

「え?お兄様?」

「この馬鹿がキャリーを好きなのは誰の目にも明らかだった。しかし、母の遺言をこの馬鹿は自分のキャリーに対する思いも知られてはいけないと言う意味に取っていたんだよ。だから、この馬鹿はキャリー本人に愛を打ち明けることさえ出来ず、一人、焦っていたわけだ。社交界デビューしたら、多くの男がキャリーに殺到するはずだと思ってな」

「まあ。私に男性が殺到?そんなことあるはずがないじゃないの」

「そう。キャリーは世界一可愛いが、だいたいの男は兄が私だと知った途端に尻尾を巻いて逃げて行ってしまう。だから、焦る必要など全くないのに、この馬鹿は、」

「何回この馬鹿を言えば気が済むんだよ!」

「うるさい」

 セオドリクはがっとウォルターの首を掴むと、「私がまだ話をしているだろう。私の話を遮る人間はキャリー以外は許さん」

「・・・」

 本気で殺される・・・と、思ったウォルターは恐ろしくて『止めてくれ』さえ言えない。

「お兄様!止めて!」

 と、カロリーナが止めに入ったが、セオドリクはにっこり笑って、

「なあに。キャリー。心配することはない。猫が首を掴まれたくらいで死ぬことはないだろう?」

「・・・」

 『掴み方が全く違うだろう!』とはやっぱり言えないウォルターだった。


 その後、セオドリクはウォルターの首を掴んだまま、何故、ウォルターがカロリーナのことを『みっともない』だとか『ただの肥満体』だとか『大女』と言ったのかを説明した。

 あの時、ウォルターと一緒にいた友人たちは彼のカロリーナへの思いを知っているくせに、わざと『カロリーナのことを好きなんだろう。さっさと白状しろよ』などと言って、からかっていたのである。

 ウォルターはカロリーナの母親の遺言を守なければ、彼女とは結婚できないと思い込んでいた為、好きではないと言い張り、信憑性を持たせるために好きになれない理由をいくつか挙げていったのだ。

 それをたまたまカロリーナが耳にしてしまって、今回の騒動にまで発展してしまったと言うわけである。

 ウォルターはカロリーナに向かって、頭を下げると、

「からかわれて、恥ずかしかったって言うのもあったんだけど、君と結婚できなくなるのはどうしても嫌だったから、必死だったんだ。でも、確かに悪口でしかないよね。・・・カロリーナ。ごめん」

「いいのよ!頭なんか下げないで!元々は自分が辛かったからって、あんな遺言を残したお母様も悪かったのよ」

 すると、セオドリクが首を傾げて、

「母が辛かった?どういうことだ?」

「お兄様ったら、何を言っているのよ!お母様はお父様に束縛されて、され続けて、ほんの少しの自由も許されなかったじゃないの!お母様は溜め息をつきながら、『お父様の束縛が酷くて・・・』って、しょっちゅう言ってたわ!お兄様だって、そんなお母様を見て育ったから、結婚は絶対にしないって宣言したんじゃないの?」

「・・・」

 セオドリクは言葉を失っているようだった。頭の回転の速い彼にしては珍しいことだ。カロリーナは兄らしくないなと思いつつ、

「私もお父様みたいに愛する人を束縛してしまうんじゃないかって思うと恐ろしかったの。お父様やお母様のような結婚なんかしたくない、恋なんかしないと思いながら生きてきたわ。ウォルターに対する優しい気持ちや暖かい気持ちもただの友情だって思い込んでいたわ。今日、もし、あんな知らせがなければ、私、ウォルターのことを好きってことに気付かないまま、一生を終えていたかもしれないわ!」

「・・・」

 何とも情けない怪我をしてしまったが、愛する女性の心を得る結果に繋がったのだから、銃が暴発して良かったのかもしれない。と、ウォルターは右手首の包帯を撫でながら思ったのだった。


 一方のセオドリクは愛する妹の思いもよらぬ告白に『参ったな』とでも言うように額に手をやると、

「いや、まさか、そんな風に思い詰めていたとは考えもしなかったよ」

 カロリーナは首を傾げて、 

「どういうことですか?」

「キャリー。お前は幼かったから分からなかっただろうが、お前の母親は辛かったから溜め息をついていたんじゃない。あれはキャリーがおなかいっぱい食べた後に出る溜め息と同じようなものなんだよ」

「はい?」

「つまりな。お前の父親は異常なまでの独占欲を抑えられない変態だったが、母親の方も束縛されることに快感を覚える変態だったんだよ。その二人の変態が上手い具合に出会って、互いがこの人しかいないと思ったからこそ結婚したんだ。なのに、何故、辛く思う必要がある?まあ、周りの人間は迷惑だったかもしれない・・・いや、迷惑極まりなかったが、少なくとも、あの二人は自分たちの結婚生活にこの上なく満足していたし、幸せだったはずだ」

「・・・」

 ウォルターは自分の両親を変態扱いするなよ!と、言いたかったが、また首を掴まれたくないので口を閉じていた。すると、カロリーナが安堵の溜め息を漏らして、

「良かった!お父様はともかく、お母様は幸せだったのね!」

 と、素直に喜んだ。 


 そんな彼女を見て、『キャリー(心の中では呼べる)・・・そんな風に喜べる君が好きだよ』とウォルターが思っていると、いきなり、セオドリクが彼の頬を張った。パーンと小気味良い音がしながらも、さほど痛くはなかったのたが、

「な、何をするんだよ!」

 と、当然のことながらウォルターが文句を言うと、セオドリクは無表情で、

「お前の今の顔を見ていると無性に殴ってやりたくなった。拳でなかったことを感謝しろ」

「感謝なんかできるか!」

「なら、拳でやるぞ」

「やめてくれ!!」

 カロリーナは慌てて、二人の間に入ると、

「もう!大事な話をしているんだから、二人でじゃれあわないで!」

「どこをどう見て、じゃれあってるなんて思うの・・・」

 ウォルターはがっくりと肩を落としたが、ハッとして、セオドリクに顔を向けると、「なら、どうして、母君はあんな遺言を残したんだ?」

「そりゃ、あの母親だって、自分と同じ変態がそうそう居るわけがないことくらいは分かっていただろうよ。稀に見る変態ではあったが、娘を思いやる心までは失われてなかったんだろうよ。・・・父親とは違ってな」

 妻が全てだった男は自分の子供ですら妻の愛を奪う者として、邪魔な存在でしかなかった。妻に嫌われたくないから、妻の前でだけいい父親を装っていただけだった。

 性格はともかくとして優秀な嫡男であるセオドリクにも、国一番の美女と謳われるセレスティアにも何の興味も関心もなかった。セレスティアが公爵の心を射止め、求婚されたと知った時は喜んだが、その理由も『容姿が母親に似ているから』で、結局は妻が一番なのである。

 そして、食べることが大好きな肥満児のカロリーナは愛する妻とは似ても似つかず、尚更、疎ましかったようで・・・。


「もしかして、お父さんから愛されない寂しさから、カロリーナは過食に走ったんじゃ・・・?」

 ウォルターはそう言って、カロリーナを心配げに見遣ったが、

「ん?」

 ビスケットが入った袋に手を突っ込んでいたカロリーナは、彼の視線に気付くと、「ウォルターも食べたいの?食いしん坊さんね」

 ウォルターは脱力してしまうと、

「大事な話をしていても、ビスケットは食べるんだね・・・」

「ウォルター。キャリーの大食いを何を深刻な問題にしようとしているんだ?どう見ても、キャリーはただ単純に食べることが好きなだけだろう」

 カロリーナは心外だと言うように頬を膨らませてから、

「いやあね!お兄様!深刻な問題よ!だって、私はお父様やお母様よりもずっとずーっと長生きしなきゃと思って、頑張って食べてるんだもの!だから、ウォルターも痩せろだなんて言わないでね」

「長生き?肥満は早死の元じゃないか」

 すると、

「「えっ!?」」

 カロリーナとセオドリクが驚きの声を上げる。

「セオドリクまで何を驚いているのさ」

「だ、だって、年を取ったら、食べる量が減るでしょう?そしたら、栄養も取れなくなるでしょう?だから、それまで食い貯めをしているのよ」

「カロリーナ・・・そんな理由で、これまで必要以上に食べてたの?」

「一番の理由ってわけではないけど、そうよ?」

「冬眠前の熊じゃないんだからさ・・・いや、熊だって、365日そんなことを続けていたら、死んじゃうよ。だから、俺は痩せろって言ってたんだよ。カロリーナが僕よりずっと早く死んでしまうだなんて耐えられないよ」

 そこで、一人わなわなと震えていたセオドリクがカロリーナの両肩をがっと掴んで、

「キャリー!私の夢はお前の子供や孫やひ孫に囲まれながら、楽しく明るく賑やかに暮らすことなんだぞ!『お兄様。これまで誰よりも一番、私のことを愛してくれてありがとう。私、お兄様のお陰で本当に幸せだったわ』って、美しい涙を流すお前に手を握られながら絶命することなんだぞ!今の台詞は覚えておきなさい!」

「うわー・・・普通、人の夢を気持ち悪いって思うのは良くないことなのに、不思議なくらい罪悪感が全くないー・・・」

「えっ!?覚えられなかったわ!お兄様、もう一回、言ってください!」

「カロリーナ・・・覚えなくていいから・・・」

「お前が先に死んでしまったら、私の夢が叶わないだろう!食い貯めなんて言って、ばかばか食い続けるお前の言葉なんか信じるんじゃなかったよ!この私としたことが!」

 セオドリクはそう叫ぶと、頭を抱える。

「普通、信じるか?本当にカロリーナのことになると馬鹿になるよな・・・」

 カロリーナは兄の肩に優しく触れると、

「お兄様。そんなに落ち込まなくても大丈夫よ。私、きっと、長生きしてみせるから」

「いいや!」

 セオドリクはかっと目を見開いて、「そんな根拠も何もない言葉なんか信じられるか!キャリー!明日から、甘い物は抜きだ!痩せろ!痩せて、痩せて、痩せまくるんだ!一週間、水しか飲まなかったお前なら出来る!」

 セオドリクはこれまで散々食い貯めをしていたから、一週間くらい食べなくても大丈夫だろうと思っていたのである。


 カロリーナは真っ青になると、

「お、お兄様!何てことを言うのよ!私は何よりも甘い物が好きなのよ!?」

「だったら、果物を食えばいいだろう!果物も甘いと言えば、甘い!」

「じゃあ、フルーツタルトはいいの!?」

「タルト無しならいいぞ」

「それじゃあ、ただのフルーツじゃない!私、耐えられないわ!」

「耐えるんだよ!私の夢のために!」

「嫌よ!お兄様は横暴だわ!お兄様の横暴者!」

 カロリーナはセオドリクにくるりと背を向けて、駆け出すと、「お兄様なんかだいっきらいよおおおぉー!!」

 素早く動ける肥満体はあっという間に自分の部屋へと行ってしまったのだった。

 ウォルターはカロリーナが落としていった袋を拾いあげると、首を傾げて、

「何時食べたんだろう・・・」

 袋は空っぽだった。書斎に入る前は袋いっぱいにビスケットが入っていたのに。 


 ウォルターは愛する妹に大嫌いと言われて、落ち込んでしまったセオドリクに、一言二言、全く心にもない慰めの言葉を掛けると、そそくさと屋敷から出て行った。

 門を出たところで伯爵家の屋敷を振り返る。

 セオドリクの溺愛振りも酷いが、カロリーナも兄離れが出来ていない。この世でセオドリクが一番いい男だと言って憚らないくらい兄のことが大好きなのだ。

 セオドリクには申し訳ないが・・・ウォルターはにやりと笑った。

「これは兄離れのいい機会かもしれないな」

 そして、彼は弾むような足取りで兵舎へと帰って行った。


 しかし、この10分後・・・。

「お兄様あああぁぁぁぁーっ!大嫌いなんて言って、ごめんなさあああぁぁぁぁいいいぃぃぃぃーっ!」

 カロリーナはどーんと体当たりするようにセオドリクに抱き付いた。

 ウォルターとは違い、セオドリクはしっかりと肥満体の妹を受け止めると、

「ははは。なあに。本気で言ったわけがないことくらい分かっていたさ。ははははは」

 ・・・こうして、兄妹喧嘩(?)は20分足らずで終わりを告げたのだった。



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