おっさんに才媛
「デューク・エリントン(Duke Ellington)って、lが二つ重なるんだね。」
しかし、それにはただニコリとするだけだった。何がそれ程までに感心させるのというふうに。俺もそんな彼女の反応を見て、我にかえり、いささか上気していたと顧みた。美人といえば美人だが、どちらかというと清楚なたたずまいに惹かれた。しかも、才媛だから。
そんなことはよそに、おっさんは、レコードに針を落とした。そして、いつものSaxの音が鳴り出した。曲は、シュガー。確か演奏は、何とかQuartetだった。おっさんは、何も言わなくてもこれをかけてくれる。というか、好意的にも俺を常連の一角に加えてくれたのだ。とにかく、一見して面倒くさいおっさんだと分かった。何分、店の立看板に「純Jazz喫茶」と掲げるような御仁だからな。少しでも、異を唱えたら大変だと感じた。だからここでは、珈琲の味を褒めそやしてやった。もちろん、事実旨い。初めて、ここに来たとき、この「シュガー」って曲が美味しい珈琲の味に合っていると言ってやったら、「そうか」との一言のあと、ジャズのうんちくをしゃべりだした。俺は、全く興味がもてなかった訳ではなかったが、その大半は聞き流した。そんな始末だったが、自身の珈琲の味は、ジャズの曲想にマッチングする様にしているとのことには、大仰にも感心してみせた。するとおっさんはよく分かっていると言ってくれた。そんな具合であったから、ここに行かない訳にはゆかないと妙な義理立てが起り、以来、時々であるが顔を出す様になった。そして、訪れる度にこの曲をかけてくれるのだ。もっとも俺もこの曲のスタイリッシュな面を気に入ったのも確かだ。だが、定番とばかりにそうしてくれるのは俺だけだった。
俺がそもそも、彼女をここに誘ったのは、アナログのレコードの音を聴かせるためだった。だが、あにはからんや然程に興味を懐かなかったみたいだ。そうなれば、ここはおどけてみせようと、ネット配信で名曲「A列車で行こう!」を購入したときの話をした。デューク・エリントンを英文字で検索しようとした際だった。当てずっぽうにやってみたが、ヒットしなかった。それで、例のエルの文字が二つ重なるスペルを知った。もっともそんな話を披露したところで、どことなく白けた様子であるには違いなかった。少し、しおらしくしてみようか。何とも言えない手管だ。もっとも彼女とはこれ以上どうこうなろうなんて思っていなかったが。
俺は、漱石の小説に出てくる、池の写真を撮ろうと大学の構内に入った。少し迷ったが何とか辿り着き収めようとしたが、あいにく人がいた。SNSに載せるには人が写っているのはまずいからな。そんな俺の様子に気づき彼女は場所を開けくれた。きっとここの学生さんだろう。俺は丁重に礼を述べた。程なく写真を撮るとそこを離れ坂を登ったが、目の前に、彼女がいた。俺の気配に気づき後ろを振り向いた際、もう一度丁重に礼を述べたが、同時に何を専攻しているのかも尋ねたのだ。屈託なく答えるのに親しみがわいて、場所を開けてくれた礼にここでお茶でもご馳走しようとした訳だ。
「面白くない?」
「いいえ。」
どうやら、しおらしくするのは正解であった。その当惑した表情に垣間見れた。ふと、よぎったのだ。「無理しなくていい、こんなおっさん臭い所はさぞ退屈だろう」といえば、ここのおっさんは、「こんな所で悪かったなあ!」と突っ込んでくれるだろう。そうすれば幾分かなごんだ空気になるのではないかと。だが、ためらってしまった。それは、おっさんに悪いからと想った訳ではなかった。単なる小心だろうか。相変わらず、彼女は、黙したままカップを口に運んでいた。やはり当惑の面持ちで。