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溺愛の花  作者: 一朶色葉
本編
2/16

「…ただいま戻りました」

 どうにかこうにか元旦那──ヴィスタの拘束から抜け出して薬室に戻った時、ルレインは体力・気力ともに使い果たしていた。表面に出さないように努めたが、声にはいささかげっそりしているのが現れてしまったらしい。にやにやと口角を上げながら「おかえり」と迎えてくれた薬室長の顔を見て、ルレインは自分の失態に気づいた。

「遅かったわねぇ、ふふっ」

「…すいません」

「いえいえ? 別に私としては? もっとゆっくりしてきてくれても良かったんだけど?」

「……これ以上は仕事に支障が出ますので」

「相変わらず淡々としててつれないわ。若いんだからもっとこう、身を焦がすくらいの大恋愛とかしちゃいなさいよ! 可愛い部下のためならお姉さんいくらでも応援するわよ」

「その心は?」

「ノスコルグ師団長に攻めれられて頬を染めながら恥じらうあなたが見たい」

「……」

 真顔で言い切られ、ルレインは沈黙した。そうだろうな、とは思っていたが、こうもあっさりと悪びれもなく欲望を暴露されるとどうしていいかわからない。目の前の薬室長を映しながらもどこか遠くを見つめる琥珀の眸に気づかないのか、黙ったルレインに薬室長は興奮気味に詰め寄ってきた。

「ねえねえ、何してたの? 温室から戻ってくる過程で何があったの? もしかして暗がりに引きずりこまれちゃったりしちゃった? 抱きしめられちゃったりしちゃった!?」

「……」

「もしかして、新婚さんみたいに歪んでたノスコルグ師団長のクラバット甲斐甲斐しく直してあげたりしちゃったの!?」

 …何で知ってるんだろう、このひと。

 まるで見てきたかのようにひとつひとつ言い当てられて、顔が引き攣る。目をキラキラさせて頬を染める彼女こそまさに恋する乙女のようだが、言動に薄ら寒いものしか感じないのは何故だろうか。

「…ノスコルグ師団長のクラバットは歪んでませんでしたよ」

 片頬を引き攣らせながらなんとか絞り出した声で訂正を入れる。そう、歪んではいなかった。彼がルレインに結ばせるためだけにきっちり結んであったクラバットをわざわざ解いただけで。

(言えないし言わないけど。…本当になんでわざわざ解くんだろ、面倒くさい。朝だって私のところに来なければもう少し自由な時間があるのに)

 聞いてみたところで返って来る答えは何となくわかっている。そしてそれは実は面倒くさがりな気質を持つルレインには納得できない理由なのだろう。

「ファイ室長、あまり絡まないであげてください。ルレインの目が死んでます」

「えー、でもナーシェだって萌えるでしょ!? あの『氷の魔導士』がルレインにはぞっこんなのよ」

「まあわからなくもないですけど」

 薬室長──ファイの暴走からルレインを救い出してくれた同期のナーシェは曖昧に笑う。愛らしい小動物のような容姿に反して中身は意外と姉気質のナーシェに礼を言おうとして、ルレインは小首を傾げた。

「氷の魔導士? ヴィスタの属性は氷ではなく水ですよ」

「違うわ。魔力の属性からつけられた呼称じゃなくて、ノスコルグ師団長の性格からつけられたものよ。他国では冷血漢とまで言われてるらしいし、性格が氷みたいに冷たいってことね」

「冷たい…?」

「アンタには別よ、当たり前でしょ。アンタ以外の人間に対してなんていうかこう、眼差しが冷たいのよ。興味なさそうっていうか」

「……へえ、よく知ってるね」

「舐めないで、私はこれでも情報通なの」

 少し誇らしげに胸を張りながら言うナーシェにふむふむとルレインは相槌を打つ。ちなみにこの間、ファイは机に突っ伏して体を小刻みに震わせていた。普段は体裁を気にして魔導士師団長のことを「ノスコルグ師団長」と呼ぶルレインが無意識に「ヴィスタ」と呼んでいることに身悶えているらしい。──なんというか、凄みのある美人であるのに大変残念なひとである。

(ヴィスタが冷たい、か。……冷たい性格ってどんなのだっけ?)

 ひと月も続かなかったとは言え元夫婦である。さらに夫婦となる以前に、昔から知っている幼馴染だ。お互いの性格は知り尽くしているつもりだが、どう考えてもヴィスタは『冷たい』の部類には入らない。

「…むしろあれはワンコ系だと思うんだけどなぁ」

 わかりやすく拗ねるし久しぶりに会えば抱き付いてくるし、何より触れ合うのが好きみたいだし。

 そう思ってぼそっと呟けば、自称情報通の同期が耳聡く拾い上げて「アンタに対してだけよ」とばっさり言い切った。

「それで? ノスコルグ師団長に捕まってたならこんなに早く戻って来れなかったでしょう。何を犠牲にしたの?」

「犠牲にって…」

 まるでヴィスタが悪魔か何かのような言い草である。事実、交換条件のもとに彼の拘束を抜け出して来たのであながち間違いでもないわけだが。

「今夜魔導士師団の宴会に顔出すことになった」

「それ私も参加できる?」

 喰い気味に問われ思わず頷くと、砂浜に打ち上げられた魚のように身悶えていたファイも即座に挙手で参加を表明してくる。

「ナーシェもファイ室長も大丈夫だと思いますけど、そんなに参加したいんですか? 男どもの宴会ですよ?」

「馬鹿ね、魔導士師団は戦闘職。高収入なうえ、それなりに顔が整ってるひとも多い。これを狙わない手はないでしょう」

 捕食者のような顔つきで眸をきらめかせるナーシェに圧されてルレインは思わず一歩足を引いた。そこに来るのが興奮したファイの追撃である。

「私は魔導士師団の野郎どもだけの宴会に興味はないわ! でもそこにあなたが加わるっていうのなら話は別よ! ああ久しぶりにイチャイチャを目の前で堪能できる!」

 別にイチャイチャするつもりも、した覚えもありませんが。

 零すように呟いた訂正はファイには届かない。

(ああ、面倒くさい)

 仕事終わりに負うであろう気苦労を想像して、ルレインはそっと眉間を揉んだ。




***




 ルレインがヴィスタに再会したのはひと月前。彼女が無事試験を突破し、宮廷薬剤師になった初日の歓迎会のときである。歓迎会はルレインが皇都からだいぶ離れた田舎からやってきたということもあり、常ならば薬室で行われるものを「ナーシェもルレインも十八でちょうど成人もしてるし、どうせなら気分を変えて酒場町にでも行きましょうか」というファイの一声で外に出ることになった。皇都の酒場町。その中でもそれなりに上品な居酒屋の個室を押さえ、薬室長、薬室長補佐、薬剤師三名に今回加わった新人二名で酒と料理を楽しんでいたのである。

 その途中で手洗いへと立ったルレインは、皆の元へと戻る道中で背後から抱き上げられ拉致されることになる。

 唐突に背後から抱きすくめられ、ぴしりと固まった彼女の隙をついて横抱きにしてその場から逃亡する。流れる水のように一切の躊躇も手間取りもなく一連の動作をやってのけたのは、言わずもがな、幼馴染にして魔導士師団団長のヴィスタである。あまりにも手馴れていたために、拉致犯罪常習犯かとルレインが青ざめたのは言うまでもない。

 そしてあの時きっと一番驚かされたのは、拉致されたルレインよりも一緒に歩いていたナーシェのほうだろう。大して仲良くなったわけでもないが唯一の同期が目の前で急に拉致されたのだ。酒が入っていたこともあって盛大に取り乱した彼女は歓迎会の個室に半泣きで飛び込み助けを求めたらしい。

 だが最初のその拉致事件は蓋を開けてみればなんてことない。ただ単に同じ居酒屋の別の個室で同じように歓迎会を行っていた魔導士師団の団長様が、思いがけず久しぶりに直に対面した幼馴染に少しはしゃいで攫ってしまっただけである。──なんてはた迷惑な。

 そこからは何故か知らないが魔導士師団と宮廷薬剤師の合同歓迎会になり、何故かルレインはヴィスタの隣で飲むことになり、翌朝起きたらこれまた何故か結婚した夫婦になっていたという話である。

(……本当に何故)

 資料をまとめて使っていた本を棚に戻しながら、ルレインはぼけっと考えた。

 ヴィスタの隣で酒を飲むといつの間にか自分の許容量を超えているということを最初に学んだのがあの歓迎会だ。それなりに飲める方だと思っていたのだが、どうやらまだまだだったらしい。魔導士師団の団長様はまさかまさかのザルどころかワクだった。

 ルレインには合同歓迎会の途中から記憶がない。どうやら酔い潰れたというのは翌日の酷い二日酔いからしてわかったのだが、目覚めたとき何故当然のようにヴィスタが隣にいたのかは未だわからずじまいだ。忙しいはずの彼がルレインの部屋の寝台にゆったりと寝そべって目を細めながら「おはよ」と微笑んだときの破壊力たるや。表情こそ変わらなかったがしばらくの間不躾にその顔を凝視するほどには、あの時のルレインはヴィスタの表情に見惚れていた。

 だが問題はここからである。何故彼がルレインの部屋にいたのか。寝起き直後に「なんでここにいるの」と単刀直入に切り込んだ彼女に対して「本当は俺の部屋に連れ帰りたかったんだけどルレが部屋に自分の戻るって聞かなかったから」とにこにこ眩しい笑顔で言い放った幼馴染の的を得ない答え。さらに彼は二日酔いを抱えながらも出勤準備をしようとするルレインを後ろから羽交い絞めにし、寝台に逆戻りさせようとする。

 その後、まったく記憶にないがヴィスタと結婚したことや、新婚夫婦に一日休みが与えられたことを寝台の上でヴィスタに抱き枕にされながら聞いた。にこにこと上機嫌な彼に「まあいいか」と思ってしまったルレインは実はとことんヴィスタに甘い。

 それでも何やかんやで二週間ほど前に夫婦生活は幕を下ろしたわけなのだが。ここでさらに問題が起こった。

 ──ヴィスタの距離感が近すぎるのである。

 実験の記録を記しながらさきほどのやり取りを思い出してルレインはやはり首を傾げざるを得ない。「離婚した夫婦は元夫婦なのだから甘え甘えられの関係はおかしい」と至極尤もな正論を述べたルレインに対し、彼は少し考えるような仕草をした後、数度瞬きをして首を傾げた。

「でも俺と君の距離感は村にいたときからこんなもんだったよ? 手を繋いだり抱きしめたり一緒に寝たりは当たり前だっただろう?」

 確かにそうだった──そう思ったあの時の自分を思い切り叩きたい気分だ。

 後から考えてみれば彼が故郷を離れたのは八年前。ヴィスタが十三、ルレインが十の頃である。お互いに子どもで、男女の差なんて意識もしていない。性差なんて精神的にも身体的に表れでていない時期からの顔なじみであれば余計にである。

(言い包められた感が半端じゃない気が…)

 悟っても時すでに遅し。すべては数時間前に魔導士師団の宴会に参加するという交換条件のもと離れていったヴィスタの掌の上だったわけだ。

(仕事終わったら直帰しようかな。…いや、駄目だ)

 すでに約束はしてしまっている。たとえ宴会に参加しなかったとしても、二次会と称してヴィスタはルレインの部屋に訪れるだろう。そうなれば合同歓迎のときと同じくいつの間にか潰されて、同衾。ルレインの部屋から朝帰りしていくヴィスタを誰かに見られれば要らぬ誤解を生むこと必至である。


 ──詰んだ。


 結局のところルレインには、宴会に参加するという選択肢しか残されていないのだ。




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