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溺愛の花  作者: 一朶色葉
番外編
11/16

other3


 ──その眸を紫苑の花と称したのは、とろりと甘そうな琥珀の眸を持つ愛らしい女の子だった。



 魔導士師団──ファルノン帝国軍部のひとつで、とりわけ魔力の優れた精鋭が集まる組織の名である。組織の長である魔導士師団団長には「団長」や「師団長」という呼称が度々用いられるわけなのだが、今現在、その呼称は弱冠二十一歳の青年のものとなっていた。

 銀雪の髪に薄い紫の双眸。中性的で実年齢より僅かに幼く見える整った相貌ながら、悪魔だの外道だの鬼畜だのと噂され、さらには興味のないものに対しての眼差しが冷たいからと『氷の魔導士』とあだ名された魔導士師団団長、ヴィスタ=ノスコルグ。

 甚大な魔力を持つ彼が魔導士師団に入ったのは今から八年前。団長の地位についたのは五年前。十六という若さで精鋭どもの頂点に君臨した彼は、何か事をしでかさない限り基本的に放任主義だった。寛容だったわけではなく、ただ単に興味が薄かっただけである。

 だがそれは、決して付き合いが悪いとかそういったことではない。仕事終わりの飲みには決して少なくない回数顔を出していたし、部下の吐き出す愚痴にも興味はなさそうだったが相槌を打つ程度のことはしていた。どこか飄々としていて掴みどころのない様はまさしく魔力(水属性)を体現していたわけなのだが、そののらりくらりとした性格のおかげで過半数が年上の組織で長をこなすことが出来ていたのである。

 そんな魔導士師団の団長様に部下全員がぎょっとさせられたのは、毎年恒例の新人歓迎会でのことだった。

 仕事の関係上少し遅れての参加となった団長が歓迎会の会場に現れたとき、彼の腕には見知らぬ人間が抱えられていた。──齢十八ばかりの、綺麗な顔をした女の子である。

 むさ苦しい男どもの宴会に突如として添えられた花だったが、団員たちは歓喜するより先に慄いた。


 ──〝誰だその子!? どこから拾って来た!?〟


 新入団員含め、全員の心が初めて一致した瞬間である。

 団長が乱心したと混乱する部下を当の本人は意にも介さず、少女を大事そうに抱えたままさっさと自分の席についてしまう。誰も口出しできず、「おいお前団長に探りいれて来いよ」と互いに目線で押し付け合い、先輩権限を振りかざした大人げない大人によって団長とそれなりに年の近い新人が泣く泣く選出されたときである。──淡々とした声が気まずい空間に落ちたのは。

「…ヴィスタ。離して」

 落ち着いた、玲瓏たる声だった。

 しっとりと耳に心地いいそれは高く、男組織の中では聞き慣れないものだ。何より、筆頭魔導士を〝ヴィスタ〟と呼ぶ人間は、魔導士の中にいない。

 魔導士全員の視線が生贄──もとい大役を押し付けられた新人から、団長の腕に抱えられた少女へと向く。そして物珍しそうに瞬いた。

 彼女は近すぎるその距離に頬を染めるでもなく、照れて胸を押しのけようとするでもなく、半眼で上司を見据えていた。「えー」と不満そうな声を出す上司も上司で、愛おしそうに目を細めている。

 ──〝デレデレじゃねーか! 『氷の魔導士』どこ行ったよ!〟

 上司の激変に唖然とするしかない。

 その後。

 久しぶりに直に会ってちょっとはしゃいだんだよね。などと供述した上司を〝それなりに尊敬できる〟から〝尊敬できるけどある意味問題児〟へと認識を改めることになるとは、このとき誰も思っていなかったのである。




***




「ルレ? もしかして酔った?」

 ヴィスタが久々の幼馴染に暴走して〝つい〟攫ってしまってから二時間ほど経ったころ。

 右隣から寄りかかってくる体温に、彼はきょとんと瞬きをした。

 上体を預けてくるルレインの顔は、俯いているせいで生憎と見えない。もう一度呼びかけつつ顎を掴んで持ち上げると、とろんとした琥珀の眸がぼけっとヴィスタを映し出した。

(ルレの許容量はこれくらいか。ぽやんとしてるだけで気分が悪くなるわけではない、と)

 テーブルに並んだグラスと彼女の状態を観察して心に留め置く。早くに故郷を離れたヴィスタが成人したてのルレインと酒席に着くのは当たり前だがこれが初めてである。仲間が拐かされたと薬室の薬剤師たちが乗り込んできて歓迎会を合同でする運びとなったときから、今日の目的のひとつに『幼馴染の酒の許容量を把握する』を加えていたヴィスタは、正体をなくすまで飲ませてしまったことに少しの罪悪感を持ちつつ、それでも目的を達成できて満足していた。

(それにしても…)

 溶けた琥珀の眸、ほんのり薄紅に染まった頬。くたりと力の抜けた華奢な肢体。──彼女の席をテーブルの隅にしておいて良かったと心の底から思う。

 酒が入って盛り上がりが最高潮に達している宴会の席で、端のほうに座っているヴィスタたちに目を向けてくるものは今のところいない。

「ファイ殿。ごめんだけど、ルレ酔っちゃったみたいだから席外すね」

 テーブルを挟んでルレインの対面に座っていたファイに一応一声かけて席を立つ。扉に近い位置だったため誰に咎められることもなく会場を抜け出して、小憩のための小さな個室に向かった。

 基本的にどの酒場にも設けられている小憩所だが、酔えば大抵の客がすぐに帰るので利用する客はあまりいない。時たまいる不埒な輩対策用のはめ殺し窓から室内を覗いて利用者がいないことを確認し、ヴィスタは扉を開けた。

 簡素な小部屋。あるのは壁に沿うように置かれたソファと、水差しやグラスの置かれた卓のみである。

 ソファにルレインを下ろして、入り口のはめ殺しのはす向かいにある窓を開けて空気を入れ替える。

「ルレ、水飲む?」

「のむー…」

 幼子のように素直にこくりと頷いた彼女に小さく笑って、ヴィスタはグラスに水をついだ。用意されているのが味気ないただのグラスではなく切子であるところに店主の品の良さが窺える。

「なに?」

 受け取ったグラスに口をつけながらも、ずっとこちらを見上げている琥珀の眸に彼は首を傾げた。

 こくっと一度嚥下してグラスから口を離したルレインの口元が、ふいに綻ぶ。


「──おっきくなったねぇ」


 とてつもなく複雑な心境に陥った。

 ぽややーんと笑んでいるルレインの笑みは、故郷を離れる以前も離れて以降も見たことがない珍しいもので、表情筋があまり仕事をしない彼女の笑顔の中で特段稀少なものだ。

 だが彼女が纏う雰囲気や口元に刷かれた笑み、さらには吐き出されたその台詞にヴィスタは覚えがあった。──昔近所に住んでいた老婆である。

 会うたびに頭を撫でながら「大きくなったねぇ」と微笑み、時折持っていた菓子を「仲良くお食べなさいな」とお裾わけしてくれたあの老婆は息災だろうか。

 思わず遠い目で過去の思い出に逃げるヴィスタの胸中たるや、簡単に説明できるものではない。

 確かに故郷を離れて八年。魔道士になった一年半後にルレインの祖父が身罷り一度故郷に戻ったとはいえ、あのときとは比べものにならないくらい自分の身長は伸びている。中性的で十代前半は何度も女に見間違われた相貌は残念ながら成長とともに男らしくなることはなかったが、それでも今は女に間違われることはない。

 だが。その成長を久しぶりに直に対面した幼馴染に、しかも年下の少女に、慈愛に満ちた眼差しで指摘されるとは思わなかった。頬が引き攣るのも仕方ないと思う。

 もしやあの老婆が乗り移ったのか、と故郷で未だ息災な老婆を脳内で勝手に殺し馬鹿なことを考え始めるヴィスタは、無自覚にも意外と混乱している。

 だがそのヴィスタの混乱もお構いなしに、グラスを卓に戻したルレインは立ったまま固まっているヴィスタをちょいちょいと手招いた。

「?」

 怪訝な顔になりながらも、ヴィスタはルレインと目線を合わせるように床に膝をつく。その頬を両手で包んで引き寄せて、酔った幼馴染はふにゃっとさらに相好を崩した。

「おっきくなってもこの色はかわらないんだねぇ、ふふっ…しおんの色だ」

「…」

 とろりと甘そうに蕩けた眸に、ぽかんと間抜け面を晒す自分の顔が映る。互いの吐息が交わるほどに距離が近い。──それでもそんなこと、まったく気にならなかった。

 耳朶の奥に蘇ったのは、目の前の幼馴染の、今よりもっと幼い声。

 ──〝ヴィスタのおめめは、このしおんっていう花とそっくりなの〟

 最初にヴィスタの薄紫の眸を紫苑だと言ったのは何を隠そうこの幼馴染で。耳にあの頃の柔らかな声音が蘇れば、光景を思い出すのだって簡単だった。

 薬草学者だった祖父の影響で幼い頃から図鑑に親しんだ彼女とともに初めて草木図鑑を覗き込んだ、幼少の記憶。今と変わらずあまり表情が変わらなかった彼女が琥珀の眸をきらきらと輝かせながら指さしたのは、薄紫の素朴で可愛らしい花だった。

 黄色の筒状花を守るように薄紫の舌状花が一重に並ぶその様が、妙に誇らしかった。だって、薄紫も黄色も、彼と彼女の眸の色だ。この小さな幼馴染を護るのは自分の役目だと言われているようで嬉しかったのである。

(そういえば、魔導士になったのだってルレのことがあったからだし)

 毎年春頃に新人を募る軍部のひとつである魔導士師団に、ヴィスタが入団したのは秋頃。入団試験はあってないようなものだった。曲がりなりにも魔力保持者の精鋭集団。普通ならば厳しい試験を突破してこそだが、彼の場合は当時の実力を見るだけの簡易的なもので、体裁を整えるためのものだった。

 それほどに甚大な魔力を持つヴィスタを魔導士師団は喉から手が出るほど欲しがっていたのである。だが、勧誘は出来ても最終的な決断権は当人、もしくはその親にしかない。強制力はまったく以て皆無。ヴィスタが剣を持てる年齢──六つの頃から魔導士師団の勧誘はあったらしいが、両親が彼に無断で毎年断っていた。曰く「どんなに中身が生意気なくらい大人びているとはいえ、お前はまだ子どもだろう。子どもは親の庇護下にあるべきだ」らしい。

 しかしヴィスタは十三の年の秋に、渋る両親を丸め込んで魔導士師団に入団した。春の勧誘を親は例の如く断っていたのだが、夏の終わりに知り合った魔導士から彼は不穏な話を聞いていたのである。

 ──〝ファルノンは豊かな場所だからいろんな国に狙われてるんだよ。この間も皇都(リグル)で間者が見つかったし〟

 勧誘時期ではないのに魔導士が故郷にいたのは、他国からの侵略を警戒してのものだった。

 彼はそのとき初めて全身から血の気が引く感覚を味わった。彼の故郷は皇都から遠く離れた国境沿いだ。侵略を目論む他国に攻め込まれるとしたら一番に被害に遭う可能性の高い場所。

 そして彼の可愛い幼馴染は魔力を保持しない、抵抗力の弱い人間で。

 国民の大半が魔力持ちであることが、他国がファルノン帝国侵略に手をこまねいている理由だと知ったとき、彼は一も二もなく魔導士になることを決めた。魔力の多い自分がひとつの戦力として数えられることで、多少なりとも他国を牽制できるのではないかと考えたのだ。

 彼の思惑は見事功を奏し、多少の牽制どころか戦意喪失という大きな結果を導いた。だがひとつ、ヴィスタにとって計算違いなことがあった──帰郷する暇がない。

 いくら水鏡でやり取りしているとはいえ、今まで通り手を伸ばせば触れられるわけもなく。水鏡を介さなければ言葉も交せないほど遠く離れてしまった距離に愕然とした。それがだいぶ堪えた。正直、寂しかった。

(でも今は触れる。手の届く位置にいる)

 僅かに青を含んだ絹のような黒髪。どこまでも澄んだ琥珀の眸。落ち着いた、玲瓏たる声。

 表情は相変わらずあまり動かないけれど、眸は人一倍素直で。

 何よりも誰よりも大事で愛おしい幼馴染に、簡単に触れられる。触れてもらえる。もどかしい思いをしなくてもいい。

 頬を包む手のひらの熱が、都合のいい夢ではないことを如実に伝えてくる。彼女が目の前にいる。幻でも、水鏡の映しだす虚像でもない。──そう改めて認識すると、もう止まらなかった。

 やんわりと華奢な手を剥がして握りしめる。きょとんと、ルレインが瞬いた。

 折れるほどに抱きしめたい衝動を堪えるために一度大きく深呼吸をして──


「ルレ、結婚して」


 何の前置きもなくそう言い放った。

「うん?」

「俺の奥さんになって。離れてわかった。傍にいてほしいんだ。傍にいてくれるのが当たり前だったから、君が近くにいないと頭がおかしくなりそうだ。離れてどれだけ経っても慣れない。水鏡でどれだけ話しても足りない。故郷にいたときみたいに当たり前に近くにいて、当たり前に会話して、当たり前に触れて、当たり前に君を抱きしめて眠りたいんだ。だから──」

「うん、わかった。およめさんなる」

「拒まないで…──は?」

 捲し立てた言葉の途中。いつもより少し幼い語調で落とされたのは、了承の言葉。

 ヴィスタの懇願を遮って即決即答した彼女は、驚愕に見開かれる紫苑の眸の中でこれまたふにゃんと笑った。

 その笑顔に聞き間違いかと耳を疑ったヴィスタは肩の力を抜く。自分の余裕のなさを心の中で嘲笑った。

(よく考えなくても今のルレ、へべれけだし)

 ヴィスタが言った言葉の半分も理解できているか怪しい。それでも、酔っぱらいの戯言だと聞き逃すことはできなかった。

「本当に?」

「うん?」

「お嫁さんになるって」

「うん」

「本気にするよ?」

「いいよ。だって今までといっしょ、でしょ?」

「うん。……まあ当分は」

 ぼそりと付け足した言葉は、音になるかならないかくらいの声量で、素面ならともかく酔っているルレインには聞こえていない。酔うと少し幼くなるのか、と冷静な部分で観察しながらヴィスタも眉を下げて笑った。

 卑怯なのはわかっている。まともに思考できない人間相手に言うことではない。だがそれでも彼女は今頷いた。それを逃がすつもりはない。

(役所は…さすがに閉まってるか。まあいいや、たしか城に無休の受付窓口があったはず)

 ルレインを抱きしめながらつらつらと考えを巡らせ、その後ちゃっかり婚姻契約書を出したヴィスタは求婚の言葉通り最愛の幼馴染を抱きしめて眠りについた。

 安心したように寝息を立てる彼女にしばらくの間悶々とさせられることになるとは、このとき微塵も思っていなかったのだけれど。




 再会して半日と経たず幼馴染と結婚した筆頭魔導士は、その翌々日にとある研究室を訪れた。

「ウォズリト、いるー?」

「…ノックをしろと何度も何度もそれこそ耳に胼胝(タコ)が出来るほど言っているはずなんだが、頑なにノックをしないのには何か理由があるのかヴィスタ=ノスコルグ」

 眉間に皺を寄せて眼鏡越しに睨みつけてくる半年先輩の同期の苦言をものともせず、彼はにっこりと笑みを形作った。

 その無駄に爽やかな笑顔に、魔術師長はひくりと頬を引き攣らせる。

 ──嫌な予感がする。この魔導士師団団長がこうも無駄に笑顔を振りまくときは、大抵突拍子もないことを言い出す前兆だと、それなりに付き合いのある彼は学んでいる。

「……何の用だ」

 出入口は入ってきたばかりの同期が塞いでしまっている。逃げられないな、と悟った魔術師長はせめてもの抵抗で思い切り目を逸らしながら尋ねた。

 案の定、筆頭魔導士はとんでもない爆弾を躊躇なく投げ込む。


「魔力を持たない人間に魔力を持たせる方法ってないかな。手段は問わないからさ」

「は───?」



ちなみに、紫苑の花の花言葉は『追憶』『君を忘れない』『遠方にあるひとを思う』です

実はかなり一途なヴィスタ。

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