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溺愛の花  作者: 一朶色葉
本編
1/16

前作と違い、ヒーローがかなり暴走してます。

ヒロインは表情筋死滅気味。

溺愛ものが書きたくてやった、後悔は今ものすごくしています。

それでも続くよ!

 大陸のど真ん中に位置するファルノン帝国は、千年以上の長い歴史を持つ古い国であり、さらには大陸一の国土を持つ強国である。

 強力な軍隊、豊富な資源、恵まれた天候。上下左右、果ては斜めから見ても隙も死角もない。恵まれた環境を羨み侵略せんと企む他国は複数あれど誰もが反撃を恐れて手をこまねいている、その理由。

 ──ファルノン帝国の国民は、そのほとんどが魔力持ちである。

 大なり小なり個人差はあるが、稀少とされている魔力持ちの人間が、何故かファルノン帝国には溢れていた。本来ならば国に十人ほどしかいないはずの魔力持ちが、だ。そんな国に攻撃をしかければ手痛いしっぺ返しは必須である。倍返しどころでは済まない。下手をすれば国がひとつ滅んでしまう。

 あの国を侵略するには魔力持ちをどうにかしなければならないと腹に黒いものを抱える国の王侯貴族が頭を抱える中で、さらに頭の痛い知らせがもたらされたのは八年ほど前のことだったか。

 知らせの内容はただただ簡潔に。──甚大な魔力をもつ少年が魔導士師団に入団した、と。

 風の噂によると、少年の魔力は底のない沼、はたまた枯渇を知らない泉のようだという。ああ、頭が痛い。腹も痛い。これでまた、ファルノン帝国侵略が夢のまた夢となってしまった。

 さらにその少年、入団わずか三年にして師団長の地位についたという。

 その時点で周辺諸国は悟った。これは「諦めろ」という神託なのだと。

 少年が入団してから八年、師団長の地位についてから五年。その噂は未だ絶えることなく広がり続けている。

 中性的な顔立ちの美形師団長は、天使のような顔をしていてその実中身は大悪魔でさえ戦慄くほどに鬼畜なのだ、と。機嫌を損ねれば一切の躊躇なくその甚大な魔力をもってして相手を沈める、と。

 そんな彼を表す言葉として『立てばサディスト座れば悪魔、見下ろす眸は冷血漢』というのが流行ったのはここだけの話である。




***




 コツコツと、編み上げのブーツの踵が大理石の床を叩く。纏う白衣の裾は歩くたびにひらひらと軽く翻り、微かな薬草の香りがふわりと漂う。チャリ、と胸元で音を奏でるのは彼女──ルレインが宮廷薬剤師であることを示す身分証だ。右手に薬草袋、左手には書類綴を持ち、真っ直ぐに背筋を伸ばして歩く様は凛としていて好感がある。

 顔立ちも整っていることもあって、四方八方から羨望やら好意の視線やらを向けられているが、ルレインの琥珀の眸がそれらに向き直ることはない。今現在彼女の思考を占めているのは、温室から採ってきたばかりの薬草を使った実験のことだけである。

 駆け足にならない程度の早足で向かう先は皇宮の一角に設けられた薬室。比較的人通りの多い広間を抜けてしまえば、薬室への道のりはそれほど苦ではない。

 少しだけ歩くスピードを落とした時、突如として角から現れた手に腕を掴まれていた。

「っ!」

 声を上げる暇もなく狭い廊下に引きずりこまれる。驚いて落としてしまった書類綴と薬草袋が少し離れた場所に転がり、それだけ見ると拉致被害現場のようだ。いや、今実際ルレインは拉致されているのだが。

(な、に…)

 反射的に声を出そうと開いた口を、白い手袋に覆われた手で押さえられる。しっかりと腹に巻き付いてくる腕は見覚えのある黒で覆われていて、肩にかかる程度の髪を掻き分けて首筋に触れた柔らかい熱と「ルレ…」という熱っぽい囁きに、表情に乏しいルレインの顔からさらに表情が抜け落ちた。

「…ルレ、会いたかった……」

 ルレインが大人しくなったことを知ってか知らずか、口元を覆っていた手が離れ腹に回される。そのまま両腕でぎゅうぎゅうに抱きしめられ、遠い目をしていたルレインの目が完全に死んだ。

 同僚が見たら「どこかに生息するスナギツネみたいな目になってるわよ」と即座につっこまれそうな目をしていても、背後から抱き付いて、あまつさえルレインの首筋に顔を埋めている相手にルレインの顔は見えない。無反応なルレインの細い体を抱きしめる腕はルレインが潰れてしまわない範囲で思い切り抱き締めてきているし、首筋に触れる熱と吐息のせいで顔を動かすことも出来ない。

 逃げられないなと早々に悟ったルレインがやることと言えば、相手の好きにさせることである。体から力を抜いて、腕をだらんと下げる。後ろの支えがなければずるりと座り込んでしまいそうなほどに力を抜いても、背後から腹に回っている腕はしっかりとルレインの体を支えているので無問題だ。

 あとは「ルレの匂いがする」と八割がた犯罪紛いな発言をしてくる相手の言葉に心を無にすればいい。

(暇だなぁ…。早く薬室戻りたいんだけど。これ、いつまで続くんだろ)

 人形よろしくされるままになりながら、落ちている薬草袋をぼけっと眺める。捕まった時点で逃げるなんて選択肢はルレインの中には存在しない。体力、気力、精神力ともに無駄に使うことになるからだ。

 ルレインの首筋に顔を埋めて、まるでルレインの香りを楽しむように深い呼吸を繰り返していた相手は、ふと思いついたように耳朶裏に唇を落とし、ルレインの肩口にぐりぐりと頭を押し付けて来た。

 …どうやら、あまり好き勝手させるわけにもいかないらしい。

(このままだと洒落にならないことになりそうな気がする)

 身の危険を感じて今までだらりとしていた体に力を込めると、何を勘違いしたのか抱きしめてくる腕にますます力が込められる。

「ぐえっ」

 潰れた蛙のような声が唇から漏れた。途端に締められたぶんだけ拘束力が弱まるが、それでも身動きできるだけの余裕はない。

 ぺちぺちと腹の上で交差されている腕を叩きつつ訴えてみる。

「離して」

「やだ」

 子どもか。

 間髪入れずに返ってきた答えはある意味予想していたものではあるけれども。予想外に拗ねた声が返ってきて、思わずそうつっこみそうになった。

「ヴィスタ、逃げないから。…ちょっと苦しい」

 再びぺしぺしと腕を叩く。すると、名前を呼んだからか、「逃げない」と宣言したからか、はたまた苦しいと訴えたからか、少しだけ腕が緩んだ。

 これ幸いにとぐるりと体を反転させて、ルレインは今まで背を向けていた相手に向き直る。とは言っても抱きしめられていることに変わりはないのでいたって近い距離でその顔を見上げることになる。

「……筆頭魔導士がなんて顔をしてるの」

 明らかに拗ねた顔だ。中性的で少しだけ実年齢より幼く見える整った顔はぶすっとしていて、見下ろしてくる紫苑の眸には不満の色が明確に浮かんでいる。

 腕を伸ばして彼の銀髪を撫でると、ぴくりとした小さな反応を返した彼の腕によってますます腰を引き寄せられることになった。

 再び耳元で「会いたかった」と囁かれる。

「…昨日も会ったでしょう」

「今朝会ってない」

「……」

 こつりと額をぶつけられ、至近距離で顔を覗き込んでくる紫苑の眸が憎い。

(そもそも仕事が違うんだからそう毎日会うものでもないと思うんだけど)

 ルレインは新人宮廷薬剤師、ヴィスタは魔導士師団の団員どころか師団長である。こちらも覚えることばかりでそれなりに忙しいが、師団長の多忙ぶりとは比べものにならない。

 それなのにルレインは日に一度以上はヴィスタと顔を合わせているのだから不思議である。

「…お仕事はどうしたの」

「自主休憩。ルレに会いにきた」

 言いつつ団服のクラバットを慣れた手つきで解き始めるものだからルレインは深々と息を吐き出すしかない。にこっと笑いながら腰に回された腕を緩められ、仕方なく完全に解かれたクラバットに手を伸ばした。

 何故かは知らないが、彼は毎朝ルレインの部屋を訪れる。中途半端に団服を着て、首からクラバットを下げた状態でルレインの部屋の呼び鈴を鳴らすのである。そして当たり前のようにルレインに残りの身支度をさせ、ご機嫌で職場に向かっていく。

 ルレインの部屋がある寮とヴィスタの部屋がある寮はそれなりに距離があるというのに、二週間ほど前から毎朝欠かさずやってくる。彼の中では日課にでもなっているのだろうか。

「せっかく綺麗に結べてたんだから解かなくてもいいのに…。はい、できた」

「ありがと」

 先ほどまでぶすっとしていた表情も一変、結び終えたクラバットを軽く叩くとにこにこ上機嫌で抱きしめられる。

「あー、やっぱり落ち着く」

「…私お仕事あるんだけどなぁ」

「もうちょっと。朝のぶんもあるんだ」

 ねだるような声でそう言われてしまえば、ルレインは何も言えない。今朝は、昨日残してしまった仕事を処理するためにいつもよりだいぶ早く部屋を出てしまった。つまりいつも通り部屋を訪れる彼とは会っていないわけで。

 少し申し訳ない気持ちになりかけて、はっとした。

(ん? そもそも毎朝会う必要はないんじゃ…恋仲ってわけでもあるまいし)

 そう。別にルレインとヴィスタの関係性は恋人なんて甘ったるいものではない。故郷が同じで、昔から顔なじみというだけである。言ってみれば、ただの幼馴染。

 確かに仲は良かったが、今のこの状況は傍から見るとかなり──

「おかしくないかな?」

「何が?」

「今のこの体勢」

 恋仲でもなんでもない男女が抱き合い、まるで新婚で旦那の世話を甲斐甲斐しく焼く妻のようにヴィスタのクラバットを結んでやり。さらにもっと言うならばこの男、先ほどここにルレインを引きずり込んだ時何をしたか。──ルレインの首に顔を埋めて、首筋と耳裏に唇を落としていなかったか。

(なんて不健全な…!)

 今の今まで流されていた自分もそうだが、おかしいと指摘したのにも関わらず小首を傾げている目の前の男もおかしい。というか二十歳過ぎの男が小首を傾げるなんてあざとい仕草をしても可愛さなんてないはずなのに、何故彼だとこんなにも自然に可愛く見えるのか。

 気づいた事実に愕然とするルレインに、ヴィスタは僅かに眉を顰めた。

「何がおかしいんだ? 俺が君に甘える、別にどこもおかしくないよ」

「それ本気で言ってる?」

「妻に甘えるのも夫の仕事だよ?」

 さらりと言われた台詞に、ルレインは自分の脳が凍結するのを感じた。

 言われたことを何度も口の中で反芻し、懸命に理解しようと頭を働かせる。

「妻? 奥さんのこと?」

「うん。またはお嫁さん」

 そういうことが聞きたいんじゃない。満面の笑みを浮かべるその整った顔を全力で張り倒したくなるが、相手は魔導士。仮にも戦闘職の人間だし、なによりルレインは目の前のこの男に抱きしめられているせいで満足に腕が動かせない。

「ヴィスタ? 仕事かどうかは置いておいて、確かに旦那様が自分の奥さんに甘えるのは何の問題もないと思うけど」

「旦那様っていい響きだよね。もう一回言って?」

「拒否権を行使します!」

(駄目だ、話が通じない!)

 普段あまり表情の変わらないルレインだが、今回ばかりはそんなことも言ってられない。珍しく声を張り上げたルレインにきょとんと瞬きをした後、何故かヴィスタはゆっくりと目を細めた。やめろ、何故そんなに嬉しそうな顔をするんだ。

「夫婦なら甘え、甘えられの関係は別に問題ないと思うけど!」

「うん。なら別に俺が君を抱きしめてるのも何の問題もないよね? ひと月前に結婚したんだし」

「問題ないわけないでしょう、大有りです!」

 そう、ヴィスタが言っていることは何の間違いもない。夫が妻に甘えるのは当たり前、問題なんてどこにもない。それは夫婦間の話だから。

 そして確かにルレインはひと月前、宮廷薬剤師となったとき、何故か知らないが再会した幼馴染のヴィスタと婚姻を結んでいる。

 ここまで何ひとつ、間違いはない。──問題はここからである。


「二週間前に離婚した夫婦は、お互いに妻でも夫でもないただの元夫婦です!」


 ルレインとヴィスタは二週間前に夫婦関係を解消した元夫婦、つまりはただの幼馴染なのである。



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