赤い女王様3
ある日のことだ。
人里から切りはなされたこの村に、一人の旅人がやってきた。
若く、希望に満ちたたくましい青年だ。
「すみません、 この辺でどこか休める場所はないでしょうか?」
いつも通り道を進んでいた少女は、突然のことで固まってしまった。
見慣れぬ旅人。
部外者こそ、この村では珍しい。
体を固くしておびえる彼女に、旅人は優しく語り掛ける。
「いきなりですみません。
おれは旅人。世界のあちこちを歩き回っているものです。
あいにく、この森で道に迷ってしまいまして・・・
失礼ですが、あなたはどちらから、来たんですか?
もしよければ、どこか、人のいるところまで案内してもらえるとありがたいのですが」
「え、ええ。
わかりました」
戸惑いながらも、少女は青年を村に招いた。
村人は初めて見る旅人にそれはそれは驚いたが、露骨に嫌がるということはしなかった。
それどころか、手厚く、旅人をもてなし青年はその好意を存分に受けることとなった。
そして少女は、村では見慣れない、優しくたくましい彼のことがどうにも気になって仕方がない。
しかしそれは青年のほうも同じ。
彼もまた、彼女の美しさが頭から離れることはなかった。
お察しのとおり、この出会いが、少女の物語を大きく変えていく。
ありきたりな、どこかで聞いた話のように。
「いやあ、この村はいいところですね。
すっかり気に入ってしまいましたよ」
気づけば、旅人が村にやってきてから早一週間。
見物するもののない、この村の一体どこが気に入ったのか。
「それはどうも」
「気に入って、もらえてなによりです」
村人はとっくに気づいている。
彼が、砂利の中の宝石に興味を持ったことを。
「気のすむまで、いてください」
「ありがとうございます」
カラスは光物が好き。
外界のにおいをプンプンまとわせたそれは、立派な風切り羽を持っている。
木に下がるしかできない木の実たちは、機嫌を損ねぬよう、カラスの羽をほめそやす。
一見すれば誰もが好意的。
けれど、誰もが自身を食べろとは名乗り出ない。
◆◆◆
「ねえ、食べ合わせって知ってるかい?」
しゃりしゃり
主様は木の実にかぶりつきながら聞いた。
「しりません」
「どこか、東の国の方で聞いたんだけど、食べ物には同時に食べるとおなかを壊す組み合わせがあるんだって」
食べ終わり、汁のついた手をマントでぬぐう。
注意をするけど
「そういうのを、食べ合わせに気をつけろっていうらしいよ」
聞こえないふりして2個めをほおばった。
「とっても、めんどうなんですね」
「そう、面倒なんだよ」
しゃりしゃり
おいしそうな音がする。
「でも、一番面倒に思うのは、おなかを壊したその人を看病する人達さ」
◆◆◆
「やあ、今日も森へ行くの?」
「ええ。そうよ」
赤い服の少女に、青年は毎日話しかける。
「大変だね」
「もう、慣れたわ」
少女のほうも、まんざらではない様子だ。
「毎日、森で何をしてるんだい?」
「…奥の小屋に、お昼ごはんを届けに行っているの」
「へえ、そうなんだ」
青年は頷き
「なら、帰ったらまた今日も一緒におしゃべりしようよ」
気軽なおさそいに、少女の胸はぽんと弾む。
ほんのり染められた頬が愛らしくて、旅人もつられて赤くなる。
「その、きみと話すのはとても楽しいからさ」
「わたしも、あなたとおしゃべりする時間が一番好きよ」
「それはよかった」
ぱっと青年の顔が明るくなる。
「それじゃあ、きみの帰りを楽しみ待っているよ」
「ええ。わたしも、がんばって早く用事を済ませてくるわ」
最後に眼だけで何かを語り合い、少女は小走りで森の奥へと消えていった。
後ろ姿を見つめる青年の瞳はなんと、純粋そのもの。
小さな花が咲き始める匂いがする。
2人の仲はむつまじく、まるでありきたりな年頃の男女そのもの。
村人たちは、それをじっと見つめている。
時は流れ、少女と青年の仲はさらに深まっていく。
家に帰ると少女はつぎはぎだらけの服に着替え、毎日青年と時間を過ごした。
「ねえ、一緒に花畑に行かないかい?」
「ええ、もちろんよ」
ある日は森の花畑に
「見ておくれよ。
村の仕事を手伝ったら、おいしそうな木の実をもらったんだ」
「すてきね
とってもおいしそう」
ある日はともに食事をし
「ねえ、きみの笑顔は誰よりもすてきだね」
「もう…そういうことは軽々しく言わないものよ」
「照れてるの?」
「違うわ…」
ある日は、互いに頬を赤らめ、語り合った。
世界のどこでも繰り返される、単調な愛の育み方。
2人が心惹かれる様を見て、嫌がらせをする者がいないわけではなかった。
けれど、この村のどんな娘が青年に言い寄っても彼は少しも心を動かさない。
一途な思いに、次第に人は離れていった。
堅苦しい人間ほど、時に目障りなものはない。
やがて、青年がこの村にやってきて、一か月が過ぎた。
「そろそろかなあ」
旅人が1つの場所にとどまるには十分すぎる時間が流れた。
「そろそろ、次の場所に旅立とうと思うんだ」
真っ赤な夕暮れの下で、青年は彼女にそう告げた。
彼女は一瞬固まり
「…そう、よね」
うつむき、震える体を抑えた。
彼女はこの村の住民。
彼は旅人。
向こうにとって、自分は一時の遊びだったのだ。
こうなることは、わかっていたでしょう、と少女はぎゅっと唇をかみしめた。
「今まで、ありがとう」
さようなら、と告げる口を青年がふさいだ。
初めての、優しいやさしいキスの味。
名残惜しそうに離れた青年の顔は、夕日のように真っ赤だ。
「一緒に、行かないかい?」
近所の花畑でもない。
散歩でもない。
ただ、ずっとそばにいてほしいのだと、彼は思いを伝える。
「とても…とても…うれしいわ」
少女の体は今度こそ、震えた。
「でも…」
「やっぱり、村を離れるのはつらい?」
「………」
「お母さんのことも、気になるよね」
「………」
悲しそうに青年は眉を下げ、背を向ける。
「困らせて、ごめんよ」
「…違うの」
引き留めるように、少女の白い手が彼の服の袖をつかんだ。
「わたしは…わたしは…あなたと一緒に行けるような人間じゃない
わたしがいなくなると、わたしがしていた仕事を代わりにする人が困ってしまう…」
「仕事?」
青年は顔だけ振り返る。
「わたしは、おおかみさんをなだめる仕事をしているの」
赤い服はその証。
村で一番きれいな女の子は、森の小屋でオオカミと遊ばなくてはいけない。
「わたしは、オオカミに、体をうってるの…」
だから、汚いと
ついていく資格はないと少女は言う。
「…ごめんなさい」
言葉とは裏腹に、手に込める力は強く、青年から離れてくれない。
その手を、彼はそっとほどいた。
「…!!」
呆れられたのだ、このほうが、かえってよかったと、少女は強く目を閉じた。
ふたを閉めたはずのまぶたから、熱いしずくが幾つもいくつもあふれてくる。
「それでも」
低く、あたたかな声が聞こえた。
頬の涙をぬぐう感触がしたと思った瞬間
「それでも、きみは綺麗だよ」
青年に、彼女は抱きしめられていた。
「もう一度いわせておくれ。
おれと一緒に、来てください」
「…ありがとう」
涙と鼻水でぐしゃぐしゃの、汚い顔で少女は彼を抱きしめ返した。