銀の風は遠く
たまごを買いに言った帰りに、拾い物をした。
それは、目の開いたばかりの仔猫だったり、巣をなくしたフクロウだったり、群れをはぐれた赤ちゃんオオカミだったりして、そのたびに、家で待つお姉さんを驚かせたり、困らせたり、愉快な気分にさせたりしてきた。
たまあに、それは、家出した麓の村の娘だったり、道に迷った旅人だったりもするのだけれども、そのたびに拾い物好きの少年のお姉さんは、途方に暮れた拾い物達に、的確な助言や、暖かいスープを与えたり、里親を探す。
けれど、今回ばかりは、弟の拾ってきたモノを考えると、ため息が出る。
「あの子もねぇ。秋一番の紅葉や、カマキリの卵を持ってきていたうちはよかったのに」
くすくすと一人笑いをしながら、夕飯のスープをかき回す。
いつからか拾い物は日常化していまい、たまごを入れる籠に、何か別のモノが入っていないほうが、珍しいくらい。たまごを割って帰ってきたことがないくらい、すでに拾い物の達人だった。
そろそろ、少年が帰ってくる頃だ。
少年は道草が得意だったけれども、空がオレンジ色になり始める頃には、必ず帰ってくる。
「エフェル姉ちゃん。ただいま!」
思っていた通り、姉がスープを火から下ろした時に、勢いよく扉が開いた。
「お帰りなさい、フラーボ」
「うん」
鍋をテーブルに置く姉の脇を、大急ぎですり抜け、皿を並べる役目を奪う。
そんな弟をほほ笑んで見つめた。その目に、弟の肩の上で飛び跳ねる件の『困った拾い物』が飛び込んできた。
「フラーボ、森はどうだった?」
「う…うん」
カトラリーをガチャガチャ言わせていたフラーボの手が止まる。
まだ、幼い弟に視線を合わせて腰を下ろし、やんわりとその肩に手を置いた。
「その子は何か食べた?」
フラーボは、姉の問いにうなだれた。
肩に乗った小さな動物は、フラーボの三日前の拾い物。
けれど、毛の長い小柄のその動物は、博識のエフェルケアでも知らない種だった。
「…でも、エフェル姉ちゃん。明日はもっと森の奥まで行ってみるよ。そしたらきっと、こいつの食べるものもあるかもしれない」
けれどエフェルは小さく首を振った。
「どれだけ奥に行っても同じ。今は実りの豊かな時期なのに、それでも食べないのだから、あの森にはこの動物にあうものがないのよ。フラーボ、残念だけど、今回は…」
「駄目だよ! 捨てるなんて絶対!」
フラーボの言葉に、エフェルは大きくため息をついた。
「違うの、捨てるのとは違うの。森へ、放すの」
エフェルは弟を落ち着かせようと、わざとゆっくり言葉を切った。
ごらんなさい。と小さな動物に手を出した。
動物は、エフェルの手に逃げることなく、小さく反応しただけだ。
「この子、まだ毛がツヤツヤしているでしょう。フラーボが連れてくるまで、ちゃーんと食べていた証拠よ。このままフラーボの元にいても、食べ物が見つからないのでは、可哀相だわ。可能性の多いほうを選びましょう。ねっ?」
エフェルは優しく弟の顔を覗き込んだ。
「だけど、こいつ森のどの実も、食べなかった。虫にも。放したって、食べ物がないんじゃ生きてはいけない。だったら、僕ががんばって探すよ!」
「人がいては、食べないのかもしれないわ」
「そんなことないよ! そんなことは絶対ない! だってこいつ、こんなに馴れたんだぜ。人の前で食べないなんてことは、絶対ないよ!」
「……フラーボ」
エフェルケアだって、考えていた。
あまりに人に馴れているため、飼われていたのだろうと。
けれど、麓の村で飼われていたのなら、狭い村だ、見覚えのないはずないし、何より拘束しているわけじゃない。自分で帰るだろう。
旅行者の話も聞かない。捨てられて、流れてきたのかもしれない。
やっかいなのは、その飼い主の手から、あるいは決められた場所でしか食べない場合。でもそれは、飢餓より優先するものだろうか。
あるいは、異国の珍しい動物で、飼い主が異国の食べ物を取り寄せていた場合。
だとしたら、捨てられたにしろ、迷子にしろやっかいだ。
見たことない動物だから、お金持ちが飼っていたのかもしれない。高価なものだったら、どうしよう。
「でもね、フラーボ。動物たちの、移動力も、生きようとする力もあなどってはならないわ。その子も放せば、食べ物のあるところまで移動するかもしれないし、新しい食べ物を見つけてこの森で生きようとするかもしれない。だけど、このままフラーボの側にいたら、この子は人間に頼って自分で生きようとしないかもしれないわ。私たちが食べるものを食べてくれればいいけど、それは無理だったでしょう。ね、フラーボ。この子の為に一番良い選択をしましょう」
「……でもっ!」
フラーボはぎゅっと目をつぶった。
姉の言葉に、うなづくことが出来ない為の拒絶。
エフェルは大きくため息を吐いた。
「…もう一日、だけよ」
「姉ちゃん!」
「もう一日だけ。喜ぶことではないのよ」
そして、喜色をうかべた弟をやんわりと諌めた。
「これは残酷なことよ。この子にとっても、フラーボにとっても。明日、また森へ連れて行って、ダメだったら、お前がその手で森へ放していらっしゃい。お姉ちゃんに報告はいいから。いい? 約束、できるわね」
「…うん」
フラーボの返事に、エフェルはにっこり笑って、立ち上がった。
「さ、暗くなる前に片付けがしたいわ。早く食べましょう」
「あ」
エフェルの言葉に、フラーボはあわてて顔を上げた。
大慌てで椅子にすわり、パンを頬張った。
「そんなに慌てて食べなくても大丈夫だから」
エフェルは自分の椅子を引いて座ると、簡単に感謝のお祈りをした。フラーボも慌てて匙を置いてまねをする。そして、再び詰め込みを再開した。
小さな動物は、フラーボの食べるものをもの珍しそうに見るけれど、食べるまでには至らない。
フラーボの使う匙の動きを目で追って、手を伸ばしては空振りして、よろけている。
確かに良く慣れている。
エサがあれば食べるだろう。
いままでの拾い物は、人の匂いがする食べ物を決して食べない動物もいたし、怯えてどうしようも出来ない子もいた。
そのたび、眠れないほど心配したし、知恵もしぼってきたつもりだ。
助けて上げられなかった子もいる。
けれど、食べるものもわからない。知らない種だなんて、なんて厄介なんだろう。
だいたい、知らない種でも、似た形状を持つ動物なら、似たようなものを食べるから、この動物の長い爪から、木の上で生活する種だと判断して、知りうる限りの木の実を試したけど、興味すら示さなかった。
虫も、穀物も、試した。逃げるなら逃げるまでと、森でひっそりと一匹にしてみても、見つけ出すのは隠れたフラーボだ。
知らずため息をついていたらしい。
「姉ちゃん」
フラーボの心配そうな声で、エフェルは我に返った。
「大丈夫だよ。姉ちゃんに心配はかけないから、明日ダメだったら、ちゃんと…」
捨てるという言葉は使いたくなくて、フラーボは口ごもった。
そんな弟の意を汲んで、エフェルはクスリと笑って、別のことを言う。
「フラーボ。明日、キリオさんにもその子を見せてみるといいわ」
と、村の知り合いの名前を口にする。
「えー、姉ちゃんにわからないことを、キリオおじさんがわかるわけがないよ」
「あら、失礼な事を言わないの。森の事は、森で仕事をする人の方が、わかっているものよ」
「うん、見せてはみるよ」
フラーボは、エフェルの食べ終わらないうちに、せこせこと片付けを始めた。
フラーボの家は夕飯が早い。
いつだって、西の空が暗くなる前に片づけが終わっている。
夕飯の頃、ちゃんとお腹が空くように、昼食も早いし、朝も早い。起きるのも早いし、寝るのだって早い。
それは、家の仕事を母親の変わりにエフェルがするようになってから、ずっとの事。
片付けはフラーボに任せて、エフェルは昼間取り込んだシーツをベットにかけるために、隣室へ行く。
そこへ、食器洗いの水しぶきから逃げてきた『困った拾い物』が、じゃれついて、シーツに埋もれる。
「あらあら」
エフェルは、シーツの間から顔を出したその子を、両手ですくい上げた。
「本当に、あなたが元気なのだけが救いよ。けど、何でこんなに元気なのかしらね。お腹、空いてたまらない頃でしょうに」
飼うことが出来ないその子には、もちろん名前はつけていなかった。
フラーボは森から続く道を、家へと急いでいた。
村へと続くその道を、途中で外れてしばらく行った所に、彼ら姉弟の家はある。
へんくつで有名なキリオの炭焼き小屋だって、外れとはいえ村の敷地内にあるというのに、丘を越えた、森に近いその場所い家を建てたふた親は、さぞかし変わり者なのだろうとフラーボは思う。
いや、家の古さを考えれば、他の人が建てた家に、越してきただけかもしれないけれど。
フラーボがいつも道を外れて行く所は、踏み固められて道になりつつあった。フラーボはその道へ、かなり急いで駆け込んだ。
未だ家は見えてこないというのに、いつもの帰る時刻は既に過ぎていた。
フラーボはかなり焦っている。
結局、小さな動物は今日も何も口に入れなかったし、キリオも見た事がない動物だとめずらしがった。
放す決心がつかなくて、森をうろうろしているうちに、時が過ぎ、動物も連れたまま。
姉ちゃんに何て言おう。
いや、それよりも姉ちゃんは帰りが遅いのを心配しているだろう。
遊び疲れた子供が帰宅するには、遅いという事はないまだ暗くなる前の時間だけれども、フラーボはこんな時間に帰った事はなかった。
まだ明るいはずの時間なのに、厚い雲が出てきて、辺りを暗くさせ、フラーボを更に焦らせる。
…ふと、何か黒いものが目に入った。
周りのものなど気にする余裕がないほど急いでいたというのに、その黒い影は強烈にフラーボの心にひっかかり、一瞬急いでいる事を忘れて、足を止めた。
人だ。
旅人であるとひと目でわかった。
大きな荷物を背負い、防寒にも雨除けにもなる黒のマントを羽織っていて、なによりこの辺りでは見た事がない顔だ。
そして、目を引くのは、背中の荷物とは別に、大事そうに抱かれた大きなもの。
布に巻かれたところを、割れ物でも扱うかのように大事に抱えているが、変な形は半分以上布がはずれてあらわになっている。
フラーボにはそれが何だかわからなかったが、木の取っ手のようなもので、端がくるんと渦を巻いたように曲がっている。
後ろも前も、大きい荷物に囲まれて、歩くこともままならないだろうと思ったが、それも一瞬の事。
旅人の所在無げな表情に気がついて、息をのむ。迷子の子供のような途方にくれた顔して、どこか遠くを見ていた。
フラーボは動く事もはばかられて、じっと旅人を見つめた。
キュキュキュ…と、肩に乗っていた動物が、彼に走りよるまで。
「姉ちゃん!」
フラーボは家に駆け込んだ。
すっかり遅くなってしまった。
息を切らせて駆け込んで、姉の姿を探す。彼女は入ってすぐの居間のテーブルの脇に立っていた。
やはり、心配していたのだろう。
「まあ、フラーボ」
一瞬、ぱっと表情が緩んで、戸口に一歩踏み出す。
慌てていたのか、ドカッと椅子を蹴ってしまう。
「姉ちゃん!」
フラーボは慌ててエフェルに駆け寄って、椅子を起こそうとした彼女の手を取った。
「いいよ、姉ちゃん。僕がやるから。遅くなってごめんよ。明日からは気をつけるよ」
「まあ、フラーボ、いいのよ。心配しないで。さすがにいきなりは心配するけれど、遊びたい盛りですものね。やっぱり早すぎるわよね。今まで、無理していたんでしょう。もっと遊んだっていいのよ」
「無理なんかしていないよ。今日はたまたま…」
フラーボは戸口をのぞき見た。
「あら、お客様?」
「うん、飼い主が見つかったんだ」
フラーボのわずかに沈んだ声と、今までフラーボの側を離れなかった動物が、客人の肩に乗っているのに気づいて、エフェルは弟の肩にやんわり手を置いた。
「いらっしゃい。今何か入れるので、どうぞお掛けになって」
「僕がやるよ」
「そのくらい出来るわ、フラーボ。ほら、息が上がっているじゃないの。座ってなさい」
エフェルが台所に行ってしまうと、フラーボはお客人を見上げた。
走っていた時に見た旅人。途方にくれていた顔が一瞬くずれて、当然のように小さな動物を手に乗せた。
どこに行っていたんだと問うその顔は、ほほ笑んではいたけれど、どこか切なくて放っておけなくて、フラーボは小動物を拾って以来、久方ぶりの『拾いモノ』をした。
旅人は、成人にはいくらか年の足りなそうな、背の高い青年で、月の光を鏡にうつしたような、硬質な金属色の髪が目を引いた。
泊まる場所を決めていなかったのか、意外にあっさりフラーボに付いてきた。
「ごめんよ。急がせて」
まだ荒く呼吸をしている客人は、軽く頭を振っただけで答えず、代わりにエフェルを見つめていた目をフラーボに向けて、別の事を言った。
「彼女は…目が?」
「うん」
フラーボはためらいがちに頷いた。
「見えない訳じゃないんだ。キョクドノジャクシ…ってやつ」
「ジャクシ? ああ、弱視」
「昼間はそれなりにちゃんと見えるんだよ。夕暮れ時とか、曇っていてぼんやりした天気の時は、だいぶ見えないらしくって、あの調子なんだ。夜に入りきってしまえば、もうちょっと平気らしいんだけど。眼鏡なんてこんな田舎じゃ手に入らないし。でも、困ってはいないよ。もう、何がどこにあるかすっかり知っているもの。……ねえ、その子の名前、何て言うの?」
もうこれ以上この話題にふれたくないのか、フラーボはやや強引に話題を変えた。
「名前? ああ、こいつはフィオルド・パーシっていうんだ」
青年は肩に手を伸ばして、小さな動物の比較的大きめの耳を引っ張った。動物は小さな手でその手を追い払うような仕草をして、ふてくされる。
それは、飼い主と動物の関係というよりは、同程度の仲間のようだと、フラーボは思った。
「ごたいそうな名前だね。お兄さんがつけたの?」
「……いいや、僕じゃない」
それがとても悲しげな顔だったので、フラーボはまた話題を変えた。
「お兄さんの名前は?」
その時、エフェルも入ってきて、テーブルに飲み物を置き、まだ座っていなかったのかと、椅子をすすめた。
「僕はラトリルと言うんだ」
「僕はフラーボ」
「エフェルケアよ」
姉弟も名乗って、椅子に座った。
「内陸の…、もっとずっと向こうの方の発音だわ。その髪の色は珍しいのね。北の方の色だわ。綺麗ね」
「ありがとう。けど、旅をしているうちに、だいぶ日焼けをしてしまった」
そこでラトリルは、一口飲み物を口に入れ、
「銀の…風のようだと言ってくれた人もいたのに…」
と、続けた。
「それって、フィオルドの名前を付けた人?」
その顔が、先ほどと同じだったので、フラーボは口をはさみ、ラトリルが頷いた。
「おかしな事を言うんだね。風の色は、金と青とオレンジと透明で、銀じゃない」
「フラーボ。昔、まだ精霊がこの世界でも生まれていた頃、銀の風が吹いていたと言われているのよ」
「ふーん」
エフェルの注釈に、フラーボは頷いたけれど、ラトリルの顔は強張った。
「どうしたの?」
「……いいえ、よくご存じだと思いまして」
「姉ちゃんはとっても物知りなんだ」
フラーボが、えへんと胸を張って代わりに答えた。
ラトリルはしばらく黙って、迷っていたようだったが、意を決したように口を開いた。
「なら…、なら、あなたなら知っているのではありませんか? 今、精霊がどこにいるのかを」
「精霊はいなくなったんだよ」
フラーボが無邪気に、昔語りで何度も聞いた答えを言った。
ラトリルの重たげな表情に、何か言うのを躊躇したエフェルも、フラーボの言葉に無言で頷いた。
「蒸気自動車が舗装した道路を走るようになってから、石炭と蒸気の匂いを嫌って、この世界から消えてしまったんだよ。ねぇ、姉ちゃん」
「その通りよ。フラーボ」
「どうしてですか? 自動車は人類の夢だった。喜ぶべきことなのに」
「それは…ヒトにとってだわ」
エフェルは、何とも言えない表情で黙りこんだ。そしてそれはラトリルも同様のこと。
「ねえ、お兄さん」
フラーボはそんな雰囲気にきづきもせず、ラトリルを見上げた。
「もしかして、その子の名前を付けた友達って、精霊だったの?」
「…ああ、そうだよ」
しばらくの沈黙の後、ラトリルは重く頷いた。
フラーボは、家から村へと斜面を下って行った。手には大きな籠。
道程はいくらかあるけれど、高低差があるため、だだっと駆け下りていけば、身軽なフラーボの事、少しの時間でたどり着く。
目的は、村の外れの炭焼き小屋。キリオの仕事場だ。
キリオの家の前には、たくさんの薪が積み上げられていて、フラーボはその間を身軽に駆ける。
「ラトリル!」
その中に動く人影を見て、フラーボは声を上げた。
そこでは、ラトリルが薪を選り分けている。
「キリオおじさんは?」
「奥だよ」
「はい、持って行ってよ」
フラーボは持っていた籠をラトリルに渡した。ラトリルはそれを見て首をかしげる。
「ひとり分?」
「ラトリルの分は、うちに用意してあるよ。晩の分はラトリルが帰りにもってくればいい。籠の下の方におしぼりにしたタオルが入っているから、おじさんにたまには体を拭くように言ってあげてよ」
キリオは普段、森に入って薪を作るほかは、割合のん気に暮らしているけれど、言ったん炭を焼き出したら、七日七晩火の番をしなくてはならないから、エフェルが食事をつくり、フラーボがそれを運んでいた。
今はラトリルが住み込んでその手伝いをしている。
「キリオおじさんの家はどう?」
キリオに食事を届けたラトリルは、兄弟の家に行くため、フラーボと一緒に丘を上がっていく。
「まあまあだよ。人使いは荒いけど」
「本当は、家に泊めてやりたいけど、姉ちゃんは結婚前の若い娘だからね。親のいない家にラトリルのように若い男を長く止めるわけにはいかないんだ。悪いうわさが立つからね。最初の日は仕方ないけど。ねえ、ラトリルはどうしてここに長く留まろうと思ったの?」
大人びた事を言う、とラトリルは思ったが、笑いをかみ殺して、
「迷惑か?」
とだけ答えた。
「そういう意味じゃないよ」
フラーボは少しふくれた。
「……ずっと二人で?」
「まあね、結構前だよ。僕はあんまり憶えてないな。親は戦争に行ったんだって。でも、姉ちゃんは何でも知っているし、優しいし、全然困んないよ」
フラーボの話に、ラトリルはかなり奇妙な顔をしたが、フラーボはそれに気づかず、続けた。
「でも、姉ちゃんには少し気の毒かもしれない。いつまでたっても結婚できないんだもの」
ラトリルは一瞬言葉を失った。
子供とはいえ、込み入った話で、返事に困った。たとえそれが、大人の噂話の聞きかじりだとしても。
「…彼女のように美しく、気の利く女性なら、求婚者が絶えないだろうね」
当たり障りのない返事だけど、実際そう思った。彼女なら誰もが気に入るだろう。目の悪いせいなのか、人とは違った雰囲気が、多少近づきがたくはあるけれど。ごちそうになっている料理もおいしい。
「うーん。そうでもないな。村の男たちは、いつ戦争に行けって国から命令が来るかわからないから、求婚なんてできないんだ。相手の女の人を悲しませるだけだからね」
それは逆なのではないかと思ったが、ラトリルは賢明にも口をつぐむ。
「でも、姉ちゃんが結婚できないのは、そんな理由じゃないよ。それでなくとも目がああだから、よっぽどよく出来たダンナじゃないとね。僕もいるし。一人だけ、そういうのがいなくもないんだけど、あそこの家は気の強い母親がいて、姉ちゃんをいじめるかもしれない。息子がねえちゃんにべた惚れなのがおもしろくないのさ。親がいないと立場弱いしねえ」
飄々と言っているが、どこまでわかって言っているのか微妙なところだ。
「ねえ、今度はラトリルの話を聞かせてよ。本当に精霊の友達がいるの?」
「…悪いけど、…後で…」
「あ」
フラーボは、ラトリルのペースに合わせるのをすっかり忘れて、話しながら登ってきたため、それに合わせたラトリルはすっかり息があがってしまっていた。
「ちぇ、だらしないの」
小さく毒ずく。
「後でって言ったって、これから卵を買いに行かなきゃならないって言うのに。帰ってくるまでちゃんといてよね。姉ちゃんとばかり話さないで、僕の分の話もちゃんと残しといてよ!」
ちょうどよく丘の家が見えてきた。
「戦争は終わっているよ」
フラーボが行ってすぐ、ラトリルはエフェルに言った。
「知っているわ」
エフェルが静かに答えた。
「この村まで、まだ情報は行き届いていないけど。知っているわ」
「でも…」
「フラーボには言わないでほしいの」
ラトリルの言葉をさえぎって、エフェルは頼んだ。
「……悪かった」
エフェルはラトリルの申し訳なさそうな顔を見て、少し笑った。
「何か、誤解させてしまった? 違うわよ? 両親が戦争の犠牲になったから戦争が終わっても帰ってこないわけではないし、それを隠したいわけでもないのよ。首都に…、戦争を変に解釈して、訳のわからない活動をまだ続けている変な宗教一派がいるのを知ってる? ……あれ、両親とも。フラーボはそんな事知らなくていいと思ったの。家より思想をとったなんていい話ではないもの。手紙をもらったから、私も戦争が終わったことを知っているのよ」
そして、目の前の椅子に座るよう進めた。
「どうぞ、私にお話があるのでしょう?」
「どうして…?」
ラトリルは椅子を引きかけた手を止めた。
「図星だった? もの問いたげな目って結構露骨なのね。あなたの目を他に何ていうか知らないわ」
エフェルはくすりと笑った。
「あなたは旅立ちを悩んでいるようだった。けれどもそのたび私を見るんですもの。何か聞きたいんだろうと思っていたの? 違いますか?」
「…いいえ」
「フラーボがいないと出来ない話だった?」
「いいえ」
そうではないとラトリルは何度も首を振った。
「聞いてもいいものかと、聞くべきことなのかもわからなくて…」
観察するようにエフェルを見、表情のない瞳に決意したのか、最初はぼそりから、ゆっくりと話し始めた。
「……探しているんです。見つかる可能性があるかすらわからないのに。……あなたの目なら、あなたのどこか遠いところを見ているような、その不思議な瞳なら、もしかしたら見えるのかもしれないと思ったのです」
「それは、精霊のお友達?」
想定内だったのか、エフェルは静かに尋ねた。
「ええ、…ずっと、生涯共にあると友情を誓ったのに。ある時、突然いなくなりました。ずっと探して旅を続けています」
「そう…」
エフェルは知っている。
精霊は、蒸気と煙を嫌って、少しずつ姿を消していった。
それが、世界を覆うほどに、新たに精霊が生まれることがなくなってしまったから、その数はどんどん少なくなっていくだけだ。
蒸気と煙は嫌いだけれど、それだけなら、そんなのが届かない山奥はたくさんある。
けれど、それを歓迎し、当然と思う気風は、精霊をも受け入れることが出来ないのだ。
「…精霊は少なくなって少しずつ姿を消していってしまったけれど、稀にあなたのようなヒトとの間の絆を持つ者もいて、この世界に留まる者もいたっていうけど…」
精霊が少なくなり始めたの自体、もうずいぶん昔の話、
「ヒトの友人の死と共に、精霊はいなくなっていって、それでも残る者もいましたが…、あなたは存在するわけだし、何か理由ががあったとしか」
残るモノがいたといっても、それは戦争が始まる前までだ。
「なぜ、あなたはそんなに精霊の事に詳しいのでしょう? 信じてくれない人すらいるというのに」
「あら、私にそれを見ることを望んだのではないのですか?」
子供の頃から精霊の話を好んでよく聞いた。…それも精霊自身に…。
悲しいことだけれど、もうすっかりいなくなったと思っていたから、ラトリルに何といえばいいか、わからなくて困る。
「確かに、そうなんですが…」
ラトリルも困ったように口ごもった。そんなの理屈ではないのだから。
「あなたの希望にそえるとは思えません。たとえ精霊を見ることが出来たとしても、いないのであれば、見えませんもの。ただ、祖父が…、あなたのように、精霊との絆を持った人でした」
エフェルは、昔を思い出すように目を閉じた。
「その姿を見たことがあります。とても美しい精霊で、おそらく自分がこの世界の最後の精霊だろうと、よく言っていました。だから、あなたのことはとても驚いたけれど、わかったこともあります」
エフェルは、まぶたの裏に焼きついたその姿を消すように目を開いた。そして、ラトリルの肩で動くものに目を落とす。
「…その動物、フィオルドは、そのご友人の連れてたものですね。精霊の影響を色濃く受けてしまった『精霊の供人』…人ではないけれど。だから、物を食べなかった。あなたが最初に持っていた、あの糸の張った大きな弓は、精霊の好きな高い音が出る楽器ですね。目に浮かぶようです。音楽の好きな精霊のために、夜な夜な言を爪弾くあなたの姿が」
「その通りです。フィオルドはキレイな音を糧に生きることができるように、影響を受けてしまった。もともと珍しい動物ではありましたが。フィオルドも僕の演奏を好いていてくれました」
遠い目をして、部屋の隅に立てかけさせてもらっているその楽器を見て、遠い目をする。エフェル同様、それを奏でているところを思い浮かべているのかもしれない。
「フィオルドがここにいた間、飢えなかったのは、あなたの美しい声を聞いていたからでしょう」
エフェルは褒め言葉にほほ笑むわけでもなく、形のいい眉をひそめた。伝えるべき、そして彼の求める問いの答えは、きっと彼にとって嫌なものだろうから。
「……あなたの友人は、あなたの生命がなくなる前に、あなたとの絆を絶ってしまいました。残酷かと思いますが、ご友人があなたの元に戻るとは考えられません。戦争すら乗り越えられるほど、あなた方の絆は深かったのに、なぜそのご友人が去ったのか、私にはわかりません。よっぽどのことがあったのでしょう」
「何も! 何もありませんでした。ある日突然あいつはいなくなったんです。僕や、フィオルドですら置いて。約束したのに! 誓ったのに! ずっと一緒に生きる事を」
「純粋な方。その方は、そんなあなたの心に魅かれたのでしょうね」
ラトリルの感情がたかぶって、声を張り上げていく中、エフェルは聞こえないくらい、小さくつぶやいた。
「……戦争? 戦争がどうして、僕たちの事に関わりあるのですか?」
何度もエフェルの言葉を反芻したのか、ラトリルが覆った手からふと顔を上げた。
「知らなかったの? 精霊は、争いの気配の中では生きられないのよ」
「そんな……!」
ラトリルの顔が強張った。
「そんな、そんな事って…」
声が震えていた。
エフェルが声を掛けるのを躊躇わせるほど、思いつめた表情になる。
「戦争の…話をしました。いなくなる、すぐ前。戦力を残したまま敗戦を宣言した、同盟国の代表を情けないって。そんな、そんな、だって、軽い気持ちで言ったこと…。一言、…一言、言ってくれさえすれば、いなくなる事なんてないのに…」
「……争いの気配の中にいるのは、本当に辛いんです。絆を結んだ相手だけが救いなんです。……生きる術なんです。あなたを理解し、理解され、共に生きる事だけが、争いの中でできること。その生き方しか出来ないんです。あなたに理解されていると思っていたのでしょうに、その言葉は精霊を理解していないものだった」
いたわるような声で、けれど聞き様によっては、とても冷たくも聞こえる、静かな声。
反して、ラトリルの声は絶叫に近かった。
「だって、約束したのに!」
その時、
「……その子は、あなたのことをとても好きだったんだね。悲しくて、約束を忘れてしまうくらい…」
「フラーボ…」
いつの間にか、戸口にフラーボが立っていた。手にはたまごの入った籠を持っている。
「いつから聞いていたの?」
「……だね」
エフェルがフラーボにかけた声に重なって、ラトリルの小さなつぶやきが聞こえた。
「そう…だね。本当に…そうだね」
フラーボは男の人が泣くのを、初めて見た。
フラーボは、しばらく前に帰ってきていたのだ。真剣そうに話している声が聞こえてきたので、始めは遠慮しようと思ったのだが、戸口からチラリと見えたラトリルの姿が気になって、目が離せなかった。
その所在なげな、影の薄いその様は、フラーボが彼を拾った時の事を思い出させた。
光のある所でなら、目の覚めるような明るい金属色の髪をしているのに、何かと判別つけかねる、黒い影だと思ったのは、彼の存在があまりに頼りなく、薄かったからだ。
それでいて、強烈に引き寄せられずにはいられない何かを持っている。
だから、急いでいたのに気づいたのだ。その時からずっと所在なげな、苦しげな表情をしていた。
正常に流れているものが、固まって、滞って、悲鳴をあげているような。
ラトリルの頬に流れるものは、熱くて、苦しげなのは変わらないけれど、フラーボは思わず「あっ」と声を出した。
とけた…と思ったのだ。
「…どぉして、気づいてあげられなかったんだろう。友達…、だったのに。大切…、だったのに…」
苦しみも後悔も、けっして無くなりはしないけれど、
融けている…。
そう思った。
「フィオルドは、確かに僕の演奏を気に入ってくれていたけれど、一番の糧は、あいつの歌でした。フィオルドはあなたの声に、似たものを聴いたようです。……もしかしたら、あなたは、お祖父さんの精霊そのものではないのですか……?」
別れ際にエフェルは、そんな事を言われた。
「楽しい想像ね」
エフェルはほほ笑んで軽くかわす。
ラトリルは、旅立つ。
大切な友達を探しに。
「キリオさんのお手伝い、ご苦労様。直接言うような人ではないけれど、とても助かったと言っていたわ。あなたの事、とても気に入ったようなので、また是非寄ってください」
「ありがとう。…あいつが見つかったら、一緒に来れたらいいと思う」
ラトリルの顔は、哀しげではあったけれど、初めてここにきたときより、ずっと晴れやかだった。
けれど、それとは逆にエフェルの心は重く沈む。
「その楽器、大切にしてください。それから、フィオルドも、お友達が褒めてくれたというその髪も。お友達と関わりあうすべて、絆を大切に思い続けてください。…ごめんなさい。それしか言えなくて」
「いいえ」
ラトリルは躊躇いがちに笑った。
「ありがとう。あいつに謝らなければならないことがわかっただけ、よかった。でなければ、あいつに会えたとしても、離れたことを詰ってしまうかもしれなかったから。とても感謝しています」
それから、視線を落としてフラーボにも、お礼とお別れを言った。
「ラトリルも体に気をつけて」
「ありがとう、フラーボ」
フラーボに初めて会ったときと同じ異国の服装。大きな荷物。弓なりの弦楽器。そして、肩に乗ったフィオルド。
「さよなら」
そうして、『拾い物』は、姉弟の家を去って行った。
「姉ちゃん」
彼らの姿が見えなくなった後、フラーボは姉を見上げた。
「……泣いてるの?」
エフェルの頬は濡れていたけれど、ラトリルの涙とは違う、悲しくはないけれど、綺麗だとフラーボは思った。
エフェルは、崩れるように腰を落とし、背の低い弟をふんわりと抱きしめた。
「…叶うことのない希望は、悲しいわね。フラーボ」
一瞬、エフェルが何のことを言っているのかわからなくて、戸惑った。
それより、いつも気丈な姉が、泣いていることの方が気になった。
「姉ちゃん。ラトリルの為に泣いているの? …ラトリルは友達に会えないの?」
エフェルは小さくしゃくりあげた。
「私は、彼をあきらめさせるべきだったのかもしれない。絆をあたため返すだけじゃダメだもの。だって、相手に伝わらないんじゃダメだもの」
旅なんて、意味がない。
思いは世界を回るから、精霊には全然意味がないのだ。
この世界にいるのなら、伝わらないなんて事のない程の、強い思い。
この世界にいるのなら、彼に言った絆を思うことは、精霊に思いを伝える一番の方法だけれど、精霊は彼の友人は来なかった。
「もう、その精霊は、この世界にいる力がなかったのよ」
彼も、「会えたとしても」と言っていた。それでも、彼は探すしかないのだろう。
「…姉ちゃん」
「つらい思いをするだけかもしれないのに、彼を助けてあげられなかったことが、悲しいの。悲しいのよ、フラーボ」
それからしばらくエフェルは涙を流していた。
「家に…入ろう、姉ちゃん」
ゆっくりと涙が枯れるころ、フラーボは静かに声を掛けた。
辺りはすでに、夕闇の気配。
「姉ちゃん、僕、今日寝る前はラトリルが、新しい出会いを見つけられるようにって、祈るよ」
その思いも、世界中を回って彼に届くといい…。
「……ええ、私もそうするわ」
エフェルは小さくつぶやいて、弟を抱く腕に力を込めた。




