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12月1日

 彼女との共同生活は何だかんだで続いていた。

 土日は家に帰っているようだが、平日は毎日泊まりに来るようになっていた。俺の独善と彼女の妥協から始まったこの生活だが、思いのほか心地いい。続けていくうちに意外にも利点があることに気づいた。

 まず仕事に張り合いが出た。最初はあまり遅くまで彼女を待たせるとうるさいという鬱陶しさからだったが、日が経つにつれて何とか早く終わらせてやろうと思うようになった。するとどうだろう。メリハリがついて仕事の進むスピードが上がるようになった。きっと自覚はなかったけれど独り身だから終電までに帰れればいいという甘えがどこかにあったのだろう。

 そうして早く帰れるようになると今度は彼女が夕食を作ってくれるようになった。何かにつけて図々しい彼女だが、無償で泊めてもらうのはやはり気が引けるらしい。そして出される料理が意外にもうまいのだ。舌を巻いて感心すると恥ずかしそうに俯く。年相応に可愛らしいところもあるのだなと妙な感慨を抱いた。

 会話が弾むというようなことはあまりなかったが、それでも彼女は徐々に心を開いてくれて、ぽつぽつと自分のことを話してくれるようになった。名前は岸谷茜。近くの高校に通う二年生で、両親は共働き。毎夜遅くに帰宅する両親に代わって夕食を作るうちに料理がうまくなったらしい。バリエーションも豊富で毎日食べても飽きが来ない。これなら良い嫁さんになりそうだと勝手に未来を想像する。

「将来どーすんだ?」

 もはや食卓となった折り畳みテーブルに並んだ料理の数々を前になんとなく尋ねてみると、彼女は一瞬目を見開いてそれから困ったように眉を寄せた。

「どうって、そんなのわかんない……」

「わかんないって、考えたことぐらいあるだろう? たとえば料理関係の専門に通うとか」

 独学でこれだけ作れるのだから真面目に学べば色々と選択の幅が広がる気がする。正直に言えばこの才能を埋もれさせるのは惜しいと思った。

「そんなの無理に決まってんじゃん。真面目な連中は高校からそーゆーとこに進むだろうし、今更あたしがそっちに進んだところで追いつけるわけないでしょ」

 なるほど、一応料理方面は考えたことがあるらしい。

「まあ学生のうちはそう思うだろうけどな」

 から揚げを頬張りながら続ける。

「でも社会に出てみれば意外とその差は小さいんだって気づくもんなんだぞ?」

「そーかな……」

「お前これから何年生きると思ってんだよ。一年、二年ってのはたしかにお前らぐらいの歳じゃ大きいと感じるだろうけれど、三十、四十生きた人間からしてみるとそう大きくはないんだぞ? それこそ努力と運次第でいくらでもひっくり返せる差なんだよ」

「うーん……」

 そう言われてもあまりピンと来ないようで顔をしかめる。沈黙してしまった彼女を眺めながら煮びたしに箸を伸ばす。

「たとえばウチの会社にも理系バリバリの部署があるんだが、そこで働いてる連中が全員理系の大学出てるかっていうと、そうじゃない。割合としてはそう多くないけど文系もいるし、中には法学部出てきたやつもいる。法律とかまったく関係ない部署なんだぞ? それでも他の連中と遜色ソンショクなく仕事してるって話だ。まあ俺は営業の人間だから実際の所はわからないんだけど、話に聞く感じではそうらしい」

「なにそれ、じゃあ大学行く意味なんてないじゃん」

「別に大学行く意味がまったくないわけじゃないよ。仕事に生かせることを学ぶのは早ければ早いほど良い。それは変わらないと思う。けどお前らの年齢じゃその差は思っているほど大きくないってことだ。たいして開いてない差に怖気づいて色々諦めるのはもったいないと俺は思うんだがなあ」

「…………」

 老婆心ながら始めた話だが、ずいぶんと説教臭くなってしまったことを恥じる。話を無理やりまとめるために一つ咳払いする。

「あー、まぁ、やってみたいことがあるなら何でも始めてみりゃいいってこった。大なり小なり金が必要だろうけど、そこは親に相談してみりゃいいんじゃないの?」

 共働きならば金銭面で困ってることもないだろうと、気楽に言ったのが良くなかった。彼女の雰囲気がガラリと変わったのを肌で感じる。

「……親は、頼りたくない」

 噴出しそうになる感情を堪えるように、押し殺した声で彼女が呟いた。両親に代わって夕食を作っていたというのに現在は関係があまり良くないらしい。胸中で静かになるほどと頷く。

「何があったのか知らないけど、親とはうまく付き合った方がいいんじゃねぇのか? 親子の縁ってのは案外切れないもんなんだぞ」

「…………」

 だんまりを決め込む彼女に小さくため息をつく。黙々と皿を平らげていき手を合わせる。程よい満腹感に腹をさすっていると何かを覚悟したように彼女が顔を上げた。

「オジサンは浮気ってどう思う?」

 この話の流れでまさか自分の彼氏ということはないだろう。

 嫌な話になりそうだと顔をしかめ、無意識にポケットを探る。とうの昔に止めたはずの煙草が無性に吸いたくなった。

「どうって言われてもな……。俺はそもそも人と付き合ったことがあまりないし、浮気をしたこともされたこともないから何とも言えないけど、まあよく聞く話ではあるな」

「そっか……。そうだよね……」

 つまるところそれが援交をしていた理由なのだろう。父親か母親か、どちらか知らないが、浮気を知った彼女は家を出た。将来親に頼らず生きていくことを考えれば金はあった方が良い。そうして彼女は一挙両得な援交に手を染めたのだろう。それは認めたくはないけれど、とても自然な流れに思えた。

 まったく厄介なことをしてくれたものだと、顔も知らない彼女の両親に悪態をつく。ここで親を見限れだとか、許してやれだとか、もっともらしく諭してやるのは簡単だ。だがそれは躊躇われた。

 家族の問題であって自分が部外者だからというのもある。けれどそれ以上にどちらの気持ちもわかるがゆえに安易に否定はできなかった。

 人間である以上、誰にだって気の迷いはある。けれど不義理を許せないという感情もよく理解できた。

「結局はお前がどうしたいか、なんじゃないか?」

 お茶を濁すように肯定も否定もしない言葉を並べる。

「別れさせたいか、それとも家族を続けていきたいか、お前の行動次第だと思うけどな」

「そんなの……」

 決められない。

 言葉じりを濁した彼女の声が聞こえた気がした。

 たしかに自分の進路でさえ迷うこの歳の子供に、家族の未来を決めるなど荷が重いだろう。だが彼女以外に誰にも決められないことでもある。家出して逃げてばかりではなく、どこかで向き合う必要があるのだ。

「まあ難しいよな」

 一つ息をついて立ち上がる。

 今すぐに決めることなんてできやしない。ならば、その考える時間を稼いでやるのが自分の役割に思えた。


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