Out Border 1
Out Border
神様、どうしてこうなったのでしょうか。俺にはこんな人生しかなかったのに。
リアンは雑木林の中を駆けていた。生い茂る枝を払い除けながら、必死に走った。遠くから追手の喧騒が聴こえる。物騒な言葉が飛び交っていた。捕まれば殺される、リアンはそんなことはとっくに理解していた。殺される恐怖から逃げているわけではなかった。彼は一人の少女を守るために逃げていた。勇気ある逃避だった。彼の頭の中では今までの十数年の思い出が甦っていた。
人は絶命の危機に瀕すると、過去の経験からそれを打開する手段を模索するために脳が走馬灯を見せてくれるそうだが、どうにも打開策は思いつきそうにないな。俺の人生にはくだらない奴らとの思い出とクイエとの思い出しかない。人生は大海原なんて聴いたことがあるが、自身の人生はせいぜい水たまりだろうな。クイエとの出会いは三日前か。俺が彼女と出会った場所は貨物列車の中だった。
「持っている物は全部出すから命だけは取らないでください」
対面する誰もが涙を流して、怯えた声でそう言った。そういうマニュアルでもあるかのようだった。クイエも他と変わらず、同じように怯えた。仕方がない。首筋から額にまで伸びる黒い模様。幾重にも曲線を組み合わせた幾何学の刺青を見れば俺が真っ当な人間でないことは一目瞭然だ。
「大丈夫だ。物は盗らない」
安心させるために掛けた言葉にクイエは身を縮めてさらに恐怖した。誤解を与えるような言葉だったとすぐに気づき、俺は彼女と距離を置いて、近くの木箱に腰を下ろした。
「俺はリアンだ」
彼女からは自己紹介はおろか、何かしらの反応が返ってくることもなかった。目を合わせないほど怯えきっていた。
「俺は杉の国の出身だ。そこの何にもない田舎の村で生まれた」
出会ったばかりの女に一人語りを始めていた。貧しい幼少時代、暴力的な両親の話、8歳からケダモノと呼ばれる狂気の犯罪集団の一員になったこと。そして今の自身がどういう状況にあるのか。こうやって話すと、何一つ楽しいこと、誇れることが自身の人生にないことに気づかされた。屑の集まりの中にいたので誰ともこんな話をすることはなかった。どうせ似たり寄ったりの境遇の人間が集まっているのだ。わざわざお互いの苦しい過去を穿り返すことなどしなかった。する話といえば、下衆な話しかなかった。強奪した金品、今まで殺した人間の数、どんな女を犯したか、聴くに堪えない酷い話ばかりしていた。
「大きな国に着いたら、君は何をするんだい」
俺は長い間一人語りをしたのが恥ずかしくなって、クイエにそう尋ねた。間抜けな質問だ。大きな国の周辺には多くの貧困国がある。俺の生まれた杉の国もその一つだろう。貧困国では誰もが大きな国を目指す。大きな国は豊かで、仕事は溢れ、治安も良いそうだ。しかし、大きな国には厳しい入国管理があるので俺らのような人間が正規のルートで入国することは難しかった。だから大きな国行きの貨物列車などに身を潜めて密入国するのだ。もちろん密入国が上手くいったとしても、大きな国で幸せな生活が送れる保障はない。だが母国にいるよりは幾分マシな生活が送れる。そのくらい貧困国の生活は悲惨なものだった。だからバカンスに行く旅行者同士が交わすような俺の質問はそぐわなかった。
「まずは仕事を探します」
「それはそうだろうな」
そんな場違いな質問が彼女の警戒を解いたのか、初めてクイエは言葉を交わしてくれた。緊張が緩んだ女は乱れた前髪を整えた。ようやく見えた素顔は褐色の肌に青い目をしていた。少し驚いたのは彼女が自身と変わらないくらいの年齢だったことだ。クイエは15歳だった。大人びた声色だったのでもう少し年上の女性だと思っていた。
「俺は向こうに着いたらどうするか何も考えちゃいないな。あいつらから逃げるには大きな国に逃げ込むのが一番安全だ」
「あなた銃や刃物は持ってないの」
クイエの質問の意図を安全の確認のためだと勘違いした俺は何も考えずに返事をした。追われる身になって五日、殆どの所持品は手放してしまっていた。武器になるようなものは何も持っていなかった。
「私は持ってる」
そう言うと同時にクイエは飛びかかってきた。彼女の手の内に光るものが見えた。小型のナイフだ。咄嗟に身を返した。床に倒れ込むようにその一撃を避けた。勢い余ったクイエは木箱に躓いたが、すぐに体勢を立て直し、ナイフを構えた。手が震えていた。
「出てって」
クイエは強い口調で言った。
「旅客列車じゃないんだぞ。走行中に簡単に隣に移動できるか」
「じゃあ、次の駅で止まったら、別の貨物に移って」
次の瞬間、列車が急停車した。姿勢を崩したクイエに飛びかかって、か細い腕からナイフを奪い取った。それから彼女を羽交い絞めにして口を抑え込んだ。
「静かにしろ」
呻き続けるクイエの耳元で小声で言った。
「様子がおかしい」
聴覚を研ぎ澄ませた。ただの緊急停車ではないのは銃声で分かった。列車の先頭の方から聴こえた。俺はクイエを羽交い絞めにしたまま貨物の扉に近づき、扉を少し開けた。慎重に外の様子を確認した。幸い強盗団は前方と後方にしかいなかった。気づかれないように降りれば闇夜に紛れて逃げることが出来る。しかし問題が一つある。この女をどうするか、置いていけばどうなるか想像がついた。出会ったばかりの女を助ける必要があるのか、理由があるのか悩んだ。クイエは状況を理解したのか急に静かになった。物分かりが速い人間は使い勝手が良い。俺は彼女の口から手を離した。
「降りるぞ」
「待って、ナイフ」
クイエは手を突き出して言った。
「まだ。俺が信用できないのか」
「私を信用するならナイフを返して、それにそれは私の物」
俺は少し渋ってから、ナイフをクイエに手渡した。彼女は変な気を起こすことなく、それをポケットに大切そうに仕舞った。
俺たちは列車から降りると、身を屈めて、近くの雑木林に向かって静かに歩きだした。列車の先頭の方から獣のような雄叫びが聴こえた。歓喜の叫びだ。本当に野蛮な連中だ。迂闊だった。前方と後方にだけいると思っていた強盗団の一味が雑木林の中に数人潜んでいた。逃げる人間を待ち伏せする役割なのだろうか。三、四人くらいだが、今の状況では分が悪い。
「ここに居ろ。絶対に動くな」
俺はクイエに岩陰に隠れるように促すと、単独で行動した。運が良かった。近場の強盗は小柄で拳銃とナイフしか所持していない。拳銃は腰に差してすぐに使える状態ではなかった。ド新人か間抜けな奴のどちらかだろう。その男からそれぞれ左右十数メートル先にいる二人は機関銃を携帯しいている。あんな物をぶっ放されたひとたまりもない。俺は木々に隠れて足音を立てずにその間抜け男の後ろに回り込むと、首に腕をさっと掛けて、一緒に倒れ込んだ。草むらの中で首を締め上げた。抵抗する暇もなく男は瞬時に気を失った。拳銃とナイフを奪うと、クイエを押し込んだ岩陰に戻った。
「殺して奪ったの」
俺の手に握られた拳銃を見て、彼女は問いかけてきた。俺は緊張と興奮から呼吸が荒れ、すぐに言葉が出てこなかった。首を横に振って、否定した。
「気絶させただけだ。むやみに殺すのは好きじゃない。奴らが異変に気づく前にすぐ動くぞ。君は左の男を見張ってくれ」
再び二人で行動を開始した。さっきよりも慎重に忍び足で進んだ。右手に立つ男は線路の方を見つめて佇んでいた。
「待って」
クイエが腕を引いた。左手の男がこっちを見渡していた。俺は呼吸を止めた。
「おい、間抜け。どこ行ったんだ。こんな時に小便か」
男は汚い声色で言って、下品に笑いながら近づいてきた。俺は拳銃の引き金に指を掛けた。
「返事くらいしたらどうだ。サボッてんなら、あとでチクんぞ」
俺は右手の男の方も確認した。大丈夫だ。こちらはまだ動く様子がない。
「たく、あの野郎。良い身分だぜ。返事もしねーのか」
男はさらに歩みを進めた。あと数メートル近づけば撃つ。しかし、それだけは避けたい。
「そっちに人が逃げたぞ。捕らえろ」
運が良いのか悪いのか、強盗団の号令に救われた。俺たち以外の逃走者がいたのだ。目前まで近づいていた男は別の逃走者たちを追い掛け始め、遠のいてくれた。その隙に二人は急いで移動した。
Out Border 2へ続きます。




