機械時計
機械時計 (お題 ぜんまい、夢、橋)
二時間くらいバスに揺られて着いたのは風情のある田舎町だった。バスからの眺めは緑一色の田園風景、その中に疎らに民家が建っているのが確認できた。都会生まれ、都会育ちの私にはそれらの光景が新鮮に映った。
「うわあ、リアルトトロ」
目的のバス停で降りて最初に出た言葉だった。私はメモ帳を取り出し、そこに書き記した地図を確認した。メモ帳と辺りの風景を交互に見て、それが何の役にも立たないことに気づいた。私は大きな溜め息を吐くと、トートバッグを肩に掛け直してから歩み始めた。
私がこの田舎町を訪れたのは腕時計を修理するためだ。その時計は祖父の持ち物でどうやら普通の腕時計とは構造が違うらしい。
「これは機械時計と言ってな。ゼンマイ仕掛けの時計なんだ」
祖父はそう言って、機械時計について詳しく語り始めた。機械時計には大きく手巻き式と自動巻きがあるそうだ。名前の通り、手巻き式は自分でゼンマイを巻いて動作させる。話を聴いていて驚いたのは自動巻きの方だ。電池が入っている訳でもないのに、腕にはめておけば勝手にゼンマイが巻かれてしまうそうだ。腕に付けておけば、何日使っても、何カ月使っても止まらない。まるで魔法のような代物である。
「思い入れがあるのかもしれないけど、壊れたなら、新しく買えばいいじゃない」
とても軽率な発言だったと思う。私がそう言うと、普段温厚な祖父が目の色を変えて怒りだした。それは死んだ戦友の形見でとても大事なものだっだのだ。
「これが修理できるのは梶原時計店だけなんだ」
「時計店ならどこでも良いんじゃないか」と言う父に祖父は言った。祖父の話を全く信用しなかった父は近くの時計店にその時計を持ちこんだ。祖父の言う通りだった。その時計店では修理することはおろか、いつの時代の物で、どこの製品なのかすら特定できなった。私たち家族は仕方なく梶原時計店を探すことになった。
それから丁度大学が夏季休暇に入り、暇になった私に父と母はその雑用を押しつけてきた。祖父の記憶を頼りに梶原時計店の場所に行ったが、時計店は見る影もなく、既に十数年前に閉店していた。それでも諦めきれなかった私は梶原時計店の店主がどこに行ったのか、付近のお店に訊いて回った。そうして得られたのは実家に帰ったという情報だった。そしてその店主の実家があるのがこの田舎町である。
私は田んぼ道を歩いて民家のある方へ向かった。十分以上歩いてようやく一件目の民家に辿りついた。人の気配を感じない家だった。私はインターホンを探したが見つからず。仕方なく大きな声で「すみません」と言った。しばらくすると田んぼの方から、腰の曲がった老婆がぬうっと現われた。
「なんね」
「えっと、人を探していて」
無表情の老婆だった。私が事情を話すと、老婆はゆっくりとした口調で道のりを説明してくれた。
私はその老婆の言われた通りの道を真っすぐ歩いた。この道を真っすぐ行くと小川に行きつくそうだ。その小川の手前にあるのが梶原さんの家だと教えてくれた。しかし、一時間以上歩いても小川に行きつくことはなかった。私は近くの倒木に腰を下ろした。
「これって騙されたの」
自然と疑念の言葉がこぼれた。一息吐くと近くから水の流れる音がしているのに気づいた。近い。すぐに近くに川があるのは確かだ。私は立ち上がりその音がする方向に走った。小川は本当にすぐ近くだった。そして小川の手前にはぽつんと一軒の民家だ佇んでいた。
その家に近づくと私は再び大声で「すみません」と言った。返事はなかった。近くの草むらがガサガサと大きく揺れた。私はすぐにその方向を向いた。草むらから飛び出してきたの狸だった。狸は草むらから草むらに消えていった。
「あんた誰だ」
狸が喋ったのかと一瞬勘違いした私はビクッとした。しかし辺りを見渡しても人影はなかった。「あんた誰だ」と再び声がした。注意して聴くと、声がするのは民家の方だった。よく見ると家の窓から顔を出した男がこっちを見ていた。
「梶原雄二郎さんですか」
私はその男に問いかけた。しかし彼は返事はせずに「君は」と逆に問いかけてきた。
「森永美由紀と言います。祖父の腕時計を直してもらいたくて、ここを訪ねました」
男は一瞬ハッとした表情をしてから顔を顰めた。
「そう、残念だけど、ここは時計屋じゃないし。俺は時計の修理は出来ない」
「ちょっと待ってください。でも梶原雄二郎さんですよね。時計だけでも見てくれませんか」
奥に引き下がろうとしていた男は再び窓から顔を出すと、同じ台詞を繰り返し奥に戻っていった。
「君はしつこいな」
そう言って、男が出てきたのはそれから数時間後のことだった。辺りは少し薄暗くなっていた。男は自身が梶原雄二郎だということを認めると、私に時計を見せるように言った。梶原さんは50代くらいに見えたが、年齢はもっと上かもしれない。
「1932年に丸山時計店から発売された。マルヤマ01。全回転ローター式だ。スイスのロレックスがパーペチュアルを発明したのが31年。その一年後に同じ構造の物を作ったわけだ。技術力はあったのに今は亡きメーカーだ」
時計の裏面に記された文字はほとんど読めないのに、梶原さんは一瞬にして鑑定した。
「じゃあ、凄く価値があるんですね」
「デザインがダサすぎて全然売れなかった。所有者は天然記念物。あまりにも知名度が低すぎて、コレクターの間でも人気がない。あまり高く売れないだろ」
目を丸くして尋ねる私に対して彼は冷めた感じだった。それから家の中にあがらせてもらうことになった。中はこじんまりとしていた。中央に囲炉裏があり、昔ながらの風情を感じられる内装だった。
「随分と酷使したみたいだな。これでつい最近まで動いてたのが不思議なくらいだ」
梶原さんはすぐに道具を準備して、手際良く時計をばらしていった。不思議な構造だった。三本の針を回すだけなのに、その裏では幾つもの歯車が回っていた。
「これで終わりだ」
バラバラに分解して、部品を並べ終えると彼はそう言った。「え、どうして」と私は自然に声が出てしまった。
「殆どの部品を取り換えることになる。残念だが、ここには部品がない。メーカー自体も存在してないから部品を手に入れるのも難しいだろう」
「そんな。どうにかならないんですか」
「無理だ」
彼の言う通り無理なのは分かっていた。それでも私は納得できなかった。
「無理って、これ直せるの日本であなただけなんですよね」
私はしつこく喰ってかかった。無茶を言った。ここまで来たのに何もないまま帰るのが惜しかった。
「祖父はいつも浮かない顔をして壊れた時計を眺めてます。私はあんな表情ずっと見たくない。祖父の困った表情が嫌なんです。困っている祖父を喜ばせたいんです」
私は涙を流しながら訴えていた。梶原さんは私の泣き顔を一瞥すると、深く俯いた。
「すまない。本当は部品はあるんだ」
彼は小さな声で静かにそう言った。私は涙を拭いながら聴き返した。
「俺のコレクションの中にこれと同じ時計がある。その部品を使おう」
「本当に良いんですか」
彼は私を真っすぐ見据えて頷いた。
「それより君はこんな遅くまで大丈夫なのか。帰りのバスはもうないだろう」
私ははっとした。もう辺りは真っ暗だった。
私は梶原さんの家に一泊させてもらうことにした。私は宿泊代として夕食の支度をした。彼はその間ずっと腕時計を弄っていた。真剣な表情だった。額に汗が滲んでいた。きっと彼ならあの時計を立派に甦らせてくれると思った。
「俺の親父は大工でね。あそこにある橋。あれは親父が作ったんだ」
修理が終わり、二人で食事を済ませた後、私たちは語らいを始めた。
「もう廃校になったが、昔はあの先に学校があって、学校に行くには遠回りして、もう一つ先にある橋を使わなくちゃいけなかった。ちょっとの距離だが、チビの俺はその距離を歩くのが嫌だった。ある日、俺はその不満を親父に溢した」
梶原さんは遠くを見る目をしていた。さっきまでの表情とはまた違う魅力があった。
「その次の日、親父があの橋を作った。そして俺にこう言い聴かせた。『困っている人がいたら橋を掛けてあげられるそんな人間になれ』って、それが俺の夢になった」
「夢が叶ったじゃないですか。凄いです」
私は笑顔を向けたが、彼は遠くを見つめたままだった。悲しい目をしていた。
「いや、俺の夢は叶わなかった」
とても悲痛な声だった。私はすぐにそんな事はないと否定した。彼は素晴らしい腕を持っているではないか。
「俺の居場所をつきとめたんだ。俺が何で店を閉めて、こんな所でひっそりと暮らしているかも知っているだろ」
彼の言う通りだった。私はなぜ梶原時計店が閉店したのかを知っていた。経営不振による倒産だった。
「夢は叶わなかった。壊れたら新しい物を買い、安価で機能の良い製品が出回るようになった。そういった物の前に俺の夢は敗れたんだ」
「そんなことない」
落ち着いた声で語る梶原さんに対して私は大声で反論していた。
「君は腕時計すら付けてないじゃないか。時間なんて携帯で充分だ。別に悪いことじゃない。俺の普段使いも安物の時計だ」
彼は自分の腕を挙げてみせ鼻で笑った。私はばつが悪い表情をして俯いた。
「俺の夢は間違ってた。俺は橋を掛けることに一所懸命になって、人を見てなかったんだ。それが俺の夢が叶わなかった原因だ」
そんな悲しいことを笑いながら言う彼を許せなかった。
「でも、それでも、梶原さんの技術はすごい」
長い沈黙の後、私が彼に言えたのこの一言だった。そしてこれが彼に最後に伝えた言葉になった。
「もういい寝ろ。明日朝一のバスで帰れ。家族とは連絡とれないんだろ。今頃、君の祖父は時計なんてどうでもいいって君のことを心配してるはずだ」
朝、目覚めると食欲をそそる良い香りが漂っていた。寝ぼけ眼で香りのする方へ向かうと囲炉で味噌汁が温められていた。「山菜を取りに出かけます。ご飯は適当に」と書かれた紙切れがそばに置かれていた。
朝食を済ませた私は支度をすると、すぐに家をあとにした。帰りのバスの中で私は腕時計を取り出して眺めた。しばらくするとスマホの着信音が鳴った。時計を鞄に仕舞って、スマホを取り出した。母からの電話だった。母が心配そうな声で呼びかける。そんな声を聴いているとなぜだか涙がこぼれてきた。
「起きなさい。朝よ」
私は大学に遅刻した。




