9 ようこそ異世界へ
「ねえ、夏野君。異世界に行ってみたいと思わない?」
白井は確かにそう言った。
冗談など言うタイプには見えないのに。
「ハハハ、異世界なんてあるわけないじゃないか。真面目な白井がそんなことを言うなんてどうかしてるよ」
「そうかもしれないね」
フフッと笑みをこぼす白井。
こんな時に、何を悠長なことを。
すぐそこまで西崎が迫ってきているというのに。
ガン。
ガガン。
扉を必死にこじあけようとする音が教室内に響き渡る。
俺は、びくんと身体を震わせた。
西崎だ。
外で何かを叫んでいる。
「私と一緒に異世界に行きましょう、ね?」
「バカなことを言うなよ。そんなことより、ここから逃げ出す方法を考えないと……」
俺が頭を抱えていると、白井が俺の手を優しく握ってくる。
そして、何を思ったのかそのまま教室の窓を開いた。
「お、おい、何をする気だ?」
「さ、行くわよ夏野君。大丈夫、怖いのは一瞬だけだから」
「ハァ!? ちょ、白井、何をバカなことを言ってるんだ。死んだって異世界に行けるわけないじゃないか。おい、やめろ、押すなって。落ちちゃうだろ」
「私も、早くみんなのところへ行かなきゃ。だから夏野君も一緒に……ね?」
怖いよ。
目が血走ってやがる。
白井のやつ本気だ。
本気でここから飛び降りる気なのだ。
俺と一緒に。
とにかく、白井を落ち着かせないと――。
その時だった。
教室の扉が勢いよく開く。
西崎が鍵を壊して入ってきたのだ。
驚いた拍子に、支えていた手の力が緩む。
ふわっと宙を舞う感覚。
なぜか教室が遠のいていく。
そして、そのまま意識を失った。
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「夏野君。起きて、夏野君ってば」
白井の声で目が覚める。
するとそこは見知らぬ部屋だった。
窓もない、ベッドしかない狭い部屋の中。
そのベッドの上で横になっている俺。
不思議と痛みはない。
身体も動く。
あの高さから落ちて助かるとは思えないのだが。
「ここはどこだ? それに俺、どうして生きているんだ?」
「言ったはずよ、異世界に行きましょうって。ここがその異世界よ」
「ハハハ、またまたご冗談を……」
俺は信じなかった。
信じられるはずがなかった。
何もない、この部屋のどこが異世界なんだと。
「ねえ、夏野君」
「な、なんだよ白井、顔が近いよ」
「異世界に憧れたこととか、ないの?」
「……?」
「毎日毎日同じことの繰り返し、退屈な日常。先の見えない未来。不安に押しつぶされそうな毎日に苦しみ続ける。無理やり勉強して優等生の振りをして、自分を偽り続けて生きていく……そんなのつまらない、そうでしょう?」
突然、吹っ切れたように話し続ける白井。
「異世界なら、そんなくだらないことでいちいち悩む必要なんてない。この世界は、何もかもが自由。好きな時間に起きて、好きなだけ遊んで騒いで、疲れたら眠る。そんな夢のような世界があるとしたら……?」
「どうしたんだ、白井。頭でも打ったのか?」
意味の分からないことを言いながら、白井は俺を押し倒してくる。
「ちょ、ちょっと、まずいって」
「大丈夫よ、ここには誰も来ないから」
「いや、そういうことじゃなくてだな」
「んもう、この世界が異世界だって信じてないのね? 仕方ないから、特別にこの世界を案内してあげる」
そういうことでもないんだが……。
茫然とする俺を後目に、部屋の扉を開けて出ていく白井。
「ちょっと、夏野君。案内するって言ってるでしょ。早くついてきなさい」
「お、おう」
半ば強引に、部屋から連れ出される俺。
部屋からでると、一本の廊下に個室がいくつも並んでいた。
廊下は、蛍光灯で照らされて無駄に明るかった。
とても異世界とは思えない。
どちらかというと、病院に似た感じだ。
教室から落ちた時に怪我をして、この病院に運ばれたのかもしれない。
「な、なあ、ここって……」
「いいから、黙ってついてきなさい」
俺の言葉を無視して、歩き続ける白井。
長い廊下の先には、巨大な鉄の扉があった。
鎖で頑丈にロックされ、とても入れるようには思えない。
「そっちじゃないわ」
「うん?」
鉄の扉を眺めていると、廊下の突き当りを右に曲がり階段を下りていく。
廊下と違って、明かりがほとんどなく薄暗い。
全てを飲み込んでしまいそうな闇が広がっている。
しかし、下の階から何やら大勢の人の声が聞こえてくる。
「ようこそ、異世界へ」
白井が振り返り、そう言って微笑んだ。




