68 安堵
久々の我が家に帰ってきた。
見慣れた景色なのに、どこか違って見えるから不思議だ。
玄関を開けようと手を伸ばす。
ふと違和感を感じて立ち止まる。
何だろうか。
背後からただならぬ殺気を感じる。
気のせいかとも思ったがそうではない。
足音が聞こえる。
ゆっくりと俺に近付いてくる。
まさか奴らがまた俺を狙って?
ごくりと唾液を飲み込む。
今なら家に逃げ込めるか?
いや、家族を巻き込みたくはない。
落ち着け。
こういう時こそ冷静に対処しなければ――。
「かーいーとーッ!」
地獄の底から絞り出すような声。
しかし、その声に思わず噴き出した。
「なんだ、奈央か。驚かすなよ」
「なんだじゃないよ! 今までどこ行ってたの! 電話も繋がらないし、メールも返信してくれないし、私がどれだけ心配したと思ってるのよ」
「あ……」
奈央に連絡するのすっかり忘れてた。
慌ててケータイを取り出す。
「ごめん、電池切れてた……」
「ごめんじゃなーいッ! 初詣に一緒に行くって約束したじゃない! それなのに……何の連絡もないし……まさか海斗……」
「な、なんだよ……」
もしや黙って大阪に行ってたのがバレたか?
奈央に心配をかけまいと何も言わなかったのが裏目にでたか。
「美穂と浮気でもしてたんじゃないでしょうね!?」
「は、はいっ!? ち、違うし、そんなんじゃないし!」
変な風に誤解されてるな。
どうしたものか。
「う、うぅ……」
「おいおい、こんなところで泣くなよ。立ち話もなんだし、とりあえず家に入ろうぜ」
そう言って玄関の扉を開け、奈央を家に招き入れた。
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部屋に奈央と二人きり。
奈央は思い詰めたような顔をしてうつむいたまま一言もしゃべろうとしない。
こんなときになんて言ったらいいのだろうか。
「海斗は私のことキライなんでしょ」
「いきなり何言ってるんだ。そんなわけないだろう」
「だって、私に内緒で美穂と旅行にでも行ってたんでしょう……?」
「いやだからそれは誤解だって……」
奈央の目が怖い。
かなり怒ってる目だ。
「じゃあ、どうして電話に出てくれなかったの」
「だからケータイの電池が……」
「……充電すればいいじゃない」
「いや、外出しててそれどころじゃなかったんだ」
「ふーん、そんなに美穂との旅行を邪魔されたくなかったってことね」
「違うって言ってんだろが! 大体、神崎は涼太と付き合ってるわけで……」
「だから隠れてコソコソ大阪になんて行ってたんでしょ!」
「あれ……? なんで大阪に行ってたって知ってるんだ?」
「あ、やっぱり! 美穂が一人で大阪に行ってるなんて言うからおかしいと思ったら……」
「いや、だからそれはだな……」
「海斗のバカ……。もう良い……帰る」
「おい、待てよ、奈央。おいってば……」
最悪だ――。
完全に俺と美穂が二人で大阪に旅行に行ってたと思われてる。
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「何よ、放してよ。どうせ私なんて一人ぼっちがお似合いなのよ」
「ごめん、奈央。違うんだ。本当は――」
部屋から出ていこうとする奈央を無理やり引き留める。
俺は事件のことを奈央に話すことにした。
奈央は黙ったまま聞いてくれた。
俺が話し終えると、顔を上げ睨み付けてきた。
そして、そのまま俺の顔面に右ストレートがクリーンヒットする。
「どうして、言ってくれなかったのよ!」
「そりゃあ、奈央に心配かけたくなかったし……事件に巻き込みたくなかったから……」
「黙って行かれるほうがよっぽど心配するよ! おかげで変な誤解しちゃったじゃない!」
「ごめん……」
「謝って済むなら警察はいらないよ!」
「ご、ごめん……本当にごめん……」
ただ謝るしかなかった。
後悔先に立たず、か。
大森さんの言うとおりだ。
あの時は、最善だと思った選択が今では間違っていたと思えてしまう。
奈央を危険な目に合せたくなかった。
それだけなのに――。
泣いてる奈央を見てると、胸が張り裂けそうだ。
「黙って大阪に行ったことは悪かったよ。でもあの時は切羽詰まってたしそうするしかなかったんだよ。決して奈央を除け者にしたわけじゃないんだ」
「別に大阪に連れてかなかったことを怒ってるんじゃないもん……。そんな大事なことを話してくれなかったことを怒ってるの!」
やっぱり、涼太の言った通りだな。
奈央にもちゃんと話しておくべきだった。
いや、過去を振り返っても仕方ない。
今、俺にできることは――。
「ごめん、凄く反省してる。俺バカだから、知らず知らずのうちに奈央を傷つけちゃうかもしれない……
「海斗……?」
心から詫びる。
そして、自分の気持ちに素直になる。
伝えたいことは言葉にしないと意味がない。
だから――。
「俺は奈央がキライだから黙ってたわけじゃない。逆なんだ。好きだからこそ、言えなかったんだ。事件のことで苦しむ奈央の顔を見たくなかったんだよ。これだけは信じて欲しい」
「うん……信じる…………ごめんね、いきなり殴ったりして」
「いや、良いんだ。俺は殴られて当然のことをしたんだから。何なら気が済むまで殴ってくれて構わないんだぜ?」
「そう? じゃ、遠慮なく……」
奈央が拳を振り上げた。
思わず目をつむる俺。
すると――。
「フフ、冗談よ、冗談。もう今度からは黙ってどっか行ったりしないでよね!」
「あ、ああ……」
俺はかすかに残る唇の感触を確かめながら、りんごのように真っ赤な顔をした奈央の横顔をいつまでも眺めていた。




