36 キッカケ
「おい、夏野海斗」
「は、はい、なんですかパニシエルさん!」
「焦る気持ちはわかるが不用意に触るな。それは全て毒薬だ」
「ど、毒……」
パニシエルさんに怒鳴られ、俺はすっと手を引っ込める。
棚にある薬が気になって取ろうとしただけなのだが。
「あの、なんで俺の名前をフルネームで呼ぶんですか?」
「どう呼ぼうがボクの勝手だ」
「長くて呼びづらいでしょう、海斗で良いですよ」
「わかった、海斗だな」
そんなやり取りをしつつ奥へと進んでいく。
部屋の中は棚が大量にあり、薬が所狭しと並べられている。
「あの、全部調べなくて大丈夫なんですか? この中に探している薬があるかも……」
「……」
「ねぇ、パニシエルさん!?」
「いちいちうるさいやつだな。全部説明しないと分からんのか貴様は」
「え……」
「ここにある薬は全て細胞分裂を促進するための薬だ。つまりボクが探している薬とは真逆のものさ」
そう言って、ずんずんと前へと進んでいく。
全く迷いのないその動作を見て不思議に思った俺はこう問いかけた。
「パニシエルさんは、ここに来たことがあるんですか?」
「……なぜ、そう思うんだい?」
「だって、さっきからまるで薬の場所を全て把握しているように見えたから……」
「ふっ、そりゃそうさ。ボクはつい最近まで、ここで青木の助手をしていたのだからね」
予想外の答えが返ってくる。
青木の助手だと……?
パニシエルは青木の実験体じゃなかったのか?
「ハハハ、そう身構えなくても大丈夫だよ」
「信じて、良いんだよね?」
「信じる信じないは君の自由さ。ボクはボクのやりたいようにやる、ただそれだけだ。といってももうさっきみたいに自暴自棄になって爆弾を投げるなんてことはしないけどね」
「……」
「ボクはね、自分にすべきことが何なのかずっと分からなかったんだ。青木の下で、法に触れるような実験を何度も繰り返してきた。ボクも青木と同じなのさ。自らの知識欲のために何もかも利用するような最低な人間なのさ。だからだろうね、メリアンダに会ったとき、ボクは心の底から自分の行いを恥じたのさ」
奥の薬の瓶を手に取りながら、寂しそうにパニシエルが笑う。
「ボクは自ら進んで実験対象となったんだよ。心も身体も蝕まれ精神的に追い詰められていくメリアンダと同じ境遇になることで少しでも楽にしてあげたかった……。いや、違うな。ボクは逃げたかったのかもしれない。名前も記憶も何もかも捨てて。結局のところボクはメリアンダに嫌われたくなかった……ただそれだけだったんだよ」
「それなら、どうして……どうして実験を止めなかったんですか。自ら実験対象になるなんて、余計に彼女を苦しめることになるとは思わなかったんですかッ!」
「ふふ、止めれるものなら止めていたさ」
「……」
「この超巨大地下施設、青木が一個人でどうにかできるもんじゃないことくらい君にだって分かるだろう? 例の特殊訓練兵もそうだ。いざというときに、ボクら実験体を全て抹殺するために、予め仕組まれていたのさ」
「それって……」
「ああ、そうだよ。この実験には政府が絡んでいる。非人道的な実験を秘密裏に行っているのも、失敗したらトカゲのしっぽのようにあっさりと切り捨てるためだよ。そんなことが公になったら、大騒ぎになるからね。けど、情報が漏れないように地下施設を作り、自らの意思で若者たちを住まわせる……。そして本人たちも知らないうちに実験させられていたってわけさ。誰も、何も知らないわけだから事件も公になることはない」
「そ、そんなこと……」
「できるわけないとでも? 現に、数日前までここに多くの若者が暮らしていたのは紛れもない事実、そうだろう?」
「……」
そうだ、涼太をはじめ多くの若者がこの地下施設で暮らしていた。
彼らは実験のことなど全く知らなかったはずだ。
彼らは自ら進んでこの地下施設に住んでいた。
そのキッカケとなったのは――。




