着替え
練習がてらの散文です。
アングルは床すれすれから、まっすぐ斜め上の部屋の隅を向いている。
木製のクローゼット、その隣の三段ボックス、ボックスの上に置いてある百円均一に売ってあるような小さなサボテンの鉢植えと水が満タンに入った霧吹き。それぞれの横面が照明の光によるのっぺらぼうに薄い影で覆われて映りこんでいる。
画面はごんごんと響いてくる音と共に、時折小さくぶれる。やがてかすかだった音がどんどんと近づいてくる。一拍、間をおいた後、扉が開く音がした。
響いていた音は足音だったらしい。音と比例して大きくなっていく画面のぶれ。
にゅ。
白い足が画面に大きく映りこみ、かかとから浮き上がって消えていった。なにやら引き出しを開けて探るような音がした後、画面の後方からピンクと滑らかな白が一体となった塊がポーンと放物線を描いて三段ボックスの側面に当たって落ちた。淡いピンクの連なりが双山、どうやらブラジャーのよう。
ごんごんと足音が響いて画面がぶれる。ちょっと遠ざかり、扉が閉まる音がしてまた近づいてくる。
「はぁ」
遠くからぼやけて聞こえてきたのは深いため息だった。次の瞬間、クローゼットの前にパンツスーツ姿の女性の姿が映る。
肩甲骨ほどまである銀の輝きの茶髪を首の後ろでまとめている。手足の長い、すらりとした格好はぴっちりとしたスーツのパンツが良く似合っている。
自分の丈より少し高いクローゼットを観音開きにすると、扉に隠れて女性の姿は見えなくなる。ちょいっと一瞬かかとを浮かせ、女性は二拍の間の後こちら側の扉を閉めた。しっかりと閉めてあったスーツの上着のボタンがはずされ、まとめてあった髪は解かれて背中に散っていた。
クローゼットの扉の濃い木の色に浮き出たような白い横顔、オレンジが混ざった明るい口紅が艶やかな唇が少しだけ開かれていて俯いた顔に一房髪がかかっている。それを耳に掛け、手に持ったヘアゴムを三段ボックスの鉢植えの横に置いた。
ちらり、とこちらを流し見た女性の黒目が照明の光を白く反射していった。
背筋をピンと伸ばした女性はスーツの襟に手をかけ、左、右と肩をひねらせて順に腕を抜く。こちら側にスーツを持ち、空いている方の手でハンガーを取って形を整えながら掛ける。左手に持ったスーツの右ポケットからハンカチを取り出すと、スーツをクローゼットに片付けてから丁寧に広げて足元に落とした。
ひらりと宙を舞ってハンカチが落ちる間に、第一ボタンを除いてきっちりと留めてあるシャツのボタンをはずしはじめる。パンツの中に入れていたシャツを引っ張り出して完全にはずしきると、今度は右から左に肩をひねって脱ぐ。
白く光沢のある滑らかな下着のした、グレーのブラがちょっぴり覗いている。シャツは適当に二つ折りにされた後、ハンカチの上に放られた。
こちら側の二の腕を軽く二三度撫でて、ずずっと鼻をすする音。
両手を腰に当て、肩幅に足を広げて曲げたひじを交互に前に突き出すようにぐいっと上体をひねる。左右六回つづけ、最後に腕を真上に伸ばして脱力して息を吐いた。
しばらく呆と気を抜いて、ふっと短く息を吐きパンツのボタンに手を掛けた。
じー、とチャックを下ろし、腰を曲げて右、左、と足を上げて脱いでいく。ブラとお揃いらしいグレーのレースの下着に包まれたお尻のふくらみから、すぅと無駄な肉もなくまっすぐに太ももが伸び、小さな膝、細く長いふくらはぎ、筋が張ってくびれた足首に淡い凹凸をつけるくるぶしへと繋がる。ぺたり、と床に着いた足すら白いが、足先を飾る爪には鮮やかな藍色のペイントが施されていた。
パンツは皺を伸ばしながらふたつに折られ、ハンガーに掛けられた。
女性は背に散った髪を簡単にまとめ、画面のあちら側の肩から前に流した。あらわになった首には、銀の華奢なネックレスが輝いている。細い鎖が首に沿って緩やかに子を描き、鎖骨で小さくゆがんでダイヤモンドのささやかな輝きを捕まえている。
髪をまとめた手は迷いなく肌着の裾を掴み、上に持ち上げて豪快に脱いだ。肩甲骨の筋肉がしなやかに動き、つるりとした脇から二の腕の裏にかけて筋がたち、ブラのカップが持ち上がった。
手に引っ掛けた肌着をそのままに一度頭を振った。纏まったばかりだった髪が乱れて豊かに波打ち、首の輝きを隠した。肌着は惜しまれもせず無造作にシャツの上に重なり、足元には小さな白い小山が出来上がった。
右足に重心をかけるように体勢を直し、後ろに腕を回してブラのホックを探した。探すうちにくりくりと無意識に腰がよじっている。やっと捕まえたホックを何度か失敗しながらもはずすと、ブラの紐がするりと腕を滑った。白く滑らかな双つの山は、肌寒さに浅暗い桃色の頂をツンと立たせながらも艶やかな円を描いていた。
ブラを足元の山に落とし、女性はそのまま動きを止めてじっと俯いた。
思考の間なのか、ときおり前髪に触れるほどに長い睫を震わせて瞬き、指が一度二度小さく円を描いた。
いくらか時間が過ぎ、喉の奥で不機嫌な猫のような唸りを響かせた女性は体の横に脱力させていた手をためらいつつも持ち上げ、重たげな半球の胸を下から包んだ。
長い指の間からふんわりとまるくあふれる胸を、慎重にゆっくりと上から下に上から下にと確かめるように揉む。半球が崩れ、頂が突っ張っているようにとがる。ピン、と主張する頂をつまみぐりぐりと痛いほどに刺激すると、冷たい印象を与える柳眉がぎゅっと寄り下唇を軽く噛む。
もてあそんでいる右手が浮き上がっている肋骨の上を撫でて降りてゆき、絞まった腰の括れを悪戯に弄る。子犬が甘えるような高い鼻声がきゅぅんと鳴き、困った風に下がってしまった眉の下の黒い瞳を涙の膜が覆い始めている。右足にかけていた重心は左足に移り、また右足に移り、と自然に腿を擦り合わせ、唯一グレーの下着に包まれたお尻がゆらゆら揺れる。
「 」
びく。
閉まった扉の向こうの遠くからこの女性のものではない声がした。誰かを呼んでいるような声に肩を驚かせ、強張ってそのまま固まった体で女性は扉のほうを恐々振り返った。
ごんごんと遠くからやってくる足音と共に画面のぶれも大きくなってくる。この女性のものとは違う、もっと重たげなものが左右に揺れながらやってくるように重厚な音だ。
あらぬほうをじっとにらみつけたまま、クローゼットの中から長い黒のパーカーを引っ張り出して頭から被った。腿半ばまで伸ばしたパーカーの下でもぞもぞと袖を通し、未だ膝をあわせたまましゃがんでシャツとハンカチで脱いだブラと肌着を包み込むように持ち上げて立った。
重い足音は大きく画面を揺らしながら近きところで止まり、一拍の後コンコンと控えめなノックを二回打った。
「ねえ、そろそろ時間だよ」
扉に阻まれて、なんとなく不鮮明な低い声がした。その声に、今度は嫌悪に眉をゆがませて女性は明るい色の唇を嫌々開いた。
「わかってる」
その魅惑的にぷっくりとした唇からこぼれた声は、特上の器量から想像したものを裏切った低いテノールだった。そういえばよくよく見てみると尖った細いあごから首のラインへは硬いしこりのような僅かなでっぱりがある。それは男の喉仏そのもののよう・・・・・・。
「そう。先に行ってるからね」
言葉の区切りごとに荒い息が聞こえる。最後に二度、大きくふーっときつそうに息を吐いた扉の向こうの低い声の主は、再び大きく足音を立て画面を揺らしながら遠ざかっていく。
ちっ。
鋭い舌打ちをした女性、いや男性か。その人は画面に対して正面を向き、髪を乱雑に掻いた。豊かな乳房がふるふると揺れ、筋肉の筋が浮いたウエストがくいっと持ち上がった。
「これだから、あいつは嫌いなんだ」
低い声が不機嫌に這った。まっすぐな線が見えているかのように、まっすぐに揺らぎなくこちらに向かって白い足が歩いてくる。
画面が両足の深い藍色に塗られた親指の爪でいっぱいになった次の瞬間、ザザザとノイズが入り画面は大きく揺らいで視点が変わった。
いっぱいに現れたのはどこか冷たい印象の微笑を浮かべた美しい顔だった。銀に輝く茶髪を波打たせ、僅かな喉仏をなぞり、一粒のダイヤの瞬きを胸元に飾る艶やかさは恐いほどに女性的である。濡れる黒目が笑みの奥で深く深くへと誘うよう。
「生着替え、楽しんでいただけただろうか。ここから先は有料。もしこの、体に触りたいのなら」
画面が顔から首、鎖骨、上から覗いた胸の谷間に移り、腕に抱えているシャツからうっすらブラのグレーが透けている衣類の山を映す。
「この番号に電話しなよ。性別問わず、待ってるから」
ちゅ。
小さなリップ音を最後に、画面は暗転。
ネット上でひそかに人気を集めていた男性ネットモデルが、自身のサイトの無期限更新停止を宣言して半年。それでもなおサイトを訪れる人の数は一日に百人を超えていた。
この映像は、その平石という名で活動していた彼が半年の音信不通の末に新しくアップデートした物であった。律儀にタイトルをつけ続けていた記事のなかで異色を放つ、11桁の数字の羅列のタイトル、本文の入力もない十分足らずの映像だけの記事。
コメントはあっという間に千を超えた。
それはネット上のあらゆる場所で話題となり、人の興味をさらったが、映像のアップデートから僅か一時間後。サイトは閉鎖され、映像はもちろんこれまでの痕跡を一切その場には残すことなく消去された。
真偽さまざまな憶測が飛び交ったが、タイトルに入力されていた11桁の番号にかけた電話は決してどこかに繋がることはなかったという。