プロローグ
「だれ……か…」
熱い。息ができない。天井から落ちてくる梁が壁を打ち砕き、その破片が火花を散らしながら床に突き刺さる。黒い煙が視界を奪い、喉を焼き、思考を麻痺させていく。
「もう……意識が…」
視界が急速に暗転していく。抗うことのできない虚脱感と共に、私の意識は深淵へと沈んでいった。
……
……
…………何かが違う。先程までの灼熱の世界とは明らかに違う冷たさ。柔らかい感触と小鳥のさえずり。
最初に視界に入ったのは、高い天井だった。煤で汚れていない真新しい板張りの天井。鼻腔をくすぐるのは微かに甘い花の香りと、ツンとする薬草のような匂い。そして左腕には包帯がまかれていた。
「…………ここは……?」
かすれた声が自分のものだと気づくのに数秒かかった。
すると、すぐ隣でガタン!という音と共に誰かが椅子から立ち上がる気配がした。振り返ると、そこにいたのは見慣れた栗色の髪の女性――分家の叔母であるクレアだった。いつもの毅然とした佇まいはなく、顔に驚愕と安堵の色を浮かべて、こちらを見つめていた。
「アリシャ!」
クレアの声は震えていた。次の瞬間、彼女は駆け寄ってきて私の手を握りしめた。
「良かった……本当に良かったわ……!」
涙を滲ませながらそう言うクレアの声を聞いているうちに、徐々に記憶が鮮明になってくる。
「……お父様は……お母様は……?みんなは……?」
全身を震わせながら問いかけると、クレアは痛ましそうに眉を寄せ、静かに首を横に振った。
「……皆、もう……」
あの炎の中で助かったのは……私だけ?
嘘だと思いたかった。信じられなかった。涙はなぜか出てこない。ただ胸の中にぽっかりと穴が開いたような感覚と、鈍い痛みだけが広がっていく。
「どうして……私が……」
絞り出した声は掠れていた。自分だけが生き延びた理由なんてわからない。いや、考えたくもなかった。
「アリシャ」
クレアは私の肩にそっと手を置いた。
「落ち着いて聞いてちょうだい。屋敷はほとんど焼失したわ。原因は未だ不明だけど、おそらく放火じゃないかと推測されている。あなたの家族だけでなく、多くの忠実な従者たちも犠牲になった。犯人探しは今も続いているけれど……」
私の家、ロイス家は公爵家であり、広大なリンゲン地方を治める大貴族だが、代々黒髪の家系であり、悪魔の一族とよばれ蔑まれてきた。
さしずめ今回の放火もロイス家を嫌う領民あたりによるものだろう。
「でもね、アリシャ。あなたの生存は奇跡よ。ロイス家が完全に途絶えたわけじゃない」
「奇跡……ですか」
「それでね、今、私の手配で屋敷の復興がかなり進んでいるの」
彼女は私の目をまっすぐ見据えて答えた。
「アリシャ。今あなたにできることは一つしかないわ。ロイス家当主として、あの家を……あの土地を再び立て直すことよ」
歴史あるロイス家が突然消えるわけにはいかない。クレアのリープクネヒト家は小さすぎて併合する余裕もないだろう。大貴族の令嬢として生まれた誇りもある。
「……わかりました」
唇を噛み締め、決意を込めて顔を上げる。
「私が……ロイス家を継ぎます。必ず……再興してみせます」
クレアは満足そうに頷き、微笑んだ。
「それでこそロイス家の血を引く娘よ。あなたの決断を支持するわ。私も全力でサポートする。それから……」
彼女は部屋の扉の方に視線を向けた。
「今日からあなたのお世話をする者たちを紹介するわ。まずは身体を十分に休めなさい」
コンコン、というノックの音と共に扉が開き、二人の女性が静かに入ってきた。
左の女性は髪をきっちりとまとめ上げている。鋭い眼光は厳しいが、その奥には穏やかな光が宿っている。もう一人は、私とそう変わらない年齢だろうか。小柄で可愛らしい顔立ちだが、東方の人に特徴的な褐色肌が特徴的だった。
「左側がアルカ、右側がレイナよ。二人とも私の家の信頼できる使用人で、これからはあなたの専属として仕えることになるわ」
クレアの紹介を受け、二人は揃って深々と頭を下げた。
「アルカでございます。アリシャ様に誠心誠意お仕えいたします」
「レイナです! 未熟者ですが一生懸命頑張ります!」
アルカさんの凛とした佇まいとレイナさんの純粋そうな笑顔。タイプは正反対だが、どちらも誠実そうだった。
「アルカ、レイナ、よろしくね」
……
……
それから約一週間。私はクレアの館で療養に専念した。アルカは先に屋敷へ行って片付けをしてくれるそうで、レイナが世話をしてくれた。
「<แส้เถา>! 」
近くの森で試しに魔法を撃ってみた。
日に日に体力も魔力も回復し、小さな岩を壊せるくらいの魔法なら撃てるようになった。
「アリシャ様って草魔法が使えるんですね! すごいです」
「レイナは何魔法が使えるの? 」
「私ですか? 私あまり魔法が得意じゃないんですよね…えいっ! 」
レイナが近くにあった岩に蹴りを入れた途端、岩が粉々に砕けた。
「体術なら心得ているので、アリシャ様には指一本触れさせませんよ! 」
「こ……心強いわね。ありがとう」
こんな小柄な身体からあんなパワーが出てくることに若干引いた。
……
……
そして屋敷に戻る日が来た。
「犯人がまだ捕まっていない以上、昼間に堂々と移動するのは危険だわ。今夜、皆が寝静まった頃にこっそり出発しましょう」
クレアの提案で、深夜の出発が決まった。
「気をつけてね、アリシャ」
クレアに見送られ、私は一台の小さな馬車に乗り込んだ。レイナが右に座り、馬車がゆっくり動き出した。
夜道は暗く静まり返っていた。リープクネヒト領は相当な田舎で、リンゲン地方までのどかな田園風景が広がる。
「アリシャ様の髪って綺麗ですよね 」
右に座るレイナがふとそんなことを口にした。
今まで黒髪を褒めた人は3人しかいなかった。そういえば、レイナの髪は茶髪だが、東方の人たちは黒髪が普通だと聞いたことがある。
「ありがとう」
「アリシャ様なら領民……いえ、すべての人から慕われる領主様になれるはずです」
似たことをよく言っていた執事を思い出しながら、気付けば眠りについていた。
……
……
どれくらい時間が経っただろうか。月明かりが照らす林を抜けると、前方に巨大な影が見えてきた。
近づくにつれて全容が明らかになる。正面玄関は無残にも焼け落ち、壁の多くが黒く炭化している。庭園は荒れ果て、あちこちで焼け焦げた残骸が山となっていた。
「到着しました」
御者の声と共に馬車が停まる。
降り立った地面は、以前の柔らかな芝生とは違い、黒く焼け焦げた土だった。足元はひどく冷たく感じる。
「お待ちしておりました。アリシャ様」
屋敷から出てきたアルカが迎えてくれた。
「ありがとう。行きましょう」
私は声に出して言った。二人が頷き返す。
ロイス家当主アリシャの、長い長い復興への道のりが、今まさに始まろうとしていた。
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