「あのとき助けていただいた子犬です」とイケメンが恩返しに来た
安心できる我が家、ビアンキ公爵家の応接間にヴィットーリオお兄様の怒号が響く。
「くそっ! 色ボケアホ王太子め!」
お兄様が両拳でローテーブルを叩いたものだから、ティーセットがガチャンと音を立ててゆれた。
いつもなら不行儀を咎める執事のアダルベルトがそれをせずに、
「旦那様がお留守のときを狙ったに違いありません」
と同意する。鉄壁の無表情を誇る完璧執事なのに、ひどく悔しそうな顔だ。
「俺の可愛いリリエンヌを偽聖女呼ばわりするなど、言語道断!」
「あと前旦那様への不正の濡れ衣も!」
「絶対目にものをみせてくれるぞ!」
お兄様とアダルベルトが、ガッと手を握り合う。
つい昨晩のこと。私は王宮に呼び出されて、王太子――ではなかった、元王太子であり現国王のオランドに偽聖女だと糾弾されたうえに、それを理由に婚約破棄をされた。さらに亡きお父様の『悪行』とやらも告発され、国外退去の命令を受けた。
でも退去なんて、世間へのめくらましのはず。彼の狙いは私の命。
「だが、まずはリリエンヌの安全確保だ」
「ですが、まずはお嬢様をお守りいたしませんと」
お兄様と執事の意見が重なり、ふたりは顔を見合わせて頷いている。
「でも、どうやって?」と、私は疑問を呈した。「公的な魔術師や騎士の実力なら、だいたい把握しているから対抗できるけど。王族を守っている『影』は常識離れの強さだとの噂よ」
『影』の存在は貴族社会に広く知れ渡っている。でも、見た人はいない。十年もの間王太子の婚約者だった私ですら、皆無だ。
「先に王太子を殺ればいい」
「それなら私がやるわ。ヴィットーリオお兄様は手を汚してはダメよ」
「可愛いリリエンヌにやらせるくらいなら、俺は死ぬ」
「ならば不肖、このわたくしめが」
お兄様とアダルベルトと、誰が王太子を殺すかで口論になった。
狙われているのは私なのだから、私が手を下すのが当然なのに!
正直なところ、やり遂げる自信はあまりない。でも大事なお兄様や、ビアンキ家になくてはならないアダルベルトを危険にさらすわけにはいかないもの。
侃々諤々と言いあっていると、困り顔の従者が応接間に顔を出した。
「リリエンヌお嬢様にお客様です」
「もう刺客か!?」と叫ぶお兄様。
「いえ、それが――」
従者はますます困り顔になって私を見た。
◇◇
お兄様と執事と、公爵家精鋭の護衛たちに守られてエントランスホールに赴くと、そこには背の高い青年がいた。
黒髪に黒い瞳で、年のころはお兄様と同じくらいの二十代半ばといったところ。
けっこうなイケメンだけど、その顔に見覚えはまったくない。
でも彼のほうは、私を見るなりパッと顔を輝かせた。
「リリエンヌ様!」
嬉しそうな顔と声。
……目の錯覚かな。彼の後ろに、ぶんぶんと大きく振られるもふもふのしっぽが見える。もちろん、そんなものはないのだけど
「ええと、あなたは――」
「はい! 以前あなた様に助けていただいた子犬です! 恩返しに来ました!」
「……なるほど」
確かに従者の言ったとおりだ。これは困惑するわよね。
どうみても青年は人間の青年だし、そもそも子犬が喋ったり人間になったりはしない。
「こんなことを突然言われても、戸惑いますよね」と、しゅんとする青年。
彼の頭の上で、耳が折れるのが見える気がする。もちろん、これも存在しない。
「私がお嬢様に助けていただいたのは、十年前の王太子オランド殿下の誕生会です」
んん?
ずいぶん具体的な日が出てきたわ。
ヴィットーリオお兄様とアダルベルトと顔を見合わせる。
十年前のそれは、オランドの婚約者になってすぐに開催されたものだ。私も参加した。
そういえばあのとき……。
「王太子殿下は犬アレルギーがあるとか。王宮にうっかり迷い込んだ私は近衛兵たちによって捕まり、殺されそうになりました」青年がうっとりした顔で私をみつめる。「そんなとき、通りがかったあなたが近衛兵たちを止めてくれたんです」
「そうね。確かにそんなことがあったわ」
茶色い毛の子だったけれど。
「あったのか……!」お兄様が驚きの声をあげる。
「でも連れて帰るつもりだった子犬は、逃げてしまったわ」
青年はうなずく。
「あなたに抱っこされたときは、一生あなたについていくと固く決心をしたのです。でも、そのあとに私を抱いた従者は苦手な匂いがしたんです。それでつい、腕の中から飛び出してしまって。そのまま戻れなくなってしまいました」
「……筋は通っているわね。でも犬が人間になるなんて、信じられないわ」
魔法で人が動物の姿に一次的になることはできるけど、その逆は不可能だ。外見だけならば整えられるけれど、知能はそのままなので元の動物のように行動するし、当然言葉も喋らない。
「そうですよね」青年がしょんぼりとする。「でも、信じてもらうほかないです。大切なリリエンヌ様がピンチに陥っていると知って、居ても立っても居られなくなってここへ来たんです。私は王太子――いや、オランド新国王の悪事の証拠を持っています
「なんですって!」
青年は床に置いてあったカバンから、書類の束を取り出した。
「これが全部そうです。ビアンキ前公爵の身の潔白も証明できます。だから私に恩返しをさせてください。それから――」
青年が目にもとまらぬ速さで動いた。
「うっ」とうめき声がし、天井から人が落ちてきた。胸に深々と短剣が刺さっている。
「このとおり王家の影たちが、あなたの命を狙っています。残りはあと九人。たとえ公爵家の精鋭部隊が守りを固めていても、侵入してしまうほどの実力者たちです。でも私は犬なんで、鼻が利くし機敏なんですよ」
青年がにこりと微笑む。きらきらとした眩しい笑顔。
「……わかったわ。あなたを頼らせてもらいましょう」
「やった!」
無邪気に声を上げ、青年は満面の笑みを浮かべた。
◇◇
我が国は温暖な気候と肥沃な土地に恵まれ、また複数の交易ルートの要でもある。近隣諸国の中では抜群に豊かで、住みやすい国だ。
ただ、ひとつだけ問題がある。かつて存在したという魔王の呪いにより、国全体に瘴気が発生しているのだ。この瘴気に触れ続けると、人であれ動植物であれ、徐々に生気がなくなり死に至るという。
だけど、聖女が祈りを捧げることで、問題は解決。瘴気は浄化されて、人々の暮らしにはなんの影響も与えない。
聖女はこれほど重要な役目を追っているのに、常にひとりしか存在しない。死去、もしくは条件を満たさなくなると、次代の聖女が選ばれる。
現在の聖女は私で、十年ほど前に女神によって選ばれ、神殿によって第七十二代目聖女と認定された。だから同じ年齢のオランドの婚約者に選ばれた。
聖女は国の宝。大切に守るという意味もあってのことだ。
だけどオランドは私が嫌いだった。
王太子の彼より、勉学も武術も馬術もできて人望もあったから。しかも容姿は地味。さらに派手に遊びまわることも嫌いで、ことごとく彼の好みから外れていたのだ。
お互いにいつか婚約解消をしたいと思いながらも、国王陛下の意思は固く、実現にはいたらなかった。
それが陛下の急逝によりオランドが即位したとたんに、彼は婚約破棄を敢行した。私に『偽聖女』という汚名を着せて。そして愛人を『真の聖女』として、披露したのだ。
「今回の事件は、オランドが愛人である男爵令嬢ペトラを、妃に迎えるために仕組んだことです」
応接間に場所を移し、着席したとたんに青年が言う。
「神殿が聖女認定したというのは事実ですが、担当者の家族を誘拐して脅迫したためそうするほかなかったのです」
「そんなひどいことまで?」
「ええ。監禁された場所がたまたま私の寝床そばだったんで、知りました」
「寝床……?」
「はい」青年はにこりとして、話を進める。「彼らの計画は、皆さまも予想がついておりますよね」
「ああ」とお兄様が頷く。
「男爵令嬢ペトラの」と青年。「『条件』を外し公表するのと同時に、あなたをひそかに殺害。新しい聖女が出現すれば、この国の浄化にはなんの滞りもないし、男爵令嬢が偽物だとも気づかれない」
私とお兄様には国外退去令が出ている。姿が見えなくなっても、誰も不思議には思わない。死体さえあがらなければいいのだ。
「条件外しに非難の声が上がるでしょうが、オランドも令嬢も気にするようなタマではありません」
「未婚で純潔を失ったことを知られるなぞ、普通の令嬢では耐えられるものではないのだがな」ため息をつくお兄様。「だが、やはりその手か」
そうなのだ。聖女の条件は純潔。でも結婚は禁じられていない。そんなことをして、聖女が礼拝を放棄したり国を捨てたりするほうが問題だから。
歴代の聖女たちも、多くが二十代のはじめにお役目を終えている。
私も、結婚は二十二歳になったらと前陛下によって定められていた。
「それよりもお前、ただの犬のわりには事情通すぎやしないか」
ヴィットーリオお兄様のもっともな疑問に、青年は笑顔を見せる。
「動物ネットワークです。城といえどもネズミはおります」
確かにネズミならどこにでもいそうだ。けれど犬とネズミで意思疎通ができるものかしら?
「しかし証拠があるとしても、どう反撃するかだ」
お兄様が腕を組む。
「なにより一刻一秒を争うわ」
「だな」
「王城に乗り込みますか」と、アダルベルト。「すぐに手配をいたします」
「今夜、男爵令嬢との婚約成立祝いパーティーがありますから、そのときにしましょう」と青年が言う。
動物ネットワーク、すごい。知らないことはないのかしら。
「リリエンヌ様を偽聖女だなんて言うアホには、きっちり落とし前をつけさせます!」
ヴィットーリオお兄様とアダルベルトが、手をたたいて青年を褒め称える。
「私が礼拝を立ち入り禁止にしているから、つけこまれたのよね。聖女としての祈りをだれも見たことがないせいで、こんなことに……」
正確には、ちょっと違う。見たことがあるひとたちがもう、いないというだけ。両親と前国王陛下、それから前神官長たち。
とにかく生きている人間で、私が聖女の力を行使しているのを見たことがあるひとはいないのよね。だからなんの根拠もない『偽聖女』との嘘の弾劾がとおってしまった。
「リリエンヌお嬢様のご厚情ではありませんか」と青年が微笑む。
「あなた、知っているの? 私が祈ると……」
「もちろんです」
「礼拝所にもネズミがいるのね……」
知りたくなかったわ!
「どのような理由があろうとも、あなたを傷つけ貶めていいわけがありません。リリエンヌ様は気にせず、徹底的にやり返しましょう」
青年の言葉に、ヴィットーリオお兄様とアダルベルトが「やるぞ!」力強く同意する。
「では、作戦を練りましょう」
「待って。まだあなたのお名前を聞いていないわ」
「そんなものはありません。捨てられた犬ですからね。私のことは、『犬』と呼んでくださってかまいませんよ」
「嫌よ、そんなの。ではバルトロと呼んでもいい? 好きな小説のヒーローの名前でね、あなたみたいに美しい黒髪なのよ」
「……私にヒーローの名前をくださるのですか」
そういう青年の声は、かすかに震えていた。
「ありがたき幸せ……! このバルトロ、生涯リリエンヌ様に尽くすことを誓います」
青年は立ち上がると右手を不思議な動きをしてから左胸に当て、一礼をした。珍しい仕草だ。
「大袈裟よ」と、答えながら。
なにかが引っかかる気がした。
◇◇
夜会へ行く準備を終えて応接室へ行くと、バルトロがひとりで短剣の手入れをしていた。
私に気づくとさっと立ちあがり、
「美しいです……!」
とだけ言って、震えている。感極まったような表情から察するに、私の装いに感激しているみたい。
「一番気品があるように見えるドレスを選んだの。戦場に赴くのだもの。気合が必要でしょ?」
「さすがリリエンヌ様!」
バルトロは私の前にひざまずくと、スカートをほんの少しつまんで、そこに口づけた。
アダルベルトによると、私が支度をしている間に彼は影を五人倒したという。護衛たちは全員合わせて三人。
「バルトロ。あなたの活躍を執事から聞いたわ。恩返しに来てくれて、本当にありがとう」
私を見上げた彼が、
「そのお言葉だけで生きていけます」と大袈裟なことを言う。
目はひどく熱を帯びている。
長椅子にすわると、アダルベルトがお茶とケーキをセットしてくれた。
出発するまでにはまだ時間がある。気がせいて早く支度をはじめてしまったのだ。
向かいに腰掛けたバルトロが、
「リリエンヌ様とティータイムだなんて、夢のようです」と、またも感動にうち震えている。
あまりに私を好きすぎじゃないかしら?
気恥ずかしくなってしまう。
「ひとつ質問をしても?」とバルトロ。
どうぞと答えると彼は、
「偽聖女との汚名を着せられたとき、なぜ祈らなかったのですか?」
「そうね……」
祈れば、私が本物の聖女だとの証明ができた。
「恥ずかしいけど、思いつかなかったの。あまりにショックで」
聖女になってから十年、三時間かかる礼拝をほぼ毎日してきた。やらなかったのは体調を崩して動けなかった数日のみ。そんな時だってベッドの中で必ず祈りを捧げた。旅行どころか領地に行くこともできない。体調管理を徹底したし、そのために食事にも気を遣った。体力をつけるために、毎日一時間のストレッチと運動もしている。
それに世間の『聖女』のイメージを崩さないように、メイクや服装は清楚なものでガマンしてきた。本当は可愛く見えるメイクや、フリルたっぷりのふわふわしたドレスにしたかったのに。
この十年、私はがんばった。好きなものを諦めて、人生を『聖女』にささげた。
それなのにオランドは、私の努力をなかったものにしたのだ。
婚約破棄だけだったら、そこまでショックは受けなかったはず。
「情けないでしょ」
「そんなことはありません!」バルトロは前のめりになって叫んだ。「あなたは素晴らしい聖女だ。それを否定されてショックを受けるのは当然です。愚かな質問をした馬鹿な私をお許しください」
「バルトロは愚かではないわ。お兄様にも同じ質問をされたもの」
「……祈りを見られたくないというあなたの気持ちも、ストッパーになったのかもしれませんね」
「そうね。あなたは優しいわね、バルトロ」
彼の頬がさっと紅潮した。
「そんなことを言われるのは初めてです。――犬なんで」
「これからは私がたくさん言うわね」
バルトロが不思議そうに首をかしげる。
「『これから』?」
「あ、もしかして恩返しが終わったら、犬に戻ってしまうの? ずっとうちにいてくれるのだと勝手に思っていたわ!」
「こちらでお世話になってもいいということですか?」
「もちろんよ。私とビアンキ家の恩人だもの」
「でも、犬は犬なんです。あなたのような方のそばにいていい存在じゃない」
そう言う彼は、ひどく悲しそうに見えた。
「バルトロは私に恩返しに来たのよね?」
「ええ、そうですが」
「それなら、私を悲しませないで」
目をみはるバルトロ。それからゆっくりと表情が緩む。
「リリエンヌ様を悲しませることなんて、私にはできません」
「よかったわ」
それから私たちはお兄様が来るまで、他愛のない話をたくさんした。
ただ、バルトロが自分自身のことを話すことはなかった。「聞かせて」とお願いしても、「犬には話すことなど、なにもありません」との答えしか返ってこなかった。
◇◇
馬車は王宮に向けて走っている。周りをビアンキ家の護衛が、警護しながら。
一応、差し向けられた『影』九人は、全員倒した。出がけに最後のひとりが現れたけど、バルトロがあっさりと撃退。
彼曰く、
「まさか影が一人残らず討たれるとは、オランドも考えていないはず。当面は刺客の心配はありません」だそうだ。
ただ、影の総数が九人かといったら……。
私とヴィットーリオお兄様の向かいにすわる、バルトロを見る。
視線に気づいて、にこりと微笑むバルトロ。
「バルトロ。そういえばあなた、胸に手を当てて礼をしたでしょう? あれ、前にも一度だけ見たことがあるのよ」
「一度……?」とバルトロ。
「あれはかつて、騎士が王族に対して行っていたものだな」とお兄様。「『この心臓は陛下のもの』という意味があったとか。リリエンヌはどこで見たんだ?」
「オランドよ」
お兄様は目をみはる。
「五年くらい前だったかしら。彼の大嫌いなエマヌエーレ大公殿下のパーティーへ行ったとき」
エマヌエーレ大公は陛下の弟だけど、性格は正反対。兄弟仲は良くないようだった。真面目な大公はオランドの振る舞いは王太子に相応しくないと考えていて、顔を合わせるたびに小言を言っていた。
だから参加命令が陛下よりくだされたとき、オランドはひどく反発をしていたのだ。
だけど実際に参加したら――
「その日だけは別人かしらというくらいに、紳士的で優しかったの」
私がそう言うと、お兄様が
「そうか、あの日か」と思い出したらしく、頷いた。
「きちんと最後までエスコートしてくれたし、装いも褒めてくれたわ。なにより終始笑顔を見せてくれていて」
大公にお小言をくらうのが相当嫌だったらしく、素晴らしい王太子を演じていたようだ。
「たとえその日限りの演技でも、とても嬉しかったの」
あの日、外国からのお客様が、
「聖女と言うからどんな人物かと期待していたのだが。ただの小娘じゃないか」と笑っていた。
本人は私がすぐ後ろで聞いていると、知らなかったのだろう。恐らくこの国の聖女の役割すら知らない無知な男性だった。
私はなにも聞かなかったことにして、通りすぎようとした。だけど、オランドが足を止めた。そして男性客に
「全国民の命を守っている重責を、こんな年若い令嬢が担っているのです。それが想像できぬとは。ずいぶんとご立派な頭を持っているようですね」
と、言い放ったのだ。
本当にあのときのオランドは別人だったとしか思えない。
たとえ演技だとしても、そんな言葉が出てくるようなひとではないのだもの。
でも、とにかく嬉しかった。
パーティーのあとしばらくは、オランドに好印象を持っていたもの。
だけどあれはたった一日だけのまぼろしだったのだと、すぐにわかったのだった。
「夢のような時間の終わりに、オランドはさきほどの礼をしたのよ」
「あの高慢な男が?」とお兄様。「本当に別人だったんじゃないか?」
「お兄様だって会ったでしょ?」
「そうだな、確かに本人だった」
「バルトロはあの礼をどこで覚えたの」
「さあ……。きっともぐりこんだ騎士用訓練所とかではないでしょうか」
にこりとするバルトロ。
「犬なんで、記憶力が悪いんです」
「すごいわね」
彼に微笑みを向けると、ランプの灯りでもわかるほどにバルトロは赤面した。
◇◇
王宮の広間に入ると、あっという間にオランドに気づかれた。
オランドはとても美しい男だ。さらりと揺れる長い銀髪に、瞳は濃い翠。整った目鼻立ちは、あまたの女性をとりこにする。
そんな美貌の持ち主は、死神にでも会ったかのような表情で固まる。まったく美しくない。
それにフリーズしていても、その手は露出多めのドレスを着た軽薄な新聖女の腰をしっかり抱いたままだった。
「ど、ど、どうして……影たちは?」おろおろしている新国王。
「あら、陛下。王族をお守りになる『影』がどうなさったのでしょう?」
オランドはぎくりとした様子で口をつぐみ、辺りを見回し、それから私たちの隣にいる人物に目を止めた。
「近衛騎士団長! なぜ彼らを通した!」
「ビアンキ公爵兄妹には、今日中に王都を出るよう陛下がお命じになられました」と近衛騎士団長が丁寧に答える。
「そうだ! だから……」
「ですが、王宮への立ち入りは禁じられておりません」
「な! 貴様、国王に歯向かうのか」
「彼は事実を口にしただけです。そして私たちもまた、事実を告げに来たのですわ」
お兄様がバルトロから預かった書類の束を高々と掲げる。
「昨日妹と父に着せられた汚名は、すべて陛下の企みです。その証拠がここにあります!」
周囲の人々がざわめき、オランドと男爵令嬢ペトラは顔を真っ赤にして、
「嘘をつくな」と怒鳴る。
「オランド国王は」と、バルトロが声を張り上げた。「そこの男爵令嬢が聖女の条件を失ったと発表し、それと同時にビアンキ公爵令嬢を殺害して、新しい聖女を誕生させる予定でした。国を守護する聖女を殺めることは、国民の命を危険にさらす行為だ。国王と言えど、許されることではありません!」
「先ほど男爵令嬢について、そのような発表がありました!」
「どういうことですか陛下!」
貴族たちが口々に叫び、お兄様のもとへ書類を見ようと宰相がやって来た。
私たちを睨みつけながら、ぎりぎりと歯ぎしりをするオランド。そして――
「『影』! あの不届き者たちを処せ!」
その叫び声とほぼ同時に、私の目の間に真っ黒な服装の人が降って来た。
かと思うと、その人間は横に飛んだ。
バルトロと剣をかち合わせている。
「『影』が苦戦するなんて……」
と絶句するオランドを貴族たちが囲み、
「なにが真実なのですか!」と責める。
「くっ! どけっ!」
オランドが貴族たちを押しのけ、呪文を唱え始める。
攻撃魔法だ!
バルトロに当てるつもりね!
今私にできるのは?
ひとつしかないわ。
床にひざまずき、両手を胸の前で組む。
「火急により応えよ! 浄化」
非常時用の、短縮された祈りの言葉を唱える。
言い終えたのと同時に、私を中心にして光が四方八方に放たれた。
騒がしかった広間内が静寂に包まれる。
それから数分後、光はいつもと同じように唐突に消えた。
「今のが聖女のお力ですか?」
頭上からかけられた声に驚いて見上げると、近衛騎士団長が驚愕の表情で私を見ていた。
「……ええ、そうですわ」
「リリエンヌ様が本物の聖女で間違いないではありませんか! 陛下!」
叫んだ彼はオランドに顔を向けた。
だけどオランドは愕然とした顔で、小刻みに震えていた。その隣では、男爵令嬢ペトラが同じようになっている。
私は立ち上がると、団長に
「浄化の光を浴びて平然としているほうが、おかしいのですよ」と声をかける。
「どういうことですか?」と尋ねる団長。
そこへ、
「ああ、危なかった」と、大きくため息をついたヴィットーリオお兄様と、
「思っていた以上に強烈ですね」と、なぜか嬉しそうなバルトロの声が上がる。
「お兄様たちはシールドを張ったの?」
「ああ。咄嗟にだったが、なんとか間に合った。でも、ちょっとダメだ。気分が爽快すぎる」
お兄様の言葉にバルトロもうなずく。
「一体どういうことですか?」
騎士団長が『不穏な事態』とでも思ったのか、表情を一変させて私に詰め寄る。
それとほぼ同時に、オランドが
「うわあああああ!」
と咆哮し、床にくずおれた。そして頭を抱えて、
「俺はなんて卑怯なことを! 抱き心地のいい女を妻に迎えたいためだけに、本物の聖女を貶め殺そうとするなんて!」と叫ぶ。
となりでは男爵令嬢が、
「贅沢したいがために、王太子を誘惑してしまったわ! 私ってなんて恐ろしい女なの!」と床に腹ばいになって泣いている。
バルトロと剣を交えていた『影』も、王命により実行した、非合法なアレコレを泣きながら悔いている。
それだけじゃない。広間のそこかしこで貴族たちが床に座り込み、それぞれの懺悔をし始めた。
「妻に隠れて浮気をするなんて!」
「儲けたくて人身売買に手を出してしまった!」
「娘のおやつをこっそり食べるなんて、母親失格だわ!」
多くの人間が、軽いものから犯罪まで、なにかに取り憑かれたように告解している。
「私の浄化の力は、少しばかり強すぎるのです」
呆然と辺りを見回していた騎士団長が、私に視線を戻した。
「居合わせた人の心も浄化してしまうのですわ。その結果、ああやって――」まだ自分の罪をいくつも挙げているオランドを示す。「清廉な心では耐えきれない自分の汚点を、懺悔してしまいますの」
初めて祈祷をしたときにわかったことだ。
私が本物の聖女かを見守っていた、神官、お父様、前国王が揃ってああなってしまった。
ちなみに私がその場で耳にしたことは、墓場まで持っていく約束をしている。
「いずれ浄化の作用がおさまって、もとにもどるはずよ」
オランドが四つん這いで這い寄って来た。近衛騎士団長の足を掴み、涙でぐちゃぐちゃの顔で、
「私を逮捕してくれ。史上最悪の犯罪者だ!」とすがる。
男爵令嬢ペトラも同じようにすがり、
「お願い、私も! 聖女を殺して、彼女のものすべてを奪い取るつもりだったのよぉぉぉ!」と泣きわめく。
折よく広間の異変に気付いた近衛兵たちが、すべての扉からなだれ込んできた。だけど即位したばかりの国王が、泣きながら自分の犯罪を暴露している様子に戸惑っている。
「逮捕してあげてくれ」とヴィットーリオお兄様。
なにしろ宰相も懺悔の最中で、指示を出せそうにない。
「は、はい」と、近衛騎士団長が部下たちに国王の捕縛を命じる。
彼はすごいわ。普段から清い心を持っているから、浄化の影響を受けていないのだと思う。
そう伝えると彼ははにかんで礼をいい、
「犯罪者の件はお任せください」と約束をしてくれた。
これで私とビアンキ家の濡れ衣は晴れるだろう。
バルトロに微笑みを向ける。
「ありがとう。すべてあなたのおかげよ」
「ちがいますよ。あのときリリエンヌ様が私を救ってくれたからです」
そう言ってバルトロは、笑みを浮かべた。
だけどその笑みは、とてもさみしそうに見えた。
◇◇
ヴィットーリオお兄様は騎士団長とともに後処理をすることになった。宰相をはじめとした大臣たちがみんな浄化の光を浴びてしまったから、すぐに動ける人がいないのだ。
だから私はバルトロを護衛にして先に帰宅し、アダルベルトたちに問題解決の報告をした。執事をはじめとした使用人のみんなは、涙を浮かべて喜んでくれた。
それも終えて今は、のんびりと夜の庭を散歩中。空には三日月が浮かび、淡い光が満開のバラを照らしている。
オランドが別人のようだった日も、バラの季節だったことを思い出す。庭園で咲き乱れるバラの香りが、パーティーの会場にまで届いていた。
その中で、彼と手を取り合ってワルツを踊った。私を見つめるオランドは、どこかさみしそうに見える笑みを浮かべていた。
あの時は、大公一家の前での演技に疲れて、表情がおかしくなったのだと思ったのだけれど――
「あなたたち兄妹は、私を信用しすぎではないでしょうか」となりを歩くバルトロが言う。「私が
大嘘付きの悪党だとは考えないのですか? 用のなくなったあなたを、ここで殺すとか」
足を止め、バルトロの顔を見上げる。
「あなたは悪党ではないわね。でも、大嘘付きだわ」
バルトロが
「どうして?」と尋ねる。
「あなたは犬ではないもの。十二人目の『影』でしょう?」
王家が抱える『影』の数は、常に十二。
前国王が私の浄化の光を浴びたときに、口にしたのだ。どうやら礼拝の直前にお父様に、『二人しかいないから、新聖女の護衛にはつけられない』と嘘をついたらしかった。
それで真実を言いながら、必死に謝っていたのだ。
結局十二人いても私に『影』はつけてもらえなかったけれど。
とにかくも、数が十二なのは確かなわけで。
「襲撃に来たのが最初のひとりと、あなたが『残り』と言った九人。それから国王についていたのがひとり。全部で十一よ」
バルトロは答えず、ますます淋しそうな顔になった。
「五年前の大公家のパーティー。あのときオランドだったのは、あなたね? 変化の魔法を使ったのでしょう?」
「違いますよ。私はただの犬です。人間の姿に化けることはできても、本物の人間ではありません」
「バルトロ?」
彼の頬にそっとてのひらで触れる。
「泣きそうなお顔よ? どうしたら私のヒーローを笑顔にできるの? 教えて?」
バルトロの目から、ぽろりと涙が零れ落ちた。
「リリエンヌ様。そのお気持ちだけで、私は幸せですので……」
「泣いている恩人を前に、『そうですか』と引き下がれると思う?」
頬にふれている私の手に、バルトロのそれが重なった。
「嫌われたくないのです」
「『そんなことは絶対にない』なんて軽はずみな約束はできないわ。でもね。私は一般的な令嬢よりは、物怖じしないわよ?」
「リリエンヌ様」
顔をくしゃくしゃっとしたバルトロは、私の手を強く握りしめた。
「あなたの予想どおり、私は王家の『影』です」
「ええ」
「名はありません。『十二番』という通称があるのみ。戸籍も、存在しない」
思いのほかひどい状況に、言葉が出ない。
名前も、戸籍もないなんて。
「大公家のパーティーへ行ったのは、確かに私です」
「やっぱり」
「ですが変化の魔法は使っていません」
バルトロはそう言うと、呪文を唱え始めた。
詠唱が終わると、私の目の前にいた黒髪黒瞳の青年は、銀髪緑瞳の青年に変化していた。その姿は――
「オランド……?」
目前の青年は、オランドにそっくりだった。
彼よりも幾分か背が高く、わずかに顔が引き締まり、ずっと体格がしっかりしている。
「あなたは誰?」
「王家には秘密の伝承があります。『双子の男児は凶兆のしるし。先に生まれたほうを、すみやかに処分するべし』」
「そんな……」
ではバルトロはオランドの兄なの? それだというのに、名前も授けられず、存在さえ消されて利用だけされてきたというの?
王妃様は出産後にお亡くなりになっている。
彼はずっとひとりで、父と弟が華やかな生活を送るのを陰から見ていたの?
「あなたが知らないのなら、前国王は浄化の光を浴びても語らなかったということですね」
それはつまり、前国王は長男の処遇を正当なものだと信じているということ。
「バルトロ! あなたは私が大切にするわ! あなたのお父様とお母様と家族とお友達なる!」
目をみはったバルトロが、ようやく笑う。
「まるでプロポーズですよ」
「あら、ほんと」
「聞いていましたか? 私は凶兆のしるしなんですよ? いつかあなたを不幸にするかもしれない」
「それが、あなたが自分は犬だなんて嘘をついた理由なの?」
バルトロが静かにうなずく。
「確かに、王家にとってはそうだったのかもしれないわ。あなたが私に味方してくれたおかげで、オランドは王位を追われ、破滅した」
私はにっこりとした。
「自業自得ね。あなたを『影』にしていなかったなら、オランドが愚かなことをしていなかったなら、そんなことにはならなかったわ」
「私が気味悪くないのですか?」
バルトロが不安そうに目を揺らす。
「全然! なにより、あなたは私にとっては吉兆だったでしょ?」
「あなたというひとは」バルトロの目が潤む。「どうしていつも、かっこいいのですか」
「ありがとう。あなたも、大公家のパーティーでは、とても素敵だったわ」
「リリエンヌ様がそう言ってくれるなら」
バルトロは私の手を握る自分の手に口づけた。
「あなたに求婚できる男になります」
「どういうこと?」
今のままで十分だと思うのだけど。
「それまで待っていてください。あなたが犬を助けたあの日からずっと、好きです」
バルトロはそう言うと、私の返事も聞かずに去ってしまった。
ずいぶんあわてんぼうというか、せっかちというか。
自分は犬だと主張したり、なんだかとても面白い人だわ。
◇◇
私の元を去ったバルトロは、その足で王宮に向かったらしい。
数日後には『王家の因習により、生まれたときから幽閉されていた本物の第一王子』として王族と認定され、さらにその数日後には新国王に即位することが決まった。
「政治にも王位にも興味なかったですけど」と、美しい衣服をまとった美しいバルトロがはにかむ。「リリエンヌ様に求婚するためなら、どんなことでもします。たとえ悪魔に魂を売ろうとも」
今日もビアンキ邸の庭でバラに囲まれている私たち。前回と違うのは、あのときは夜で今回は昼ということ。
日の光のもとで見るバルトロは、オランドよりずっと精悍で頼もしい。王としての威厳すらある。
そんな彼が私の前にひざまずく。
「リリエンヌ様。生涯大切にします。私と結婚をしてください」
右手を左胸にあて、真剣な表情のバルトロ。
彼曰く、私をほかの男にとられたくないと、速攻で王位を得てきたらしい。
でもね、人々の心まで浄化してしまうような人間を、妻に迎えようなんて男はいないのよ?
バルトロはまったく気がついていないみたいだけど。私を好きすぎて、目が曇ってしまっているのよね。
可愛いひとだわ。
「ひとつだけ条件があるの」
そう言うとバルトロは顔を輝かせた。
「どんなことでも、のみましょう!」
私はにこりと微笑む。
「あなたが私を恋に落としてくれる?」
「え……?」
「だって政略結婚はこりごりなんだもの。次は絶対に恋愛結婚がいいの。バルトロを恋しく思えるようになったら、結婚するわ」
ゆっくりと瞬いたバルトロは、やがて満面の笑みになった。
「全身全霊をかけて、リリエンヌ様を落とします!」
バルトロは私のスカートのすそをそっとつまむと、そこにキスをした。
「……手のほうが嬉しいわ」
先日だって彼は、私の手を握った自分の手にキスをしたもの。
バルトロは、凶兆と蔑まれたことを気にしているのかもしれない。かつてエスコートをしてくれたときも、彼は手袋をしていて私に直接触れることはなかった。
「それから敬語もイヤ。よそよそしいもの」
私を真顔で見上げていたバルトロは、またも素晴らしい笑顔になった。
それから立ち上がると、
「では、遠慮なく」と言って私を抱き寄せた。
「ちょっと、バルトロ!?」
抗議をしても彼は答えず、私の手をとってキスをする。甲にてのひらに、と何度も何度も繰り返す。
こんなことをされるのは、初めてで。
バルトロの胸は逞しいし、腕の中は温かいし、私の顔はほてり、キスを繰り返される手はとけてしまいそう。
「ま、待って、バルトロ」
「リリエンヌ、真っ赤になって可愛いな」
「近いわ!」
彼の胸をぐいぐいと押すけれど、びくともしない。
「大丈夫。ヴィットーリオお義兄さんには、許可をもらっている」
「なんの!?」
バルトロは答えずににっこりとすると指で私の唇にふれ、
「ここにキスをしてもいい?」と訊いてきた。
「だ、だめ! まだあなたを好きじゃないもの」
「それなら、好きになったら『キスしていい』と教えてくれ」
「わか……」
ええと。
それって自分からねだるってことじゃない?
ファーストキスを?
「それもダメ!」
「『ダメ』ばっかりはなし。ちゃんと許可を出してくれないとね」
ちゅっと頬にキスをされる。
「この前のしおしおしていたバルトロと違いすぎない?」
「だって、リリエンヌを恋に落とさなければいけないから。自分で言ったんだよ?」
またも頬にちゅっとキスをされる。
「覚悟してるよね?」
だからって、豹変しすぎでしょ!
でもそれからバルトロが、切なそうな目で私を見つめながら『十年に及ぶ片思いだった』とか、『けっして叶わぬ恋だと絶望していた』とか告げるものだから。
「キスしてもいいわよ」と早々に白旗をあげてしまったのだった。
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