008-滝が大陸を断つ異世界《ラグラシア》_VI
008-滝が大陸を断つ異世界_VI
ミストラルの小さな呟きが、ガレージの奥へと溶けていった。
司は、ようやく自分の視線がどこに固定されていたのかを自覚し、慌ててミストラルの顔を見る。
先ほどまでわずかに膨らんでいた頬は、もう元に戻っている。怒っているのか、からかわれているのか、あるいはその両方なのか――その境界が曖昧で、余計に心拍が上がる。
(……やったよな。完全に)
スカウトユニットを目で追ってしまったこと。
自分でも、無意識だったのが余計に質が悪い。
何か言わなければ、と思う。
だが、謝るべきなのか、言い訳するべきなのか、それすら判断がつかない。
司が口を開こうとした、そのタイミングだった。
「さてさて」
軽く、しかしよく通る声が割り込む。
エルネだった。
場の空気を一度、意図的に断ち切るように、彼女は手を叩く。
「話も一区切りついたみたいだし……」
視線が、司に向く。
値踏みでも観察でもない、もっと素直な興味の目。
「ここに来た本来の目的、忘れてないかい?」
一瞬、時間が止まったような感覚に襲われる。
司の頭の中で、ここまでの出来事が一気に巻き戻った。
ミストラルの登場。
スカウトユニット。
派生案を一気に並べ立てた自分。
それに対する満足そうな微笑み。
そして――。
(……あ)
胸の奥に、ずしりとした重さが戻ってくる。
(そうだ。ジェネレーター)
ここに来た理由。
《Cascade》に積む、新しい心臓部。
司は、わずかに背筋を伸ばした。
「……そう、だった」
声に出してから、自分でも少し間の抜けた返事だと思う。
それだけ、話題が横道に逸れていたということだ。
エルネはその反応を咎めるでもなく、むしろ楽しそうに口角を上げた。
「で?」
軽い調子のまま、核心を突いてくる。
「何か、試してみたいのはあったのかい?」
司は、すぐに答えられなかった。
視界の端に、ジェネレーターの列が映る。
どれも整備が行き届き、外装に無駄な傷はなく、銘板の数値も申し分ない。
専門家でなくとも、「良いもの」だと分かる。
だが――。
(……悪くない。ほんとに悪くないんだ)
それなのに、胸の奥に引っかかるものがある。
司は、無意識のうちに唇を噛んでいた。
言葉にしにくい違和感。
贅沢だと思われそうで、口に出すのをためらってしまう感覚。
(俺が、欲張りなだけか?)
そんな考えが浮かび、すぐに打ち消す。
欲張りでもいい。
でも、曖昧なまま決めるのは嫌だった。
「……リヴィアの話を聞く限りさ」
司は、慎重に言葉を選びながら口を開いた。
「ここにあるジェネレーターって、どれも整備が行き届いてて、性能も高いと思う。たぶん、普通のカスケイドなら、十分すぎるくらいなんだろう」
エルネも、ミストラルも、遮らない。
その沈黙が、続きを促している。
「でも……」
司は、一度だけ視線をジェネレーターへ向けた。
「なんていうか、全部“マイルド”な気がするんだ」
言い終えた瞬間、胸の奥が少しだけ軽くなる。
正直な感想だった。
「扱いやすくて、安全で、誰が使っても安定する。
それはすごく良いことなんだけど……」
司は、自分の言葉を確かめるように続けた。
「俺の《Cascade》には、ちょっと合わない気がして」
沈黙が落ちる。
怒られるかもしれない。
贅沢だと言われるかもしれない。
そんな予感が頭をよぎったが――。
「……ふふ」
エルネは、笑った。
「なるほどねぇ。いい感覚してるじゃないか」
司は、意外そうに顔を上げる。
「性能がマイルドってのは、裏を返せば“尖らせてない”ってことだ。
大半の人間には、それが一番なんだけどさ」
ちらりと、ミストラルを見る。
「全員がそれで満足するわけじゃない」
その視線を受けて、リヴィアが一歩前に出た。
「司」
落ち着いた声。
「私自身、ジェネレーターが専門というわけじゃないの。だから、細かい相性や限界までは判断できない」
司は、黙って聞く。
「だから次は――」
リヴィアは、自然にミストラルへ視線を向けた。
「ミストラルの説明を受けながら、もう一度見て回ったら?」
提案というより、最善策の提示だった。
ミストラルは、即座に頷く。
「ええ。私も、その方がよろしいと思いますわ」
その声は落ち着いていて、さっきまでの軽い拗ねた調子はない。
完全に、技師の声だ。
司も、ゆっくりと頷いた。
(……助かった)
正直なところ、専門家と一緒に見られるのはありがたい。
自分の感覚が間違っていないのか、確かめたかった。
ミストラルは司の方を見て、軽く顎を引く。
「参りましょう、司さん」
その動きは迷いがなく、現場を知る人間のそれだった。
司は立ち上がり、彼女の隣に並ぶ。
ジェネレーターの列へ向かう通路は、天井が高く、機械音が反響している。
金属の熱と冷却された空気が混ざり合い、肌に触れる温度が一定しない。
歩きながら、司は背中に残る視線を感じていた。
アゴン。
ガルド。
エルネ。
そして、リヴィア。
(……見送られてる、って感じだな)
さっきまでの視線とは違う。
これは、任せた、という視線だ。
ミストラルの横顔を盗み見る。
華奢な体躯。
作業服に似合わないほど上品な仕草。
(この人、本当に技師なんだよな……)
それでも、さっきスカウトユニットを見た時の目は、本物だった。
ジェネレーターの列が、目の前に広がる。
司の意識は、自然と切り替わった。
(……探そう。俺の《Cascade》に噛み合うやつ)
ミストラルと並び、司は次の一歩を踏み出した。
ここから先は、ただの買い物じゃない。
機体の未来を決める選択だ。
そう、はっきりと理解しながら。
◆
司とミストラルが、ジェネレーターの列の向こうへ歩いていく。
その背中が、金属の影に紛れた瞬間だった。
「――――ぶはぁっ!!」
抑えていた息を、一気に吐き出す音。
思わずリヴィアは肩を跳ねさせ、音の方を振り向いた。
ガルドだった。
さっきまで顔を真っ赤にして呼吸を止めていた男が、ようやく酸素の存在を思い出したかのように、大きく息を吐き出している。
「……死ぬかと思った」
声量は落としているが、感情は隠れていない。
司とミストラルには届かない距離。
だからこそ、遠慮なく本音が漏れる。
「おい……今の、聞いたか?」
ガルドは、リヴィア、アゴン、エルネを見回した。
残された四人だけの空間。
「さっきミストラルが持ってたのは、ほんの最近になって、ようやく設計が固まったスカウトユニットだ。定点設置型。置いて、索敵して、それで完成だ」
ガルドは言葉を選ぶように、少しだけ間を置く。
それだけでも十分すぎる性能。
現場では、すでに引き合いが来ている。
「……なのにだ」
ガルドの眉間に、深い皺が刻まれる。
「司のやつ、次から次へと改善点を口にしやがった」
リヴィアは、黙って頷いた。
(ええ、聞いてたわよ)
あれは、思いつきの羅列じゃない。
技術を“使う側”の視点でありながら、構造そのものに踏み込んでいた。
「正直に言や、荒唐無稽だ」
ガルドは、吐き捨てるように言う。
「だがな……不可能じゃねえ」
声に、焦りが滲む。
「それどころか、現行モデルが抱えてる問題点を、モデル分岐で全部潰してやがる」
一息。
「……アタシャ、あんたが途中で口を割るんじゃないかってヒヤヒヤしてたよ」
エルネが、低い声で応じる。
苦笑交じりの言葉。
だが、その目は真剣だった。
「実際、危なかった」
ガルドは頭を掻く。
「気を抜くと『それ、良い発想だな』って言いそうになった」
リヴィアの胸が、わずかに締めつけられる。
(やっぱり)
あの場で誰かが肯定していれば。
司は、それを前提として次へ進んでしまう。
エルネは、司とミストラルの背中を見つめたまま、ぽつりと呟いた。
「……常識って枠組みを、あの子に今与えるのは良くないね」
断定だった。
「あれは、型にはめて育てる子じゃない」
視線が、リヴィアとアゴンへ向く。
「最初にそれに気づいて、実行してたのは……あんたたち二人だ。恐れ入るし、技師の側かりゃ言えば、頭が下がる思いだよ」
一瞬、リヴィアは言葉を失った。
(評価、された……)
意識していたわけじゃない。
ただ、司を見て感じた違和感を信じただけだ。
アゴンも、静かに一礼する。
「Sir.恐れ入ります」
その声音には、珍しく安堵が混じっていた。
(アゴンも……ほっとしてる)
リヴィアは、無意識のうちに息を吐いていた。
その頃――
司とミストラルは、ジェネレーターの列をゆっくりと回っていた。
ミストラルは一基ずつ丁寧に説明している。
出力特性、安定性、整備性、想定される負荷。
司は、そのたびに頷いていた。
質問もする。理解も早い。
――けれど。
リヴィアは、遠目にもはっきりと分かる変化に気づいていた。
(足が、止まってる)
説明を受けるたびに進んでいた司の歩みが、次第に遅くなっている。
銘板を見る時間は短くなり、視線は長く留まらない。
返事も、簡潔になった。
「うん」
「なるほど」
「……そうか」
否定はしない。
だが、決断もしない。
(納得はしている。でも、選んでいない)
ミストラルもそれに気づいたのだろう。
説明の声が、少しずつ慎重になっていく。
やがて、列の端まで来ても――司は立ち止まらなかった。
振り返り、もう一度全体を見渡す。
そして、小さく首を振る。
「……どれも、すごくいい」
それだけ言って、続きを口にしない。
ミストラルは何も言わず、司の横に並んだ。
しばらくして二人は、最初にいた場所へ戻ってくる。
司の肩は、わずかに落ちていた。
ミストラルの表情も、考え込むように曇っている。
(……見つからなかったのね)
リヴィアは、そう結論づけた。
リヴィアは、自分の胸の奥に浮かぶ小さな焦りを、呼吸で押し込めた。
司が選べないのは、贅沢だからではない。見栄でもない。
彼は、必要なものが「違う」と感じているだけだ。
そしてその「違い」が何なのかを、彼自身が言語化できていないのも、同じくらいはっきり見えた。
列の端まで回り終え、二人がこちらへ戻ってくる。
司の肩は、ほんの少し落ちている。ミストラルも口元を引き結び、考え込むような表情だ。
ガルドは腕を組んだまま、短く舌打ちした。
アゴンは変わらず静かだが、視線の動きから、情報を拾い続けているのが分かる。
エルネが、ぽん、と掌で膝を叩いた。
「さて。二回も見て、同じ顔をして戻ってくるってことは――」
わざと軽い調子。
けれど、その目はまっすぐ司を捉えている。
「どんなジェネレーターが良いんだい?」
司が一瞬、言葉を探すように視線を泳がせる。
その横顔を見たとき、リヴィアの脳裏に、別の場面がふっと蘇った。
――武装の相談をした日のこと。
『どんな武器を使いたい?』
そう聞いたとき、司は迷いなく、明らかに“丁寧に扱う気のない”仕様を口にした。
耐久や整備性より、まず「理屈に合うか」「勝てるか」。
壊す前提のような、乱暴で、けれど筋の通った要求。
(……流石にそこまでは要求しない、わよね?)
リヴィアは、頭の中で自分に言い聞かせるように、軽く首を振った。
今ここで、その記憶に引きずられるのは違う。
司はその時も、無茶を言ったわけじゃない。ただ、常識の外側を平然と見ていただけだ。
司は、ようやく口を開いた。
「出力が高いのが基本で……」
言葉は慎重だ。
贅沢に聞こえないように、でも誤魔化さないように――そのバランスを探っている声。
「それに、何か一つ……メリット面で癖がほしい」
エルネの眉が僅かに上がる。
ガルドが鼻で笑う。
「癖、ねえ」
司は続けた。
「その代わり、デメリット抱えててもいい。
扱いづらいとか、整備が面倒とか、そういうのでも」
言い切った直後、司はふと視線を上げた。
リヴィアの表情に気づいたのだろう。
彼は一瞬、しまった、という顔をする。
「あ、あと……」
慌てて付け足す。
「懐事情に優しい物!」
その場に、短い沈黙が落ちた。
(……これは私たちに気を使っての発言なのよね)
リヴィアは内心で呆れたが、口元が僅かに緩むのを止められなかった。
出力が高い。癖がある。デメリットは許容。さらに安い。
そんな都合のいいものがあるなら、全員欲しい。
ガルドが唸る。
「出力高くて癖があって安い……って、そりゃねえだろ」
エルネも腕を組む。
「安い、ってのが一番難しい注文だねぇ」
アゴンは静かに言葉を足す。
「Sir.条件を整理いたします。
高出力、特性に偏りがあり、欠点を許容、かつ予算制約に適合――」
整理すればするほど、現実が遠のく。
四人の間に、思考の沈黙が広がる。
機械の唸りだけが、一定のテンポで耳を満たす。
リヴィアは、司の横顔を見る。
(彼が求めているのは、たぶん“優秀な標準品”じゃない)
彼の《Cascade》は、そもそも標準から逸れている。
リグメントクラスターもそうだ。
人が歩くための筋を、一本の直線として扱わず、束ねて編んでしまうような発想。
(なら、心臓部も……)
リヴィアがそこまで考えた時だった。
「……ございますわ」
静かな声が、沈黙を割った。
ミストラルだった。
さっきまで考え込んでいた表情が、嘘のように晴れている。
瞳が僅かに輝き、口元に、抑えきれない確信の笑みが浮かんでいた。
「一つだけ――あるではありませんか」
それは、お嬢様口調のままでも、技師の声だった。
エルネが片眉を上げる。
「……ある?」
ガルドも、きょとんとした顔でミストラルを見る。
「そうなのか……?」
アゴンも、言葉はなく視線だけを向ける。
リヴィアは、ミストラルの確信に満ちた笑顔が、逆に不穏に見えてしまうのを感じた。
(……嫌な予感がする)
司は司で、希望に目を輝かせかけて――すぐに、慎重な顔に戻る。
「……ほんとに?」
ミストラルは、胸の前で手を重ね、軽く頷いた。
「ええ。条件を満たすものは、ひとつだけ」
その断定に、全員の表情が揃って固まる。
ガルドが、ようやく絞り出すように言った。
「……どれだよ」
ミストラルは、にこりと笑ったまま、視線をある一点へ向けた。
その先に何があるのかを確認するように、リヴィアも目を向ける。
そして――
四人は揃って、ミストラルの視線の先――ガレージの出入り口をみて、きょとんとした。
◆
ミストラルが先導し、ジェネレーターガレージから出て歩き出す。
その背中は軽やかで、足取りには迷いがない。
腰の工具ポーチが揺れるたびに金具が小さく鳴り、袖を折り返したワークシャツの肘が、現場の人間の動きを隠しもしない。――なのに口調だけは相変わらずだ。
「こちらですわ」
その“お嬢様”が案内するのに、なぜか誰もツッコミを入れられなかった。
むしろ、皆が同じことを感じている。
(ミストラル……笑顔が濃くなってる)
さっきまでの考え込む表情は消えている。
歩くほどに、確信の光が目に宿っていく。まるで宝物を見せる直前の子どもみたいに――そう思って、リヴィアはすぐに自分の比喩に苦笑した。
対照的に、エルネの顔からは笑みが消えていった。
歩みは変わらない。
けれど、視線の角度が固い。口元が結ばれている。
ミストラルの声に対して相槌も返さず、ただ通路の先を睨むように進んでいる。
(……険しい)
リヴィアはその変化を見逃さなかった。
“ある”と断言された時点で、胸の奥に小さな嫌な予感が芽生えていたが、今それが形を帯びていくのを感じる。
アゴンはいつも通り静かだった。
司は――言葉数が少ない。先ほどの「懐事情に優しい物!」と慌てて付け加えた自分の要望が、今さら現実味を失っていくのを、本人もどこかで悟っているのかもしれない。
やがて、通路の突き当たりに一枚の頑丈な扉が現れた。
作業エリアと切り離された隔離区画。
扉の脇には、古い規格の警告表示と、数段階のロック機構。――「取り扱い注意」ではなく、「取り扱いに資格が要る」と言わんばかりだ。
ミストラルが立ち止まり、振り返る。
「この奥にありますわ。私の作業場ですの」
そう言って、ドア横にあるパネルから素早くパスワードを入力し、ロックを解除する。
ドアの奥から金属が噛み合う重い音が、二度、三度。
扉が開いた。
中へ足を踏み入れた瞬間、空気が変わる。
油と金属の匂いは同じでも、ここは“整備の匂い”じゃない。
もっと乾いて、冷たく、焦点の合った匂い。
研究室特有の、温度管理された静けさが肌に触れた。
リヴィアの視線は反射的に部屋の中央へ吸い寄せられる。
そこに――ジェネレーターが鎮座していた。
台座の上に据えられた塊は、ジェネレーターというより“心臓”に近い。
丸みを帯びた外装は複数層で構成され、表面には細い溝が幾何学的に走っている。
溝の奥には微かな光が脈動していて、呼吸しているようにも見えた。
整備台の周囲には、測定器、配線、封印札のようなタグ、そして解析記録。
触れた形跡はある。だが、搭載して運用された形跡はない。
「触っているが、使っていない」――その矛盾が、逆に怖かった。
最初に声を漏らしたのはアゴンだった。
「Sir.……ドラグーン級のジェネレーターですね……」
彼の声がわずかに揺れているのに、リヴィアは気づいた。
驚きというより、慎重さの色。
「実物を見るのは、私も初めてね」
リヴィアも同意するように息を吐く。
ドラグーン級。
規格として存在するのに、ほとんど市場に出ない。
出回らないから、評価が定まらない。
評価が定まらないから、さらに扱われない――そんな類の“伝説”だ。
エルネが、低く言った。
「そりゃそうさ」
視線はジェネレーターに刺さったまま。
誇らしさはない。代わりに、警戒がある。
「これはね、女王陛下から下賜されたものだよ」
その言葉が室内に落ちた瞬間、リヴィアはエルネの険しい表情の理由を理解した。
(……公の品)
私物じゃない。
個人の趣味で弄っていいものじゃない。
“触らせてもらっている”という言い方が、逆に重い。
「研究と開発がてら、ね。触らせてもらってる代物さ」
エルネは肩をすくめたが、笑みはない。
「製造されてから――ただの一度も、カスケイドに搭載されたことはない」
司が、息を飲む音がした。
驚きだろう。高揚だろう。あるいは別の感情か。
ミストラルが、ジェネレーターの横に立つ。
まるで大切なものを紹介するように、丁寧に手を添える――触れてはいない。触れずに“示す”仕草だけで十分だと言わんばかりだ。
「司さん」
お嬢様口調が、ここでは不思議なほど馴染んで聞こえた。
「この子以上に、出力があり――良い面としてのメリットが突出し、それに応じたデメリットを抱えている代物は、ございませんわ」
司の視線がジェネレーターに釘付けになる。
さっきまで「マイルド」と言葉を選んでいた男の目が、今は露骨に光を帯びている。
(……やっぱり)
リヴィアは胸の奥で、軽く舌打ちした。
司の“琴線”が、ようやく反応してしまった。
だが、ここで勢いに任せるのは危険だ。
だからリヴィアは、ミストラルの説明に補足する形で、敢えて冷静に言葉を重ねた。
「ドラグーン級のジェネレーターはね」
司の視線がこちらへ動く。
一瞬だけ。だが、その一瞬を掴む。
「重量級さえ軽々と動かす出力がある。内包する容量も大きい」
言葉は端的に。誇張はしない。
「たとえエネルギーを使い果たしても、瞬時に回復するほど回転率が高い――そういう類のものよ」
司が、ごくりと喉を鳴らす。
(欲しがる顔)
だからこそ、次の言葉が必要だった。
アゴンが一歩前へ出た。
執事然とした仕草のまま、しかし声の温度だけが少し落ちる。
「Sir.ただし――」
空気が締まる。
「デメリットも、明確でございます」
アゴンはジェネレーターを見据え、淡々と続ける。
「こちらは内部に、自己再構成型の機構を内蔵しております」
司の眉がわずかに動く。
リヴィアもその言葉の重さを噛みしめた。
「許容値以上の負荷がかかると、より効率的な形へと変化を繰り返すのです」
アゴンの言い方は、淡々としているのに怖い。
“効率的”という言葉が、いま最も信用できない。
「そして――」
アゴンは、言葉を一段だけ慎重に選んだ。
「その変化は必ずしも、『搭乗者の安全』や『機体の寿命』を優先するとは限りません」
静寂。
冷却装置の唸りが、急に遠く感じられた。
(……そういうこと)
リヴィアは、胸の奥で確信する。
これは“良いジェネレーター”じゃない。
“強いジェネレーター”だ。
そして強さは、常に正しさと同義ではない。
ミストラルは、二人の補足を聞いて満足そうに頷いた。
それがまた、妙に腹立たしいほど無邪気に見える。
「ええ。まさに、その通りですわ」
そして、話を締めるように笑顔を作る。
「この子は――必要に応じて成長し続けるジェネレーターなのですわ」
ミストラルの声には、愛しさすら混じっている。
「もちろん、その成長が良いほうにだけ進むのを願いますけれど」
そこで、彼女は肩をすくめた。
「育児って大変ですものね?」
笑顔。
軽口。
だが、言っていることは軽くない。
リヴィアは、司の顔を横目で見た。
司は、黙っていた。
興奮しているようにも見えるのに、視線の焦点がどこか定まらない。
欲しい、と言い切らない。
怖い、とも言わない。
(……迷ってる? それとも……)
リヴィアは、ちらりとエルネを見る。
エルネの表情は、相変わらず険しいままだった。
冗談めかした空気に乗らない。
ミストラルの笑顔にも、眉一つ動かさない。
(この人は、喜んでない)
研究者としての好奇心がないわけじゃない。
むしろ、それがあるからこそ、険しくなる。
触っているのに、使っていない。
搭載されたことがない――それが意味するのは、たぶん“危険”だけじゃない。
リヴィアは、その重さを飲み込むように息を吐いた。
司もどこか心ここにあらずだった。
ジェネレーターを見ているのに、見ていないような――
まるで、目の前の塊が機械ではなく「選択そのもの」になってしまったみたいに。
ミストラルは笑顔のまま、司の反応を待っている。
アゴンは静かに、次に必要な言葉を探している。
エルネは険しいまま、沈黙で現実を守っている。
この部屋の中央で脈動するドラグーン級ジェネレーターだけが、何も気にせず、淡い光を規則正しく吐いていた。
◆
ミストラルの作業場は、機械油の匂いよりも先に「整理された執念」を感じさせる部屋だった。
工具は置きっぱなしではなく、必ず“戻る場所”に戻っている。整備記録の束は紐でまとめられ、床の耐熱ラインは擦り切れてなお真っ直ぐだ。中央に鎮座するジェネレーターだけが、空気の主導権を握っている。
司は、その前に立ったまま、まだ落ち着きどころを探していた。
心臓に似た塊――淡い光が規則正しく脈打ち、まるで「見ているだけで何かを決めさせる」みたいに、視線を引き寄せる。
けれど、説明を聞いたはずなのに、頭の中で情報がきちんと形にならない。
“高出力”とか“回転率”とか“自己再構成”とか。
言葉は分かる。意味も、たぶん。
でも、実感がついてこない。
司が黙っている間に、エルネが先に結論を置いた。
「……確かにね」
険しい顔のまま、視線をジェネレーターに向ける。
「お前さんの要望に、これ以上適してる代物はないだろうさ」
そこで、息を吐く。
「けど――さすがにコレを売ることは出来ない。……何より、お前さんらが買い取れないだろう?」
司は反射的に頷きかけて、途中で止めた。
買い取れない。
それは、否定じゃなくて確認だ。
(……うん、そりゃそうだ)
この世界の貨幣事情を、司はまだまともに把握していない。
相場も、流通も、価値の単位も曖昧だ。
それでも――このジェネレーターが“極めて希少”で、値段に換算するのも馬鹿らしい類のものだってことは、見れば分かった。
置かれ方が違う。
扱われ方が違う。
何より、エルネの顔が「商談の顔」ではない。
(……俺が手を出せるものじゃない)
そう理解した瞬間、さっきまで胸の奥で燃え上がりかけていた期待が、すっと冷えていった。
だからこそ、説明を聞いてもいまいち“ピン”と来なかったのかもしれない。
欲しいと思っても、現実として手に入らないなら――頭が勝手に距離を取ってしまう。
エルネは、念押しするように言葉を足した。
「それに……さっきも言った通り、それは下賜された物でね。研究対象なんだよ」
口調は硬い。
冗談の余地がない。
「だから悪いが大金を積まれても譲れないんだよ」
司が「ですよね」と言いかけた、その瞬間だった。
「ですが」
ミストラルが、すかさず割って入った。
声は柔らかいのに、切り込む角度が鋭い。
“インターセプト”という言葉が頭に浮かんで、司は何となく戦闘の癖が抜けていない自分に苦笑しそうになった。
「最近、お婆様ってば」
ミストラルは腰に手を当て、首を傾げる。
ワークシャツ姿でその仕草をされると、妙なミスマッチが増幅する。
「やれ腰が痛いだの、肩が上がらないだの、手元が霞むだの――」
司は思わずエルネの顔を見た。
エルネの眉が跳ねる。
「全然この子に触ってないじゃありませんか」
「こ、こら!」
エルネが声を上げる。
「研究はあんたが主導でやってるじゃないか! あたしゃ砲台守として別の仕事が――」
「ですわね」
ミストラルが、にこりと笑ったまま言葉を遮る。
「時にお婆様? 私、ここに居られる司さんの元へ行こうというのに」
そして、中央のジェネレーターを示す。
「この子だけ私の作業場に残っても、意味ないじゃありませんの?」
エルネの口が開き――閉じた。
言い返そうとして、何も出てこない。
ぐうの音も出ない、というのはこういう顔を言うんだ、と司は妙に納得してしまった。
(……え? これ、いける流れなの?)
司は状況についていけなくなりかけた。
売れない、譲れない、研究対象――そこから一足飛びに「意味がない」になって、話が別方向に走っている。
ミストラルはちらりと司を見る。
その視線が、ほんの一瞬だけ“合図”みたいに見えた。
そして――とんでもない理屈を展開する。
「それに」
ミストラルは胸の前で手を重ね、優雅に言った。
「一人娘が、これはと決めた殿方の所に行くのですよ?」
司は咄嗟に、何の話か分からず瞬きをした。
「嫁入り道具の一つでも持たせてもらえないのは、格好がつかないですわ」
……え?
部屋の空気が、一瞬止まった。
エルネは完全にぽかんとしている。
口が半開きのまま固まり、目だけが動いている。
その横で――アゴンが、驚いた声を上げた。
「……おお」
まっすぐな感嘆。
司はアゴンの反応に「そこ驚くとこなのか?」と内心ツッコミかけた。
リヴィアはと言えば、何時にも増して眉を寄せている。
不満げ、というより、言葉にしない“圧”みたいなものが漂っていた。
(……え、なに、俺だけ置いていかれてる?)
司は、ようやく状況を整理しようとした。
ミストラルは、自分が司のところへ行く。
そのついでに、ジェネレーターも持っていく。
嫁入り道具……?
(いや、まずい。まずい流れな気がする)
司は結論を急いだ。
ジェネレーターだけ貰えればいい。
ミストラルが来る必要は――
「……いや、俺はジェネレーターだけもらえれば――」
そこまで言いかけた瞬間。
鈍い衝撃が、みぞおちに突き刺さった。
「ぐっ――!」
視界が跳ね、息が詰まる。
リヴィアの拳が、完璧にボディブローを決めていた。
司が倒れかけたところを、背後からアゴンが受け止める。
支え方が丁寧すぎて、逆に腹が立つ。
「おや、司様」
アゴンがわざとらしく言った。
「立ち話が続いて、お疲れになられましたか?」
「お、お前ら……!」
司は恨み言を吐きかけたが、息が戻らず言葉にならない。
リヴィアは何事もなかった顔で、拳を戻している。
それどころか、多少ストレスのはけ口になれたのか、ややスッキリ顔をしていた。
(……ぐぅ……これ、絶対わざとだろ)
司がようやく呼吸を取り戻し始めた頃、エルネが肩を震わせた。
「……っ、はは……」
堪えきれない笑い。
「まったく、あんたら……」
エルネは目尻を拭うような仕草をし、やっと表情の険しさを少しだけ緩めた。
「いいさ。条件を出す」
司の背筋が反射で伸びる。
こういう時の「条件」は、だいたい重い。
「一つ」
エルネが指を立てる。
「運用試験としてカスケイドに搭載することは許す」
司の胸が、どくんと鳴った。
許す――という言い方がすでに、所有権がどちらにあるかを示している。
「その代わり、半月に一度。経過を記した詳細なレポートを上げること」
司は条件の重さを測ろうとしたが、レポートの“詳細”がどれほどか想像できず、曖昧に頷くしかなかった。
「問題ありませんわね。私、お婆様と違って期限を守るのは得意ですもの」
痛いところを突かれたらしいエルネの喉が一瞬鳴る。
「……ふ、二つ」
エルネが二本目の指を立てる。
「絶対に、修理不可能な段階まで破損させないこと」
その瞬間、リヴィアとアゴンが同時に、ほんの僅かに目を細めた。
言葉にはしない。
でも司には分かった――二人とも、直感で「絶対に無理だな」と思っている。
(なんでだよ……?)
司は心の中で反発した。
壊すわけない。
ちゃんと運用すれば、ちゃんと――
(いや、俺、壊してないよな? うん、壊してない。……たぶん)
自分で自分に言い聞かせながら、妙に自信が湧いてくるのが不思議だった。
司は頷いた。
「わかった。壊さない」
エルネは、三本目の指を立てる前に、司を睨みつけた。
「三つ」
声が低い。
「ミストラルを悲しませるようなことをしたら――ただじゃおかない」
司は反射的に「だから俺はジェネレーターだけでいいって――」と言いかけた。
その瞬間、再びみぞおちに衝撃。
「ぐふっ……!」
リヴィアの二発目。容赦がない。
司の言葉が喉の奥で潰れ、アゴンがまた丁寧に支える。
「Sir.司様、無理は禁物でございます」
(無理させてるの、お前らだろ……!!)
司が内心で叫んでいる間にも、ミストラルは終始にこにこしていた。
そして、司の前に一歩進み出る。
その笑顔は、さっきの“技師の顔”とは少し違う。
どこか楽しそうで、悪戯っぽい。
「では」
ミストラルは軽く首を傾げる。
「幾久しく――御厄介になりますわ」
言い方は丁寧で、礼儀正しい。
けれど、その響きは宣言に近い。
司は、ようやく息を整えながら、状況を理解し直すしかなかった。
(……え、待って)
(俺、ジェネレーター探しに来ただけなんだけど)
(なんで“育児”とか“嫁入り道具”とか、そういう話になってるんだ……?)
目の前で脈動するドラグーン級ジェネレーターが、淡い光で答えるように瞬いた気がした。
...ᛗᚨᚾᚾᚨᛉ ᛁᛚᛁᚾᛉ ᛞᚨᚷᚨᛉ ᚨᛚᚷᛁᛉ ᛏᛏᚱ...71%...ᚦᚱᚨᛋ ᚨᚾᛞ ᛊᚨᚾᛋ...
ジェネレーターガレージは、いつの間にか人の気配を失っていた。
天井に並ぶ照明はまだ点いているが、その光はどこか空虚で、先ほどまでの議論や視線の熱をもう映してはいない。整然と並ぶジェネレーター群は沈黙し、冷却装置の低い唸りだけが、広い空間を均等に満たしている。
その中央付近に、ガルドは立っていた。
腕を組み、足をわずかに開いたまま、微動だにしない。
いや――動かないのではない。
動けないのだ。
ガルドの背後から、足音が近づく。
エルネだった。
腰にはいつもの工具ポーチ、両手には年季の入った工具箱を抱えている。金属同士が触れ合う、かすかな音がする。
ガルドは何も言わない。
エルネも、何も言わない。
ただ、彼女は一瞬だけ立ち止まり、
――ガルドの足元を、ちらりと見た。
そして何事もなかったかのように、彼の横をすり抜け、制御盤へ向かう。
無言のまま、スイッチを落とす。
――パチ、パチ、と順番に。
照明が消えていくたび、ガレージは影を増やしていく。
最後の一灯が落ちた瞬間、空間は完全な暗闇に包まれた。
金属の輪郭も、床のラインも、すべてが溶ける。
残るのは、機械が完全に眠る前の、わずかな余熱と沈黙だけだ。
エルネの足音が、遠ざかる。
扉が閉まる音もしない。
ただ、気配だけが消えた。
――一人、残された。
真っ暗なガレージの中で、ガルドはようやく小さく息を吐いた。
「……動ける気配が、まったくせん……」
足先に、じん、と鈍い感覚が戻りかけては消える。
誰に言うでもない独り言は、広い空間に吸い込まれて、やはりどこにも届かない。
腕を組んだ姿勢のまま、ガルドは動かない。
否――動けないまま、威厳だけは保っている。
ジェネレーターガレージは、その情けない状況を知ってか知らずか、
完全な静寂を保ち続けていた。




