005-滝が大陸を断つ異世界《ラグラシア》_III
005-滝が大陸を断つ異世界_III
ガレージの天井クレーンが、低く唸りを上げていた。
白と青の正規機とは違い、司の《Cascade》は――いや、もはや《Cascade》と呼んでいいのかどうかも怪しい――金属の寄せ集めが、ワイヤーに吊られることで、ようやく「立っている」状態を保っている。
両脚は左右で長さが違い、膝関節の角度も揃っていない。
腰部フレームは明らかに過剰な補強がなされ、そのくせ上半身は軽量化のためか装甲が薄い。
全体を見渡せば、バランスという概念をどこかに置き忘れてきたような機体だった。
司は少し離れた位置から、その姿を見上げていた。
(……よく、立ってるな)
自分で組んだものだ。
だからこそ、そう思う。
そして、その機体の腹部あたりに半身を突っ込み、工具を握っているのがアゴンだった。
カチ、カチ、と金属音が鳴るたび、司の心臓も一拍遅れて跳ねる。
「Sir……」
アゴンの声は、いつになく慎重だった。
「率直に申し上げますと、これは整備というより――」
一瞬、言葉を選ぶ間。
「爆弾の信管を撫でている気分でございます」
司は、思わず苦笑した。
「そこまで言う?」
「Sir.むしろ、控えめな表現かと」
アゴンはフレームの一本から手を離し、別の箇所へ視線を移す。
「どこに触れても導火線に火が付きそうです。正直なところ、整備などせず、このまま放置しておく方が正解ではないか、とすら感じております」
「……それ、ひどくない?」
「Sir.事実ですので」
淡々と告げられ、司は反論できなかった。
すべて、自分がやったことだ。
規格無視。
強引な接続。
限界まで詰め込んだチューニング。
動けばいい、立てばいい、という一心で組み上げた結果が、今、目の前にある。
「でもね」
少し離れた位置で腕を組んでいたリヴィアが、口を開いた。
「それが爆弾だとしても、他に選択肢はないわ」
司とアゴン、二人の視線が向く。
「予備機体を用意できるほど、うちは裕福じゃない」
言い切りだった。
「だから、この機体で行く」
ガレージに、短い沈黙が落ちる。
司は、ゆっくりと息を吐いた。
(……まあ、そうだよな)
ここに来てから何度も思い知らされている。
この世界は、余裕のある場所じゃない。
「それで」
リヴィアは話を進める。
「現状、あなたの機体には武装がない」
「……はい」
「でも、最低限の命の保証はある」
司は眉をひそめる。
「……保証?」
「アリーナよ」
その一言で、司はすぐに理解した。
アゴンが補足する。
「Sir.アリーナ戦では、戦闘開始前に運営側から最低ラインの武装が配布されます。もちろん、個人で武装を持ち込むことも可能です」
「じゃあ……」
「Sir.ただし」
ぴたり、とアゴンが続ける。
「戦闘中に破損した機体、パーツについては一切の補償がありません。完全に自己責任となります」
司の視線が、クレーンに吊られた自機へ戻る。
(……壊れたら、終わりか)
「ただし」
今度はリヴィアが言った。
「運営から配布された最低ラインの武器については、破損や消費をしても修理費用は請求されない」
「……なるほど」
安全に稼ぐための仕組み。
危険を限定した戦場。
「だから、魔物と戦う前にアリーナに出る」
リヴィアの声は、冷静だった。
「基礎的な操縦技術を身につけて、資金を確保して、必要なパーツを買い足す」
司は、少し考え――そして、頷いた。
「……やるよ」
迷いはなかった。
ここで躊躇っても、何も変わらない。
「いい返事ね」
リヴィアは、わずかに口元を緩めた。
「じゃあ次に、アリーナ戦の基本ルールだけど――」
そこまで言いかけて、言葉が止まる。
司の顔を見て、察したのだ。
――まだ続くのか、という、露骨な表情。
アゴンも同じものを読み取ったらしい。
「Sir……」
二人は顔を見合わせ、
「「それは、また今度」」
声が重なった。
司は、ほっとしたように肩を落とす。
「じゃあ」
リヴィアが踵を返す。
「理屈は後。さっそく操縦訓練に入るわ」
クレーンに吊られた“爆弾”が、軋む音を立てた。
司は、その機体を見上げながら、小さく笑った。
(……いよいよだ!)
それでも。
胸の奥には、不思議な高揚が確かに芽生えていた。
◆
街を抜けると、風の匂いが変わった。
舗装路が荒れ始め、タイヤが小石を弾く音が増えていく。乾いた埃と、古い金属の匂いが混ざり合い、司は「外」に出たのだと実感した。
リヴィアのトラックは、大型輸送用の車両だった。
前方に人が運転するための運転席と助手席。
そのすぐ後ろに、《Cascade》一機をそのまま搭載できる専用スペース。
さらに後方に、資材運搬用の広い荷台。
その専用スペースには、白と青の《Cascade》――ミスト・シーカーが、ぴたりと固定されていた。
機体は完全に休止状態だが、装甲のラインや姿勢から、いつでも動き出せる緊張感が滲んでいる。専用設計の固定具が、無駄なく、しかし確実にその重量を受け止めていた。
そして――
さらに後方の荷台。
そこに、司の《Cascade》があった。
ワイヤーで何重にも吊られ、辛うじて立位を保った状態。
固定されているはずなのに、路面の凹凸を拾うたび、微かに金属が軋む音がする。
(……扱いの差、はっきりしてるな)
司は助手席から、振り返ってそれを見た。
リヴィアの機体は「運ばれる前提」で設計されている。
だが、自分の機体は違う。
あくまで“荷物”。
それも、壊れやすい、不安定な。
「揺れてる?」
ハンドルを握ったまま、リヴィアがちらりと聞いてくる。
「少し。でも……想定内、かな」
「ならいいわ」
短い返答。
そこに余計な感情はない。
しばらく走ったところで、リヴィアが口を開いた。
「アリーナ戦の話、もう少ししておくわね」
司は、自然と背筋を伸ばした。
「アリーナって言っても、特定のスタジアムで戦うことは稀よ」
「……え?」
「基本は、運営委員会が戦場を選ぶ」
リヴィアは前を見据えたまま続ける。
「こういう場所が選ばれることが多い」
窓の外に見えるのは、崩れかけたビル群。
かつて人が住んでいたであろう市街地の残骸。
割れた窓。
剥がれ落ちた外壁。
草がアスファルトを突き破っている。
「戦場に指定された地域は、事前に魔物の掃討が集中的に行われる」
「……安全なの?」
「“比較的”ね」
即答だった。
「少なくとも、アリーナ戦の最中に魔物が乱入することは、ほぼない」
司は、少しだけ息を吐いた。
「戦場は、一応半径十キロのドーム状エリアって決められてる」
「一応?」
「十キロのエリアは、攻撃可能圏内の話でそのエリア外に出たって特にペナルティがあるわけじゃないわ」
リヴィアは淡々と言う。
「じゃあ何のためにあるの?」
「魔物討伐だけじゃなく、アリーナにも金で雇われて参加する傭兵がいるのよ」
一拍。
「そんな奴らが、雇われた金よりも損害が上回りそうな場合は離脱する。……本当にいけ好かない連中よ」
リヴィアの表情には明確な嫌悪感が見て取れた。
「始末が悪いのは、自分が離脱した地点からなら戦場への復帰も許されること。戦況次第ではしれっと報酬を増やしに戻ってくるわ」
「……? それって何のためのルールなんだ?」
「……さっきも話したけれど、戦場となるエリアは“比較的”安全とはいえ、魔物が出る場合もある。そういった場合に備えて、戦場エリアからの離脱、復帰はダイバーの自由意思に委ねられているわ」
「最悪、一度エリア外に出た相手を放置していたら後ろからやられる可能性もあるってことね」
「理解が速くて助かるわ。一応それを防止するためにもエリア内から、外にいる相手を攻撃するのは状況次第で認められるから覚えておいて」
司は眉を寄せる。
「状況次第?」
「外に出た側の機体が重度損傷を受けていない場合は、復帰を阻止させる目的での攻撃は許されている。ただしこれも周辺に魔物の反応がある場合などは除外よ」
線引きは、明確だった。
命の保証。
そのための、ルール。
そのとき、耳元で通信音が鳴る。
『Sir.補足を行います』
ミスト・シーカーのOS――アゴンの声だった。
『戦場指定エリアにおいて、事前のトラップ設置は禁止されています』
「やっぱり」
『Sir.下見は、あくまでも地形把握、遮蔽物の確認、移動経路の検討に限定されます』
淡々とした声。
だが、無駄がない。
『規約違反が確認された場合、即時失格となりますのでご注意ください』
「了解」
司は短く答えた。
やがて、トラックは減速し、完全に停車した。
目の前に広がるのは、廃れたビルと民家が密集する一角。
人の気配はないが、生活の痕跡だけが色濃く残っている。
「ここよ」
リヴィアがシートベルトを外す。
次の瞬間、専用スペースに固定されていたミスト・シーカーが起動した。
白と青の機体がトラックから降り、荷台へ回り込む。
マニピュレーターが、司の《Cascade》を固定しているワイヤーを慎重に緩めていく。
金属音。
砂埃。
司の機体が、ゆっくりと地面に降ろされた。
(……ここが、最初の戦場か)
試乗。
訓練。
そして、初めての“戦場になる場所”。
廃墟の静けさの中で、司の心臓だけが、確かに速く脈打っていた。
◆
廃墟の空気は、街のそれとは別物だった。
風が抜けるたび、割れた窓枠が微かに鳴る。崩れかけた外壁の隙間から砂埃が舞い、乾いた鉄錆の匂いが鼻の奥に残った。かつて人が暮らしていたはずの市街地は、今では「戦いのための空間」として輪郭を変えている。
その中心に、司の《Cascade》が立っていた。
――いや。正確には、「立たされている」と言った方が近い。
左右で規格の違う脚部。継ぎはぎの装甲。関節の角度は、常にどこか無理を抱えている。立位の姿は辛うじて成立しているが、安定という言葉からは程遠い。わずかな風圧ですら転倒の引き金になり得る。
それでも司は、操縦席に乗り込んだ。
ミスト・シーカーのコクピットの中で、リヴィアはその様子を見下ろしていた。
モニターには、俯瞰映像。熱源表示。周辺の反応。戦場になる予定の半径域――まだ「下見」の段階だが、システムはすでに戦闘の目をしている。
リヴィアはシートに深く腰を沈め、肩の力を抜いた。
(……最初は、転ぶ)
それは予想でもあり、確認でもあった。
隣で、低い通信音がひとつ鳴る。
『Sir.リンク、安定。外部入力、受信可能です』
アゴンの声。ミスト・シーカーのOSとしての音色は、義体の時より僅かに無機質で、切れ味がある。言葉が余計な温度を帯びない分、状況を淡々と刻んでいく。
『司様。準備はよろしいでしょうか』
リヴィアは通信を開いたまま、視線だけを前に固定した。
廃墟の路面。割れたアスファルト。転がる瓦礫。かつて車が走った道は今、足場の罠として口を開けている。
その中で、司の機体が――動いた。
最初の一歩。
遅い。ぎこちない。関節が噛み合わない音が、距離があるのに聞こえてくる気がした。
そして。
――当然のように、倒れた。
土煙が上がる。装甲が擦れ、金属が鳴る。姿勢制御の補正は入らない。OSがない。誰も助けてくれない。
ミスト・シーカーのコクピットで、リヴィアはわずかに眉を動かした。
(……ほら)
だが、次の瞬間。
倒れた機体が、動いた。
司の《Cascade》が、マニピュレーターを地面に突き立てる。関節が悲鳴を上げるのが、映像越しでも分かる。無理な角度。無理な荷重。だが、司はそれでも押し上げた。
自力で。
ゆっくりと、体を起こし、膝を立て、立位へ戻る。
リヴィアは一瞬、呼吸を忘れた。
(……立つのか)
立つだけなら、まだ分かる。偶然の重心、偶然の地面。たまたまの角度。
だが、司はそこで止まらなかった。
二歩。
三歩。
前進。
そして――また倒れる。
倒れて、起きて、進んで、倒れる。
それを繰り返すたびに、司の動きは僅かに変わっていく。倒れ方が変わる。重心の戻し方が変わる。腕のつき方が変わる。次に立ち上がるまでの「間」が短くなる。
まるで。
その場で、学習しているみたいに。
いや、実際に学習しているのだろう。司の身体が、操縦の癖を修正していく。脳が、機体の不安定さを「体で理解」していく。
通信が入る。
『――Sir.確認します』
アゴンの声が、僅かに揺れた。機械の声が揺れるというのは、奇妙な表現だが、リヴィアにはそう聞こえた。
『司様の機体には、OSは搭載されておりませんよね?』
答えは聞くまでもないはずだ。だがアゴンは、あえて言葉にして確認した。
司の返答が返ってくる。荒い息が混じった声。
『……ない。俺が……組んだだけだ』
『Sir.――』
短い沈黙。
アゴンは、数値を見ているのだろう。入力波形。姿勢変化。転倒時の反応。通常ならOSが介入して平滑化する部分が、生身の入力だけで成立している。
そしてアゴンは、低く告げた。
『驚きました』
その一言が、リヴィアには重かった。
アゴンは滅多に驚かない。驚いても、言葉にしない。数値に落として、冷たく整理するタイプだ。
そのアゴンが「驚きました」と言った。
ミスト・シーカーのコクピットの中で、リヴィアは小さく息を吐いた。
(……私もだ)
司の機体は、また倒れた。
だが、倒れる位置が前より「悪くない」。地面の凹凸に足を取られた瞬間、完全に崩れる前に僅かに角度を逃がしている。意図的な受け身。あるいは反射。
起き上がる。
前進。
倒れる。
それでも距離は、伸びている。
最初は一歩で倒れたのに、今は三歩、四歩。倒れるまでの時間が延びている。歩行の線も、ほんの少しだけ真っ直ぐに近づいている。
『Sir.推測ですが――司様の突出した平衡感覚が主因です』
アゴンの声が、淡々と分析へ戻る。
『通常の人種であれば、あのような廃棄品の寄せ集めでは、立位保持すら困難です。まして歩行は――』
言葉を区切る。
『――不可能に近い』
リヴィアは、目を細めた。
ガルドも同じことを言っていた。正確には、罵声混じりで吐き捨てたが、本質は同じだ。「普通じゃない」と。
そしてリヴィアは、静かに頷いた。
「同意するわ」
声は小さい。誰に聞かせるでもない確認。
だが通信は開いている。アゴンには届くだろうし、司にも届いてしまうかもしれない。
リヴィアは少しだけ言葉を選んで続けた。
「……あなたのそれは、才能よ。悪い意味じゃない」
少し間。
司の返事が返ってくる。息が乱れているのに、声だけは妙に明るい。
『……今さら?』
その返しに、リヴィアは口元だけで笑った。
(可愛くない)
だが、嫌いではない。
司の機体がまた転び、また起き上がる。
膝が地面を削り、装甲が擦れている。関節部から異音が混じる。明らかに負荷がかかり過ぎている。これを繰り返せば、どこかが折れる。どこかが外れる。どこかが壊れる。
――それでも。
司は止めない。
止められないのだろう。体が、次の一歩を求めてしまう。頭が、理解したくて仕方がない。転ぶことでしか掴めない感覚があると知ってしまっている。
リヴィアはその姿を見つめながら、胸の奥で小さく舌打ちした。
(……爆弾ね、本当に)
アゴンが言った言葉が蘇る。「爆弾の整備をしている気分になります」と。
爆弾。
起爆装置は、司の好奇心だ。
そして導火線は――
今、まさに燃えている。
『Sir.司様』
アゴンの声が入る。今度は分析ではなく、注意喚起に近い。
『歩行距離が伸びていることは事実ですが、現時点の負荷は許容値を超えています。関節部の損耗が――』
『……分かってる。でも、もう少し』
司の声。
その「もう少し」が危険だと、リヴィアは知っている。
才能がある者ほど、自分の限界を誤認する。できてしまうから、やってしまう。壊れるまで止まらない。
リヴィアは、短く言った。
「司。五回」
『……え?』
「倒れて起き上がるの、あと五回。そこまでで止める」
『……いや、でも』
「命令よ」
即答。迷いはない。
司は一拍置いて、渋々返す。
『……了解』
その返事に、リヴィアは少しだけ肩の力を抜いた。
司の機体がまた進み、倒れ、起き上がる。
三回。
四回。
四回目の転倒から立ち上がった瞬間、司の《Cascade》は、ほんの僅かだが「まっすぐ」前を向いた。
それは偶然かもしれない。
だが、リヴィアには――進化に見えた。
ミスト・シーカーのコクピットで、リヴィアは静かに呟く。
「……明日が怖いわね」
『Sir.同感です』
アゴンが淡々と返す。
怖い。
だが同時に、期待もある。
爆弾であるなら。
上手く扱えば、武器になる。
リヴィアは司の機体を見つめたまま、目を細めた。
廃墟の風が吹き、砂埃が舞う。
その中で、寄せ集めの機体と、寄せ集めではない才能が――確かに歩き始め――やがて五回目の転倒を迎えた。
最後の転倒は、これまでで一番ひどかった。
司の《Cascade》は瓦礫を巻き込みながら前のめりに崩れ、装甲が擦れる乾いた音が廃墟に響いた。金属と砂埃が舞い、視界が一瞬だけ白む。
だが――
機体は、立ち上がった。
無理やり姿勢を戻し、歪んだ脚部で踏ん張る。その動きは明らかに限界を超えていたが、それでも倒れなかった。
リヴィアはミスト・シーカーのコクピット内で、思わず息を止めていた。
(……まだ、立つの?)
人の操作だけで。
OS補助なしで。
寄せ集めの廃棄品で。
信じ難い光景だった。
だが次の瞬間、その違和感は“異変”として形になる。
司の《Cascade》左脚部。
膝関節の奥、強引につなぎ合わせた駆動部の隙間から、細い煙が立ち上った。
白い煙。
遅れて、焼けた油と金属の匂い。
「……っ」
リヴィアは即座に反応した。
「司、そこで止まりなさい!」
『……了解』
返答は短い。
だが、機体はもう踏ん張れなかった。
左脚がわずかに沈み込み、全体のバランスが前へ崩れ始める。
次の瞬間、ミスト・シーカーが動いた。
白と青の機体が跳ねるように前進し、司の《Cascade》の側面へ回り込む。精密なマニピュレーターが、迷いなく胴体と肩部を支えた。
だが、重い。
操縦者を失い、脱力しきった機体の全重量が、ミスト・シーカーにのしかかる。
(……長くは無理ね)
「一旦、降りて。脚部を直接確認するわ」
『わかった』
操縦席のハッチが開き、司が機体から降りる。
地面に足をついた瞬間、身体が僅かに揺れたが、彼は倒れなかった。
それを確認してから、リヴィアは操縦入力を切り替える。
「……横にするしかないわね」
ミスト・シーカーは、司の《Cascade》をゆっくりと傾けた。
衝撃を最小限に抑え、無理な力がかからない角度を選びながら。
精密性を重視した軽装機であるミスト・シーカーに、これ以上支え続ける余裕はない。
やがて、司の機体は静かに地面へ横たわった。
左脚部から上がる煙は、まだ細く続いている。
リヴィアは、コクピット内でその光景を見つめたまま、しばらく言葉を失っていた。
(……改めて、異常ね)
人の力だけで、この機体を歩かせていた。
崩れかけるバランスを、その都度“感覚”で補正して。
普通なら、立たせることすらできない。
その評価は、ガルドのものと完全に一致していた。
『Sir……』
通信に、アゴンの声が入る。
『改めて確認しましたが、やはり司様はOS補助なしで機体を制御しています。歩行距離が少しずつですが、確実に伸びています』
リヴィアは、ゆっくりと息を吐いた。
「ええ……信じられないけど、事実ね」
『主因は、司様の突出した平衡感覚です。通常の人間であれば、あの廃棄品構成では立位保持すら困難でしょう』
「ガルドと同じ結論ね」
リヴィアの視線は、横たわる司の《Cascade》から離れない。
そのとき、ふと脳裏に引っかかるものがあった。
(……そうだ)
「アゴン。ガルドから受け取ったOSの解析は、どこまで進んでる?」
『Sir.現在、当該OSの約八割に強固なプロテクトが施されており、解除作業中です』
「……八割?」
思わず、眉が寄る。
「そんなに? それだけ守ってるってことは、何か相当な性能が――」
『Sir.その可能性は低いと判断しています』
即答だった。
『仮にプロテクトを解除しても、現状のOSで可能なのは最低限の操縦伝達のみです。姿勢制御、補正演算、戦闘補助などの機能は確認されていません』
リヴィアは、思わず乾いた笑いを漏らした。
「八割もプロテクトをかけておいて、中身はほぼ空……?」
『Sir.制作者による悪戯、あるいは意図的な撹乱要素である可能性が高いかと』
「性格、悪いわね」
横たわる機体。
煙を上げた左脚部。
そして、司という操縦者。
(……余計なものはいらない)
「そのプロテクト部分、削除できる?」
『Sir.可能ではありますが、どのみち一度プロテクトを解除しないことは削除も行えません』
「プロテクトを解除でき次第、削除しましょう」
判断は早かった。
「使えないものに、期待を持たせる必要はないわ」
『Sir.了解致しました』
通信が静かに閉じる。
廃墟に風が吹き、左脚部から立ち上っていた煙が、ゆっくりと薄れていった。
リヴィアは、操縦桿に手を置いたまま、横たわる機体と、その操縦者を見下ろす。
(……本当に、とんでもない素材を拾ったわね)
危うい。
だが――
それ以上に、可能性がありすぎる。
リヴィアは、誰にも聞こえない声で小さく呟いた。
「……次は、壊さないようにやりましょうか」
それは警告であり、同時に――
確かな期待でもあった。
◆
左脚部から上がっていた煙がようやく薄れ、廃墟の風に溶けて消えていく。
司は瓦礫の縁に腰を下ろし、手のひらを開いたり閉じたりしていた。機体を操作していたはずなのに、指先がまだ操縦桿の感触を覚えている。熱と緊張が残って、身体だけが先に落ち着けと言われているみたいだった。
少し離れた場所では、義体のアゴンが司の《Cascade》の左脚部に取りついている。工具の音が一定のリズムで鳴り、外装板が外され、内部のケーブルが露出し、焼けた匂いが風に流されていく。
――修理、というより、延命だ。
それを分かっているから、司は視線をそらせない。自分が“歩かせた”せいで壊れかけている。その事実が、じわじわと胸を締めつけた。
そこへ、リヴィアが隣に来て、同じように瓦礫に腰を下ろした。
彼女は喋らない。ただ、遠くのビル群の間を走る風を見ている。戦場になるはずの区域は静かで、人の気配も魔物の気配もない。静けさのほうが、かえって怖い場所だ。
沈黙が数拍続いた後、リヴィアが横目だけで司を見た。
「……で」
声はいつも通り短い。
「戦闘ではどんな武装が使いたいの?」
その質問は軽かった。雑談みたいに投げられたのに、司の中では急に現実味が増した。武装。戦闘。アリーナ。勝ち負け。
司は考えるより先に答えていた。
「軽くて、装弾数が多くて……」
自分の口が滑らかに動くのが分かる。頭の中で条件が並ぶ。強い武器の条件じゃない。生き残るための条件だ。
「小さくて硬い、投げてもいいし、その武器で殴っても壊れない、あとは安価ってのが条件かな」
言い終えた瞬間、隣の空気が変わった。
リヴィアの額に、薄く血管が浮いた。
(……あ)
司は遅れて気づく。今の言い方、相当ひどい。武器を“消耗品”として扱う前提になってる。というか、自分が武器をまともに扱う気がないみたいだ。
「……司」
名前を呼ばれただけなのに、背筋が凍った。
「はい」
返事の時点で弱い。自覚がある。
次の瞬間、頬がつねられた。
「いだっ……!」
力は容赦がない。指先が鋭い。怒ってるときのリヴィアは無駄がない。
「戦闘になったら石でも拾って投げてなさい」
「それ最初から武器いらないじゃん」
「そうね」
即答。
頬を解放された司は、揉みながら小さく息を吐いた。痛みより、恥ずかしさのほうが残る。自分は“戦う”って言ったはずなのに、口から出たのは“壊れない投げ道具”の話だった。
「……結局、アリーナの運営が貸与する武器群を見て決めるわ。余計なこだわりは捨てなさい」
「は、はい」
素直に従うしかない。
少し間が空く。風が吹き、砂埃が舞い、遠くで金属板がどこかに当たって鳴った。廃墟の音はいつも遅れて響く。人の声が少ないから余計に目立つ。
リヴィアが、今度は少しだけ声の温度を落として言った。
「……本当はね。最低限の武装くらい、買い与えるつもりだった」
司は反射的に首を振った。
「いらないよ」
自分でも驚くくらいはっきり言えた。武装に金を使うなら、その金は他に回すべきだと、身体が知っている。
リヴィアは眉をひそめる。
「なんで」
短い問い。
詰問じゃない。確認だ。
司は一瞬だけ言葉を探し、そして正直に言った。
「いい武装持ってても、俺……照準合わせる技能も経験もない。撃って当てる前に、自分が倒れる」
口にして、胸の奥が少し痛む。認めたくない弱さを、あっさり言語化してしまった感じがした。
「……その代わり、欲しいものがある」
リヴィアが目だけで促す。
「ジェネレーター」
司は言った。
「ジェネレーターだけは、良いのを積みたい」
リヴィアは、呆れたように息を吐く気配を見せた。だが、まだ遮らない。続きを待っている。
司は自分の中の“謎理論”をそのまま投げた。
「たとえ戦場で倒れても、ブースターふかして突進くらいはできる。武装が当てられなくても、突っ込んで押し倒せれば……」
言いながら、司は自分で「何言ってんだ」と思う。けれど、言葉は止まらない。これが自分の生存戦略なのだから。
「……意味があるのは重量級とか、装甲が厚い機体よ」
リヴィアの声が、半歩引いた冷静さを帯びる。
「軽装機がそれやったら、先に壊れる」
「うん、だから――」
言いかけて、司は言葉を止めた。
リヴィアの視線が、ふっと司の機体へ向いたからだ。
修理中の《Cascade》。
つぎはぎ。
左右非対称。
規格もバラバラ。
なのに。
確かに、“廃棄品になる前のパーツとしては装甲が厚い部類にはいる”。
ほとんど欠けたりひび割れたりはしているが、外装の一枚一枚が分厚い。軽装機の薄い板とは違う、鈍い存在感がある。廃棄品の寄せ集めなのに、装甲だけは妙に“重く厚い”。
リヴィアは、その事実に気づいた瞬間、表情が少しだけ変わった。
「……司。これ」
声が低い。
「どの部位も、同じ企業のパーツじゃない。でも――」
司は、頷いた。
「うん」
答えるのは、少しだけ怖かった。見透かされた気がしたからだ。
「共通点、あるだろ」
リヴィアが言う。
「……全部、“装甲が厚い”ものを選んでたのね」
司は息を吐いて、観念した。
「最初からそれ狙ってた」
リヴィアが、わずかに目を細めた。
司は続ける。
「《Falls》でもそうだった。装甲が分厚いパーツは、多少被弾しても影響が少ない。反面、精密な動作は苦手だ」
司は自分の機体を見た。正規の美しさはない。けれど、寄せ集めの中に一つだけ、一本筋が通っている。
「で、この機体はさ……どんなに精密性を求めても、たかが知れてる。なんたって、廃棄品をくっ付けただけだから」
声が乾く。言い訳みたいに聞こえそうで嫌だった。
「だったら、あえて“廃品になる前は重装甲で稼働してたパーツ”を拾って組むほうが、まだ意味があると思った」
リヴィアは、しばらく黙った。
司はその沈黙が怖くて、つい言葉を付け足しそうになる。だが、付け足したら負けだと感じた。これは自分の選択だ。誤魔化していい話じゃない。
そのとき、工具の音が一瞬止まり、アゴンの義体が顔を上げた。
こちらを見て――ほんの小さく、微笑む。
ふふ、と。
声にならない程度に。
そして何事もなかったように、修理を再開した。
司はその様子を見て、胸の奥が少し軽くなった。肯定されたわけじゃない。けれど、「理解はした」と言われた気がした。
リヴィアが、ゆっくりと息を吐く。
「……少しは理解できたと思ってた」
自嘲気味な声。
「でも、まだ甘かったわね」
司は苦笑した。
「俺も、自分がここまで変な理屈で動いてるって、喋ってて思った」
「変、じゃない」
リヴィアは即座に否定し、ただし、と続けた。
「危ない」
「それは……はい」
二人の間に、短い静けさが落ちる。
遠くの廃墟の窓が風で鳴り、司の機体の装甲板がアゴンの手元で小さく揺れた。修理は続いている。次の訓練も、次の戦場も、止まらない。
司は自分の掌を見た。
武装がなくても、戦う。
当てられなくても、突っ込む。
倒れても、起きる。
そんな発想が、自分の中で“当たり前”になってしまっている。
(……たぶん、これが俺のやり方だ)
そう思った瞬間、背中が少しだけ冷えた。
けれど、ここで止まれない理由も、司にはもう出来始めていた。
廃墟の風が、少し強くなる。
アゴンの工具音が、一定のリズムを刻む。
司は、目を細めて空を見上げた。
滝は見えない。けれど、この世界の気配は、確かにそこにある。
そして――
司の知らないところで、カウントダウンは静かに進んでいく。
...ᛗᚨᚾᚾᚨᛉ ᛁᛚᛁᚾᛉ ᛞᚨᚷᚨᛉ ᚨᛚᚷᛁᛉ ᛏᛏᚱ... 2%




