004-滝が大陸を断つ異世界《ラグラシア》_II
004-滝が大陸を断つ異世界_II
目を覚ました瞬間、司は自分が「部屋」にいないことを理解した。
天井はなく、代わりに視界の上方を覆っているのは、簡易テント用の厚手の生地だった。骨組みに引っかけられただけのそれは、風が吹けば揺れそうなほど心許ない。身体の下にあるのはベッドではなく、くたびれたソファ。沈み込み方からして、長く使われてきたものだろう。
(……簡素すぎないか)
起き上がると、ソファの軋む音がやけに大きく響いた。周囲を見渡しても、私物らしいものは何もない。寝かされていた、というより、置かれていたに近い。
司は無意識に息を整え、テント生地の仕切りに手を伸ばした。
ばさり、と布をめくる。
――視界が、開けた。
そこにあったのは、昼間に見たままの姿勢で佇む白と青の《Cascade》だった。
片膝を立て、しゃがんだ姿勢のまま、微動だにしていない。関節も、装甲も、影の落ち方すら変わっていない。その静止は、休止というより、待機に近かった。
(……動いてない、よな)
なのに、妙な圧がある。
司はゆっくりと歩み寄り、機体の正面に立って見上げた。
ガルドのパーツショップで見た正規品の《Cascade》は、どれも「量産」の匂いがあった。用途に応じて整えられ、無駄を削ぎ落としつつも、どこか安全圏を外さない設計。
だが、この機体は違う。
装甲の厚み。
関節の配置。
推進器の向き。
すべてが、「生き残る」よりも「倒す」ことに寄せられている。
(……戦闘用、だ)
曖昧さがない。
逃げ道を考えていない構成。
司はしばらく、無言で装甲の継ぎ目や可動域を目で追った。触れはしない。ただ、見る。理解しようとする。
そのときだった。
低く、機械的な駆動音が、空間に走った。
「……っ!?」
反射的に一歩下がる。
《Cascade》が、動いた。
わずかに姿勢を調整し、頭部が――こちらを向く。
司が慌てて正面へ回り込んだ瞬間、機体の内部から声が響いた。
『Sir.お目覚めになられましたか。どこかお身体に御変わりはございませんか?』
スピーカー越しの声。
聞き覚えがある。
「……アゴン、さん?」
思わず問い返す。
「え、操縦してるんですか? 中に……?」
数秒の沈黙。
その沈黙が、司には「処理中」に見えた。
『Sir……なるほど。そう受け取られるのも無理はございません』
少し間を置いて、アゴンは続けた。
『私はこのMasterの《Cascade》、ミスト・シーカーのOSです。人格を有しており、通常は義体を用いて外部行動を行っております』
機体の腕が上がる。
その指先――マニュピレーターが、ガレージの一角を指し示した。
そこには、収納ポッドがあり、その中に昼間、司と話していたアゴンの義体が静かに横たわっている。
『あちらが、私の義体です。意識は必要に応じて移行可能となっております』
「……なるほど」
司は、ようやく状況を飲み込んだ。
『この機体経由での操作では、自己整備も行えませんし、ティータイムを楽しむことも出来ませんので』
少しだけ、声音が柔らぐ。
『義体がない状態は、私にとってかなり不便なのです』
(ティータイム……)
突っ込むべきか一瞬迷ったが、その前に司は自分の身体に違和感を覚えた。
少し、寒い。
そして――はっきりとした尿意。
「……あの、すみません」
司は気まずそうに頭を掻いた。
「トイレって、どこでしょう」
『Sir……』
一拍。
『これは失礼致しました。その点の説明が抜けておりました』
ミスト・シーカーの指が、再び動く。
今度はガレージ奥の通路を指し示した。
『こちらの通路を進み、突き当りを左です』
「助かります。ありがとうございます」
司は軽く会釈し、振り返る。
「戻ってきたら、OSの話、もっと聞かせてください」
『Sir.承知致しました』
そのまま司の背が通路の奥へ消えていく。
完全に姿が見えなくなってから、アゴンは一度、沈黙した。
『……』
そして、小さく付け加える。
『Sir.これは、うっかりしておりました』
ミスト・シーカーのマニュピレーターが、静かに回転する。
――百八十度。
『私から見て、左でした』
指し示されているのは、先ほどとは逆方向。
ガレージには、再び静寂が戻った。
◆
通路を進み、突き当たりを――左。
アゴンの指示を疑う余地はなかった。あの声音はいつも正確で、理路整然としていて、少なくとも「人を陥れる」類のものではない、と司は無意識に思い込んでいた。
だから、ドアの前に立った時も深く考えず、むしろ自分を感知して自動で開くドアに、感心したくらいだった。
――瞬間、視界に飛び込んできたのは、白だった。
いや、正確には白だけではない。
湯気を含んだ空気。
濡れた床。
そして――
「……っ」
司は、完全に言葉を失った。
そこはトイレではなかった。
どう見ても、脱衣場だった。
棚にはタオル。
壁際には着替え。
床には、まだ湿った足拭きマット。
そして、その中心。
バスタオルを一枚、身体に巻いたリヴィアが立っていた。
頬はほんのり赤く、湯上がり特有の熱がまだ残っている。
濡れた赤茶色の髪を片手で持ち、もう片方の手でドライヤーを当てていたらしい。風の音が、司に反応して開いたドアの拍子に止まった。
数秒。
互いに、完全に固まる。
司はようやく理解した。
(……やられた)
アゴンだ。
完全に、意図的だ。
リヴィアの表情が、ゆっくりと変わる。
驚き。
理解。
そして――羞恥。
だが、それは一瞬だけだった。
次の瞬間、彼女の口元に浮かんだのは、今まで見たことのない笑顔。
柔らかい。
優しそう。
けれど。
――目が、笑っていない。
「……何か」
低く、静かな声。
「言い残すことは、あるか?」
司の背筋を、冷たいものが走った。
(……あ、これ、駄目なやつだ)
今までのやり取り。
ここまでの信頼。
すべてが、この一瞬で崩れ去る未来が、鮮明に見えた。
言い訳は通じない。
偶然も、説明も、意味をなさない。
司は悟った。
諦めたように、ゆっくりと息を吐く。
そして、観念した声で口にした。
「……アゴンさんに、騙されました」
――ぱぁん。
乾いた音が、脱衣場に響いた。
視界が揺れ、頬が一瞬遅れて熱を持つ。
平手打ちだった。
力は、容赦なかった。
「言い訳としては、最低ね」
その一言で、すべてが終わった。
◆
数分後。
ガレージの中央で、司は正座をしていた。
正確には、正座をさせられていた。
向かいには、同じく正座をしている存在が一つ。
――アゴンだ。
執事服姿のまま、背筋を不自然なほど真っ直ぐに伸ばし、
人間と寸分違わぬ所作で膝を折り、正座している。
その様子はあまりに模範的で、逆に状況の異様さを際立たせていた。
視線は伏せられ、両手は腿の上。
逃げ場も、言い訳もない――完全な「叱られ待ち」の姿勢。
そして、その前。
バスタオルを巻いたままのリヴィアが、腕を組んで立っていた。
「そもそもね」
低い声で、ゆっくりと。
「説明が抜けていたとか、うっかりとか、そういう問題じゃないのよ」
司は、床を見つめたまま、ひたすら耐えていた。
「新入りを案内するなら、生活導線を確認するのが普通でしょう?」
「Sir……返す言葉もございません。――ですがMaster。古い記録によれば男同士が交わす会話など、この程度のレベルだという情報が……」
「知らないわよ」
ぴしゃり。
司は、内心で思った。
(……これ、長引くな)
案の定、説教は終わらない。
アゴンの論理的な謝罪とみせかけた下世話な好奇心。
リヴィアの感情的な指摘。
その間で、ただ正座を続ける司。
時間の感覚が、完全に消えかけた頃。
ガレージの奥から、控えめなモーター音が聞こえた。
規則正しい、低い駆動音。
三人の視線が、そちらへ向く。
自走式の車いすに乗ったネイラが、ゆっくりと姿を現した。
片目だけ、ほんの少し開けて。
状況を確認するように、首を傾ける。
正座する司とアゴン。
バスタオル姿で仁王立ちの姉。
そして――
ネイラは、くすりと微笑んだ。
楽しそうに。
どこか、すべてを分かっているように。
「……ふふ」
その小さな笑みが、ガレージの空気をほんの少しだけ和らげた。
◆
朝だった。
正確には、朝“らしい”時間だった。
ガレージに設置された照明が段階的に明るさを変え、外光を模した白い光が床を照らしている。その変化で、ようやく夜が明けたのだと分かる。
司は――動けなかった。
正座のまま、一晩。
足の感覚はとうに消え、立ち上がろうとした瞬間、関節という関節が悲鳴を上げた。
「っ……!」
膝が、笑う。
生まれたての小鹿、という表現がこれほど的確だと感じたことはない。力を入れているはずなのに、脚が自分のものじゃない。視界が一瞬揺れ、司は慌てて近くの作業台に手をついた。
(……やば。これ、完全にやったな)
床に倒れなかっただけ、まだマシだと思うことにする。
そんな司の横を、まるで何事もなかったかのように一人の男が通り過ぎた。
「Sir.おはようございます、司様」
執事服姿のアゴンだった。
歩調は一定。
姿勢は完璧。
昨日と何一つ変わらない。
義体の関節が軋む様子もなく、階段を下りるような自然さで移動し、いつもの位置に立つ。
――理不尽だ。
司の中で、ほんのりとした怒りが芽生えた。
(……なんで、平然としてるんだよ)
一晩正座。
同じ条件。
なのにこの差。
思わず睨みつけると、アゴンは一瞬だけ首を傾げた。
「Sir.表情から推測するに、下肢の痺れと筋肉疲労が主因かと存じます」
「……分かってて言ってるだろ」
「Sir.」
即答だった。
司の怒りが、ほんの一段階だけ上がる。
だが、その次の言葉で――すべて霧散した。
「さて。本日より、司様には《Cascade》に関する基礎知識、ならびに滝が大陸を断つ異世界の世界構造について、順を追ってレクチャーを開始致します」
司の思考が、ぴたりと止まる。
そして次の瞬間。
「……え?」
怒りは、消えた。
完全に。
跡形もなく。
目が、わずかに見開く。
口元が、緩む。
(……マジで?)
その変化は、あまりにも分かりやすかった。
アゴンは一瞬だけ司を観察し、内部で何かを確定させたらしい。
「Sir.――やはり、扱いやすいお方です」
「今、何か失礼なこと言った?」
「Sir.いえ、評価です」
司は反論しかけて、やめた。
今は、それどころじゃない。
そこへ、足音が一つ。
「じゃあ、私は少し出てくるわ」
リヴィアだった。
軽装に身を包み、いつもの戦う姿とは違う、街へ出るための服装だ。
「今日一日で、全体的な説明を受けて。明日からは、実際に《Cascade》に乗るわ」
「……明日から?」
「ええ」
即答。
司は、ごくりと喉を鳴らした。
リヴィアはそれだけ告げると、玄関へ向かう。
その背中を見送りながら、司はふと考えた。
(……一人で外出、か)
女性が単独で街へ出られるほど、治安がいい世界なのだろうか。
だが、その考えはすぐに否定される。
脳裏に浮かんだのは、ガルドのパーツショップで見た、損傷だらけの《Cascade》。
爪痕。
牙。
溶けた装甲。
(……甘いな)
司は、小さく頭を振った。
その様子を、アゴンは見逃さなかった。
「Sir.少々、説明の順序を変更致します」
司が顔を上げる。
「最初は、魔物種についての説明から参りましょう。司様が最も疑問に思われている点ですので」
まるで心を読んだかのような言葉だった。
「……それ、助かる」
「Sir.効率を優先した判断です」
そのとき。
「――あの」
控えめな声が、ガレージに響いた。
自走式の車いすに乗ったネイラが、入口に立っていた。
いつものように、目は閉じられている。
けれど、表情は穏やかだった。
「よろしければわたしも、お話を聞いても良いですか?」
アゴンは一瞬考え、すぐに頷く。
「Sir.もちろんです、ネイラ様」
司は、思わず息を吐いた。
こうして。
奇妙で、危険で、それでもどこか温度のある場所で。
司の“授業”は、静かに始まった。
アゴンは一度その場を離れ、ほどなくして戻ってきた。
銀色のトレイ。
揺れ一つなく運ばれるティーカップが三つ。
湯気は控えめで、香りだけが先に広がる。
どこか落ち着いた、少し甘みのある紅茶だった。
「Sir.長時間の説明となりますので、どうぞ」
司の前と、ネイラの前に一つずつ。
最後の一杯は、アゴン自身のため――ではなく、テーブルの端に置かれた。
義体の彼は、飲まない。
それでも「場」を整えるために用意するあたりが、いかにも執事らしいと司は思った。
司は恐る恐る一口含む。
「……美味しい」
「Sir.ありがとうございます。ネイラ様の好みに合わせております」
ネイラは小さく微笑んだ。
「香りで分かります。今日は少し、甘めですね」
「Sir.」
そのやり取りを確認してから、アゴンは本題に入った。
「では、滝が大陸を断つ異世界における種の分類について説明致します」
言葉の切り替え。
空気が、すっと引き締まる。
「今現在この世界には、大きく分けて四つの種が根付いています」
アゴンは、指を一本立てる。
「人種」
二本目。
「機人種」
三本目。
「動植物種」
四本目。
「魔物種」
司は、頭の中で整理するように頷いた。
「まず人種ですが、これは姿形に差異があっても、言語を用い、社会を形成する生命体を指します」
リヴィア。
ガルド。
ネイラ。
司が“エルフ”や“ドワーフ”と勝手に呼んでいた存在が、ここに含まれるのだろう。
「次に機人種」
アゴンは、自分自身を指さした。
「私のように、人種を模して設計された人格保持型の存在です。OSに人格を持たせた個体、あるいはAIを基に発展した存在が該当します」
司は思わずアゴンを見る。
彼は、間違いなく“人”と会話している感覚だったし、だからこそ昨夜ミスト・シーカーからアゴンの声が聞こえたときは驚いた。
「三つ目、動植物種は読んで字のごとく。人種、機人種以外の生命体を指します」
ネイラが、静かに頷いた。
「最後が、魔物種です」
アゴンの声音が、わずかに低くなる。
「魔物種とは、体内に魔石を有する生命体です」
司の眉が、わずかに動いた。
「魔石……?」
「Sir.魔石は彼らにとっての心臓、いわばコアです。頭や四肢を破壊しても、魔石が残っている限り再生し、再度襲ってきます。したがって、司様が戦場に出ることがあれば、これを破壊するまで決して油断してはなりません」
アゴンは決して司を怖がらせるために言っているのではなく、本心から案じての言葉であるがゆえに重みがあった。
「また、魔物種は視界に入った人種、機人種、動植物種――それらすべてに対して、明確な破壊衝動を示します」
一拍。
「それらに加えて、《Cascade》を含む機械類にも同様です」
司の背筋が、じわりと冷えた。
ガルドの店で見た損傷機体が、はっきりと思い出される。
「そのため、街の外ではダイバーと呼ばれる《Cascade》搭乗者が、魔物種の討伐を行います。街の防衛だけでなく、資源の回収にでる者たちや、街から街への移動に使われるキャラバンの護衛なども行っています」
――リヴィア。
司は、無意識に玄関の方を見た。
「基本的に、街の内部は安全です。ただし外縁部では、時折被害報告が上がります」
ネイラが、少しだけ指先を握る。
目を閉じたままでも、その緊張は伝わってきた。
「Master――リヴィア様の主な仕事は、この魔物種の討伐です」
司は、静かに息を吐いた。
「……やっぱり、危ない仕事なんだな」
「Sir.」
即答。
「なお、リヴィア様はアリーナにも登録されています」
「アリーナ?」
「Sir.《Cascade》同士が戦う、闘技場です」
司の興味が、わずかに傾く。
「基本は二対二のデュオ戦からとなっており、一対一の戦闘はありません」
ネイラが、穏やかに補足する。
「お姉様は……一度も、出たことがありません」
「Sir.その通りです」
アゴンは続けた。
「補足としましてはアリーナでは、ダイバーに対する明確な殺害行為は禁止されています」
「……でも」
司が、口を挟む。
「事故、は?」
「Sir.過去には存在します」
司の喉が鳴る。
「ただし」
アゴンは、淡々と告げた。
「公式戦において、死亡記録は過去一度もございません」
建前と、現実。
その境目が、司にも分かった。
「なお、アリーナ戦は褒賞金に加え、公式運営の賭博対象でもあります」
「賭博……」
「Sir.勝利した側には、配当金も支払われます」
司は、ゆっくりと理解した。
街の外で命を賭けるか。
街の中で、保証された危険を選ぶか。
「そのため、多くのダイバーはアリーナを選びます」
アゴンの声は、事実だけを並べていた。
司は、紅茶をもう一口飲んだ。
少し、冷めている。
それでも、苦味はなかった。
「……この世界」
ぽつりと、司は呟いた。
「思ってたより、ちゃんと“生きてる”な」
ネイラが、静かに微笑む。
「はい。だからこそ……守る人も、戦う人も、必要なんです」
アゴンは、静かに頷いた。
授業は、まだ続く。
だが司は、この世界の輪郭を――確かに掴み始めていた。
◆
酒場の扉を押し開けた瞬間、空気が変わった。
重たい木の匂い。
汗と酒と、鉄の気配が混ざった、慣れ親しんだ空気。
――ダイバーの溜まり場。
昼間の街とは違う、夜の顔。
ここに集まるのは、命を担保に生きている連中ばかりだ。
リヴィアが一歩足を踏み入れた途端、あちこちから口笛が鳴った。
「おい、来たぞ」
「リコだ」
「今日も無事に生き延びてるらしいな」
声は小さい。
だが、隠す気もない。
年若い女ダイバー。
それでいて、実績は折り紙付き。
好奇と羨望と、少しの嫉妬。
その全部が、ひそひそと囁かれる名前に混じっていた。
(……相変わらずね)
リヴィアは気に留めず、カウンターへ向かう。
その途中で――
「リヴィア」
低く、よく通る声。
呼ばれて、足を止めた。
振り返ると、そこにいたのは大柄な男だった。
分厚い肩。
幾度も修羅場を潜り抜けた体躯。
グスタフ。
彼女の知る限り、最も優れた“運び屋”。
単独ではなく、トライブと呼ばれる集団を率い、数と質で勝負する男。
ルミナルだけでなく、滝を迂回し片道数か月かかった先にある、東国ノクタルの事情にも精通している。
「久しぶりだな」
「ええ。生きてた?」
「それはこっちの台詞だ」
短いやり取り。
だが、互いに無事を確認するには十分だった。
リヴィアは、カウンターに二杯分の酒を頼む。
「今日は私が出すわ」
グスタフの眉が、少しだけ上がった。
「珍しいな」
「聞きたことがあるのよ。……最近、ルミナルに見かけないダイバーが増えた気がするの」
その一言で、彼は察したらしい。
杯を受け取り、喉を鳴らした。
そして――話し始める。
「……関係があるとしたら、ノクタルの件だろうな」
その言葉に、リヴィアは指先を止めた。
「東国ノクタルのことよね? なんの関係があるの?」
「……ここ最近、ノクタルで魔物が急に姿を見せなくなった」
グスタフは続ける。
森にも。
荒野にも。
滝の外縁部にも。
――いない。
「それを好機と見た連中がな、遠出して資源を回収しに行ってる。キャラバンも増えた。それに故に、アリーナではなく魔物討伐を主な仕事としていたダイバーが街を離れて行ってる」
「……大丈夫なの?」
リヴィアは、嫌な予感を拭えなかった。
「その手薄を突いて、残った魔物どもが街を襲う様子もない」
グスタフは、杯を見つめる。
「今はまるで――最初から、いなかったみたいになっちまってる」
酒場の喧騒が、遠くなる。
「ノクタルじゃな、魔物が絶滅したって噂まで出てる」
「……信じてるの?」
「まさか」
即答だった。
「長く生きてると分かる。こういうのは、ろくな終わり方をしない」
彼は、低く言った。
「だから俺は、しばらくノクタルには行かない」
慎重な判断。
そして、それができる立場。
「当分はルミナルに留まる。キャラバンの護衛が中心だな」
一拍。
「暇を持て余した連中は、アリーナに行くだろう。もし仕事が被ったら、面倒も見てやってくれ」
リヴィアは、少しだけ考えた。
家で待つ妹。
白と青の機体と執事のように忠実なOS。
そして――新しく増えた“守るべき存在”。
「……今は、余裕がないわ」
柔らかく、だがはっきりと。
「守らなきゃいけない人が、増えたから」
一瞬の沈黙。
次の瞬間。
「――ついに、バディを見つけたのか!?」
グスタフの声が、酒場に響いた。
「おい聞いたか!? リコが相棒を見つけたぞ!!」
どっと、歓声が上がる。
「お前ら、今日は俺が全部奢ってやる!! リコを狙ってたやつは思いっきり泣いておけよ!! アハハハハ!!」
酒場は、一気に宴会の空気に包まれた。
(……最悪)
リヴィアは、こめかみに走る鈍い痛みを感じながら、そっと席を立つ。
騒ぎの中心から、静かに離れ、扉に手をかけ振り返ることなく外へ出た。
「そういえば……ノクタルで、妙な噂があってな」
すでにリヴィアはそこには居なかったが、それに気づいていないグスタフは淡々と続けた。
「急に名前を轟かせた凄腕のダイバーがいるらしい。……確か名前は――」
世界は、静かに――されど確実に、動いていた。




