プロローグ - <落下>
はじめまして、「C.A-yr-E.N」(ケイレン)と申します。
新規長期連載作品の予定となりますが、手に取って頂ければ幸いです。
また、評価、コメント、ブックマーク、誤字報告などございましたら、励みになりますのでどうかよろしくお願い申し上げます。
プロローグ - <落下>
《――優勝チーム! 神崎 司ッ! 御神影 凛ッ!》
爆発するような歓声が、巨大アリーナを揺らした。
巨大スクリーンには決勝戦のハイライトが映し出され、10メートル級の人型兵装同士が光と爆炎を散らしながら衝突している。
ここはダイブゲーム《Falls》第一回世界大会の決勝会場。
《Falls》は、フルダイブ技術を極限まで活かした対戦アクションで、プレイヤーは“Falls”と呼ばれる兵装を、現実の身体と同じ感覚で操縦する。
重力負荷、機体の反動、振動、温度――五感すべてが反映されるため、ただ反射神経が良いだけでは勝てない。
複雑な機体制御、判断力、空間把握、想像力……それらすべてが噛み合ってはじめて、ひとつの戦術になる。
だからこそ、この大会は世界中に“天才”を見つけた。
そして、その頂点に立ったのが、司と凛だった。
ヘッドギアのロックが外れ、薄明かりが差し込む。
司は深い息をつき、握りしめていた手をゆっくり開いた。
掌にはまだ、機体の震動が残っている気がする。
隣では凛が静かに目を開く。
黒髪が光を柔らかく反射し、微笑みを浮かべた。
「お疲れさまでした、司さん。最後、とてもきれいでした」
「いや、凛の一撃が決まったから勝てたんだよ。ほんと」
凛は頬を染め、控えめに笑った。
「ふふ……ありがとうございます」
二人がポッドを降りると、再び歓声が押し寄せる。
司は手を上げ、凛は優雅に会釈して応えた。
インタビューや撮影を終え、ステージ裏へ下がると、 そこに立っていたのは白い衣装を纏った双子キャスター。
ダイブゲーム《Falls》の公式キャラクターでもある、ナルとタル。もちろんコスプレイヤーなのだろうが、嫌にリアルに見え、特にエルフ耳特有の耳介などが本物そっくりだった。
「優勝おめでとう、司くん!」
「凛ちゃん、ほんとうに素晴らしかったよ!」
司は丁寧な口調で返す。
「ありがとうございます。夢みたいです……」
凛も穏やかに頭を下げた。
「光栄です。お役に立てたなら嬉しいですね」
双子に案内され、控室へ向かう廊下を歩く。
扉が閉まると、外の喧騒はすっと遠のいた。
静かで落ち着いた控室――しかし、その奥には“異様な存在感”を放つ黒いポッドが鎮座していた。
通常の《Falls》ポッドとは形状がまるで違う。
まるで研究施設の実験装置のようで、どこか禍々しい。
「えっと……これ、公式のポッドと違いません?」
司の問いに、ナルとタルは振り返り、
いたずらっぽく人差し指を唇へ当てた。
「「シーッ」」
軽く肩を押しながら、二人は微笑む。
「それは後のお楽しみ」
「まずは、二人に見てもらいたいものがあるの」
その声音には、表の仕事では見せない“別の顔”がわずかに滲んでいた。
司と凛は一瞬だけ視線を交わし、静かに頷いてソファへ腰を下ろす。
この後に“何か”がある――二人とも、無意識のうちにそれを感じ始めていた。
◆
双子が向かい合って立つと、まるで舞台の開幕を知らせるようにタブレットを持ち上げた。
小さな端末とは思えないほど鮮烈な光が走り、空中に半透明の映像がゆっくりと展開されていく。
最初に映ったのは、雲海。
どこまでも広がる白い大地が、太陽光を受けて黄金色に輝いている。
「雲の……上?」
司がわずかに身を乗り出したときだった。
雲に走る一本の黒い線。
それは髪の毛一本より細く、しかし異様にまっすぐで、明らかに自然物ではない。
次の瞬間――線が裂けた。
空自体が悲鳴をあげるように、黒い裂け目が広がる。
雲が左右に割れ、世界が切り開かれるようにして“空の傷”が露わになっていった。
凛は思わず息を止める。
その目は戦闘時と同じ集中の輝きを帯びていた。
「空の……裂け目……?」
映像はさらにズームされ、裂け目の内部を映し出す。
そこから零れ落ちるのは――水。
天頂から降り注ぐ豪雨とは違い、質量を持った“流れ”そのもの。
細流ではない。
川でも、滝でもない。
世界を二つに割るほどの、とてつもない水圧と水量。
ナルは満足げに微笑んだ。
「そう。空の裂け目《セル=ラグラ》。空に開いた裂け目から流れ続ける滝だよ」
タルが淡々と付け加える。
「空の裂け目《セル=ラグラ》の長さはおよそ2,550km。どこからでも見えるよ。視界の端に必ずあるから、ラグラシアでは“空の帯”って呼ぶ人もいるね」
凛が驚きに目を見張る。
「……そんな規模なんですか……」
司も思わず吹き出しそうな笑いを漏らす。
「いや、作り込み……どころじゃないだろ、これ。何をどうしたら……」
双子は司の驚きに満足したように頷く。
「次世代《Falls》の体験版映像だよ」
「実際に近いスケールでね。二人には特別に“体験ログイン”をしてもらおうと思ってたの」
「だから奥のポッドが……」
「そう。特別仕様の体験ポッド」
双子は示し合わせたように黒いポッドを振り返る。
その瞬間、室内の空気がわずかに変わった。
照明の下でも光を吸うような漆黒の外殻。
脈動するように微かな光を帯びており、まるで生き物のように呼吸している。
凛の視線が吸い寄せられる。
「これ……本当に、ログイン用のポッド……なんですか……?」
「もちろん」
ナルは穏やかに笑ったが、その声の奥に“隠した何か”があった。
「次の世界観を体験するための、試験型だよ。二人くらいのトップダイバーにしかまだ見せていないんだ」
司もゆっくり近づき、ポッドの外殻へ手を伸ばした。
触れた瞬間、金属とは思えない柔らかさと温度を感じる。
「……これ、公式の機材じゃないですよね?」
そう尋ねた司を、タルがいたずらっぽくたしなめる。
「普通の体験ログインだよ。ちょっと仕組みが違うけど」
違うなら普通じゃない、と心の中で突っ込みかけたが、言葉にはしなかった。
凛は緊張と期待が入り混じった声で呟く。
「……体験できるんですね……あの裂け目を……」
「うん。短時間だけね」
ナルは凛の反応にとても満足したように微笑む。
「世界観を“感じる”ことって、体験型ゲームでは一番大事でしょ? 二人ならきっと楽しんでくれると思ったの」
司はもう一度セル=ラグラの映像を振り返った。
あの、空が裂ける瞬間――胸が少しだけ熱くなる。
「いや……やりたいっすよ、これ」
凛も頷く。
「私も……とても興味があります」
双子は顔を見合わせ、満足げに笑った。
「だと思った」
「じゃあ、準備しようか」
黒いポッドが低く唸るような音を発し、内部がふわりと光る。
溶けるような白い光の中に、シートとヘッドギアが浮かび上がる。
司はハッチに手を置きながら、念のためもう一度だけ尋ねた。
「……ほんとに、ただのログインなんですよね?」
タルは優しく微笑む。
「うん。安心して」
その笑顔は柔らかいのに、どこか影を落としているようにも見えた。
凛は深く息を吸い、微笑んだ。
「よろしくお願いします」
二人は同時にポッドの中へ足を踏み入れた。
◆
ポッドの中は、外側から見た印象よりも広く感じられた。
白く柔らかな光が空間全体に満ち、壁面はなめらかな曲線を描いている。まるで“どこにも繋がっていない部屋”に浮かんでいるような、不思議な感覚だった。
司は軽く息を吐くと、シートへ腰を下ろした。
背中に触れる素材は金属ではなく、皮膚の温度に近い柔らかさがあった。機械に座っているというより、生き物の上に身を預けているようだ。
(……なんだ、これ。すげぇな)
凛も隣のシートに座り、静かにヘッドギアを見つめている。
黒髪が光を受けて揺れ、その表情には緊張よりも期待が勝っていた。
「司さん……なんだか、本当に別の世界に行くみたいですね」
「まぁ、あの映像見せられたらな……。こういう“没入装置”なんだと思いたくもなるよ」
凛が小さく微笑む。
「そうですね……。ゲームだと分かっていても、心がざわつきます」
そこへ、外からナルの声が優しく響いた。
「準備はいい? 二人ともシートに寄りかかって、深呼吸してね」
タルが続ける。
「ログイン時、少し落ちる感じがするから。でも大丈夫、体には何も起きないよ」
司は苦笑しながら答えた。
「落ちるのは慣れてますって。《Falls》やってるんで」
凛も穏やかに頷き、声を添える。
「よろしくお願いします」
ヘッドギアがゆっくり降りてくる。
視界の上部を覆い、その下から柔らかな光が流れ込むように広がっていく。
心拍数がわずかに速くなるのが分かる。
しかし恐怖ではない。未知への純粋な期待。
「ログインを開始するね」
ナルの声が、まるで耳元で囁かれたかのように近かった。
「3、2、1……」
光がふっと消え――世界が沈む。
重力が抜け、身体が椅子にあるのかすら曖昧になる。
温度が消え、方向感覚が溶けていく。
(……あれ……?)
司は瞬きしようとするが、まぶたの存在すら感じられない。
代わりに、遠い場所で水の流れる音がした。
細い滴ではなく、奔流。川とも違う、降り注ぐ“巨大な落下音”。
(これ……セル=ラグラの音……?)
意識が沈むように落ちていく。
輪郭が細かい砂になって崩れていくような、不思議な感覚。
(……凛……?)
呼びかけるつもりだった。
だが声は空間に届かず、そのまま霧散した。
近くにいるはずの凛の気配も、もう感じられない。
司はほんの僅かに不安を覚えたが、それさえもすぐに溶ける。
視界が暗闇へ変わり、さらに深い闇へ――。
そのとき。
身体が“粒になる”感覚 が、一瞬だけ走った。
皮膚が剥がれるような痛みはない。熱や風もない。
ただ、“分解されていく”という事実だけが分かった。
光。
粒子。
重力の断絶。
すべてが、遠くへ遠くへ……。
(……なんだ……これ……)
思考が薄れていく。夢の中の落下。
深い深い底へ向かうような、抗えない沈み。
――そのとき。
意識が完全に途切れた。
司は気づかない。
自分の身体が光の粒子へ崩れ、ポッド内を漂いながら吸い込まれていく様を。
凛も同じように、静かな光の雲となって形を失っていった。
痛みはない。恐怖もない。
ただただ、落ちていった。
◆
光が収束し、ポッド内は静寂に包まれていた。
そこにはもう司も凛もいない。ただ、淡く残る粒子が空中に漂い、それもすぐに溶けて消えた。
ナルは胸に手を置き、そっと目を閉じる。
「……ごめんね、司くん」
タルも隣で小さく頭を垂れた。
「……ごめんね、凛ちゃん」
ふたりの声は、さきほどまでの明るさを完全に失っていた。
ポッドの外殻に指先が触れると、微かな温度だけが残っている。
ナルとタルは顔を上げ、静かに声を重ねた。
『どうか……ラグラシアを救って』
それは命令でも、期待でもない。
ただ――世界の生存を託す、切実な祈りだった。
空調の音だけが控室に響き、
その願いをゆっくりと飲み込んでいった。




