封印の記章と、真夜中の襲撃者
―“過去”が動き出すとき、“日常”は砕かれる―
夜の空は、雲一つなく澄んでいた。
満天の星々が光を放ち、村全体を淡く照らす。
虫の鳴き声が静かに響くなか、レンはいつものように、茶屋の戸を閉めていた。
「ふう……今日も平和だったな。」
そう思った――そのときまでは。
「……ッ!」
突如として感じた、異様な“圧”――それは、空間を裂くような違和感。
レンはすぐに振り向いた。
(……来たか。)
微かな気配。
だがそれは、普通の者には感知できない、歪んだ魔素の痕跡だった。
レンはゆっくりと右手を挙げ、指先に魔素を集めた。
虚無の波動が静かに指先を包む。
「姿を見せろ。お前のような“影”は、この村には似合わない。」
その声に応えるように、何かが闇の中から現れた。
細長く、黒いフードを被った存在――仮面の襲撃者。
顔は見えない。だがその手には、明らかに“術式兵装”が刻まれた刃。
「……クロザキ・レン。確認完了。対象を、削除する。」
無感情な声。
レンはため息をついた。
「……お前たち、いつもそうだな。“対話”って知らないのか?」
瞬間、襲撃者が動いた。
――速い。
だが、レンはその動きを読むように、一歩横にずれた。
刃が地面を抉る音。
「虚無結界・式壱《空断》。」
レンの足元から黒い陣が広がり、襲撃者の影を捉えた。
バキンッ
無音の爆裂とともに、空間が切り裂かれる。
襲撃者の体が宙に弾かれ、数メートル先で地面に叩きつけられた。
だが、それでも起き上がる。
その身体は、何らかの「強化式」によって構築されている。
(……自我がない。傀儡か。)
レンは冷静に分析しながら、周囲の気配を探った。
――それは一体ではない。
「……3体。いや、4体目も、森の中か。」
背後からの殺気。
しかし、レンが動く前に――
「……下がってください!」
少女の声が響く。
レンの背後に現れたのは――ユナ。
その掌には、光の紋章が浮かび上がっていた。
「その印は……!」
レンの目が大きく見開かれる。
それはかつて、王国でも限られた者しか持たなかった力――
【封印解放の印章】。
「ユナ……君、まさか……!」
「思い出したんです。全部じゃない。でも、父の手が……私にこの力を託したこと。」
ユナの手から放たれる光が、襲撃者たちの動きを一瞬止めた。
「レンさん、今です!」
「よし。」
レンは足元に陣を描いた。
「虚無封葬陣・式参《影呑》。」
黒い霧が地を這い、襲撃者たちを飲み込むように包んでいく。
無音のまま、彼らは“存在ごと”飲み込まれた。
数秒後、すべては――静寂に戻った。
翌朝。
レンとユナは、茶屋の裏にある小さな井戸のそばにいた。
「……助かったよ。君があの術を使えなければ、俺一人では間に合わなかった。」
「私も……正直、体が勝手に動いた感じでした。」
ユナは少し困ったように笑う。
だが、レンの表情は真剣だった。
「アーク・シンボルは、本来は王家直属の守護魔導士にしか付与されない印。
君がそれを持っているということは――君の家が、ただの貴族ではなかったということだ。」
ユナは小さく頷いた。
「……父は、“王家の鍵を守る一族”だと言っていました。
でもそのことを口にしたのは、一度だけ……その夜、屋敷が襲われる前です。」
レンは空を見上げる。
(王家の鍵……“虚無”と関係があるのか?
いや、それとも――この世界の“真理”に通じているのか?)
彼の脳裏には、一つの言葉が浮かんでいた。
――“目覚めの時が来たら、鍵は導かれる。世界が再び変わる前に。”
その予言の通りならば、これからが本番だ。
だが、レンは強く思った。
(俺はこの村を、ユナを、守る。そのためなら――再び“虚無王”になっても構わない。)