ユナの秘密と、眠れる記憶の扉
―「あの日の記憶」はまだ終わっていない―
夜が更け、月が空高く昇るころ。
レンはひとり、茶屋の裏庭に立っていた。
静寂の中、土の上に座り、掌を地に当てる。
(……封印は、まだ大丈夫だ。)
虚無の力は、深く沈めてある。
けれど、今日ラズが訪れたことで、その「鍵穴」はわずかに揺れた。
あの男は、気づいていた。
レンがまだ“あの日の力”を完全には手放していないことを。
そして、もっと気になるのは――
(ユナの中にも、“何か”がある。)
目を閉じると、うっすらと感じられる。
彼女の魔素は異常に安定しており、それはただの人間ではあり得ない。
それどころか、眠っている何かが――彼女自身も気づいていない何かが、反応し始めている。
翌朝。
「レンさん、朝ごはんできましたよ。」
小さなテーブルに、焼きたてのパンとハーブスープ、そして茶葉を使った玉子焼き。
ユナの料理は、日々上達していた。
「……うまいな。まさかお茶でここまで工夫するとは。」
「ふふ、ありがとうございます。」
にこっと笑うその顔は、まるで普通の少女だ。
だがレンの胸には、昨日の記憶が残っていた。
「ユナ。……ちょっと、話したいことがある。」
ユナはスプーンの手を止め、少しだけ表情を引き締めた。
「……はい。」
二人は、村のはずれの丘にいた。
遠くには森が見え、鳥たちがさえずる。
風が優しく吹く、静かな場所。
「ユナ。君の中に……記憶の空白はないか?」
「記憶……?」
「例えば、幼い頃のこと。王都での生活、家が滅びたときの記憶――不自然に思える部分は?」
ユナはしばらく沈黙した。
そして、ゆっくりと頷いた。
「……あるんです。私、父と母が亡くなった日、何があったのか、まったく思い出せない。」
「それは?」
「気がついたら、森の中で倒れていて……近くの老夫婦に助けられたんです。」
レンは目を細める。
(やはりか。彼女の記憶の空白は、“封印”と関係している。)
「……レンさん。もしかして……私の中に“何か”あるんですか?」
質問ではなく、確信に近い声だった。
「そうだ。君の中には、強大な魔力……いや、“力”が眠っている。」
ユナは目を見開いた。
「それは、父が残したもの?」
「あるいは、それ以上の存在だ。」
レンはそっと、彼女の手を取った。
「……このままだと、君を狙う者は増える。ラズのような存在も、もっと現れるだろう。」
「……でも、それでも私は逃げません。」
ユナはまっすぐに言った。
「私は……この村が好きです。あなたと過ごす時間も。だから……ここで、自分を知りたいんです。」
レンの胸に、何かが温かく灯った。
彼女の強さは、戦う力ではない。
“受け入れる”力だ。
(だったら俺も……)
「いいだろう。君の力を、君自身が理解できるようになるまで……俺が、隣にいる。」
ユナは静かに微笑んだ。
その笑顔は、まるで春の光のように優しかった。
その夜――
「虚無の波動、観測位置更新。対象、依然として村に留まる。」
どこか、遠くの大陸。
巨大な水晶を前に立つ、漆黒のローブを纏った者たち。
「封印は、まだ緩んでいないようだな。」
「だが、“鍵”は、すでに目覚め始めている。」
「では――次の刺客を。」
ローブの者たちは、口元だけに笑みを浮かべた。
「“目覚めの刻”は近い。世界は、再び彼を中心に回り始める。」