第1話 暁 千里
僕。暁 千里はどこにでもいる極々平凡な高校生だ。
年齢は17歳。特に目立った特徴のない黒毛の短髪。ブサイクともイケメンとも呼べず、男らしくもない中性的な顔立ち。身長はギリギリ170㎝を越えてるけど、全体的に細身な上に童顔なせいか周囲からは実身長よりも低く見られてしまう。たまに中学生と勘違いされるくらいには子供っぽく見られるみたい。
運動は好きだけど得意というわけでもなく、今年の冬に学校で開催されたマラソンでは下から数えた方が早い順位でゴールした。
特技は家事全般。これは僕が何の取柄もない中で唯一誇れるものだ。そして最近は裁縫のスキルも上げている。え? 男なのに女子力高いって? えへへ。それほどでもないよ。
趣味はゲームとアニメ。要するにオタクコンテンツが好きな古典的なオタクだ。
その中でも特に好きなジャンルは異世界やファンタジー要素の強い作品だ。最近はのんびり異世界系やネット配信者が異世界転生する話が流行だけど、やっぱり僕はダンジョン攻略したり果てしない世界を仲間たちと冒険する王道ファンタジーが好き。
とまぁ、ここまでが僕のプロフィールだ。そしてこれだけで暁千里という人間のほとんどは把握できたと思う。
冒頭で語った通り、僕という人間は極めて平凡。どこにでもいる普通の高校生だ。
学校では数少ない友人とお喋りして、放課後はバイトして、休日は新しい料理に挑戦してみたり部屋を綺麗にして、大好きなゲームや漫画、ラノベに没頭する。
そこに非日常めいたものはなく、きっと世界中でありふれている普通の人間の日常。退屈で飽きもするけど、けれど僕はこの生活を気に入っている。
たまに刺激は欲しいけれど、やっぱり人生は穏やかな波の立たない平凡が一番だと、僕は喧騒に包まれる放課後の教室の中で改めてそれを再認識する。
「千里ぃー。今日放課後遊びに行かね?」
「ごめん。僕、今日はこれからバイトなんだ」
いそいそと帰り支度を整えていると前方から友達の修練くんと一真くんが僕の元にやって来た。既に下校の準備を終えて鞄を背負っている二人から有難い申し出を受けたが、タイミング悪く今日はシフトが入っていてそれに応じることができなかった。
ぱちん、と顔の前に両手を合わせて謝ると、二人は大して気にした様子もなければこれから約五時間の労働に勤しむ僕を励ましてくれた。
「そっか。それなら仕方ないな。バイト、頑張れよ」
「あまり無理すんなよ。千里はたまに見てるこっちが心配になるくらい頑張るから、バイトなんてほどほどにやれよ?」
「うん。忠告受け取っておきます。ありがとね、二人とも」
ありのままに感謝の気持ちを伝えると二人は「お、おう」と何故か頬を赤らめて僕から視線を逸らした。
ぽりぽりと頬を掻く二人に小首を傾げていると、
「じゃあ、俺たちは先帰るわ。また明日な」
「うん。また明日ね」
ひらひらと手を振って背を向ける二人に僕も手を振り返す。
「……やっぱアイツ。男とは思えねぇよなぁ」
「しゃーねぇ。俺たちみたいなザ・男みたいな顔じゃなくて童顔なんだから。それと相俟って純心で素直だからクラスの女子よりも可愛く見えてしまう」
「色白で華奢なせいで余計に女に見えるのも凶悪だよな」
「それな! おかげで性癖が狂いそうになる」
二人が何か話しているけど、それはクラスの喧噪に混じって上手く聴こえなかった。たぶん、これからどこに遊びに行くか話し合ってるんだろうな。
修練くんと一真くんの姿が教室から出て行くのを見届けたあと、僕は正面に向き直ると止めていた作業を再開させた。机の中に入っている教科書を手際よく鞄に仕舞っていく。
「明日までの課題は入ってる。ふぅ、バイトから帰ってできる余裕あるかなぁ」
鞄の中に荷物をまとめ終えて、席を立ちあがる。それから鞄を肩に掛けると、一度小さく息を吐いてから歩き出した。
教室を出て廊下を抜け、昇降口で上履きからスニーカーに履き替える。今日はなんとなく、小走りで校門を抜けた。
歩道をしばらく歩いてたまに信号に捕まって、信号が赤から青へ変われば横断歩道の白線をステップを刻みながら越える。
既に太陽は西に沈みかけ、周囲を茜色に染め始めていた。
立ち並ぶ高層ビルから覗く茜色の空。僕にとっては見慣れた景色で、それと同時にすこしだけ嫌と思えてしまう光景。
胸裏に湧くわずかな哀愁。けれどそれもすぐに霧散して――
「――――」
ふと、歩く足が止まった。
理由は分からない。
ただ、なんとなく胸がざわついて、何かに違和感を覚えた。
奇妙な感覚だった。
まるで誰かに呼ばれているような、助けを求めているような、そんな感覚。
「……猫、かな」
奇妙な感覚を覚えた方に振り向いてみる。視線の先は裏路地だった。外が既に薄暗くなっているせいか奥まで見えない。
だが、奥だ。奇妙な感覚がするのは。それを理解した瞬間、危険な香りが濃くなった気がした。
ドクドクと心臓の鼓動が速まっていく。
じり、と足が一歩踏み出そうとした、その時だった。
「にゃー」
「うわっ‼」
高鳴っていく緊張に視野が狭まっていく中、突然鼓膜に届いた鳴き声に不意打ちを食らってビクッと肩を震わせた。
それからハッと我に返って声がした方へ視線を下げると、薄暗い空間から一匹の猫がのそのそと歩きながら現れた。
「なんだぁ。猫かぁ」
どうやら奇妙な気配の招待は猫だったみたいで、僕はほっと胸を撫で降ろした。
毛並みが黒いせいで余計に裏路地の薄暗さに溶け込んでいたのか。だからこうして足元に寄って来るまで気付けなかった。
気付けなくてごめんね、と黒猫に謝ろうと腰を屈めた時だった。
「にゃ」
「え?」
僕の元までやって来た黒猫が急に旋回した。暗闇の中に戻ろうとする黒猫は僕に視線をくれると、また鳴いた。
僕にはその鳴き声が、なんだか「ついて来い」と聞こえて。
「えっと、ついて来いってこと?」
「にゃ」
すごい⁉ 猫と話しが通じた!
どういう理屈かは分からないけど、とにかく猫と会話した。あまりの感動に思わず打ち震えていると、そんな僕を見て猫が呆れたように尻尾を落とした。
「にゃー!」
「は、はい! すぐ行きます!」
今度は怒っているように鳴いて、僕は猫相手に怖気づく。
そんな僕を見て猫はまた何か言いたげに嘆息を落とした。……猫も溜め息吐くんだ。
「にゃ」
「う、うん。とにかく、着いてくればいいんだね」
「にゃー」
さっさと来い、そう捉えられる鳴き声にこくりと頷いて、僕は裏路地に入っていく。
「……猫と話したこと、明日絶対に修練くんたちに自慢しよ」
けれど、そんな日が二度と訪れないということを、この時の僕はまだ知る由もなかった――。